第5話 ななふしぎ(その2)

>>>7月3日(火)




 ぼくたちが貼り出した学校新聞『オアシス』はすぐ評判になり、あわてて教室や職員室にもコピーを掲示することになった。


「かばんちゃん、次どこ取材しよっか」


 休み時間、サーバルちゃんがぼくの机に両手をつく。

 ぼくたちはさっそく新聞第2号の企画にとりかかっていた。


「かばんさん! また取材するのか!?」

「あたしたちもなにか手伝うよー」


 アライさん、フェネックさんもぼくの机を囲む。休み時間はだいたいにぎやかになる。

 ぼくは、あのときからのアライさんの態度がくすぐったかった。







「アライさん、2年生が呼んでるよぉ」とマレーバクちゃんの声がしたのは、掲示板に帽子の貼り紙をした翌日だった。

 1年生クラスにやって来たのはハシビロコウさん。

 教室の入口からじーっとこっちを見つめる眼力にぼくはついぎょっとしたけど、アライさんは平気のへいざで「アライさんに用なのか?」と走り寄る。


「これ、拾ったんだけど……」


 にらみ付けるような視線とは裏腹の自信なさげな声。

 その手元をみてアライさんが目の色を変える。


「おおおーっ! それはアライさんのお宝‼」

「やっぱりそうだったんだ。貼り紙を見て、これかなって」


 ハシビロコウさんがほっとしたように笑う。

 というわけで帽子事件はあっさり解決、アライさんは多大な恩義を感じたらしい。

 ぼくは、帽子が図書館棟に落ちてたというのが少し気になった。図書館に通う子は珍しいし、アライさんが最近立ち寄ったわけでもなかったから。







 あの日、ぼくたちは学校新聞の創刊号を書きはじめた。

 オオカミ先生と七不思議の話をした後はそのまま学校に残り、探検ごっこで校庭やグランドを回った。夜の学校は怖かったけど、新聞記者っぽい感じがわくわくした。

 だけど何日か取材を重ねるうち、七不思議の正体があっさり判明するのは肩透かしだった。

 「校庭のブラックホール」はプレーリードッグさんの掘った穴だったし(自分の穴に埋まってるところを見られたんだろう)、「サッカー部の幽霊部員」はカメレオンさんだった(自主練中に見学の子の気配にびっくりして透明になっちゃったらしい)。

 「屋上の悲鳴」は……まあ聞いた子たちの話を総合的に判断すると、やっぱりその、トキさんの歌声だったんだろう。


「不思議ね……わたしはよく屋上にいるけど、そんな悲鳴は聞いたことないわね」


 トキさんはそう言ってから、また自慢の歌声を披露してくれたんだけど、そのあとすぐ「さっきも悲鳴が聞こえたよ!」って証言が相次いだ。

 こういう話をそのまま新聞に載せるのはいかがなものかと悩んだ末に、結局は不思議を見聞きした体験談と、そこから再構成したエピソードをまとめるところに落ち着いて、なんとなくぼやっとした記事になっちゃった。

 でもそこが読者の想像を刺激するらしく、記事を書いたぼくのところにはたくさんの子が詳しい話を聞きに来たし、七不思議はすぐにみんなの知るところとなった。会長たちの狙いどおりにはなったわけだ。







