童子、風魔と対峙し富士山に笛を吹く
童子が猫に連れて行かれたのは、やはり吉原の旅籠であった。だが、何やら様子がおかしい。皆、慌ただしく駆け回っている。
「おや、何ぞあったのか。おあじ殿に聞いてみるとするか」
童子は人混みの中をくぐり抜け、おあじが逗留している部屋へと入り込んだ。しかし、そこにはおあじの姿はない。荷はそのままの所を見ると、出立したというわけではなさそうだ。
「はて。どうしたものか。曾良殿、これはどういう事ぞ?」
猫に尋ねてみても、何も答えず目を細めるばかりである。童子は旅籠の外に出て、様子を伺ってみることにした。村人が口々に噂をしている事をつなぎ合わせると、どうやら六人の巫女の身の上に何かが起こり、おあじは宗源により、どこかへ連れて行かれたようだ。
「
「どうやら、お連れの六人が、
童子が振り返ると、ひとりの法師が顎に手をやり見つめている。
「それは一大事。して、私が見えるそなたは、いったい何者でありましょうか」
「拙僧は
「武蔵の。武蔵と言えば……いかんいかん、今はそれどころではない。随風どの、ここでお会いしたのも何かの縁。おあじ殿をお助けしたいのです。もし宗源の行く先を知っておられるのであれば、連れて行ってはくれますまいか」
「容易いことにござる。どうやら一味は
「ほう、あの竹取伝説の地ですか」
「いかにも。ささ、馬にて追いますゆえ、共に参りましょう」
随風は童子を懐に入れると、馬に飛び乗り鞭をくれた。
「随風殿、どうやらそなたは宗源らを追っているようでございますな」
「いかにも。かの者は、徳川様から派遣された僧なぞと身分を偽っておりますが、その正体は、北条の忍でござる」
「なんと。徳川殿と敵対する北条とな。では、風魔の者か。どうりで馬の扱いに長けていたわけだ」
「ご明察にござる。近年、徳川様は駿河の地より武田を追い出し、街道整備に力を入れておられた。それを面白くないと思った北条方が、風魔の忍び衆を派遣したのでござる。
街道沿いの三股淵の大蛇にかこつけ、"東海道を旅する者は徳川領で人身御供として捕らえられる"、"徳川の坊主は大蛇の調伏に失敗する無能"という流言を流そうとしているようでござる」
「ふむ。街道をゆく人を減らしたいというわけか」
「はい。拙僧、今は武蔵の国におりますが、かつては徳川様のお世話になった者。風魔に怪しい動きがあると聞き及んで、お耳にいれようと駆けつけたところ、今日の騒ぎにぶつかったという次第。
おそらくは、六人の巫女は、自ら身を投げたのではなく、風魔の手にかかったのでしょう。このままですと、おあじ殿も同じ目に」
「なんと……せめておあじ殿は救わねば。随風殿、急いで下され」
「承知」
二人を乗せた馬は、比奈へと向かってまっしぐらに駆けてゆく。やがて、竹林の中に敷かれた小径に差し掛かった時、童子は傍らの藪の中から異様な気配を察知した。
「これは……? 随風殿。この奥です。何か得体の知れぬ気配がしておりますぞ」
馬を降り、林の奥へ奥へと進む。すると、やや開けた場所に、宗源の一味がおあじを縛り上げている現場に遭遇した。
「何奴!」
「童子様!」
宗源とおあじが同時に叫ぶ。すると、宗源の脇で胡座をかいていた男が、ゆらりと立ち上がる。その身の丈は七尺五寸(約215センチ)、手足の筋骨荒々しく、面相は彫り深く、
「ほほう。誰かと思えば、徳川に尻尾を振る犬と、駿河の冷や飯喰らいの次男坊ではないか。そうか。この小娘に大蛇が鎮撫されたのは腑に落ちなんだが、貴様が余計な手を出していたわけか」
「風魔の小太郎か! その巫女殿をはなせ! 貴様等の策謀は全て、この随風が看破しておるわ」
随風が
「看破しておるから、なんだというのだ。ここで果てるお主が何を知っていようが問題ない。あの巫女もどき共々、沼の底へと沈めてやるわ」
「待て。小太郎とやら」
随風をつまみ上げようとした小太郎の手を、童子が笛でぱしりと叩く。
「なんだ次男坊。お前に徳川と北条の
「そうはいかぬ。確かに、どこの誰が争おうが知ったことではない。しかし、その為に駿河の山河をかき回し、地脈を乱すのであれば話は別だ。母上は短気だからのう。
