第7話 亀井と亀井(弟)

「んっ……!」


 意図せず、荒い吐息が口から洩れ出た。ずっと力んでいるせいだろう。さほど暑くもない晩夏の夕暮れの中に球となった私の汗が落ちる。

 はその真っ赤な体を揺らして、私の剛直を咥えこんでいる。ろくに濡れそぼってもいないそこへ突き入れるのには苦労したが、入れてしまえばどうということはなかった。

 トントントンと短いストロークで輸送を繰り返し彼女の最奥を攻め立てていく。そのたびに彼女の口からは軋む様な悲鳴が零れる。しかし、それを気にしている余裕は私にはない。

 ここでいったん引く。入口近くまで自らのモノを引き出し、舐るように彼女の中を蹂躙していく。上下左右お構いなしにグラインドさせ、彼女の敏感な部分を探る。


「あっ……!」


 ここだ!

 上方に抉るように打ち込んだ剛直に確かな手応えが帰ってくる。さほど力を込めなくともスルスルと私のモノを飲み込んでいくその感触に、私は思わず顔をゆがめた。

 ラストスパートと言わんばかりに同じ場所を突き続ける。彼女もたまらず悲鳴を上げるがやめるつもりは毛頭ない。彼女の体を抑えつけ、さらに勢いをつけて突き入れていく。


「ああ……! よし……! イケる……イクぞ! 出すぞぉぉぉぉ!」


 私は一気呵成とスピードを上げ、咆哮とともに彼女の中に剛直を深々と突き刺した。




 ガコン! と大きな音を立てて原稿がポストの中に落ちる。錆びついた口を開けっ放しにしているポストは何か言いたげにこちらを見つめているような気がするが気のせいだろう。わたしはなにもやましいことはしていない。ただちょっと錆びついてガタが来ているポストに自分の原稿を投函しただけなのだ。

 制服の袖で額の汗をぬぐって歩きだす。やはり原稿を出し終えたあとのこの達成感は良いものだ。唸り、泣き、苦悩した末の作品が私のもとから旅立つのは少し寂しくもあるが、同時に嬉しくもある。親心とはもしかしたらこういうものなのかもしれない。

 実は今日嬉しい理由はそれだけではない。今日はアレがある。原稿の完成を祝うために買っておいたちょっとお高めの、かの偉大な山嶺の名を冠する黄金の甘味が冷蔵庫で私を待っているのだ。鼻歌スキップで帰路につくのも致し方ないこと。

 ああ、もう考えるだけであのトロリと舌先で溶け出すクリームの事が頭を過って涎が滾る。「我こそが主役」と主張して憚らない頂の栗が、野性味溢れる栗クリームに負けずとも劣らない乳の暴力とも呼ぶべき生クリームが、そしてそれらを全てを優しく受け止め、幾重もの層で無限の舌触りを生み出すタルト生地が、私の帰宅を今か今かと待ちわびているのだ。

 気づけばニヤついていた。私の表情筋はどうやらストライキ中らしい。緩んだまま一向に元に戻る気配がない……まぁ別に構わんがね! 誰も見てないし!


「ただいまー!」


 勢いよくドアを開けて家のなかへ。玄関の靴を見る限り今家にいるのは弟だけのようだ。母は買い物にでも行っているのだろう。夕御飯の前にお菓子を食べるななどとお小言を言われなくてすむのは僥倖である。

 リビングへの扉を開けるとそこあるのは対面キッチンとテーブル、それに四脚の椅子。ちなみに私の愛するモンブランはキッチン最奥の冷蔵庫に入っている。


カタン


 不意の物音に足を止める。今現在、この家で私以外に動くものといえば弟くらいなものである。すなわち今の音は弟が出したものと考えていいはず。構わず歩を進めていく。

 案の定、弟は冷蔵庫の前にいた。開けっ放しにされた両開きの扉に隠れてその顔色をうかがうことは出来ない。


「おいちょっと、邪魔」


 声をかけつつ距離を詰める。先ほどから私に一瞥もくれないのが、少し不気味に感じた。

 

「なに? 姉ちゃん?」


 冷蔵庫の扉を閉めつつ、こちらを向いた子憎たらしい弟の顔。唇の端にはべっとりと白いクリームがついている。

 私はひゅうっと小さく息を吸い込んだ。


「口……ついてるぞ……」

「……ああ……そう、気付かなかった……」

「何か食べたのか?」

「いや……歯磨き粉じゃないかな、多分」

「何だそうだったのか。どうでもいいけど冷蔵庫の扉を開けっ放しにするのはやめておけよ」

「うん。分かった」

「ああ……それと……」


 半歩踏み込むと同時に右手で弟の顔面に掌底を打ち込む。うまく不意を突いたつもりだったが、どうやら読まれていたらしく、頭を引いて衝撃を逃がされると同時に左手で手首をつかまれる。

 そのまま私の手を引っ張り、自らの右足を後ろへ。目的は股間への鞭打だろう。やらせるわけにはいかない。左手に持っていた学生カバンを横薙ぎに振るうと共に、その反動を活かして体を横向きに捻った。


「「ヴッ」」


 私のカバンは吸い込まれるように弟の右肩にヒットした。だが、当たる寸前で弟も腕を丸めて防御の姿勢を取ったらしく、あまり有効打にはなっていない。

 弟の蹴りは本来の目的を早々に諦め、行きがけの駄賃とばかりに私の脛をけり上げた。力の入れようからして、もしかしたらこちらが本命だったのかもしれない。

 足の痛みに対して反射的に足元に視線を向けてしまう、その隙を逃す愚弟ではなかった。つかんだままの私の右手を軸に、先ほどまで防御に徹していた右の拳が迫る。


避け……られん!


