第7話 なつやすみ(その1)

 その頃、ぼくはふと思い出すことがあった。

 草原を走り、川を目指してジャングルを抜け、山や湖を眺めながら、ぼくは旅をしていた。

 他愛のない夢の記憶。

 実体験でなくても、リアルに感じることはできる。


 なんのために学校にいるのか、その理由をぼくたちは知らなかった。

 いつから学校生活が始まったのか、思い出すこともなかった。

 ただその時間がいつか終わることを知っていたので、そのことを少し寂しく感じていた。

 すべてが終わった後、ぼくは学校生活をどう思い出すんだろう。

 それはたぶん夢の記憶のように、リアルでつかみがたい感触なんだろう、そんな気がする。







「どうッスかね? こんな感じで」


 ログハウスの屋根からアメリカビーバーさんが顔を出していた。


「すっごーい!」


 サーバルちゃんとぼくの歓声が上がる。

 湖畔にいくつも並ぶログハウスは、近くで見るとずっしりと頑丈そうで、とても手で組み上げたとは思えない。


「おおっ、かばんどの、サーバルどの、来てらしたんですね!」


 後ろから走ってくる音がして振り向こうとすると、もうすでに唇を奪われていた。目が回る。オグロプレーリードッグさんの挨拶にはやっぱり慣れない。


「どうでありますかー! これで夏のリゾート地っぽくなってきたでありますか!?」


 気合いのみなぎるプレーリーさんが、一連の建物を誇らしげな視線で示す。

 ログハウスに加えて、食堂、屋台、涼しげな四阿などが並んで壮観だ。どれもふたりが中心になって近くの樹々から造り出したハンドメイド。


「いやぁ……、おれっちが造りたかったのはこういうものなんだなーって分かったッスよ。かばんちゃんのおかげッス」


 ビーバーさんがぼくたちの隣まで来て、ちょっと照れながらログハウスを眺める。


「自分は穴さえ掘ってれば満足でありますが、ビーバーどのがようやく才能を100%発揮できて自分も大変うれしいでありますよ!」

「プレーリーさんこそ、迷わずガリガリすごいッス。おかげでこんなに早く仕事が進んだッス。」

「あはは、ぴったりのコンビだね!」


 サーバルちゃんが笑って、ぼくはサーバルちゃんとぼくもぴったりのコンビだといいなって思う。

 そのとき、ぴょこぴょこと建物の方からラッキーさんが歩いてきた。


「建築強度ニ問題ハナイヨ。ふれんずガ安心シテ利用デキルネ」

「当たり前であります! ビーバーどのの設計でありますよ!?」

「いえ……みんなに使ってもらうならきちんとチェックしてもらいたかったッス。ボス、ありがとうッス」


 湖から風が吹いた。

 涼しさが体を包む。

 波をたてて光る湖面、その対岸に新緑の丘が見えた。


「こうして遠くから眺めると不思議な感じッスね」

「そうでありますねー。自分たちはずっとあそこにいたんでありますからねー」


 このところ湖岸に泊まり込みだったビーバーさんたちが懐かしそうにつぶやいた。

 向こう岸に目を凝らせば、白い建物が見える。

 初めて見たときは、湖の手前にあった校舎。あのジャパリ学園を、ぼくたちは湖越しに眺めていた。

 それは、外の世界からの眺めのようだった。







 その水面の上をずっと飛んでいけば、見慣れた学校に着く。

 校舎はこのとき、静かに真昼の日射しを浴びていただろう。だれもいない教室はがらんとして、絵に飽きたスナネコさんあたりが昼寝を楽しんでいたかも知れない。

 第2グランドでは、部活の声がいつにもまして元気に響き、眠そうなライオンさんがアラビアオリックスさんたちの練習を見守ってたはずだ。隣の第3グランドでは、ヘラジカさんがシロサイさんの守るゴール目掛けてボールを蹴り込んでたんじゃないかな。

 それはジャパリ学園にやってきた、初めての夏休みだった。

 ことのきっかけは10日ほどさかのぼる。







>>>7月12日(木)