そもそも、お主の異能の力、それに、私の素性を知っておるところを見ると、後ろ盾は下田の叔母上といったところであろう。くだらぬ姉妹喧嘩をけしかけるような真似は、息子にとっても、そこなるおあじ殿のような
「ふん。どこまでも不抜けた
お主の母君の怒りを煽り今一度噴火させ、街道一の嫌われ者とするのが、我が後ろ盾、
小太郎は、そう吐き捨てると童子をぎろりと睨んだ。
「やれやれ、叔母上には困ったものだ。さて、小太郎よ。確かに私の身の丈は小さい。しかし、何故に小さいかまでは聞いてはおらぬか?」
「何?」
「知らぬか。では教えてやろう。我が母上、
「お前ごときが富士山の噴火を抑えておるとな?」
「その通り。誰かがやらねばならぬ故な。だが、それによって母上の噴火に繋がりかねない企てを、みすみす見過ごしては本末転倒というもの。悪いが我が力の一部を持って、叔母上がお前に与えた力を砕かせて貰うぞ」
童子は、静かに目を閉じた。すると、瞬く内にその姿は光に包まれ、身の丈六尺(約180センチ)の偉丈夫へと
「やれやれ、母上の機嫌が悪いようだ。あまり時間はかけられぬ。ゆくぞ小太郎。我こそは此花咲耶が次男、
ホスセリは無造作に小太郎へと拳を振るう。小太郎はその拳を両手で受け止めたかに見えたが、すぐにそこから炎があがる。ホスセリがそのまま拳を振り抜くと、小太郎の巨体は辺りの竹をなぎ倒しながら吹っ飛んでいった。
「ふう。これでもう叔母上の神通力は使えまい。風魔の忍び共よ。これに懲りたら二度と手を出すでないぞ」
ホスセリが元の五寸の童子の姿に戻ると、揺れていた地もぴたりと収まった。
***
「童子様、一度ならず二度までもお助けいただき、まことにありがとうございます」
吉原の宿で、おあじは童子に頭を下げた。
「なんのなんの。困った身内に悩んでいるおあじ殿の気持ちはよく解るつもりゆえ、手助けをしたまで。それにしても、六人の方々は気の毒な事になってしまいました」
「はい。これからは、姉たちの菩提を弔ってゆこうかと……」
「その事ですが、おあじ殿、そなたはまだ若い。この地に縛られることもありますまい。ましてや、そなたは七人の中の唯一の生き残り。非は無いとは言え、好奇の目に晒され、辛い目に会う事も十分考えられます」
「はい、ですが……」
おあじが何か言おうとするのを、童子がまあまあと押しとどめた。
「この隋風殿が一計を案じてくれたのです。のう」
「はい。おあじどの、まずこの地には、六人の方々の
さらにその上で、おあじ殿も、この地で身を投げた事にしていただきます。さすれば、好奇の目に晒されることもなく、別人として今後の人生を歩んで行けましょう。駄目押しとして、おあじ殿を祭る神社を造営すれば、誰も生きながらえているとは夢にも思いますまい」
「そんな……そこまでしていただく訳には……」
「なに、隋風どのにとっては、徳川殿に恩を売るよい機会といった所でございましょう。おあじ殿、気に病むことはありませんぞ。この御仁、なかなかに食えない坊主であるようですぞ」
「誉め言葉として受け取っておきましょう」
童子は呵々と笑い、隋風はぺこりと頭を下げる。
「もうひとつ、おあじ殿。この地を離れるとして、当てはおありか」
「いえ……それが。おめおめ国許には帰れませぬし、先ほどまではこの地に身を埋めるつもりでしたので」
「やはり。ではこの
「まあ、出雲大社ですか。ありがとうございます」
「うむ。年に一度、私も見に行かせていただきますゆえ。それと、おあじという名前ですが、これも今日限り改めた方が良いでしょうな。ふむ、そうですな。今後は、おくにと名乗られるが良いでしょう」
***
かくして童子は、今度こそねぐらへと帰って行った。仰ぎ見る富士山は、今日も美しい。童子は笛を吹き終えると、傍らに座り込んでいる猫へと話しかけた。
「のう曾良殿、今日も富士山は美しいのう。ふむ、美しいと言えば……。おあじどの。かのお方も、美しい
すると、足元がぐらりと揺れた。童子は慌てて笛を吹く。隣では猫が素知らぬ顔で尻尾をぱたぱたと揺らしていた。
-了-
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