第76話 英雄の光と影 1

 大きな庭にプールや高級車が置かれている裕福な邸宅が並ぶ道路の反対側には、有り合わせの廃材を寄せ集めた小屋が、ゴミの山のような街を形成している。

 大国の支援により、乾いた大地の大陸でも屈指の富を持つが、苛酷なまでの民族政策によって、くっきりと色分けされた都市構造を成している。

 砂漠と海に挟まれた狭い土地に、多くの人が密集して暮らす国、それが、イズラヘイムだった。

 二色に色分けされた街並みを仕切る幅の広すぎる道路がたどり着くのは、もう一つの色を添える、頑丈なフェンスで囲まれた軍事基地だ。

 アーガイルチェック柄を織りなす、その一つに、メルトロウは訪れていた。

 厳重な警戒がされている正面ゲートに、堂々と車を乗り入れた彼であったが、どの様な魔法の賜物であるのか、二言三言言葉を交わすだけで、すんなりと中へ通された。

 誰にも邪魔される事無く基地の奥へと進むみ、目的の相手の所へ向かう。

 彼を待っていた相手は、イズラヘイムの軍の最高責任者イグル・ミャカッドだった。


「よくぞ、参られましたな。ラドロクアの政変の折り、ロギド帝国の勢力を一掃した影の英雄メルクリウスに会えるとは。その手腕、イズラヘイムにも聞こえておりますからな」


「ありがとうございます。この度は、|砂の国(キスナ)の元首として、参りました」


「ほう、それは異なことを。砂の国の元首は、アリードという者では無かったのかね?」


「英雄と呼ばれる少年と、この水銀(メルクリウス)、比べるまでもありません。この国が、居並ぶ老人たちの物か、ミャカッド将軍の物かと、問う様な物です」


「ふぉっほっほっ」


 恰幅の好い男は、機嫌がよさそうに酒の入ったグラスに手を伸ばした。だが、目の前にいる男への警戒を忘れた訳ではない。グラスの酒に口を付けると、鋭い視線を向けて、言葉を放った。


「それで、どういったご用件かね?」


 単刀直入な切り返しは、時間の無いメルトロウにとっても有り難かった。しかし、急ぎ答えを求めれば、渡る橋がより細くなると言うものだ。


「この乾いた大地の大陸から、大国の影響を一掃するためのご相談です」


「なんだとっ!」


 ミャカッドは、とび上がるほど驚いた。だが、彼の声など聞こえなかったように話を続けるメルトロウの言葉をそれ以上遮ることが出来なかった。この男の話を聞いてはならない、しかし、聞かずにはいられなかったのだ。


「我らの大陸に、いつまで、大国の軍隊をのさばらせておくつもりですか? ミューヒ族による統一こそが、将軍の理念だったはず、それが、大国の軍隊が我が物顔で歩く、この国の有様は、どういう事ですか」


「奴らの軍事力を使って、この大陸を統一した暁には……」


 そんな言葉は彼自身も信じてはいなかった。ミャカッドの額から汗が流れる。そうなった後では、もう、遅いのだ。


「大国が、砂漠しかない砂の国へ興味を示す理由を御存じか? 何も無い広大な砂漠の広がる国、しかし、その砂漠こそ、大国が手に負えなくなった廃棄物の捨て場にもってこいの場所であると考えたからです。このまま手をこまねいていては、将軍が手に入れるのは、ゴミの山となった大陸という事になりますね」


「だからと言って、砂の国と手を結ぶ理由にはなるまい。わしに何の益がある」


「いえ、将軍。今こそ、乾いた大地の大陸の全権を代表して立ち上がる時なのです。今、民族の、大国からの解放の、声を上げなければ、いつまで経っても、小さな国の支配者でしかない。覇を唱える者に並ぶ事も出来ず、この大陸を支配する者が現れた時でさえ、小国の将軍として、指をくわえて見ているだけしか出来ないのです」


 大義、信念、それらによって立ち上がる事は、名誉という幻想に酔いしれる。

 それを知る者にとって、どれほど、甘く響く言葉であろうか。

 しかし、それだけでは、人は動かせない。

 どれほど甘い蜜であろうと、それだけでは足りないのだ。

 人を説得するために必要な物、それは、……利益……ではない。

 欲などと言う、木の葉のように移ろいやすく、薄っぺらなものでは無く、絶対的な指標となる……力だ。


「その為に、十分な手土産も用意しております……」


 メルトロウの言葉がもたらした沈黙の合間を縫って、緊急の要件を告げる連絡音が部屋に響いた。

 返答の答えを探すように、そそくさと報告を受けるミャカッドだったが、告げられた事態に、目を見開いてメロトロウに向けた。

 軍の要人の一人が、邸宅もろとも吹き飛ばされたのだった。


「……きさま、何の真似だ」


「狼煙には丁度良い。目先の欲に目がくらみ、大国に言われるがまま、イェシャリルの独立を扇動した、軍の腐敗の一部を粛正しておきました。将軍も、いずれ片付けるつもりであった者でしょう」


 メルクリウスの手段としては、いささか乱暴な手であった。

 幾ら時間がなかったとはいえ、人ひとり暗殺するのに、多すぎる爆薬を使って、家ごと吹き飛ばしたのだから。


「それと、これは将軍に……」


 メルトロウが、懐から小さな樽のような形の金属の筒を取り出し、テーブルの上に置いた。しっかりと、圧力がかけられ蓋が外れないように固定されている。


「テイノ・エフ・エム・スリーオーコロナウイルス」


 メルトロウは聞きなれぬ言葉を発したが、ミャカッドは、口を押さえて後ずさった。それが何なのか理解しているかのように。


「アメルフォドアが風邪の菌をベースに、開発した細菌です。空気中を浮遊し、瞬く間に人の体に入り込みます。感染すれば二日と持たずに死に至りますが、空気中に拡散した物は、一週間ほどで死滅してしまうそうです。乾燥した気候と、街同士の距離のある砂の国では、ちょうどよい実験場だと、持ち込んだのでしょう」


「それを、どうするつもりだ?……」


「何も、砂の国に限った事ではありません。この国のアメルフォドアの基地に、これが無いとも言い切れず、その一つが、吹き飛ばされでもしたら……」


 これでは、要求を受け入れるかどうかにかかわらず、動かない訳にはいかなかった。

 どこに仕掛けられたか分からない、爆弾や細菌兵器を探そうにも、大国連合軍が基地内や装備を調べさせるはずもない。しかし、あれだけ大きな爆発が上がれば、警戒のためと称して、十分な時間がとれる。

 どう転んでも、この男の思惑通りにしかならない。しかし、それでも、この基地でその筒の蓋を取らせるよりは、はるかにましだ。誰かに、それが、この国に持ち込まれたと知られるよりは、はるかに……。

 甘く見ていた。亡国の知将が、亡命先でも求めて来たのかと、軽く受け入れたのが運のつきだった。

 今更それを後悔したところで、水銀(メルクリウス)と呼ばれた猛毒を招き入れた時点で、彼の命運は決まっていたのだ。


「困った事があれば、いつでもお力になりますよ。……それでは、失礼いたします」


 メルトロウはにこやかに頭を下げると、部屋を後にした。

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