「この前取材できた不思議はまだ3つだからね。残りも取材しなきゃ!」


 休み時間でにぎやかな教室の中、サーバルちゃんが宣言すると、アライさんたちもうんうんと乗り気だ。


「いまは校舎に地下室があるって噂を聞いて回ってるんですが、ちょっと行き詰まってるんです」


 ぼくは机を囲むアライさんたちに説明する。

 この噂のもとは、地下から物音を聞いたって話らしいんだけど、その場所があちこちにあってどうにも定まらない。ほんとに地下室を発見できたらすごい記事になるんだけど。


「物音を聞いたって場所を地図に書いてみたんです。今日はそれを見ながら、このあとの作戦を考えようと」

「うん! わかったよ!」


 ぼくとサーバルちゃんのやりとりを聞いて、隣に立ったアライさんが感心するように大きなため息をつく。


「はー、やっぱりかばんさんはすごいのだ!」

「そうでしょ? かばんちゃんはこうやってなんでも調べちゃうんだから!」

「アライさんにもぜひ協力させてもらいたいのだ! 謎をさぐるためなら、アライさんは学校じゅうを走り回ることだっていとわないのだ!」

「まー、アライさんは普段から走り回ってるからねー」


 休み時間は、いつものようにそうやって笑い合ってた。

 事態が少し変わったのは、その日の午後だった。




―――――――――




 新聞同好会の仮部室として使ってる空き教室に、この日はぼくとサーバルちゃんだけじゃなく、アライさん、フェネックさんも集まった。


「……ということで、このあたりになにかあるのかも知れません」


 ぼくたちは教室の中ほどに机を集め、模造紙を広げていた。

 校内見取り図の上に、地下の物音を聞いたというポイントを示してある。

 それを指差しながらみんなに説明してると、ガラガラと扉が開く音がして、みんなが振り返る。


「ここが新聞部かしら」


 入って来たのは紺のブレザー姿の落ち着いた子で、長い銀髪が揺れ、切れ長の目が凛と光るところがいかにも美しいフレンズさんって感じだった。


「あはい、まだ同好会ですが……」


 ぼくは返事をしながら、以前見た子だなと記憶をさぐってた。


「私はギンギツネ。あなたは見学に来てた転校生ね」

「はい、どうも……かばんです」


 そうだ、マーゲイさんの演劇部にいた子だ。たしか2年生の。

 ギンギツネさんは歩いてきて、模造紙をのぞき込む。


「……学校の地図ね。ふうん……あの声の言うとおりかも」

「ギンギツネー、どうしたのー?」


 ひとりつぶやくギンギツネさんに、フェネックさんが話しかける。学年は違うけど仲がいい様子だ。


「あなたたちに、というかかばんちゃんに頼みごとがあって」


 えっぼくに? 突然名前を呼ばれて驚いた。


「私の部屋にはキタキツネが一緒に暮らしてるんだけど、どうも夜中に出歩いてるみたいなの」

「えっ、キタキツネちゃんが?」


 サーバルちゃんが心配そうに身を乗り出した。

 キタキツネちゃんは1年生だけど、2年生寮のギンギツネさんと同じ部屋を使ってるらしい。

 ジャパリ学園には強い規則がないので、寮のことに限らず希望があればいろんな例外が割と自由に認められる。


「夜遅くまで帰ってこないのよね。聞いてもはっきり答えないし心配なの」


 どうやらそのキタキツネちゃんの夜遊び(?)の詳細を調べて、よくないことならやめさせたい、という話らしい。学校新聞を読んで、こんな記事を書ける子なら相談できるんじゃないかという流れだった。


「キタキツネちゃんは、いつからいなくなっちゃうんですか?」

「あの子はマーゲイにスカウトされて演劇部にいるんだけど、部活が終わるとすぐいなくなっちゃうの」

「寮に戻ってくるのは?」

「かなり遅いわね。日によって違うけど、早い子ならもう寝てるような時間にこっそり帰ってくるの」


 夜に出歩くフレンズさんは少ないし、キタキツネちゃんの場合は動物の頃の習性というより別の理由がありそうで、たしかにちょっと心配な感じだ。


「できれば一緒に、キタキツネがなにをしてるのか調べるのを手伝ってほしいの」

「うん、わかったよ!」

「心配無用なのだ。かばんさんならあっという間に解決なのだ!」


 元気なふたりが即答で快諾し、ぼくももちろんうなずいた。

 だけどアライさんの帽子事件といい、これは新聞部より探偵部をつくるべきだったかも。




―――――――――




 ぼくとサーバルちゃんはその足で演劇部の部室前まで行って、練習が終わるのを待っていた。

 大勢だと目立つので、アライさんとフェネックさんには地下室さがしに行ってもらった。


「あっ、終わったみたいだよ!」


 部室から話し声と足音が聞こえ、扉が開いて部員さんたちが出てくる。

 ぼくとサーバルちゃんは校庭を眺めるふりをしながら様子をうかがった。


「いたよ!」


 サーバルちゃんがささやき声と視線で合図する。

 キタキツネちゃんは、長い髪が明るい茶色なほかはギンギツネさんによく似た姿で、口数少なく、ぱっちりした目を上目がちに向ける様子は、マーゲイさんが美少女だと褒めたたえるのがうなずける可愛らしさだ。とはいえどこか頼りなさげな、というか子どもっぽい雰囲気があって、しっかりしたギンギツネさんとは性格的にかなり違うみたい。


「じゃあ私は委員のしごとあるから」

「うん……」


 一緒に部室から出てきたギンギツネさんがそう言って別れる。

 ギンギツネさんはもともと化学部で、キタキツネちゃんに頼まれて演劇部の臨時メンバーをやってるだけだったし、保健委員でもあるのでけっこう忙しい。それで演劇部の練習のあとはたいていこうして別々になるらしい。

