第4話 ななふしぎ(その1)
あの学校にいるあいだ、ぼくは自分が白く快適な部屋の中にいるよう感じていた。
部屋は居心地がいいから、なぜそこにいるのか、ぼくたちは考えなかった。
しあわせならなぜとは考えない。
だけど部屋は、だれかがつくったからある。
だれかが守るから、快適なままでいられる。
ずっと部屋のなかにいると、そのことに気づかないんだ。
ある日壁がきしみ、屋根から雨水が落ちてくるまで。
>>>6月22日(金)
朝になると、食堂からコーヒーの香りがするのが好きだった。
1年生寮のいいところは、食堂でアルパカ・スリさんのドリップしたコーヒーが飲めるところだ。まあ茶葉を贅沢に使った紅茶の方がフレンズさんには人気だったけど。
「かばんちゃん、おはよう!」
ぼくが食堂へ行く頃にはだいたいサーバルちゃんがいて、そこで朝のあいさつを交わすのが日常だ。
「かばんちゃん、今朝も元気そうだねぇ。はいこれぇ、今日の朝ごはんだよぉ」
食堂の奥でみんなの食事を用意する、寮の調理担当がアルパカさんだ。
いつもなんだか嬉しそうで、その愛嬌のあるイントネーションを聞くと、ぼくはいつもほっとする。
カウンターで朝のジャパリまんを受け取って、サーバルちゃんの隣の席に座った。
食堂では1年生の子たちが思い思いの席で食事をとってて、早い子はもう学校へ行ってる。
「あれ、アライさんたちはまだなの?」
いつも一緒になるアライさんとフェネックさんが見えなかったので、ぼくはジャパリまんを手にしながらそうたずねた。
「うん。なにか部屋でごそごそしてたんだ。フェネックさんが先に行っててって」
「えっ、そうなんだ。さがしものかなあ」
「かばんちゃんが配ってくれたコピーをなくしちゃったとか」
ぼくはこの前みんなのために、先生の言葉を紙にまとめて印刷室でコピーしたんだ。喜んでもらえたけど、かえってクラスの子の面倒を増やしちゃったようで、ちょっと複雑だった。
「今日はいい天気だから、アライさんと狩りごっこしたかったよー」
サーバルちゃんが笑いながらため息をつく。
ぼくが転校してすぐ梅雨にはいったので、すっきりしない天気がつづいてたけど、この日は久しぶりに晴れた。
「サーバルちゃんもアライさんもぉ、ほぉんと狩りごっこが好きだよねぇ」
アルパカさんがサーバルちゃんのカップに紅茶のおかわりを注ぐ。朝食ラッシュがひと息つくと、こうしておかわりを注ぎにテーブルをまわってくれる。
「ありがとうアルパカ! 今日も紅茶美味しいよ」
「そりゃ良がったよぉ。あ、かばんちゃんはコーヒーだから、ちょっと待っててねぇ」
あ、大丈夫ですって言いながら、ぼくは紅茶ポットを片手ににこにこ笑うアルパカさんを眺めてた。サーバルちゃんたちが狩りごっこが好きなように、アルパカさんはこうして食堂でみんなの世話をするのが大好きなんだ。
「アルパカさんて、いつも本当嬉しそうですよね」
ぼくはふと、そう口にしてた。
「あれまぁ、そう見えるかい?」
「うんうん、そうだよね! 紅茶淹れてるときも、いっつも嬉しそうにしてるよね!」
サーバルちゃんもうなずいてる。
どうしてこの学校に来たのかぼくには思い出せないし、ぼくがなんの動物なのかも分からない。だけど深刻に考えずに済んだのは、学校ではだれもが嬉しそう、楽しそうだからだと思った。
「なんだかねぇ、たまぁに思うんだわ。だれも来ない食堂にいてねぇ、毎日ひとりで紅茶を淹れてるだけ、みたいな毎日はさみしいなぁってねぇ」
「ええっ、そんなころもあったの?」
遠くを見るように話すアルパカさんにびっくりして、サーバルちゃんが叫んだ。
「いやいや、そんなことないんだけどもぉ。ただそんなことと比べたらねぇ、朝晩たっくさんの子たちが来てくれるなんて、ほんっとうに嬉しいことだなぁと思うんだわ」