 手が、棚の本にもう少しで届きそうだ。

 だけど本は危ういバランスで積まれてるから、その1冊を取っちゃうと……。


「……みゃあ!?」


 そう思って見てたサーバルちゃんが案の定、本のなだれを起こしながら、しがみついてた柱から飛び降りる。

 天井まで伸びた本棚から、ばさばさと数冊の本が舞い降りてくる――のを、だれかが空中で受け止めた。


「サーバルちゃん、大丈夫?」


 ぼくが駆け寄ると、サーバルちゃんはちゃっかり目当ての本を手にしながら「えへへ……」と照れ笑いしてる。


「言ってくれたら、あたし取るから……」


 受け止めた本を棚に並べ直してから、ハシビロコウさんがぼくたちのそばに降り立った。じーっと見つめる視線の表情をぼくは読み取れるようになってきていて、このときはたぶん微笑んでいた。


「ありがとう! ハシビロコウがいてくれて助かったよ」


 静かな図書館でのちょっとした騒ぎだったけど、このくらいはいつものことだ。

 ぼくたちは本棚の回廊を抜けて、中央ロビーへ歩いた。

 そこはぽかんと開けた空間で、ゆるやかに螺旋を描く階段が吹き抜けになった2階まで伸びていた。図書館棟は普通の校舎より天井が高いので、見上げると壮観だ。

 中央ロビーからその天井まで伸びる大きな柱があって、りんごの樹をモチーフにデザインされている。


「かばんちゃんの面白い?」


 小声で話しながら、サーバルちゃんがロビーの読書用ソファにぽんと腰を降ろす。ぼくもそのそばに腰掛ける。


「面白いよ。主役の子が最後にいつもがんばるんだ。普段はぼーっとしてるのにね」

「あはは、ちょっとかばんちゃんみたい」

「え、そうかな……?」

「だって学校の危機を救ったんだよ」


 あの地下での出来事を思い出して、ぼくはふと図書館を眺め回した。

 もう遮光カーテンは取り払われ、高い窓から光が入る。ここにやって来るフレンズさんも少しずつ増えている。

 あの研究所のことは書かなかったけど、学校新聞はちょっとずつみんなを変えているようだった。

 七不思議だけじゃなく、ぼくはいろんな記事を書いた。学校のいろんなものごとを。個性的な、驚きに満ちたひとりひとりのフレンズさんについて。


「サーバルちゃんのはどんな話なの?」


 その表紙で可愛らしい子が笑ってる。


「仲良くしたいのに喧嘩しちゃう、ってお話かな。面白いんだけど、この恋って難しいよー」


 お話からぼくたちはいろんなことを学んでいたけど、分からないことも多かった。なぜそこには、悲しみや怒りが、不安や情熱が、不自然なくらい詰め込まれているんだろう。


「ハシビロコウ、恋って分かる?」


 なにか言いたそうな視線を感じたようで、サーバルちゃんが隣のソファに話しかける。


「……だれかのこと、すごくすごく好きだってことだと思う」


 伏し目がちにハシビロコウさんがつぶやく。その表情はたぶん……恥ずかしがってる?

 そのとき、2階から飛び降りてきたふたりの影が見えた。音もなく中央ロビーの床に立つ。


「もう夏なのです」


 会長の声が静かな図書館に響き、その日集まっていたみんなが集まってくる。といっても、ぼくたちのほかにはギンギツネさんとキタキツネさんがいるだけだ。そのぼくたちを、会長がいつもの冷静な表情で見回す。


「どうですか、収穫はありましたか?」


 会長の手には、生徒会室で見せてもらったあのノートがあった。ジャパリ学園に足りないもの――。


「……夏に学校でやるべきことはなに? って話だったけど……そう言われても難しいわね。ここにあるマンガ、いろいろ読んでみたけど、そもそもここにないものばかり出てくるし」