 ぼくたちはギンギツネさんをさり気なく見て、それじゃ頼むわね、OKです、と目でやりとりした。


「じゃ、気づかれないようについてこう」

「わー、なんだか楽しいね!」


 小声で話しながら、ぼくとサーバルちゃんはキタキツネちゃんの尾行をはじめる。これはやっぱり探偵部だ。


「なにか、キョロキョロしてるような……」

「もしかして、ギンギツネが見てないか警戒してるのかも!」


 歩きながら急に振り向いたりするので気が抜けず、そのたびぼくたちは柱の陰に隠れる。

 クラスの教室にはロッカーがあるので、部活のあとは一旦そっちに戻る子もいるけど、キタキツネちゃんはそのまま玄関へ向かった。


「うーん、このまま寮に戻るみたいだね」


 校舎を出ると、キタキツネちゃんは校門へ歩いてく。まわりにはほかの部活帰りの子たちもけっこう歩いてるので、探偵にとっては助かる。


「今日は収穫なしかー」「こういうのは何日か続けなきゃかも」「そっかー」残念そうなサーバルちゃんと話してたとき、ふと目をやるとキタキツネちゃんがいない。

 あれっ? どこ行ったの? と慌ててると、


「あっ! あそこ、ほら」


 サーバルちゃんが指差す先に、キタキツネちゃんの姿が一瞬見えた。急に向きを変えて走り出したようで、木々の隙間を器用に抜けていくから見失いそうだ。


「かばんちゃん、走ろう!」


 がぜん盛り上がるサーバルちゃんを、ぼくもあたふた追いかける。


「サーバルちゃん、こっちはもしかして……」


 走りながら、だんだんぼくにもキタキツネさんの向かう先が分かってきた。


「うん……たぶんそうだよ」


 じっと前を見つめながら走るサーバルちゃんにも、いつもの笑顔がない。

 キタキツネちゃんは下校する子たちと逆行するように学校のすみを走り抜け、校舎とグランドのはじまでやって来た。このあたりにはもうだれもいない。

 そこまで来ると、速度をゆるめて歩いていく。

 夕日が長く伸ばしたキタキツネちゃんの影が、グランドの向こうをゆるゆると遠ざかっていった。

 その先にあるのは――。


「……旧校舎だね」


 サーバルちゃんもそんな真面目な声を出せるんだ、と思った。

 ぼくはお腹がきゅっと凍える気がした。




―――――――――




【旧校舎の怪物】

 旧校舎がいつ建てられ、なぜ放棄されたのか、だれも知らない。ひしゃげた柱や穴の空いた壁など崩れた部分もあって、危険なのでだれも近寄らない。

 そんな旧校舎には、いつの頃からか怪物が棲みついていると言われる。

 怪物の姿をはっきり見たフレンズは少ないが、目撃談には「聞いたことのないような不気味な声で鳴く」「光る」「地面を震わせる」といった共通項が見られる。


 ――目撃例の多くが夜であることから、怪物は夜行性である可能性が高い。また鳴き声や光を放つことなど具体性のある証言が多い割に形状についての言及が少ないことは、怪物が実体をもたない幽霊のような存在である可能性を示唆している。となれば地面を震わせるというのも、重い体で歩き回るからではなく、なんらかの心霊現象を引き起こしているのではないか、という推測が成り立つ。/超常現象専門家・タイリクオオカミ


 本紙はこの怪物について、今後も調査を進めていく予定である。


(ジャパリ学園新聞『オアシス』第1号より)




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 新聞に七不思議のことを書いたとき、ぼくはこういう噂の正体はほとんど勘違いや冗談だと思うようになっていた。ところが旧校舎の怪物については、妙に生々しい証言があることもあって、それだけじゃ説明がつかない気がしてた。

 アライさんは旧校舎であの帽子を見つけたとき、たしかになにかがいたと言う。そのときに出た「せるりあん」という言葉をぼくははっきり覚えてた。

 実は七不思議のどれよりも、「せるりあん」の噂は多くのフレンズさんに浸透していた。ぼくたちがそれを七不思議に数えなかったのは、無意識に理解してたせいかも知れない。

 それが不思議ではなく、事実だってことに。

 旧校舎の怪物は、この「せるりあん」と結びついて記憶されたせいか、ぼくにとって一番恐ろしいものになっていた。そして同時に、いつか直視しなくちゃいけないという強迫的な感情ともつながっていた。そこに触れると、危うい均衡で存在していた日常の皮膜がやぶれてしまいそうな……だけど触れずにいても、それはいつかやぶれてしまう気がした。







