第55話 すれ違う想い 1
来夏が水面に腰を掛けると、所々がポンポンと弾けて湯気を上げ始めた。
周りが白く煙って来ると、温泉に浸かっている気分になるが、赤い魔法少女が放った小さな火の玉が水面で弾けているだけだった。
(ずいぶん遠くにいる……)
二人は、初めに対峙した時よりも後退して、かなり距離を開けている。このまま帰ってしまうのだろうか?
ほっとするような、せつないような気持ちが胸にわいてくる。
これ以上近づかなければ、傷つけずに済む。
だが、近づかなければ、分かり合えないのではないのか?
今の熱い思いをお互いにぶつければ、より傷つくかもしれない。しかし、ぶつからずに行き場を失くした思いはどこへ行けばいいのだろうか。
時がたてば……。
時がたてば、冷えて固まる想いは、お互いに傷つけ合わないかもしれないが、その想いが溶けるには、さらに長い時間が必要となるだろう。もう二度と分かり合う機会は巡ってこないのかもしれない。
来夏にはどちらが正しい選択なのか、選ぶことが出来なかった。
「あら、クアトリムついて行っちゃだめよ」
ドラゴンは、飛んでくる岩石に跳び付いたり、うまく口で受け止めたりして遊んでいるようであった。投げられる餌をねだるように、ふらふらと近寄って行っていた。朋美が声を掛けたが、飛んでくる岩を追いかけるのに夢中で気が付いていないようだ。
「たいへん、国境を越えて他所の国まで行っちゃったら、車や建物を食べて、大騒ぎになるわ」
両足を浸けていた水玉から、足を引き抜くと空中に舞い上がった。
「そんなもの食べたりしないわよ。それに、うちの子は賢いんだから、直ぐに戻って来るわ」
朋美は胸を張ってこたえたが、当のドラゴンは、どんどん遠くまで、魔法少女たちを追いかけて行ってしまっている。
「あれ?…… もう、なんで言うこと聞かないのよ!」
顔を赤らめた朋美が水面を踏んで飛び上がると、彼女の足形が残した波紋が水球全体に広がり、震え出したかと思うと、細かな水滴となって、砂漠に降り注いで行く。
近くに住んでいる生き物には、季節外れの恵みと雨となるだろうか。乾いた風が吸い尽し、消え去るのだろうか。
ともあれ、ドラゴンを追わなければならない。
普段なら朋美の声に直ぐに答える筈であったが、彼女たちの飛ばす魔法で作られた岩石には、ドラゴンを引き寄せる作用でもあるのだろうか?
マタタビを追う猫のように周りが見えていないようだった。
「言う事聞かないと、帰ったらお仕置きよ! 洗濯して柔らかくしちゃうんだから」
「待って、朋美」
急いでドラゴンを捕まえようとする朋美を慌てて止めた。
「どうしたの? 洗濯の順番があるの?」
「ううん、そうじゃなくて、彼女たちをあまり急いで追わないで……」
空を飛ぶ二人の魔法少女が、ゆっくりと後退しているのは、地面を這う岩石の蛇に乗っている子があまり早く動けないのだろう。もし、朋美が飛んでいって、どんなに急いでも逃げ切れないと知れば、彼女たちは戦うことを選ぶかもしれない。
自分たちが傷つくとしても。ベルのように。
それだけは避けねばならなかった。
「……私が、行ってくる」
来夏はゆっくりと時間をかけて飛んだ。彼女たちを追い詰めないように、それでいて、国境を超える前に追いつけるように。
来夏に距離を詰められると、魔法少女たちは速度を上げる。
少し距離を開けると、彼女たちも速度を落としていた。それでも、彼女たちが正面切って戦いを挑んでこない事に、ほっとしていた。
それも、国境を越えるまでだった。
来夏の張った結界の外に出ると、魔法少女たちは速度を落として止まり、ドラゴンは、結界に気が付くと、言いつけを思い出したかのように、先に進むのをやめて、その場でくるくる回り始めた。
「朋美が呼んでいたわよ」
ドラゴンにそっと声を掛けたが、朋美の名を出した効果は抜群で、一声上げて急旋回すると、一目散に戻って行った。
(後は、彼女たちだけど……)
魔法少女たちは、攻撃してくる様子は無いが、退く気配も無く、遠巻きに様子を見ていると言った感じであった。
彼女たちが砂の国に来た目的も分かってはいない。
話しかけるべきだろうか?