 ギンギツネさんが言う。続き物らしい数冊の本をテーブルに積み上げている。

 その隣にキタキツネちゃんが立っている。両手に持って熱心にいじってるのは携帯用のゲーム機だ。あの地下室からぼくが持ち出したアイテムのひとつ。


「なかなかイベントが発生しないから、退屈なんだと思うよ」

「あなたそれゲームの話でしょう……」


 キタキツネちゃんの言葉に、ギンギツネさんがため息をつく。


「いえ、キタキツネは良いところに目をつけているのです」


 ゲームに熱中するキタキツネちゃんに目をやりながら、副会長が会長のそばで言った。

 その言葉にうなづきながら、会長がぼくたちに向きなおる。


「いいですか……夏は海なのです」


 会長はどこか得意気に見えた。副会長がそのあとをついで言う。


「そうです。みんなで海に出かけるのです。これが夏のイベントなのです」

「出かけてなにするの?」


 ソファに腰掛けたまま、サーバルちゃんが会長たちを見上げる。


「サーバルは勉強不足なのです。海といえば、砂浜で走ったり、焼きそばを食べたり、スイカ割りをしたりするものなのです」

「そうです。さらに泳ぐこともできるのです」


 会長のイメージはぼくにも伝わった。ギンギツネさんやハシビロコウさんも、だいたい理解してるようだ。ただ問題は……。


「海……ってこのへんにあるんですか?」


 ぼくがたずねると、会長たちは少し気まずそうに顔を見合わせた。


「……そこなのです。海を見たことのあるフレンズはいないのです」

「……海までのおおよその距離は分かっているのですが」


 聞けば気軽に行けるような距離じゃなさそうだ。さっそく話が行き詰まったのでぼくは妥協案を出してみた。


「あの、湖は……」

「湖」

「学校から見える湖です。あそこでなら」

「ほう」

「砂浜もあって、そこで遊んだり焼きそばを食べたりできるんじゃないかと」

「ほほう」

「キャンプ、てのもできるかも」

「ほうほう」


 表情はあまり変わらないものの、会長たちのテンションが上がってくるのが分かる。

 サーバルちゃんが隣で、湖面白そうって飛び上がる。


「ふむ。さすが我々に次いでかしこいかばんです。それでいくです」

「湖遊びのイベントをつくる……ということですね会長」

「そうです。これでジャパリ学園がまたひとつ学校らしくなるです」


 会長たちが2階へ続く階段に目をやる。その視線は天井を抜けて、3階の生徒会室に向かっていたのかも知れない。そこにあるコンピュータで確認できるジャパリ学園の社会構造化指標は、夏の湖遊びでどれほど上昇するだろう。

 図書館棟の中央を貫くりんごの樹の形をした柱は、ソファから見上げると天井に枝を伸ばしてぼくたちにおおいかぶさっていた。


「はいはーい!」


 かばんちゃんが教室で発言するときのように片手を上げて立ち上がる。ほかに夏にするべきことはないか、という会長の言葉に答えたらしかった。


「サーバル、なにかあるですか?」

「うん。あのね、いま読んでるマンガに描いてあったんだけどね……」


 サーバルちゃんがひと呼吸おいてから得意気に宣言する。


「夏は恋の季節なんだって!」


 みんなの視線がサーバルちゃんに集まる。

 くすぐったい沈黙。


「……恋とは……会長、わかるですか?」

「も……もちろんわかるですよ。ほら、例えばあれです」


 会長がまだゲーム中のキタキツネちゃんを指差す。


「キタキツネはギンギツネといつも一緒。あれが恋なのです」

「ええー、そうなの?」とサーバルちゃん。

「こ、この子とはそういうんじゃなくて……」とギンギツネさんがちょっとあわてる。


「そういうの、マーゲイが詳しいと思うよ」


 うつむいてゲームに没頭しながら、キタキツネちゃんがどうでも良さそうにつぶやく。

 そのとき視線を感じて振り向くと、ぼくとサーバルちゃんをじーっと見つめてたハシビロコウさんがはっと目をそらした。


「ハ、ハシビロコウさん……?」

「あ、その、えと……そうだ、ライオンとヘラジカの関係は恋かな……?」


 ハシビロコウさんのほほが赤い。


「アライさんとフェネックはー?」

 

 サーバルちゃんが首をかしげてぼくを見る。

 

「……まあ待つです」


 ざわついたみんなを会長が静める。


「かばん、ひとまず任せたですよ」

「えっ」

「湖遊びと、恋なのです」

「新聞部が責任を持って企画するです」


 湖はともかく、恋のためになにを企画できるだろう?