そうやって笑いながら次のテーブルへ向かうアルパカさんを見て、ぼくはなにか納得した気になった。
そうやってゆっくり朝の紅茶とコーヒーを楽しんでから、ぼくたちは寮を出た。
みんなだいたい日の出とともに起きるから、ゆっくり朝食をとっても、まだまだ朝は早い。
「サーバル、かばんちゃん、いってらっしゃいね」
1年生寮を管理してるアリツカゲラさんが、玄関口にホウキをかけながら、ぼくたちを優しそうに見送ってくれる。
ぼくはいつものように学生鞄を肩に下げて、サーバルちゃんと一緒に、あのサバンナのような通学路へ歩き出した。ほかの1年生の子たちもちらほら歩いてるけど、アライさんたちがいないのでいつもより落ち着いた登校だった。
「かばんちゃん、新聞部のことうまくいきそう?」
「うん。ふたりだけど、まず同好会としてはじめていいって」
「よかった! あたし、かばんちゃんと一緒に取材……っていうの? するのが楽しみだよ!」
いろんなフレンズさんを取材して「学校新聞」をつくってみたい。ぼくの思いつきにサーバルちゃんも興味をもってくれて、それじゃ部活をつくろうって話になっていた。
サーバルちゃんは陸上部との掛け持ちになるけど、学校のあちこちを見て回る新聞部は、好奇心いっぱいのサーバルちゃんに向いてるのかも。
「どんな記事を書こうか考えてて。オオカミ先生に相談しようと思うんだ」
「かばんちゃんって、そういう新しいこと考えるの本当得意だよねー」
「あは……なんかそういうのが好きみたい」
そんな会話をしながら、ぼくはふと、なぜそういうのが好きなのか、なぜみんなを取材にして記事にするなんてことを思いついたのか、不思議に思った。
「サーバルちゃんはどうして狩りごっこが好きなの?」
アルパカさんとの会話を思い出して、ぼくはサーバルちゃんに聞いてみた。
「えーっ? うーん、なんでだろ」
戸惑いながらも、サーバルちゃんはがんばって考えてくれる。
「あたし狩りごっこしてるとね……いつもなぜか、嬉しいことが起きそうな予感がするんだ」
少し離れたところに、大きなアカシアの木が見えた。
ぼくとサーバルちゃんが出会ったあの木だ。
―――――――――
「これは大変な事態なのだ!!」
お昼のジャパリまんをかじりながら、アライさんが興奮して話しはじめる。
その日授業に遅れてきたアライさんは、休み時間もあたふたフェネックさんと走り回ってたようだったけど、お昼になってようやくなにがあったか話してくれた。
「ええっ、あの帽子なくしちゃったの?」
サーバルちゃんが驚いて声をあげる。
ぼくたちはいつものように、校庭を眺めながら外のテーブルでお昼を食べていた。
「やー、アライさんはねー。あっちこっち走り回ってるからどこで落としたか見当つけにくいよねー」
朝からずっと帽子さがしを手伝ってたらしいフェネックさんが、あっさりした口調で言う。
「うぐぐぐ……。あのお宝がだれかの手に渡ったら、恐ろしいことになるのだ……!」
「ふーん、恐ろしいことねー。まあアライさんに付き合うからさー」
ジャパリまんをつかんだ両手を悔しそうにふるわせるアライさんに、フェネックさんがのんびり微笑みかける。なんだかんだで甲斐甲斐しいくらいアライさんに付きそってるから、午後も学校じゅうを一緒にさがすつもりなんだろう。
「あたしたちも手伝うよっ」
サーバルちゃんが当然のようにそう言って、同じ気持ちだったぼくもうんうんとうなずく。落し物をさがすなら、なにかいい方法がありそうだ。
「あの、学校じゅうのみんなに帽子のこと聞いてみるってどうかな」
そう提案するぼくを、みんなが見つめる。