「あそこに入ったのね……」


 ギンギツネさんが、ぼくの示す旧校舎の片すみをじっと見つめる。建物は夕暮れのなかで、ぼやけた影のようにうずくまっていた。

 サーバルちゃんがギンギツネさんを連れて戻るまで、ぼくはひとりで見張ってたんだけど、その間は壊れるのかと思うくらい心臓が強く脈打っていた。


「あそこは裏が崩れてるみたいだから、その先には行けないと思うんです……」

「とにかく行ってみましょう」


 ギンギツネさんは怖くないんだろうか。

 サーバルちゃんを振り向くと、うん! と覚悟を決めたようにうなずいたので、ぼくもぎこちなくうなずくしかなかった。

 そうしてぼくたちは、旧校舎の崩れかかった一画にそろそろと近づいていった。

 扉が半分はずれかかっていて、キタキツネちゃんはそこから出入りしてるみたいだった。

 向こうは廊下になってるようで、ギンギツネさんが一歩踏み出すとぎしっと音をたてた。


「サーバルちゃん、中は暗いよ……」

「だ、大丈夫……だよ、たぶん」


 窓から射し込む外の光がみるみる暮れていく。

 薄暗がりの廊下を、あちこちに空いた亀裂を危うくよけながら歩いた。

 廊下の先は崩れた壁にさえぎられていて、キタキツネちゃんは強引にその先を進んだか、左手に並んだ教室のどこかにいるかだった。

 前を歩くギンギツネさんが急に立ち止まった。

 薄暗いなか、その大きな耳が気配をさぐって動いてるのが見える。

 奇妙な光が射していた。

 そのことに突然気づいて、ぼくはゆっくり廊下を振り返った。

 近くの教室からだ。

 青白い光が廊下まで漏れている。


「あ、あれ……は……」


 かすれて声が出なかった。

 ぼくの両隣で、ギンギツネさんとサーバルちゃんもじっとその光を見つめてるのが分かる。

 真っ暗な教室の奥に目をやると、そこに光源があった。

 光は色や調子を変えて、奇妙にまたたいて見えた。

 音が聞こえた。

 これまでに聞いたことのない奇妙な音。

 生き物の声じゃない。


「キタキツネ……?」


 ギンギツネさんが、廊下から教室の奥へ呼びかける。

 目を凝らすと、その光の前に黒い影がすっと浮かびあがった。


「ふわあああああああっ」


 ぼくが大声をあげるのと同時にサーバルちゃんも隣でにゃああああああって絶叫してた。

 ふたりとも大慌てで廊下を走り、さっきの扉から外へ飛び出す。


「あれっ、ギンギツネさんはっ?」


 校舎の外から振り返って、急ブレーキ。

 サーバルちゃんと顔を見合わせる。


「ど、どうしよう! 出てこないよ」


 ぼくたちは手を取り合って、へたり込みそうになるのをぐっとこらえてから、恐る恐る旧校舎の方へ戻る。

 扉の隙間から中をうかがうと、さっきのまま廊下に青白い光が漏れ出ているのが見える。

 ギンギツネさんの姿はない。


「ギンギツネーっ……大丈夫ーっ……?」


 サーバルちゃんが廊下に向かって呼びかけるけど、返事がない。

 さっきからあの奇妙な音がずっとひびいていて……あれ、これは……音楽?