 生徒会の頼み(命令?)を受けて、隣のサーバルちゃんはとりあえずやる気になったようだ。この前七不思議の件のお礼にと、会長から特製ジャパリまんをもらったのを思い出したのかも。


「あの、それならひとつ提案が」


 ぼくはそのときまでずっと考えていた。学校の夏といえばなにか? ――そう会長にたずねられてから。


「夏休みをつくってはどうでしょう」







>>>7月14日(土)




 湖上の風は強く、目をつぶると飛ばされそうな勢いを感じる。

 泳ぎに自信のないぼくたちは水泳部に頼み込み、部長のジャガーさんがボートに同乗してくれた。


「すみません、大変じゃないですか?」


 舳先に座り両手でオールを漕ぐジャガーさんにぼくは声をかける。


「へへん、平気平気。まっかせてー」


 ネコ科のフレンズであるジャガーさんはやっぱりサーバルちゃんに似てるけど、落ち着いたお姉さんという雰囲気だ。


「このボートって、おっもしろいねー!」


 水泳部からもうひとり同行してくれたコツメカワウソさんが、体を湖に乗り出してはしゃいでる。


「すっごいよね、ちゃんと浮かぶんだもんね!」


 サーバルちゃんも一緒になって湖面に手を伸ばしてる。

 学校から湖岸へおりたところに、ぼくたちはいくつか古いボートを見つけた。ラッキーさんに見てもらいながら状態のいいものを少し手直して、ぼくたちは乗り込んだ。


「わっ、あっちにもすごく大きな山が見えるよっ」

「景色いいー! 気持ちいいねーっ!」


 サーバルちゃんとカワウソさんが大喜びでボートからの眺めを楽しんでいる。ぼくもまったく同じ気持ちだった。


「夏のイベントなんだから、やっぱり向こう岸まで行きたいよね」


 近づいてくる対岸を見ながらぼくが言うと、サーバルちゃんとカワウソさんが急に片側に体を寄せたので、重心が移ってボートが揺らいだ。


「わあっ、危ないですよ!」

「あはははは」

「たっのしー!」


 ひっくり返りそうなボートの反対側に、ラッキーさんがちょこんと飛びのってバランスをとる。


「だけど、夏休み……だっけ? になればもっとたくさんで湖を渡りたいんだろ? このボートだけじゃ厳しいぞ」


 ジャガーさんが揺れるボートを平然と漕ぎながら言った。


「そうなんです。それでラッキーさんは向こうの遊覧船を使ったらって……あ、ほら」


 対岸の船着き場らしいところに目を凝らすと赤い船が見える。3本マストに2階建ての船室。かなりの数のフレンズさんが乗れそうだ。


「あっ、すごーい」


 そこでまた、サーバルちゃんとカワウソさんが身を乗り出してボートを傾ける。


「ふわあああ、だめですよっ」


 足元がぐるっと回転して、ボートのへりが湖面につかる。水しぶきがあがり、こんどは反対側にボートが大きく揺れる。


「わーい! あははははは」

「たーのしー!」


 はしゃぐふたりの姿が視界をよぎるなか、ぼくは必死にボートにしがみつく。ラッキーさんがなすすべなく床をごろごろ転がっていく。


「それじゃ、あそこにつければいいんだね」


 ジャガーさんは、どったんばったんなボートの様子を微笑みながら眺めつつ、行き先を調整する。

 ボートは左右に揺れながら進み、なかば水没しながら船着場へ向かった。







「わーい!」

「とうちゃーく!」


 ボートが着く前にサーバルちゃんとカワウソさんが跳び出して、湖岸を走り回る。

 船着場は遊覧船と同じくかなり古びていて、ところどころ足元が崩れていた。


「これは……あちこち修理したほうが良さそうですね」


 ぼくはラッキーさんとあたりを見て歩いた。


「ビーバーとプレーリーならうまくやってくれそうだぞ」


 ボートを船着場に結わえてから、ジャガーさんがそばまでやってくる。

 