フェネックさんが感心したように、「そうだねー、あたしたちだけでさがすよりすぐ見つかりそうだねー」と言った。
「でもどうしよっか。もうみんなお昼食べてるし、そのあとは部活に行っちゃうね。また部活まわろっか?」とサーバルちゃん。
「校内放送をかけてもらうって、どうかな」とぼく。
「帽子をかぶる子って少ないからさー。『帽子』って言葉で言うだけじゃ、なかなか伝わらないと思うよー」とフェネックさん。
「ど、どうすればいいのだ!」と世界が終わるかのように深刻そうなアライさん。
そのときぼくの頭に浮かんだのは、学校の正門を入ってすぐのところにある、大きな掲示板だった。あそこは寮へ帰る子みんなの目にとまるはずだ。
「あの……このあと美術部に行こうかと」
「え? どうするの、かばんちゃん?」
美術部には折りよくスナネコさんがいて、お願いしたらすぐ描いてくれた。
「ふんふ ふんふ ふんふ ふんふ ふふんふん♪」
鼻歌まじりでずいぶん楽しそうなのは、はじめて描くものだったからだと思う。
ぼくはその帽子の絵の横に、「これを見つけたら、1年生のアライさんまでお願いします」という文字を大きく書いた。
「なるほどー、絵を描けばだれにも分かるねー」
フェネックさんが片手を腰に当て、うんうんうなずいて絵を眺める。
「ぼくの帽子がアライさんのとほとんど同じだったからラッキーでした」
「すごーい! かばんちゃんよく思いつくねー!」
「おおおおーっ!」
アライさんは感激のあまりか、ぼくの両手をとってぶんぶん振りながら「こ、これで見つかったも同然なのだ……!」と声をふるわせていた。まだちょっと気が早いけど……。
「あとはこれを、校門の掲示板に貼りたいんだけど……」
ぼくがそう言うと、みんななるほど! という顔で大きくうなずいた。
けっこう大きな紙だったので、ぼくとアライさんが広げて歩く姿は目を引いた。
「なにこれなにこれー?」
校庭に出ると、水泳部へ行くコツメカワウソさんが通りがかった。同じ2年生のジャガーさんと仲良しの子で、元気に走り回るたびにショートカットにしたグレーの髪も跳ねる。
校庭を横切り、校門前へ来るころには、そんな好奇心旺盛な子たちがなにが起きるんだろうと集まって来た。
「もっと上の方に貼れば、目立つんじゃない?」
「ようし、ちょっとアライさんが登ってみるのだ!」
大きな掲示板にはそもそもあまり貼り紙もなかったけど、サーバルちゃんとアライさんはできるだけ目立つところに貼ろうとはりきっていた。
カワウソさんたちまわりに集まった子たちも、「へー大きい絵だね!」「おんもしろそー」なんて楽しそうで、賑やかになってきた。
「……なんの騒ぎですか、副会長」
「例の転校生が、掲示板になにか貼ろうとしているようです、会長」
その眼はずっと遠くから、校門前のぼくたちを見つめていた。
ふたりはたぶんそんな言葉を交わしながら、図書館棟3階の窓ぎわに立っていたはずだ。
「あれ、フェネックさん、ここになにか書いてありますね」
サーバルちゃんとアライさんがどたばたやってるさなか、ふと僕の目に掲示板の枠に刻まれた文字が入った。生徒会、と書いてあるみたいだ。
「おー……そういえばこれ、生徒会の掲示板だったねー」
フェネックさんは思い出したようにうなずく。
そのとき突然、近くからガガガと耳障りな音がしたのでぼくたちはびっくりした。
「ガガ……いとかいの掲示板に、勝手に貼り紙をしてはいけないのです」
校内放送のスピーカーが近くにあったみたいだ。
電灯柱にくっついたそれが、ぼくたちに向かって話しかけてるようだ。
怒ってる風でもないけど、どこかつっけんどんな口調。
あれえ? とみんな怪訝な顔を見合わせる。ちょうど紙を貼り終えたアライさんが、掲示板の上からキョロキョロあたりをうかがっている。
