郊外団地マッド・ナイト・ショー
田村網膜
第1話 耐火性少女の覚醒
机の上には「仕様書」とだけ書かれた分厚い紙のファイルが置いてあった。それは男にだけ分かればいいものだったから、男はタイトルにそれ以上文字を重ねることはしなかった。
男はファイルを手に取ると、部屋の隅の小さな鉄の焼却炉の中にそれを投げ入れた。既に赤々と燃えていた焼却炉の火はエサに嬉しそうに食らいついた。男は燃えたのを確認してフタを閉めると、小さく笑みをこぼした。
「さあ、いよいよだ」
返事する者は誰もいない中、男は焼却炉とは反対側の壁の隅にある機械の前に立った。
それは、一種異様な機械だった。
外科手術の手術台と巨大なコンピュータ、そしてダイナモを組み合わせたような不細工な鉄の塊。その手術台の上には布に覆われた人の膨らみがあった。
男は冷静に機械の各スイッチをONにしていった。
パチン、パチン、パチン。
やがて、ダイナモの低い轟きが部屋を満たした。機械のランプはエネルギー充填中の赤を示している。
「ここまで来るのは長かった」
男が再び呟いた。
「試作機のアレから始まり、全体の設計、重量バランスの調整、アクチュエータ等々、しかしようやくここまで辿り着いた」
男の声は段々と大きくなっていく。
「世紀の発明! いや、今千年紀に残る!! いやいや、人類史最大の偉業と言っていい!!!」
「火の発明、車輪の開発、火薬、ダ・ヴィンチ、ワットの蒸気機関、エジソンは光を、ライト兄弟は空を手に入れ、アインシュタインに至り世界は原子核のパワーを手中に収めた。今私はその上に立ち、世界を革命する!!」
ダイナモの響きは男の声を掻き消すほどに大きくなり、ついに機械のランプは始動可能を表す緑に変わった。
「今こそ人は機械と融合し、種の限界を超越する!!」
男は布を勢いよく剥ぎ取った。手術台状のベッドに寝かされ、両手足を拘束されているのは十代中頃の年若い少女だった。
「今日が、人類の夜明けだ!」
男は機械のレバーを手にすると、万感をこめてそれを倒した。レバーはガクンと止まり、一瞬機械のランプは全て消灯した。
それに代わって少女の四肢はひきつけを起こしたように痙攣し、拘束具と当たって鋭い音をたてた。少女は白目を剥き舌を突き出した格好で、涎が口の端から台の上へと跳ねた。
身をよじって苦しむ少女と、稼働中を示す白いランプを見て男は満足そうに言葉を発した。
「さあ、七番目の実験体〈エクスペレメンテーレ・ケルパー〉よ、今こそ眠りから醒め、肉体のくびきを解き放ち、実存の翼を拡げるのだ!」
男は「意識」と書かれたボタンにカバーごと指を叩きつけた。
「ガハッ」
少女が強く咳をした。眼にぼんやりと光が宿る。機械のモニターに「全機能稼働開始」の文字とともに種々のグラフが映る。
「ふむふむ」
男はグラフを点検し、異常がないことを確認すると少女の上に顔を落とした。
「やあ。気分はどうかね」
少女は始め苦しそうに喘いでいたが、目の焦点がハッキリするにつれて目前の相手を認識しはじめた。
「せ……ん」
「ふむ、大久保実莉、いや生まれ変わった今は新〈ネオ〉・大久保といったところか。意識はハッキリしているかね」
「ねお、おお……くぼ」
「その通り、今の君は人間の限界を超越した新人類となったのだ。気分はどうだね」
「しん……じん? かん……だ、せんせ」
「フフフ、山手市第二中学非常勤理科講師、神田秋葉は仮の姿、本当は世界征服を企む悪の天才科学者ってとこだ」
「あくの……?」
「大久保くん、君は世間的には一週間前の放課後を境に行方不明になってるんだよ」
「一週間……」
気づいたように少女は自分の手首を手術台に固定している鉄の輪を見た。瞳孔が収縮し、息が荒くなる。
「ちょ、一週間ってどういうこと? え、あんた、神田先生、は?」
男はモニターを見た。
「大久保くん、気持ちは分かるが落ち着きたまえ。今の君は目覚めたばかりで不安定な状態だ」
「は? これが落ち着いてられるわけ」
男は額に手を当てると汗を拭いた。
「大久保くん、君の脳裏に『誘拐』とか『変態』とかいう文字が浮かんでいるのは分かる。だが今の君は誉れ高い新人類だ。少し自重してくれないか」
神田は「犯罪者がなにを」という少女の言葉を指で遮って、
「それに、君は拘束されてない」
「いや、現にこうやって」
少女は顎で手首を指し示した。
神田は足を組み替えながら、
「だから、今の君にとってその程度の金具は拘束具ではないんだ」
「いや、意味分かんないんだけど」
神田は断固とした口調で言った。
「力を入れてみろ」
少女は疑わしそうに、手首をガチャガチャと揺らした。
「そんなんじゃない。もっと力を入れてみろ」
少女はカッとしたように手首を輪の内側に強く押しつけた。