「アスレチック部のですか」

「いい木材があればね」

「じゃあもしかすると、ここに休憩所とか屋台を作ってもらえるかも知れませんね」


 ぼくとジャガーさんが話してると、ラッキーさんが奥の林の方を向いて言った。


「コノアタリニハタクサン木ガアルケド、建材トシテ使ウナラ真ッ直グナ針葉樹ガオススメダヨ。アッチニ良イ林ガアルヨ」


 そっちは確かに杉林があった。その木々の隙間に、背の高い塔のような建物も見えた。


「あれは……」


 そのとき大きな水の音がした。

 振り返ると、サーバルちゃんが湖からあわてて浜辺に上がってくるところだった。

 湖では肩まで水に浸かったカワウソさんが笑っていて、ふたりでふざけてたらしい。


「カワウソは泳げていいなっ」

「じゃあさー、サーバルを乗せて運んだげよっか!」

「ええー、うーん……、じゃあちょっとだけ」


 ふたりを見てると、湖遊びは多くのフレンズさんにも楽しんでもらえそうで、ぼくはほっとした。


「それじゃ、ちょっとこのあたりを見てきますね」

「気をつけなよー」


 ふたりの遊びが一段落してから、ぼくはサーバルちゃん、ラッキーさんと一緒に湖岸をひととおり歩いてみた。あたりにはお店らしい建物もあって、ビーバーさんたちが力を貸してくれるならリゾート地っぽくできそうだ。