「掲示板を使いたいときは……ガッ……まず生徒会に申請して許可をもらうのです」
そこでブツッと音がして、スピーカーの声は唐突に切れた。
生徒会……ってなんだろう。そのときまでぼくは知らなかった。
「えーっ、だめなのー?」
サーバルちゃんはスピーカーを見上げて不服そうだ。
「あの、生徒会ってどこに行けば……」
ぼくは隣のフェネックさんにたずねる。ちょっと怖かったけど、申請しなさいってことは、頼めば貼っていいのかも。
「あそこに図書館棟があるんだけどー。その3階に生徒会室があるのさー」
校庭の向こう、変わった雰囲気の建物を指差してフェネックさんが言う。
入り口にアーチがあり、柱や窓枠には装飾がついていて、シンプルな校舎とはかなりつくりが違う。それまで行ったことはなかったし、だれかが出入りするのを見た記憶もなかった。
「分かりました……ぼく、ちょっと行ってきます」
「かばんちゃん、あたしも行くよ!」
貼り紙の内容をたずねる子もいたので、アライさんとフェネックさんは掲示板の前に残り、ぼくたちふたりが生徒会の許可をもらって来ることにした。
フェネックさんが意味ありげに「かばんちゃんなら大丈夫だと思うよー」と笑ってたのが、ぼくには少し気になった。
―――――――――
図書館棟は学校の敷地の中心近くに建っていて、隣には細長い塔のような建物がある。
アーチをくぐると、そこの空気がしんと冷めきっているのに気がついた。やっぱり立ち寄る子は少ないんだろう。
「おじゃましまあす……」
屋内に入ると空気は一層ひんやり感じられた。中が薄暗いのは、窓に遮光カーテンがかかっているからだ。
天井が普通の校舎よりずいぶん高いこともあって、壁や柱のすみになにかの気配が固まって見えた。
「サーバルちゃんは、ここに来ることあるの?」
「あるよ。すっごくたま~に、だけど」
サーバルちゃんは、玄関からすぐ階段へ向かってすたすた歩いて行く。
ぼくは雰囲気に飲まれてしばらく立ち止まってた。
「かばんちゃん?」
ぼくが玄関口で立ち尽くしてるのに気づき、サーバルちゃんが振り返る。
入ってすぐの正面にはもう一枚ガラス戸があって、その奥には広いスペースにずらりと並んだ書棚が見える。これが図書館なんだろう。
灯りがついてなかったので、本の背表紙ははっきり見えなかったけど、背の高い本、低い本、分厚い本、薄い本、いろんな本が整理されて並べられているのが分かる。学校に来てからこんなにたくさんの本を見たのははじめてだ。
「ここはだれでも入れるの?」
どうやら閉まってるようだったので、サーバルちゃんに聞いてみる。
「そのはずだけど……あんまりだれも来ないから、いまは閉めちゃってるのかな」
サーバルちゃんもちょっと不思議そうだった。
ぼくたちはそのまま階段を登って、生徒会室のあるっていう3階へ向かった。
途中でのぞいた2階にも書棚が並んでいて、1階と2階がまるごと図書館になってるみたいだった。
「そういえばあたし、3階まで来るのはじめてかも」
3階へ出るとホールになっていた。
奥へつづく廊下や扉が見えたけど、ホール全体はやっぱり薄暗かった。
生徒会室がどこにあるのか分からなかったので、ぼくたちはとりあえず手近にあった扉へ向かう。
「あ、開いてるよ!」
サーバルちゃんが躊躇せずに中へ入っちゃうので、ぼくもつられて続いた。
「……こんにちは」
真っ暗な部屋。そこは普通の教室の数倍はあり、天井もずいぶん高いみたいだった。
扉から入る弱々しい光で、正面に向かって傾斜した床に並ぶ座席が見える。正面奥には舞台のようなスペースがあり、白く大きな布が吊り下げられていた。
「なにかあるよ!」