「キタキツネ!」


 教室の方から大きな声がした。

 ギンギツネさんの声だ。

 そのままなにやら話し声になって、ぼくたちは耳をすます。

 緊迫した事態ではなさそうな雰囲気。

 ぼくたちはゆっくりと校舎内に踏み込み、さっきの教室へ近づいてみる。


「……だって面白いから……」


 ぼそぼそ話すキタキツネさんの声が聞こえる。


「あ、あの……」

「えーっ、大丈夫なの?」


 ぼくたちが教室に入っていくと、ふたりが振り向いた。

 光と音を出す大きな機械のようなものの前にキタキツネさんが座り、その横でギンギツネさんが両手を腰に当てて立っている。


「かばんちゃん、サーバル、ありがとね。この子、ただ遊びに来てたみたい」


 ええーっ、と驚いてから、だんだん状況が分かってきた。


「これは……」


 ぼくは光と音を出す四角い装置をのぞき込む。画面のなかでは色とりどりの絵が動いてた。機械が演奏する不思議な音の音楽が流れてる。


「なにこれー? 面白そう!」


 危険なものじゃないと判断するや、サーバルちゃんがいつもの食いつきを見せる。


「ゲームだよ」


 画面の前に座ったまま、キタキツネちゃんがぼくたちを振り返る。

 画面の手前はボタンやレバーのついた机になっていて、それを使って画面のなかのキャラクターを操作するらしい。


「私もこんなのはじめて見たけど……そんなに夢中になるなんて」

「だいぶ鍛えたんだよ。ギンギツネも一緒にやる?」

「あなたね……こっちはずいぶん心配したのよ」

「えー、一緒にやろうよー」


 いまいち噛み合わない会話を、ギンギツネさんが言い含めるように「ほら、もう帰るわよ」と終わらせた。

 ……と思ったら、キタキツネちゃんは本気で抵抗して「やだあ、まだ全然遊んでないもん」と画面にかじりつく。フレンズさんがこんなにダダをこねるのを見たのははじめてだ。


「じゃ、一緒に遊ぼうよ!」


 サーバルちゃんが両手をあげて跳び跳ねる。

 場の雰囲気的に、こういうときのサーバルちゃんの発言はありがたい。……実はぼくも、すごく遊んでみたかったし。

 ギンギツネさんは大げさにため息をついて、困った風なそぶりを見せてたけど、3対1なら勝ち目はないし、ぼくたちがゲームを遊びはじめたのでそのうち自分でもやってみるまでになった。







「はー、キタキツネは強いね!」


 サーバルちゃんが床に転がる。

 ゲームはふたりで「対戦」できるので、ぼくたちは代わる代わる楽しんだけど、微動だにせず画面に集中するキタキツネちゃんの強さにはだれもかなわなかった。

 遅くとも寮の食堂がやってる時間には戻ること。旧校舎の他の場所には近づかないこと――などなど、ギンギツネさんが適当に条件をつけたうえで、キタキツネちゃんのゲーム遊びは一応認められて、どうやら一件落着というムードになる。


「サーバルちゃん、せっかくだから記事のためにもうちょっと見回ってもいいかな」


 ギンギツネさんたちが帰ろうとするときぼくがそう言ったのは、やっぱりこのゲーム機がなぜこんなところにぽつんと置いてあるのかが気になったからだ。

 怪物の正体がゲーム機だったとしても、もう少し調べてから新聞には載せたかった。


「また対戦しようね」


 帰りぎわのキタキツネちゃんの言葉に熱っぽさを感じて、普段は低いテンションでつぶやくようにしゃべるこの子がゲームには夢中になったんだなあと、ぼくはちょっと嬉しく思った。


「かばんちゃん」


 ギンギツネさんがすっと背筋ののびた立ち姿でぼくを見つめるので、ドキっとした。


「かばんちゃんは私たちのために、この学校に来てくれたのかも知れないわ」


 え、そんなあ……、とそのときは照れたようにごにょごにょ言うことしかできなかった。ギンギツネさんの言葉の意味がぼくには分かってなかったんだ。




―――――――――




 ふたりが帰ってしまうと、灯りのつかない旧校舎は急に静まりかえった。もう日は沈んでいて、遠く離れたグランドの大きな照明灯の光がかすかに教室を照らすのが、かえって寂しい感じだった。


「かばんちゃん、どうしよっか。ちょっと危ないけど、ほかのとこも見てみる?」


 あんまり暗闇を気にするそぶりもなく、むしろ好奇心をのぞかせながら、サーバルちゃんが教室を歩き回る。

 そう、旧校舎は夜には真っ暗になるからこそ、ゲーム機の光が目を引いたんだ。旧校舎の灯りはスイッチをつけても反応しない。

 ……電気。

 ふと、その言葉が頭に浮かんだ。

 ここには電気がきてない。

 それじゃ、あのゲーム機はなぜついたんだろう。


「サーバルちゃん、ぼく暗くてよく分からないんだけど、ゲーム機からコードが伸びてるよね」


 ぼくがゲーム機のうしろをのぞき込むと、サーバルちゃんは駆け寄って「これだね! こっちに続いてるよー」と楽しそうにコードをたどっていく。どうやら教室の角のほうへ伸びてるようだ。

 

「あれ、そっちちょっと危ないんじゃ……」


 その一画は崩れてるようで、シートや板切れで壁や床がおおわれている。床が妙に浮き上がってるところもあり、暗がりでも足場が悪そうなことが見て取れたので、ぼくはあわててサーバルちゃんを追いかける。