「ラッキーさん、このあたりにはだれもいないんでしょうか」

「ココハ昔観光地ダッタケド、今ハダレモイナイヨウダネ。施設ノ一部ハマダ機能スルヨウダケド、発電機ヲ持ッテ来ナイト使エナイヨ」

「観光地ってなーに?」


 ラッキーさんの言葉にサーバルちゃんが首をかしげる。


「観光地ハ、楽シミノタメニ旅行スルひとヲ受ケ入レテイタ場所ダヨ」

「ヒト……」


 ぼくはすでに、図書館やタブレットの情報からヒトについていろいろ学んでいた。


「ヒトって……あの研究所をつくったんでしょ。すごいね。いろんなものつくっちゃうんだね」


 サーバルちゃんが船着場の方を振り返りながら感心したように言う。


「……ラッキーさん、あそこに見える建物も観光地の施設なんですか?」


 ぼくは例の白い塔を指してきいた。そこが気になって、近くまで歩いてきたんだ。


「アレハ、観光地ガ放棄サレタ後ニ建テラレタモノダヨ。じゃぱり学園ト一緒ニネ」


 ラッキーさんの言葉は、どこか遠くから聞こえた気がした。


「サーバルちゃん……ちょっとあそこまで行ってみたいんだ」


 ぼくの口調に、いつにない響きがあったせいかも知れない。サーバルちゃんは、うん行こうと言ってくれたけど、歩きながらぼくの表情を気にするように見てた。







 扉が自動で開いていく。

 建物の中で、やっぱり自動的に照明がついて、つるりとした灰色の床と壁面が見えた。


「かばんハ今モ、暫定研究員ダカラネ」


 ぼくは扉の横のパネルにかざしていた手を見る。

 学校でぼくだけが、こうして自動扉を開けることができる。


「ひんやりしてるね……」


 一緒に扉をくぐるとき、隣でサーバルちゃんが言った。


「わあ……」


 天井が高い。建物のてっぺんまで吹き抜けになってるようだ。

 室内の中心に建つ螺旋階段が、天井あたりまで続いていた。


「ラッキーさん、ここって……?」


 声が反響する。冷たく硬質の建材は学校のとは違い、あの地下の研究所と同じだ。


「ココハ、四神ヲ設置スル塔ダヨ」

「四神……」


 ツチノコさんにもらったタブレットの情報はとても難しかった。ジャパリ学園の東西南北にそれぞれ設置されているという四神について、ぼくはほとんど理解できていなかった。


「学校の東だから、ここには青龍が……」


 見上げると、螺旋階段を登りきったところに、なにかの設置台があるようだった。

 建物の中にはコンピュータの据え付けられた操作卓があった。あれから何度か地下に入ったぼくは、その基本操作をおぼえていた。


「あっ、なんか出たよ!」


 サーバルちゃんがモニタに顔を向ける。

 ぼくの操作でついたモニタは、グレーが基調の平面的なイメージを映し出した。緑や青に塗られた区画があり、たくさんの線が伸びている。


「ラッキーさん」

「ウン、コレハ周囲ノ地図ダネ。せるりあんヲ感知スルト、ココニ表示サレルヨ」

「セルリアン……」


 サーバルちゃんが不安そうにつぶやく。

 それは怪談を超えた、ジャパリ学園の共通認識だった。


「ラッキーさん、四神はセルリアンから学校を守ってるんですか」

「ソウダネ。学園内ニせるりあんガ侵入シナイヨウ、四方カラふぃーるどヲ展開シテルンダヨ」


 なんとなく理解できてきた。

 だからジャパリ学園の敷地内では、セルリアンを見ることはない。そして敷地の外へ遠く出かけるようなフレンズさんもいない。……たぶん。

 じゃあどうして、セルリアンという言葉が恐ろしいものとして記憶されてるんだろう。


「さんどすたーノ供給ヲ管理シテルトハイエ、せるりあんノ発生ハ避ケラレナイカラネ」


 ラッキーさんのセリフは独り言のようだった。







>>>7月20日(金)