背中から声がして、振り向くとサーバルちゃんが部屋の一番うしろに立ってる。目が慣れてきて、そこにテーブルがあるのが分かった。その上に平べったい機械が乗っている。
「なんだろうね、これ?」
いつもの好奇心全開ぶりで、サーバルちゃんが機械のボタンをむやみに触り始める。
「サ、サーバルちゃん大丈夫……?」
「大丈夫大丈夫!」
なんの根拠がとハラハラしてると、突然機械が目覚めたようで、あちこち小さな灯りがついた。
同時に天井のなにかが低いうなり声をあげて動きはじめる。
すると突然、正面で明るく光るものがあった。
「えっ? なになに!?」
目をやると、吊り下げられた白い布に動く絵が映し出されている。
「あれは……?」
「すっごーい! なにか動いてるよ!」
音はなかった。サーバルちゃんの操作が悪かったせいかも知れない。
だれかが必死に戦ってるようだ。これは物語なんだって分かった。
ぼくとサーバルちゃんは座席の真ん中に開いた通路をとおってその絵に近づいた。
暗い室内で、その布だけが動く絵を映して光っていた。
「それは、むかしつくられた映像なのです」
突然声が部屋に反響した。
「うにゃあっ!」
叫び声をあげて間一髪身をかわしたサーバルちゃんの頭上を越えて、ふたつの影がうしろから飛んでくる。
ふたりはそのまま正面のステージ、動く絵を映した布の前に降り立ち、光を背にぼくたちじっと見下ろした。
「サーバルちゃん大丈夫!?」
駆け寄って、ぼくは音もなく飛んできたふたりのフレンズさんを呆然と見上げた。
「生徒会へ来るよう言ったのに、どうして視聴覚室にいるですか?」
淡々とした声。
「す、すみません。場所が分からなくて……」
「あの、あなたたちが生徒会の子?」
コート姿の小柄なふたりのフレンズさんが、大きな目をこっちに向ける。
「生徒会長のアフリカオオコノハズクです」
「生徒会副会長のワシミミズクです」
自己紹介を受けて、あ、どうも、かばんです、とぼくもあわてて名のる。
「……転校生のかばん」
少し間をおいてから、静かな声がした。
「われわれはおまえに注目してるのです」
「なぜいまジャパリ学園に転校生が来たのか、その意味を考えてるのです」
生徒会長を名乗るアフリカオオコノハズクさんが話すと、そのあとを受けて副会長のワシミミズクさんが話す。
あとで知ったけどこのふたりは学校じゅうでも賢いと評判の子で、2年生ながら全学年をまとめる生徒会を率いていた。とはいえ生徒会がなにをしてるのか、ほとんどの子が知らなかったけど。
「かばんちゃんがなんで転校してきたか……?」
「サーバルキャットのサーバル。おまえには聞いてないのです」
「ええっ」
サーバルちゃんを軽く一蹴して、会長と副会長はぼくに向き直る。
ふたりのうしろで、映像は続いていた。物語の中ではなにか深刻そうなことが起きてるらしく、焼け焦げた瓦礫の上を灰が吹き荒れていた。その瓦礫は学校に似ていた。
「……かばん、おまえはこの学校がなんのためにあるか分かるですか?」
「……なんのために、われわれは授業を受け、部活をしてるか分かるですか?」
突然の問い。
ぼくが転校してからそのときまで、だれも問うことなく、ぼくも考えなかったこと。
え、えと……としどろもどろになりながら、ぼくは急いで頭を回転させる。
その問いはすごく重大な気がした。
「……おまえは転校して半月のあいだに、多くの変化をもたらしているです」
「……試合という要素を浸透させ、教科書という概念をつくり、そしていま学校新聞を復活させようとしているです」
語りつづけるふたりのうしろでは、なにか巨大な怪物がうごめいていた。不定形に姿を変えながら、瓦礫だらけになった世界を歩いている。
「言ってることがよく分からないよ」