いたずらに刺激するのは避けるべきなのだろうか?
彼女たちに、どう接していいのか来夏は迷っていた。
空中にいる二人に気を取られていると、地面に居る幼い少女が急に詠唱を始めた。
岩石のドラゴンの代わりに、彼女の周りには、石の突起が円を描くように生え、それが何かの模様を描き出している。
集中力を高めるためだろうか?
それが何の役割を果たしているのか分からなくても、彼女が使おうとしている魔法の効果は直ぐに理解できた。
地面の下のプレートに力を加え地殻変動を引き起こす魔法。
島を作ったり大陸を繋げたりも出来るが、こんな場所でむやみに使えば、大規模な地震が周辺の都市を襲う。
そもそも、空中に居る来夏に地震を起こしたとて、何の影響もない。彼女は自分の魔法の影響力を知らないのだ、広域魔法を使うには幼すぎるのかもしれない。
魔法を学ぶ時間が必要なのだ……。
来夏は一瞬にして、石柱の中央に居る少女の目の前まで移動した。驚いた彼女が身構える前に、額に手をかざすと、全身の力が抜け膝から崩れ落ちた。
張り詰めていた表情の力の抜けた安らかな寝顔の少女は、とても幼く見えた。
眠ってしまった少女を抱き上げて、空中の二人を見上げると、空が光っていた。
他の者には見えない魔法の光が、稲光のように電離層を走っている。
それも危険な広域魔法だった。
理論上、動かずしてこの星のどの場所でも攻撃できる。どれくらいの威力が出るかは使い手次第だが、少なくとも都市一つ焼き払うくらいは出来るであろう。
(あの魔法も封じて置こう……)
突然、見えない相手から攻撃される恐怖は、拭い去れるものでは無い。一度味わえば、周りの全てが敵に見えてしまうだろう。その様な力は、きっと、不幸しか生まない。
来夏は空に手をかざした。それだけで、空を覆っていた魔法の光がすっと消えて行く。
満足げに空を見上げてると、空中で驚いた表情をしている二人に気が付き、彼女たちに手を振ったと思われたのではないかと、少し恥ずかしい気持ちで、慌てて手をひっこめたが、思いついたかのようにその手に視線を向けた。
(この手を、彼女たちに差し伸べられたら……)
しばらく眺めていた手を握りしめると、眠った少女を抱えたまま空中へ飛び上がった。
しかし、話し合えるかもしれないと思ったのは、儚い幻想だった。
彼女たちは、距離を少しとって剣を構え、戦闘態勢を取っている。いつでも踏み込める距離にしか下がらなかったのは、仲間を奪還するために、是が非でも攻撃を仕掛けようという心構えの表れだった。
(話し合うには、この子を返さないとダメね)
来夏は、キシャルの体を浮かすと、ゆっくりと彼女たちの方へ飛ばした。
警戒しながら近づいた赤い髪の魔法少女の胸に彼女の体を預ける。
無事彼女を返せたことに、ほっとして笑顔を向けようとしたが、眠った少女の体を受け取ったアシュルは、すごい勢いでその場から離れようとしていた。
(待って……)
呼び止めようとした言葉を飲み込んだ来夏は、遠ざかる背中に伸ばそうとした手を、躊躇いがちに引っ込めなくてはならなかった。
例え呼び止めたとしても、彼女たちとどんな言葉を交わしていいのか分からなかったのだ。
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