「それでは皆さん、休み中ははしゃぎ過ぎて怪我をしないよう気をつけるんですのよ」


 夏休み前の最後の日。

 ホームルームで先生があれこれ注意する。

 みんなはそわそわしてあまり聞いてないけど、「特にアライさん?」と先生が言うと笑いが沸いた。


「いつも元気なのはいいことですけど、あまり遠出するとまた大変ですからね」

「大丈夫なのだ! この夏のアライさんの計画には、フェネックもついてきてくれるのだ」

「まあいつものことなんだけどねー」


 いまにも明後日の方角に走り出しそうなアライさんを見てると、そのそばにフェネックさんがいることに本当に安心する。


「笑ってますけど、サーバルさんも」


 先生の目が今度はこっちにきて、サーバルちゃんがあわてる。


「大丈夫、こっちにはかばんちゃんとボスがいるから!」


 みんなが笑う。

 自然に1年生クラスに入ったラッキーさんは、いつものように教室では静かだった。


「そういえばかばんさん、新聞部からのお知らせがあるんでしたわね」


 先生がふってくれたので、ぼくは立ち上がった。


「あ、あの、新聞にも書いたんですが、来週湖のリゾートが完成します。船も出るので、ぜひ遊びに来てください!」


 ぼくが言うと、クラスのみんなが拍手してくれた。すごいね、面白そうだねって声が聞こえる。


「ビーバーさんたちが手伝ってくれてるんだよ! 湖のそばで泊まるのも絶対楽しいから!」


 サーバルちゃんが、自分の気持ちを十二分に込めて待ち遠しそうに言う。

 そこでチャイムが鳴って、教室がみんなの歓声につつまれた。

 夏休みの始まり。







 廊下は静かで、日中の明るい時間にだれもいないのが不思議に思えた。休日の学校はいつだってこうだったはずなのに。

 午前中のホームルームの賑やかさが残っているせいで、みんなが帰った後の寂しさがくっきりしていた。


「かばんちゃん、あたしたちも帰ろ?」


 振り向くと廊下の向こうにサーバルちゃんがいた。

 風が吹き過ぎていった。だれかが窓を閉め忘れていた。


「うん……」

「どうしかした? かばんちゃん」

「夏休みって、学校にいると寂しいんだなって」

「ああ……うん。静か過ぎる感じがするね」


 サーバルちゃんはそう言いながら、だれもいない教室をのぞき込み、すぐ振り返った。


「でも、ライオンさんやヘラジカさんたちは、明日からもう部活しに来るって言ってたよ」

「あはは。そういえば今度、学年対抗試合をやろうって言ってたね」

「うんうん! そのときは、あたしたち1年生チームとしてがんばろうね!」


 ぴょこぴょこと足音がして、ラッキーさんが廊下の向こうから歩いてくるのが見えた。


「……サーバルちゃんは、昔の学校と今と、どっちが好き?」


 ぼくの質問を、サーバルちゃんは不思議そうに眺めた。


「ええー、学校は学校だよ。なにか変わったかなー?」

「たとえば、夏休みだってさ……」


 気づくと廊下がなくなっていた。

 一面の緑。

 まわりにジャングルの密生した木々があった。

 すぐそばに、とても大きな川が流れているのが見える。


「……あれっ? なになに!?」


 サーバルちゃんがびっくりして身をかがめている。

 ぼくは足元をなんどか確かめる。草と土に見えるけど……感触は固い廊下のままだ。


「……ラッキーさん!?」


 ぼくはさっきラッキーさんを見かけたあたりを振り向く。

 そこはジャングルの茂みだったけど……ラッキーさんの姿が確かにあった。

 その目が奇妙な色に光っていた。

 目のほかは、ラッキーさんはすっかり固まっていて、いくら呼んでも返事がない。


『できた――っ!』


 すぐ近くで、うれしそうな歓声があがった。

 見ると、そこにサーバルちゃんの姿があった。


「わあっ!?」


 サーバルちゃんが、もうひとりの自分そっくりな姿に驚いて飛びのく。

 その隣には……ぼくがいた。


「あれっ、ぼく!?」


 服装が違うけど、それは確かにぼくだ。本物の方の……ぼくとサーバルちゃんは寄り添って周囲を眺めた。


「あっ、ジャガーとカワウソもいるよ!?」


 確かにそうだった。見た目はほとんど変わらないけど、あれも本物……とは違うはずだ。


『じゃあ、試してみたいんですが』


 もうひとりのぼくが言う。こんなに近くにいるのに、向こうからぼくたちのことは見えないみたいだ。


『はいはーい! あたし、いってみたーい!』


 サーバルちゃんが元気に叫んで、川の対岸を眺める。

 川幅はとても飛び越えられない距離だったけど、そこには木と蔦で作られた浮き橋がかけられていた。


『よーし、いくよーっ』


 向こうのサーバルちゃんは、助走をつけて一気に川を飛び越えていく。川に浮かんだいくつもの浮き橋を次々と踏み台にして、見事に対岸へ渡った。


『おおーっ』

『次わたし、わたしもやるーっ』


 それを見守っていた向こうのジャガーさんとカワウソさんがはしゃぐ。

 本物のぼくたちも思わずおおっと声をあげていた。


『すっごいね、魔法みたい』


 向こうのジャガーさんがびっくりしたように言う。

 そこに向こうのサーバルちゃんがまた川を越えて戻ってきた。


『そうでしょ、かばんちゃんてすっごいんだよ!』


 自分がそう言われてるようで、ぼくは胸がちくりとした。

 研究所の映像でも見た、「向こう」のぼく。あの子はぼくより強く、迷いがなかった。


『えへへ……じゃあ本番やってみましょう!』


 そのとき、あたりは廊下に戻っていた。

 ジャングルの風景は夢のように消えて、向こうのぼくの最後の言葉だけがこだましていた。

 ラッキーさんの目もいつもどおり。

 さっきのが、ラッキーさんの見せる空間全体にかかる映像だったんだと、ぼくたちにはなんとなく分かった。


「……ボス、いまのなんだったの?」


 サーバルちゃんが呆然としたままつぶやいた。

 学校ではないどこか。

 ぼくも、サーバルちゃんも、そしてたぶん学校のみんなも、そこにいた。


「ラッキーさん……」


 ぼくはまだ夢から醒めきれなかった。

 ここはどこなんだろう。

 なぜぼくはここにいるんだろう。

 自分が学校にいることが、急におかしなことに思えた。


「サーバルちゃん……」

「かばんちゃん、大丈夫?」


 そのときぼくは、すごく大事なことを思い出せそうな気がして、頭の中のぼやけた映像に目を凝らしていた。

 なにかがいる。

 黒く、岩のカタマリのように大きなもの。

 ぼくは急がなければいけない。


「……早く……」


 目の前に、ぼくをのぞき込むサーバルちゃんの顔があった。

 その顔がすごく心配そうなのが不思議だった。


――どうしたの? サーバルちゃん。


 そこまでをおぼえてる。

 ぼくの意識はそのあと途切れて、また夢の世界へ流されていった。

 ぼくが本来いる場所へ。






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