ぼくの隣でサーバルちゃんが困ってる。
でも、ぼくには意味が分かる気がした。
「……われわれはこう考えてるです。この学校は、ひとつの実験なのだと」
「……われわれフレンズが“学校”の暮らしを維持できるのかという実験なのだと」
逆光の中で、ふたりの無表情な眼が光って見えた。
「実験……ですか」
ぼくはさっきから考えてることを必死に整理していた。
映像の中で、怪物の放った派手な光線が大きな爆発を引き起こす。
そのチカチカした輝きを見ながら、ぼくはこの学校の居心地のよさのうしろに、大事なことを見落としていたんじゃないかと考えてた。ジャパリ学園ではだれもが、なにをするにも嬉しそう、楽しそうに見える。
「……ところがわれわれは、本来の“学校”の姿から比べると不完全なのです」
「……もし実験にならうなら、われわれはもっと“学校”らしくあらねばならないのです」
「えーっ、学校は学校だよっ。今のままでいいじゃない」とサーバルちゃんが言う。そう、フレンズはなにかを変えようとは考えない。
「……かばん、おまえならジャパリ学園をもっと“学校”らしくできるです」
「……おまえのちからを、われわれに貸すのです。それが学園を救う道なのです」
ずっと無表情に話してきた会長たちの顔に、このとき一瞬なにか強い意思のようなものがよぎった気がした。
「あの、掲示板のことは……」
ぼくは会長たちからちょっと目をそらして言った。
「好きに使うです」
「そもそも掲示板を使うようなフレンズはいないので」
「えっ、いいの?」とサーバルちゃんが喜ぶので、ぼくもいったん不穏な気持ちを振り払う。
「その代わり、われわれの計画に協力するです」
「やるですか、やらないですか」
うしろの映像で、その物語の主役らしい子が決意を秘めた瞳をこっちに向けていた。
「……分かりました」
ぼくは会長たちの顔をふたたび見つめ返した。
「やります。それで、協力ってなにをすればいいんですか?」
「へーっ、ここが生徒会室だったんだね!」
こざっぱりとした小さな部屋を見回しながら、サーバルちゃんが笑う。
ぼくたちは視聴覚室を出て、本来来るべきだった生徒会室で話を続けていた。
「ここからあたしたちのこと見てたんだ。目がいいんだね!」
「われわれの視覚は鋭いのです」
「この程度の距離ならくっきりばっちりなのです」
窓際に立ったサーバルちゃんに、会長と副会長が相変わらず淡々とした口調で話す。
窓からは校庭が一望できて、たしかに遠くに掲示板が見える。どうやらアライさんたちはまだそこにいるみたいだ。
「それで、さっきの話なんですが……」とぼくが切り出すと、会長は棚から書類を取り出してぱさっと机に置いた。
「われわれはいろんな本や映像を調べて、“学校”とはどういうものかを研究しているです」
うながされるまま、ぼくは机に近づいて書類をパラパラ眺める。
サーバルちゃんも隣に立ってのぞき込む。
「これは……」
そこには絵や写真がたくさん並んでいて、そのわきに会長たちがつけたらしい説明書きがあった。
「そこにあるのはみんな、“学校”にあるものらしいのです」「しかし、どれもジャパリ学園にはないものなのです」
飾りつけられた学校に屋台が並び、たくさんの子で賑わっている写真。
赤いマルやバツのついた、文字ばかりの紙を見つめてため息をついてる子の絵。
なにかの行事だったり、備品や設備だったり、そこで学ぶ子たちのエピソードだったりするみたいだけど、どれも“学校”に関するものらしい。
ぼくはそのひとつひとつをじっと見つめながら、書類をめくる。
「会長、なにかしら理解しているようです」
「そうですね、副会長。やはり期待できるのです」
机の向こうで会長たちがこそこそ話してる。
