第59話 会談 1

 来夏は誰にも邪魔される事無く一人窓の外を見ていた。

 彼女が穴を開けたダムは再建されていない。近くに大きな都市はあるが、山から流れる小さな川が沢山あり水源に困るという事は無いようだ。

 ダムは飲料水だけでなく、増水時の水量調節や発電などにも使われるのだが、電気などその辺りの分子が回れば集められるとしか考えていない来夏には、特に気にする問題とは思えなかった。

 この国の人の生活に、深刻な被害が出ていないと思うと、少し胸が軽くなり、街の人々の暮らしぶりをそっと眺めていた。


 その頃、客人の対応に追われていたメルトロウの元に一人の男が訪れていた。

 逞しい体を上等なスーツに押し込み、ソファーに腰を掛けていたが、細身のメルトロウと向かい合うと、ひときわ異彩を放つ。各方面の権力者たちが順番を待つ中に割り込んでも、文句ひとつ言わせない風格を持っていた。


「久しぶりだな。この短期間で、アルシャザードの軍事政権を倒すとは、見事な手並みだ。懐に入り込み、誰も気づかぬ内に死を運ぶ、不変の猛毒(メルクリウス)は健在と言った所か」


「私の名はメルトロウだ、ギルザロフ。……それに、アルシャザードが倒れたのは、アリードと民衆の力だ、……私には、関係がない」


 不敵な笑みを浮かべていても友好的にさえ見える端正な顔つきのギルザロフを前に、普段とは違い、感情を一切表に出さない石膏像のような無表情でメルトロウは答えた。


「ほぅ、あの少年をえらく高く買っているようだな。それとも、これからがメルクリウスの出番という訳か?」


「よせ、……本題に入れ」


「折角の、偶然の再開だというのに、つれないな」


 一杯やろうと誘うようにテーブルの上のグラスを持ち上げたが、口は付けず含み笑いを漏らしていた。

 彼の思わず誘われてしまいそうな優雅な動きにもメルトロウは眉一つ動かさなかった。


「偶然な物か、この度の会談は、お前の差し金だろう。今更、私と世間話がしたい訳でもあるまい」


「アルシャザードが誰に取って代わられ様とも、この国には関係がない。砂漠の砂に興味を持つ奴などいない。だが……」


 ギルザロフの目つきが急に鋭くなった。


「……だが、マ・ラーイカとは、なんだ? あの様な力、どうやって手に入れた」


 国土の面積こそあれ、その大半が砂漠に覆われ、目立った資源も産業もなく、経済的にも劣る砂の国に目を向ける者などいなかった。だが、その国が、途方もない軍事力、未知なる超兵器を有するとなると、話は別だった。

 ラドロクアが他国に先んじて、砂の国と交渉を始めようとしたのは、地上からの集中砲火を意に介さず、分厚いコンクリートのダムに音も立てず大穴を開けた、マ・ラーイカの存在があればこそだった。

 しかし、メルトロウに尋ねたところで、来夏と『魔法』について、答えられる筈もない。せいぜい孤児院の前に倒れていたなど、意味の無い返答でしかないはずだったが、彼の返答は……。


「知りたいのか?」


 短いたった一言それだけであったが、ギルザロフは何も答えられなかった。

 彼が感じていたのは、圧倒的自信。その秘密を知った所で、力ずくでマ・ラーイカを捕らえたとしても、それを御せる者などいない、触れれば死を招く猛毒であると物語っている言葉に、威風堂々たる男が動けなくなっていた。

 長い沈黙。

 向かい合う二体の石像のように二人の男は動かなかったが、ギルザロフが額からこめかみに垂れる汗を手の甲で拭うと、急に柔らかい表情を浮かべていた。


「我々としては、隣り合う国同士、友好的な関係を築きたいと思っているのだよ。そちらは何かと大変だろう。もちろん、通商条約についての話し合いも必要だが、まず、衣料品や食料品の援助の用意もしているのだがね」


「それは有り難い。末永く続く友情に感謝するよ」


 メルトロウは、無表情のまま感謝の礼を述べた。

 石膏像が友情など感じる物かと疑問に思う程であったが、彼は、ラドロクアの援助を、国家の代表としてではなく、古い友人からの贈り物として受け取ると返事をしたのだった。


「もちろん、我らの友情に……」


 ギルザロフは、上げたグラスに物欲しそうな目を向けたが、それで喉を潤す事はせず、テーブルに戻すと席を立った。

 短い会見を終えると、大股でホテルのロビーを抜ける。

 砂の国の代表であるアリードに会おうともせず、迎えの車に乗り込んだ。

 彼にとって、今回の会談は、もう終わったも同じだった。旧友、かつての同志の健在ぶりを確認できれば、入り込んだ組織を巧みに操り、自らの手で首を絞めるが如く潰して行った手腕が健在ならば。

 一国を乗っ取る、いや、破滅させる事など容易い。彼が手に入れた力が大きければ大きいほどに、その影響は世界に広がる。その前に……そう、次の手を考えねばならなかった……。


(水銀は変わらぬ、食えぬ猛毒か……)


 古代の戦場の英雄のような姿の男の口から、信じられぬほど弱々しい呟きが、ため息のように漏れていた……。

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