「大丈夫だよっ」


 サーバルちゃんがそう言うときはなにかが起こるってもう知ってたけど、そのときはまさかそこまでと思った。

 みしり、と床板が不吉な音をたてる。

 そして自分の体重を支えるものが頼りなく動いていく、ぞわりとした感覚。


「サーバルちゃん!」


 助けようとしてか、助けてもらおうとしてか、ぼくがサーバルちゃんの手をつかんだのがいけなかった。

 サーバルちゃんひとりなら、たぶん簡単に飛び退いていただろう。


「うみゃあっ!」


 サーバルちゃんと一緒に悲鳴をあげながら、大きく傾いていく床板の隙間にすべり込んで落ちていく。床の下が空洞になってるようだ。

 ぼくは体が何回転かして天地もシャッフルされたけど、サーバルちゃんは敏捷に両足をついて、地下にずり落ちていく床板の上でバランスをとってたみたいだ。


「かばんちゃんっ!!」


 転がり落ちてるぼくを助けようと、サーバルちゃんが名前を呼んでくれてるのが分かった。

 ばきん、と大きな振動が転がり落ちるぼくを地下の空間に投げ飛ばし、どこかの壁に叩きつけられて、ようやく落下が終わった。

 ひっぺがされた板切れや折れた木材があたりに飛び散る音が聞こえた。

 息ができるようになってようやく、ぼくは自分が目をきつく閉じ、歯を食いしばってるのに気づいた。


「かばんちゃんっ、大丈夫っ!?」


 駆け寄るサーバルちゃんの声を聞いて目を開ける。

 すべり台の要領で斜めに落ちたからか、かなりの落差だったはずが大きなケガもないのは運が良かった。


「……う、うん……大丈夫」


 そこは薄暗いけど、完全に真っ暗というわけじゃない。

 ぶつけたひざをさすりながら、ゆっくり起き上がる。

 ぼくは部屋の中にいた。

 そこは校舎のつくりとはまるで違ってた。

 教室よりだだっ広いスペース。机もイスもなく、窓のない壁も、のっぺりした床も、硬く冷たい感じがした。

 地下室……だ。

 壁についたぼんやりした小さな灯りが光源で、おかげでなんとなく室内の様子が見て取れる。


「なんだろうね、ここ……」


 その部屋の一画には大小いろんなものがぎっしりと並べられていた。

 一番目を引くのが、一台の自動車……。黄色い流線型の車体に4つのタイヤがついている。

 そして、自転車。

 ギター。

 キャンプ道具。

 それらがなんなのか、なんと呼ぶべきものなのか、ぼくには分かった。

 はっきり分からないものもたくさんあった。それらはたぶん電気で動くものだ。

 四角いパネル。

 大きな黒い箱。

 片手で持てるほど小さく、細かいボタンのついた機械。

「だれかが集めてきたのかな……」とぼくがつぶやく頃には、サーバルちゃんはその宝の山に釘付けになってた。


「すごーい。面白そうなものがいっぱいあるよ!!」


 無駄かとも思いつつ「壊さないようにしようね」と声をかけてから、ぼくも珍しいアイテムの一群に飛び込んでいった。

 暗くてどれもよく見えないけど、眺めてるだけで世界が急に広がったような感覚が頭をぐらぐらさせた。サーバルちゃんががしゃん、どたんと剣呑な音をたててるのが気になったけど、ぼくはぼくで文字を読んだり操作法を考えたりに忙しかった。

 ひと休みをしてふと天井を見上げたとき、ぼくたちが落ちてきた隙間が目に入った。そこからコードが伸びていて、この部屋の壁につながっている。ゲーム機はここの電気をつかってたんだ。

 

「あれ、あっち扉が開いてるね」


 気づいたサーバルちゃんが、宝あさりを中断してそっちへ歩いてく。


「……まだ、奥があるみたい」


 サーバルちゃんに続いて、ぼくもその扉へ向かう。

 扉はスライドして開きっぱなしになっていた。


「ここは……」


 ふたりでぴょこんと、顔だけを扉の向こう側に出す。

 左右に廊下が続いていた。

 見通せないほど奥へつづく廊下を眺めてると、全身をめぐる血管がぞわりと脈打った。

 これは、地下室を見つけたというレベルの話じゃない。地下に広がる大きな空間に足を踏み込んだんだ。







 廊下も、壁ぞいに小さな灯りがついてるので、歩けないほど暗くはない。ただ窓ひとつないから、学校の廊下とは圧迫感が違う。


「とりあえず、こっち行ってみよっか……」


 ひとまずサーバルちゃんの感覚にしたがって、ぼくたちは探索をはじめた。

 いくつか分岐を曲がるうち、奥へ奥へ入り込んでる感じが強くなる。

 途中に扉の開いた部屋もたくさんあって、それはベッドやキッチンのある生活スペースだったり、大きなテーブルだけの殺風景な部屋だったり、ごちゃごちゃと用途不明の備品が積まれた部屋だったりした。