たしかにぼくには、その書類が示すものがなんとなく分かる気がした。どれもジャパリ学園では見聞きしないものなのに。
「それでー? あたしたちはなにすればいいの?」
サーバルちゃんが無邪気にたずねる。
「まずは、『七不思議』をつくるのです」
「ななふしぎー??」
会長から聞き慣れない言葉が飛び出した。
「『学校の七不思議』とは、学校のみんなが知ってる不思議な噂話のことなのです」
「みんなで噂しながら、こわーい、ぶきみー、と言って楽しむものなのです」
「なにそれー、変なのっ」
「えーと……噂をつくるんですか?」
ぼくたちの疑問に、会長たちはやれやれといった風に首をふる。
「七不思議もない学校など、学校とは呼べないのです。いまのままでは退屈なのです。われわれは、賢いので」
「不思議な事件が起きたり、そこに隠された秘密をさぐったりしてこそ学校生活は楽しめるのです。われわれは、賢いので」
「そうなのー?」とサーバルちゃんが言う隣で、ぼくはそんな噂話をどうやってつくればいいんだろうって考えてた。
「……ひとまずおまえたちのつくる学校新聞に、七不思議の記事を載せて、学校に広めるのです」
えっ? ぼくは唖然とした。
たしかに記事のテーマに悩んでたけど、話を勝手につくっちゃうのはどうなんだろう。
その気持ちを察したように、会長はすぐ言い添えた。
「心配しなくても、すでにフレンズのなかでいろんな噂があるのです」
「オオカミ先生など、詳しいのではないですか? そこから七つまとめればちょちょいのちょいです」
そうなんだー! とサーバルちゃんは驚いてたけど、そういえばぼくも不思議な、というか怖い話を聞いたことがあった。
視聴覚室ではもっと重大な話をしてたような……と、ぼくは拍子抜けした気持ちだったけど、新聞づくりのアドバイスをもらったと思えば悪いことじゃないのかも。七不思議……もなんとなく学校新聞の記事らしい気がする。
「さあ、みんなが楽しめる七不思議の記事を書くのです」
「そのことで、われわれの計画はまた一歩進むのです」
会長たちが一歩踏み出すようにぼくたちに迫る。
「よく分かんないけど、新聞部の最初のしごとだね! 楽しそう!」
「う、うん!」
サーバルちゃんに引っ張られるようにぼくも大きくうなずく。そんな話でいいんだっけ? とちょっと腑に落ちない気もしたけど、まずは行動だ。
やってみます、と言ってぼくたちは部屋を出た。
うしろから会長の言葉が小さく聞こえた。
「……われわれの計画はまだまだこれからなのです」
―――――――――
「ほら、七不思議をまとめてみたよ」
夕日が教室に射し込み、机の向こうに座ったオオカミ先生の横顔を照らしていた。
すでに部活の時間は終わり、ほとんどのフレンズさんは寮に帰ってる頃だ。
教室はがらんとしてる。
「すごーい! オオカミ先生ってなんでこんなこと知ってるの?」
「そりゃあ、そのために普段からアンテナをはってるからね」
サーバルちゃんに向かって得意そうにウィンクしながら、オオカミ先生は喜々として机にノートを広げる。
それが、オオカミ先生がまとめた七不思議(の候補?)だった。
------------ジャパリ学園の七不思議------------
◆校庭のブラックホール……夜中に校庭を歩いてると、地面に穴が開いて飲み込まれる
◆サッカー部の幽霊部員……サッカー部の練習が終わったあとのグランドで、ボールがひとりでに飛び跳ねる
◆屋上の悲鳴……夕暮れになると、校舎の屋上から恐ろしい悲鳴が聞こえる
◆お化けコピー機……深夜に印刷室のコピー機が勝手に動き、魂を吸いとろうとする
◆開かずの扉……図書館棟1階にある開かずの扉を深夜に見ると、扉が開いて別の世界に連れてかれる