「そうだ! もっとだ。もっと明確に『力を入れる』という意志をこめてみろ。限界は既に君の肉体にはない。限界は君の意識そのものだ。意識を『力』という一点に集中させるんだ」
神田が言い終わるまえに輪を固定していたビスの1つが音をたてて跳ね飛んだ。少女は右手の拘束具を引きちぎると、信じられないという目で手を開いたり閉じたりした。
「それでいい。日常生活に影響が出ないように普段の力は抑えてある。脳内のスイッチが切り替わることで、リミッターが外れるようになってるんだ」
少女は目を動かすと、
「なに言ってんすか、それじゃまさか」
神田は鼻を鳴らした。
「まさかもヘチマもあるか。今の君は私に改造されたサイバネティック・オーガニズム、いわゆるサイボーグという代物だ」
「嘘」
「嘘ついて私になんの得がある。ドッキリをしかけるために誘拐したりはしない。『かってに改蔵』じゃないんだ。きちんと頭からケツまで改造したよ」
「ケツまで……」
神田は首肯した。
「そう、ケツまで」
「今の君の肉体のうち生身なのは体積にして30%もない。脳の大部分、神経系、脊髄、臓器の一部、髪の毛……そんなものだ。骨格はチタン合金だし、肌は人工皮膚、内蔵は3Dプリンタで打ち出した特殊プラスチックやシリコン……くだくだしく説明してもしょうがないが、そんなところだ。なにか質問はあるかね」
大久保――新〈ネオ〉・大久保は人工眼球を動かして、人工皮膚に覆われた手を見つめ、人工骨格のモーターとアクチュエータを動かして人工の指が動くかを確かめた。
「嘘……」
「嘘じゃない。もうしばらくたてば、麻酔が完全にきれて感覚が取り戻せる。そうすれば以前の肉体との微妙な誤差にも気づくはずだ」
「でもどうして」
「どうして? 進歩に理由は必要かね?」
「ふざけないでッ」
怒る少女を手で押し留めて、神田は、
「それも含めて段々と分かってくる。今は君が新しい世界の幕開けに立ち会っているという自覚さえあればいい」
「だから、ふざけないで。いますぐ家に帰して。話はそれからしてあげるから」
「帰してもヘチマもない。君は礼儀を知らなすぎる。仮にも私は君のクラスの理科の受け持ちだよ」
「うるさいうるさい! 今年は受験なのにワケわかんないことして!」
「受験なんて新人類にはどうでもいいさ。それはそうと、君はヘチマを育てたことはあるかい?」
「は? なにを言って――」
神田はかがみこむと、少女の肩のつけねの部分を操作した。ガチンとなにかが外れる音がし、続けて腕が手術台の上に転がった。
「え。なに」
呆然とする少女を前に神田は続けてもう一方の腕も外した。
「今、アラートが入った。侵入者だ」
少女の目が輝いた。
「警察!?」
神田はかぶりを振って、
「君にとっては残念だが、違う。相手は広域指定暴力団山鬼組の三次団体有楽組だ」
「え、ヤクザ?」
「ここは地下だが、間もなく降りる入口を見つけるだろう。私は君に手出しされないうちに逃げるとするよ」
少女はジタバタと上半身をねじって、去ろうとする神田に、
「ちょっと待って、わたし、どうなんの」
呼び止められた神田は頭だけ振り返って、
「連中に見つかったら殺されるだろう。連中は3人、全員拳銃を持ってる。気をつけてくれ」
「え、いや外してよ!!」
少女は足を示した。
「言ったはずだ。君は、外せる」
そう言うと神田は機械で見えない死角に入った。数秒後に扉の開く音、そして閉まる音がして、籠った足音は次第に遠のいていった。
「ふざけんな、アイツ、死ねッ、死ねッ」
新〈ネオ〉・大久保は、
「ふざけんな、なにが『新〈ネオ〉・大久保』だよ、死ねッ」
大久保は、力をこめて足の拘束を外そうとした。一瞬、フッと体が軽くなり、鉄の輪は手術台からちぎれて、10メートルほど上の天井に当たって音をたてて落ちた。
大久保実莉が「ヤバイ」と思う間もなく、何人かが走る物音がした。先程の神田の場合と逆に徐々に近づいてくる。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ」
悪態をつく暇もなく、急いで左足の拘束も蹴り飛ばした。
「ヤバイヤバイ」
手術台から跳ね起きると、先程神田が消えたあたりに駆け出す。巨大な鉄扉を前にして気づく。
「あっ、これ開かんやつだ」
腕の取れた肩口で扉に体当たりするものの、身長の二倍ほどの扉はびくともしない。渾身の力で蹴り飛ばしても、大きな音が鳴るだけだ。
「どうしよどうしよ」
背後で別の扉が開く音がした。咄嗟に機械の背後に隠れた。頭は憎らしい神田への呪詛でいっぱいだ。
「あいつ、クソッ、死ねッ、死ねッ」
そのとき、壁の大型スピーカーから声が聞こえた。
「あー。テステス。聞こえるか新〈ネオ〉・大久保実莉君。君に秘密兵器を授けよう」
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