「だれかが暮らしてたのかな……」


 ぼくがつぶやくと、サーバルちゃんがびっくりしたように「って、だれ? 学校の子以外に、ここにだれかが住んでたってこと!?」ってぼくに向きなおる。

 ぼくも気がついた。

 転校して以来、寮と学校を行き来するだけだったので、学校以外にも世界があるんだってことをぼくは意識してなかった。


「あれ、ちょっと広いとこに出るみたい」


 いくつかの廊下が集まった突き当たりに扉があって、その奥はこれまでのような部屋とはすっかり様相が違ってた。

 3階分くらいの高さをぶち抜いた空間。

 廊下から入ったのはその上の部分にあたるフロアで、妙な形の座席がたくさんあった。

 暗くてはっきりしないけど、下の方にも同じように座席が並んだフロアがあるようで、上下の座席はすべて正面にある大きな壁を見上げるようになっていた。それは視聴覚室の布やゲーム機の画面のように映像を映し出すんだろう。


「なんなんだろ、ここ……」


 声がかすかに反響する。

 歩くと、コツコツとひびく自分たちの足音が反響に重なる。

 いつもならあたり構わず手を触れるサーバルちゃんも、異様なこの空間にただ呆然としてた。

 ……と思ったんだけど、それでも何気なく壁のレバーをがちゃりと倒してしまうあたりがサーバルちゃんだ。

 ウゥゥゥゥゥンと低い音がしたかと思うと、突然ばしん、という音とともに強烈な光があたりを照らした。


「わあっ!」


 思わず両手で顔をおおう。

 ずっと暗闇に慣れてたせいで、まぶし過ぎて目を開けてられない。

 照明がついたと同時に、あたりの機械やら装置やらが息を吹き返したようで、あちこちで小さな作動音が聞こえる。


「……なになに?」


 隣でサーバルちゃんの声がして、ぼくもゆっくり目を開く。

 あらためて、ぼくたちのいるこの場所の全景が目に入った。広いスペースに、ぼくたちふたりだけがいる。

 ……いや、もうひとりいた。


「ぎゃあああああああああ」


 すぐ後ろから、肺の空気を絞り出すような絶叫がとどろく。


「うみゃああああああああ」

「ふわあああああああああ」


 心底おどろいたのはお互いさまで、逃げまどうぼくたちを尻目にその子はフロアの反対側へ猛ダッシュ、さっと柱に身を隠した。


「んななな……なんだオマエら!」


 柱の影から頭だけ出して、その子は威嚇するように叫ぶ。


『……本施設はただいま警戒態……にあります。職員は持ち場を離れないで……さい』


 室内スピーカーの声が空間内にひびきわたった。

 同時に正面の大きな画面に文字が映し出され、点滅している。その文字はぼくには読めなかったけど、なにやらのっぴきならない雰囲気なのが分かった。


「うわは!」


 柱に隠れたその子が、下ろされた壁のレバーを見て顔をのけぞらせる。


「そのレバー入れたのか、コンニャローッ!!」


 またも大絶叫。清々しいほどストレートに怒ってる。


「ええっ!? ご、ごめん」


 柱の陰で騒ぎたてるその子を振り返ってサーバルちゃんがひとまず謝り、戸惑いながらも「……きみは?」と声をかける。


「見ればわかるだろっ、ツチノコだよ!!」

「見えないよっ!」


 サーバルちゃんの突っ込みはもっともだったけど、ツチノコを名乗るその子は過剰なテンションで通じる様子は皆無だ。尻尾を神経質そうに床に叩きつける、たしん、たしんという音がひびいた。


「どういうことなの? ここは?」


 この異常事態でも割と普通に会話を続けられるのがサーバルちゃんだ。


「くそぅ……っ、主電源を入れちまうと、施設が警戒態勢にもどっちまうから、わ・ざ・わ・ざ非常電源のままにしといたのに……っ!」


 ツチノコさんが悔しさをにじませ、ほっぺを紅潮させながら、よく分からない言葉をしぼり出す。

 ぼくは巨大画面上で点滅する不穏な文字を眺めながらツチノコさんの言葉の意味を考えてたんだけど、サーバルちゃんはあんまり気にもせずに「なんで出てこないの?」と素朴にたずねてた。