 確信をもった刹那、私の足はすでにフローリングを蹴り上げていた。「うお……っ!」という間抜けな声と共に弟と私の体が一瞬宙に浮く。

一拍の後、「あああああああ!」という私の裂帛の咆哮と共に弟の体はキッチンの床に叩きつけられていた。苦悶の表情を浮かべる弟に馬乗りになって、あらん限りの声量で怒りをぶつける。


「お前私のモンブラン食ったなああああああああああああああ!」


未だ痛みに苦しみながらも、私に似て端正なその顔を歪めて弟は笑う。


「ああ……食ったさ、それが何か?」

「知っているだろう……私がモンブランをどれだけ好きかって事くらい! 何故だ! 何故食べた!」


胸倉を掴んで問いただすも、だらしなくニヤけたその顔に変化はない。まるで私が可笑しいことでも言っているかのようなその態度に、ますます怒りが込み上げてくる。


「このっ……!」


 一発平手でも入れようかと右手を離した瞬間、脱力していた弟の右手が恐るべき速さで動いた。

 「しまった」なんて考える余裕もなく、とっさに右腕を引き寄せるが、時すでに遅し。私の防御をすり抜けて弟の右手は私の心臓に一番近い部分へ……。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。ただ、電撃が脳天からつま先まで走ったような痛みと、心臓を鷲掴みされたような恐怖感だけが私の体を満たしていた。先ほどまで強張っていた体も、今ではすっかり力が抜けてしまっている。

 私の体を押しのけて、弟が自分の部屋へ逃げ出す背中を見ながら、やっと理解した。私は胸を揉まれたのだと。

 いや、揉むなんて言葉では弱い。握られたのだ。握るほどあるかは別として、握られたのだ。女である私が、胸を。


「……っ」


 キッチンの床に横たわる私に耳に、外の喧騒が戻ってくる。周回遅れで絶賛求愛中の蝉の鳴き声、錆びついた自転車のチェーンが回る音、型落ち冷蔵庫の駆動音……うん。こんだけあればバレないでしょ。

 私は夏の終わりの静かな賑やかさに感謝して、少しだけ泣いた。だって胸が痛くて胸が痛かったのだ。しょうがない。うん、しょうがない。




 翌朝、目覚ましの音で目が覚めた。爽快な起床である。

 階段を下りながら聞こえてきたのは父の使っている電気シェーバーの音。これは洗面所は使われているのだろうと思って、そのままリビングへ行く。


「あら、おはよう。りくはもう出たわよ。何か急いでるみたいだったけど……」

「ん……」


 陸、というのは弟の名前だ。いつもだとこんなに早く出ているのは珍しいが、きっと昨日の事もあって顔を合わせづらいのだろう。そんなことをするくらいならモンブランを食べなければ良かっただろうに。

 母が入れてくれたコーヒーを飲みながら、ぼんやりと覚醒したての頭でそう考えていると、玄関のドアが開く音がする。


「あら、忘れ物かしら?」


 どたどたという騒がしい足音を立てながらリビングの扉が開けられた。黒いランドセルを背負った弟は、肩で呼吸をしなければならないほど息を切らしている。右手に下げられているのは体操着を入れるバッグと白いビニール袋。

 弟は私と目が合うなり、右手に持っていたそのビニール袋を投げつけて来る。私は余裕のある動作でそれをキャッチする。才女である私にはこれくらい朝飯前である。


「おいこれ……」


 なんなんだ、と聞く前にリビングの扉は閉まっていた。再び騒がしい足音と共に玄関の扉が開けられる音がする。


「? それなぁに?」

「さぁ……」


 母が見つめる中、くしゃくしゃになった袋を広げる。「おっ」と思わず声に出てしまった。中に入っていたのは昨日食べられなかったモンブランと全く同じ物だった。

しかし、走って持ってきたせいか、その象徴たる栗は転げ落ち、クリームの半分以上は蓋に付着しているという散々な見た目になってしまっていた。


「あら、それ昨日――が楽しみに取っておいたものじゃない。もう一つ陸に頼んでたの?」

「うーん……そうね、そういうことにしとこうか」

「なにそれ」


 母のつぶやきは無視してモンブランの蓋を開ける。形はどうあれ味は変わらない、ありがたく頂くとしよう。

 一口食べると、コーヒーの酸味がまだ残る口の中に、優しい甘さが広がっていく。朝から食べるには少し重たいかもしれないが、昨日食べられなった分が胃の中に戻ると考えればプラマイゼロだ。それに、おいしいものはいつ食べてもおいしい。


「あー……幸せ」


 そろそろ肌寒くなってきた木曜日の朝、モンブランを食べつつ予定されていた弟への復讐方法を金的2回から金的1回へと修正した。

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