◆地下校舎のフレンズ……校舎には地下室があって、だれかがその暗闇のなかで授業を受けている
◆旧校舎の怪物……旧校舎には怪物が棲んでいる
----------------------------------------------
「なにこれ怖いよ!!」
「そりゃあ、七不思議は怖いものさ」
「ええーっ、そうなの?」
怖がるサーバルちゃんを見て、オオカミ先生はやけに嬉しそうだ。
「ほかにもいろいろ思いついたから、厳選するのは大変だったんだよ。たとえば、理科室の動物模型が夜中に走り回るとか、音楽室のピアノが勝手に演奏をはじめるとか……」
「わ――っ 怖い! 怖い! 怖い!」
サーバルちゃんと一緒に、ぼくも声を上げていた。
七不思議ってなんとなくこういうものだって分かってたけど、オオカミ先生から聞かされると真に迫るというか。
「……って、それじゃオオカミ先生のつくり話じゃない!」
「それにコピー機の話って、先生がこの前言ってたやつですよね」
「ははは、まあこういうのは最初はだれかの冗談からひとり歩きしちゃうものなのさ」
たしかにそうかも知れない。
そういう噂がなぜ、どこから出たのかを調べるだけでも、新聞に書く意味はあるのかも。
「まあコピー機の話はおいといて、ほかのはたしかに聞いた噂だよ。私も直接見たわけじゃないから、どこから出た話だか分からないんだ」
「じゃあとにかく、ひとつずつ調べてみます」
えええってサーバルちゃんは怖がってたけど、なんだかんだで一緒に来てくれることになった。
ぼくも学校のことはまだよく分からなかったし、なによりぼくだって怖かったから、ふたりで取材できるのは心強かった。
そんなぼくらの様子を頬杖ついて眺めながら、オオカミ先生はこう言った。
「しかし、かばんちゃんが新聞部をつくるって聞いたときは嬉しかったよ。文芸部じゃなかったのは残念だけどね。まだ同好会という形だけど、私も顧問としてしっかりサポートさせてもらうよ」
ありがとうございます。そう言ったとき、ぼくはなにかが前に進んだ気がした。
ぼくは一応陸上部に仮入部していたので、みんなと一緒に部活を楽しむ経験はあったけど、こうして自分のやってみたいことが形になっていく楽しさはまた別ものだ。
「それじゃ、会長の話もあったので、新聞第1号は七不思議をテーマに書くことにします!」
ぼくがそう言うと、ふたりから拍手と歓声をもらえた。
「かばんちゃん、なにから取材しよっか?」
サーバルちゃんが、さっきまで怖がってたのが嘘のように、楽しそうに聞いてくるのがおかしかった。
それであらためて七不思議を読んで気がついた。これ、夕方から夜の話がほとんどじゃないか。
「ほんとだ!……てことは」
サーバルちゃんがちょっと真剣な顔つきになる。
「……夜の取材になるね」
オオカミ先生が、心底嬉しそうに笑う。
「それじゃ今夜、学校に泊まってみてはどうだい。私が宿直についてあげるよ」
えええーっという、ぼくたちの声が静かな校舎にひびく。
ぼくがなにか言い出すと、いつも話がどんどん大きくなっちゃうみたいだ。
―――――――――
この日ぼくたちが掲示板に貼り出した紙は、狙いどおり下校するたくさんのフレンズさんの目にとまった。
そうして日も沈み、学校にフレンズさんの気配もなくなる頃、ひとりその掲示板を眺める子がいた。
「こんなことするやつがいたのか……」
その子がそうつぶやいたとき、ぼくたちはまだ教室にいたはずだ。
七不思議の取材が、ジャパリ学園の裏側にあるものをさらけ出すきっかけになるなんて、そのときのぼくたちには知りようもなかった。
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