「落・ち・着・く・ん・だ・よ!」


 湧き上がる全感情を言葉に叩きつけるようなツチノコさん。

 それでようやく跳ね上がったテンションもおさまったみたいで、柱の陰からそろりと姿を見せてくれる。

 すっぽりかぶったフードからクセっ毛が飛び出し、両手はおなかのポケットに突っ込んで、うつむき加減に歩くところが相当不機嫌そうだ。

 近寄るなという無言のオーラを光らせた目は意外にぱっちりしてて、長いまつ毛が可愛らしく見える……のは態度とのギャップがかける魔法か。

 

「それで。オマエらなんなんだ?」


 落ち着いたら妙に先輩ぶって話しはじめるツチノコさんと、お互いのかくかくしかじかを話した。

 ツチノコさんは一応2年生らしいけど、学校にはほとんど顔を出さないらしい。ジャパリ学園にはそういう子もたまにいる。

 地下には寝泊まりできる場所があるので、最近はここで暮らしてるそうだ。


「というわけで、上に戻りたいんですけど……」


 恐る恐るたずねると、ツチノコさんはキッとひとにらみ投げつけてから、なにも言わずぼくたちの入ってきた扉まで歩いていく。扉はぴったり閉じていた。

 横についた、サーバルちゃんが下ろしたレバーにも触ってみるものの、それはすっかり固定されてるみたいだった。


「……ここはもう開かないな」


 さらっとあきらめたような声。

 ぼくとサーバルちゃんも扉に駆け寄るけど、がっちり閉まっててとても開けられそうになかった。


「下から出て、こじ開けられそうなところを見つけるしかないな。オマエらもおとなしく出口をさがせ」


 外で遊びたかったのに雨だなんて残念だな、という程度の軽いやれやれ感でツチノコさんは話すけど、よく聞けば事態はずいぶん深刻そうだ。


「出口ってどっち?」とサーバルちゃん。

「知らん。俺もこれから探す。ま、変な怪物に出くわさないよう気をつけることだな」


 えぇ……。ツチノコさんがわざと不吉なことを言って怖がらせてるのは分かるけど、こっちもまんまと不安になる。そもそもこの建物の中は右も左も分からないわけだし。


「あの、一緒に行っちゃ……だめですか?」

「あああああん?」


 ぼくの呼びかけに、無駄にすごみを効かせた大声が返ってくる。顔を斜めにねめつけるツチノコさんに、ひるんだぼくが後ずさりしたとき、後ろの座席から甲高い機械音が鳴った。


「わああああぁなにしてんだオマエっ!!」


 ツチノコさんが再度絶叫して飛んでったのは、座席前のボタンを手当たり次第に叩くサーバルちゃんのところだ。


「そっ操作卓を壊したらどうすんだ!!」

「わあ、ごめんなさいっ!」

「あのっ!」


 混乱を増す状況に乗っかって、ぼくはツチノコさんにたたみかける。


「……ついてっちゃだめですか?」


 そう言うぼくをまたキッとにらみつけてから、ツチノコさんはちらりとサーバルちゃんに目をやり、その片っ端から機械を壊しそうな気配を前に「うににににに……」と悩むツチノコさん。サーバルちゃんの破壊的な好奇心が操作卓を捕虜にしてる。


「……くそぅ!」


 あきらめてがっくりと肩を落とすツチノコさん。

 ぷいっとぼくたちに背を向けて歩き出しながら、ぶっきらぼうに言葉を投げる。


「……ついてこい!」

「わあい……」


 サーバルちゃんの出した警報音はやがて鳴りやみ、ぼくとサーバルちゃんの気の抜けた歓声が空間にただよった。

 肩をいからせ前かがみに歩くツチノコさんが階段を降りてくのに続いて、ぼくたちも歩き出す。

 それは見慣れない地下空間に閉じ込められ、さらにその奥へ踏み込むしかないという恐ろしいシチュエーションだったはずだ。

 だけど、ぼくは無邪気にも少しわくわくしていた。

 新聞記者が探偵になって、こんどは地下迷宮の冒険者。でもこれは迷走じゃなくて、来るべくして来た道だと思った。

 開演前の舞台に立つ役者さんのように、なにかがはじまるんだって思った。






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