第42話 ライオン
来夏は、兵を引き連れて首都の中心にある宮殿のような大きな入り口のある建物の前へとたどり着いた。
門からまっすぐに続く奇麗に敷き詰められた石畳の両側に、様々な植物が植えられた手入れされた庭が広がる。おとぎ話に出てくる王宮を思い出させるその建物が、アルシャザードの居る官邸だった。
「ここに居るのね……」
来夏は、アルシャザードを捕らえた後、どうすべきなのか答えが出せなかった。
(アリードに引き渡せば、それでよいのだろうか?)
彼らは考えつく限りの残虐な行為を行なうだろう。彼らのこれまでの生活、これまでの戦いを考えると、それを来夏に止めることは出来ない。
しかし、そうなる事が分かっていて、アルシャザードを生きたまま彼らに引き渡すのは、何よりも罪深い事ではないだろうか?
自分の手を汚さずに、目隠しをして崖から突き出た丸太の上を歩かすような物。
(それならばいっその事、この建物ごと消し去ってしまえば……)
それもダメだ。彼らの、アリードの戦いを終わらせるには、敵を倒したという儀式が必要なのだ。それなくして、彼は止まることが出来ない、いくら探しても倒した敵を見つけられなければ、行き場を失った怒りが、やがて次の敵を探してしまう。
(彼らをそうさせてしまったのは、私の罪。ならば、せめて私がアルシャザードを石に変えてしまおう)
彼らがそれを、打ち壊そうとも、火にくべようとも、それがある限り、彼は倒すべき敵を探す必要はなくなるだろう。
来夏は、真直ぐに石畳の上を歩き出した。
彼女が中庭の真ん中あたりまで来た時、建物の中で爆発が起こり、官邸の壁の一部が吹き飛んで、内側から煙を立ち昇らせる。
そこから、重そうな荷物を引きずるようにして表れたのは、金髪の少女ベルだった。
「ベル! どうして、貴方がここに……」
ベルは、気持ちを静めるように、ひと呼吸おいて、鋭く来夏をにらみ返した。
「私は、この国の戦いを終わらせるために、ここに来たのよ!」
「ベル、私もよ……。私もこの戦いを終わらせたい、もう誰も武器を手にせずに済むように」
「そうね、そうなればいいわね。……これがこの国の大統領、アルシャザードよ」
ベルは、引きずっていた重そうな荷物を持ち上げた。それは、ぐったりと頭を垂らした髭のある男だった。
「どうしてあなたが……? ……ううん、ベル、ありがとう」
彼女が何故アルシャザードを捕らえたのかは分からなくても、彼女がアルシャザードを捕らえてくれたという事実だけで十分だった。
彼女と争う必要がない、それだけで十分だった。
「この男が、これまでに何をしてきたかは知っているわ。そして、いざとなったら、自分一人逃げだそうとするような男である事も」
掴みあげているアルシャザードに、汚らわしい物でも見るような視線を向けた。
「この男は、倒すべき男よ、ええ、倒すべきなのよ。国民の命を切り売りするような男は、人の上に立たせちゃいけない」
そして、そのまま振り返りもせず後ろに投げ捨てた。
「でもね…………、貴方たちに、この男を倒させるわけにもいかない……」
来夏の周りで空気が渦巻く。弓なりになった背の高い植物は引き伸ばされ、縄のようにねじ切れる。捲れ上がった石畳は、空気の速度について行けず、粉々に砕け散った。
「……どうして?」
「(無傷!?)……やはり、効かないのね」
来夏には分からなかった、なぜ、ベルが彼女の前に立ちふさがろうとするのか。アルシャザードを倒せば、全て終わるというのに、なぜ、彼女と戦わねばならないのか。
「なぜなの? なぜ、私達が争わなくちゃならないの? アルシャザードを倒せば争いは終わるわ!」
「この戦争の原因は、あの男にあるかもしれない、でも、あの男を倒しても、争いは終わらないのよ! (あの障壁を突破するには、魔力を一点に集中しなければ……)あなた達がいる限り、世界中の罪のない人たちが争いに巻き込まれるのよ!」
「どうして! 彼らは、この国で静かに暮らしたいだけ、明日も好きな人と笑い合える、ほんのちょっとの幸せを望んでいるだけよ、それがいけない事なの?」
「そうやって、自分たちは、守られるべきだと、力ない存在だと、銃を振りかざして叫ぶのよ! そうやって、世界中に争いの種を撒き散らすのよ!」
ベルの目の前の空気が渦を巻いて、その中心からねじれた空気が細い針のように伸びて、一直線に来夏に向かって伸びる。『魔法』の防御フィールドに触れると、空気の回転はさらに速くなり、パチパチと眩い光を発した。
(そうだ……。力無き彼らは、僅かな幸せを、愛する人を守るために、銃を手にした……。そして、街を蹂躙し、多くの兵器を手に入れ、さらに力を求める、それでも、……守るべき存在…………)
彼らは守らなければ、ライオンに食べられてしまう一匹の兎だった。
やがて、ライオンを倒せるほどに成長して獅子になった。力強く走り出した獅子を、巨大な口を開けて、飲み込もうとする獣。力を手にした獣たちは争い続けるのか?
(私は、イルイルやノルノル、孤児院のみんなの笑顔を守りたかっただけなのに……、私はどうすればよかったの?)
彼女たちを『魔法』のフィールドで不可侵の存在にしてしまえばよかったの? そうして、ほかの全てに目をつぶって……、そんな事をすれば、彼女たちは、二度と今のように笑えないだろう。守りたかったあの笑顔を自ら壊してしまうだけだ。
生きて行くために獅子となった彼らは、どうすればよかったの?
ライオンに立ち向かわず、物陰で震える兎のように、仲間が食べられるのをじっと耐えなばならなかったの?
(私は、彼らが武器を手にするのを止められなかった。笑って明日を迎えたいという願いを止められなかった)
誰に人の願いを止められるというの?
明日を願う想いを、どうして、止められるというの?
彼らは、ただ、生きたかった。彼らに、生きていて欲しかった。
生きるために戦い、守るために戦い、人のために戦い、国のために戦い、明日のために戦う。
戦うために爪を研ぎ、力を付け、大きく成長して行く。
初めは、誰もがみんな小さな兎だった。そして、誰もがライオンになる。
磨かれた爪でライオンに立ち向かい、鋭い牙で喉笛に食らいついても、彼らはやっぱり、守られる兎だった。
(……そう、私がいる限り)
「昔々、動物たちの暮らす国がありました。草を食べる小さな動物も、小さな動物を食べる大きな動物も、みんな一緒に暮らしていました。しかし、ある日の事、動物たちの国に、とても大きなライオンがやって来ました……。ライオンは、どんな獣よりも強く、大きな動物も、小さな動物も、みんな食べてしまいます……」
ベルの攻撃に、成すすべなく立ち尽くしていた、筈だった。持てる力を一点に集め、最大限の威力を引き出した、彼女の切り札だったのだ。
しかし、それに対して、来夏は何もしていなかった。
何もする必要がなかった。
ただ小さく呟いていた。だが、それは、渦巻く風を物ともせず、ベルの耳に届いていた。
「ねぇ、ベル。……ライオンは誰だと思う?」
ベルの攻撃に立ち尽くしていた来夏の呟きにベルは答えなかった。いや、答えられなかった……。
動けなかったのだ。指先や唇を動かすどころか、見開いた瞼を閉じる事さえ出来なかった。
それ程に、目の前の来夏の様子が変わっていた。
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