第60話 会談 2
一人部屋に取り残されたメルトロウは、石像のように動かなかったが、不意に、テーブルの上のグラスを一気に飲み干した。
ふーッと大きなため息が漏れた。
張り付いた面のような無表情を保っていたが彼も内心はそれほど穏やかでは無かった。
懐かしい旧友、軍事力だけでは収まらず影響力を強めた彼の力、そして、その力の勢力圏内で相対するという様々な想いが交差していた。
彼の知る限り、ギルザロフという男は、高潔な精神に、堂々たる容姿を持ち、これまでの功績と、その求心力は英雄と呼ぶに相応しい男だった。だからこそ、懐かしい友との再会など、演じれるはずもない。
友情や同情では英雄は動かせぬ。
信用に足る力を持ち、信頼しきれぬ相手。攻め込まれても倒されはしないが、討ち滅ぼすには、大きな犠牲が必要、その様な均衡を保たねば、英雄は並び立てない……。
「因果な物だ、もう、関わらぬと、誓ったはずなのにな……」
悲し気な影がメルトロウの瞳に浮かんでいた。しかし、感傷に浸っている暇もなく、次の相手との面会に応じなければならなかった。
それはアリードも同じで、実務的に必要な相手はメルトロウが引き受けてくれていたため、形式的な挨拶で済む相手ではあるが、引っ切り無しに来る正面に座るだけで動揺してしまいそうな貫禄のある相手と、国の代表としての威厳を保って接さねばならず、本番の会談前には、余計な事を考えるゆとりも無いほど、へとへとに疲れ切っていた。
彼らの元に首脳会談が開かれる日時の連絡が入ったのは、到着してからちょうど一週間後の事だった。
威風堂々たる姿のギルザロフと、国家元首のアブサドロスの深い皺の間から覗く鋭い視線に、気圧されて、頭の中が真っ白になっていたアリードだったが、毎日繰り返してきた挨拶が功を奏し、自分でも知らぬうちに、怯んだ様子もなく挨拶することが出来ていた。
それは、アリードの若さに驚いた者たちに、ことのほか感銘を受けていた。
肝心の会談ではあるが、終始ニコニコと人の好さそうな笑みを浮かべているメルトロウを伴って、彼らと軽い食事をしながら、雑談をしただけで終わり、アリードにとっては、拍子抜け、竜頭蛇尾もいい所であった。
「あれで、よかったのかな、先生」
ホテルに戻ったアリードは、気が抜けたかのように、だらしなくソファーに体を預けていた。
「上出来でしたよ。想定以上でした……しかし」
「何か気になる事でも?」
「はい、今回の大きな成果は、喜ばしい事ですが、傍観を決め込んでいた、他の国はより大きな反応を示すかもしれません」
「他の隣国……ですか」
「はい、ラドロクアでも民族問題はありますが、近代的な改革のおかげで、それほどこだわりを持たれていませんでした。しかし、その改革ですら、反発を示す国々もありました。そして、経済の天秤を動かそうとすると、必ずどこかしらが影響を受けるのです」
「誰かが儲けた影では、誰かが損をしている……と?」
「国同士では、それが複雑に絡み合いますので、単純な損得だけではないのですが、周辺国に大きな影響力を持つ、イズラヘイム、バロシャムの動きには注意が必要ですね」
南西のイズラヘイムは、かつて、多くの周辺国を支配していたミューヒ族が最後に逃げ込んだ、小さな国ではあるが、過去の覇権を象徴するように強大な軍事力を有する。
南のバロシャムとは、乾燥の激しい砂漠で隔たれ交流は少ないが、豊富な天然資源で巨大な富を築き、著しい経済的成長を見せながら、歴史のある国の古い因習は根強く政治や生活に残っていた。
「どちらも戦いたくはない、相手ですね……」
どちらも自らの民族の優位性を、基板に置いている国である。それ故に、一触即発の状態であっても、多くの小国が乱立する事になっていたのであった。
民族の覇権を掛けた争いを終わらせなければ、アリードの歩んで来た道が終わる事も無い。その為に、引き起こされる悲劇を繰り返さない為に、彼は立ち上がったのだから。
「どの国とも武力衝突だけは避けたい所です。経済状況や軍事力の問題だけではなく、ここ乾いた大地(ハ・ネゲヴ)の大陸での紛争が、世界中の火種になるからです」
「そうか、早いとこ国に戻って、対策を練らないと……そういや、ラーイカはどこに?」
「彼女なら心配は無いでしょうが……先手を取るのは、難しいかもしれません」
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