第75話 ひび割れる大地 2

 来夏の決断を止められなかった。

 彼女の言葉に、アリードは、金髪の少女の姿を思い出していた。超常の力を有する彼女たちの進むべき道に口をはさむ余地など無かった。

 それでも、彼女の力を、敵を打ち倒すために使ってはならない。

 彼女の力は、残された人々のために。守られるべき人々のために。

 だが、静かに部屋を出る来夏を、アリードは無言で見つめるしか出来なかった。


「やれやれ、人は駒ではない。誰もが、大きな荷物を背負いたがる。ただ崇められるだけの偶像では、いられない、か」


 重荷など、年を経た者に背負わせればよい物を。背を押してくれる手など幻想だ。地に伏せた時、その手に押さえつけられて、二度と立ち上がる事も出来ないのだから。しかし、彼自身も自ら分不相応なまでの重荷を背負い続け、その重みで足が前に進めなくなった時、ようやくその事に気が付いたのだった。

 語りかけるでもなく呟いたメルトロウは、指先で眼鏡を直すしぐさをして、しばらく間を取ると、アリードに向き直った。


「予定通り、バルクと合流して、東に向かってください」


「ですが、先生」


「私が、イズラヘイムへ行きます。彼女はもちろんですが、ズズリシュもここで失う訳にはいきませんので」


「先生……、頼みます」


 アリードは、深く頭を下げた。

 彼がイズラヘイムで何をするのか、詳細は聞かなかった。彼に頼る以外、選ぶ道はないのだから。それに、アリードの役目も、決して楽観できるものでは無い。無限とも思える物量の地上部隊を、僅かな兵と装備で抑えねばならないのだ。誰もが不可能と思える戦いに、彼らは向かわねばならなかった。



 慌ただしく、用意が済んだものから出発して行き、アリードたちが政務を執り行っていた軍キャンプは、閑散としていた。その場所の役目を終えようとしているかのように。

 |砂の国(キスナ)の全ての人が迫る戦いの足音に気を張り詰めていたが、彼女だけが、ゆったりと木陰に吊るしたハンモックの上でまどろんでいた。

 唯一人、この世界の部外者でいられる少女、来夏の友人朋美である。


「ねぇ、来夏、出かけるの?」


 朋美は寝そべったまま、来夏に声を掛けた。


「うん、彼女たちと、もう一度、向き合わなければ……」


「そーねー。奇跡を起こせない魔法は、『魔法』ではないわ。それでも、彼女たちは、自分の力を信じている。人は、自分の小さな可能性を信じている。だから、……本物を恐れるのよ」


 彼女のゆったりした声は、半分眠っているかのようであった。


「それでも、いつかは、彼女たちとも手を取り合える日が来る、と思う……」


「そうね……」


「行ってくるね」


 来夏はふわりと空に舞い上がった。強い日差しにその姿が溶け込んで行く。

 彼女の『魔法』は、奇跡を起こせるのだろうか?

 とても遠回りな道でも、彼女の決断はより良い結果を生む。それが分かっていても、来夏の事が心配だった。ギュッとクッションに、顔を伏せた朋美の下で、ドラゴンが翼の先に付いた鉤爪で、しきりに頭を掻いていた。


「あなたも気になるの?」


「うん、アリードやみんなが、死んじゃったらどうしよう……。イルイルやノルノルも、死んじゃうの? どうして、みんな死んじゃうのに戦うの?」


「ふーん、そうなのね。……いいわ、行ってきなさい」


「いいの?」


「見てきなさい、この戦いの行く末を」


「ママ! 僕行って来るよ、頑張るよ!」


 朋美の許可が出ると、ドラゴンは、一目散に空に飛び立った。


「危ないことしちゃだめよ。……あなたも、この世界の住人なのかも知れないわね、ゲートを通れなかったのはそういう事か。……私も、そろそろ、帰ろうかな」


 朋美は、ハンモックを少しも揺らさず、大きな伸びをした。

 強い日差しが、小さな木陰を削っていく。

 乾いた大地がひび割れて行く、暑い季節が、|砂の国(キスナ)に訪れたのだった。

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