いつかどこかの図書館で
鐘鳴タカカズ
第1話 亀井と水谷
「パンツを盗もうと思うんだ」
目の前の男は私に会うなりそうのたまった。
ここは私の住んでいる町の図書館、その二階にあるスペースの一角。乱立した本棚が奇跡的に作り出した『あれ?そこに机あったんだ?』的な位置にある私の聖域だ。人間の意識の盲点をつくように作られたこのスペースを知るものは少ない。というか私以外知らない。きっとこのスペースは私のような非凡な才を持つ人間にしか姿を見せない特別な場所で、きっとこの先も私の聖域であり続けるんだろうと思っていた。
こいつが現れるまでは。
「実は好きな人が出来てね」
読者諸賢よ、言うまでもなく私とこの男は初対面である。決して親しい仲などではない。
だというのになぜこいつは話しかけてくる?もしや誰かと勘違いしているのか?
私は問うた。
「あ、あの、だ、誰かとかんんっ、あっ、ちがっ、あっ、へっへ……」
これ以上なく明瞭な声で、寸分の狂いもなく意見を吐き出すことが出来た。まぁ私ほどの才女ともなるとこのくらいは出来て当然である。最後の『へっへ……』はアドリブだったがこれも会話の良いスパイスとなろう。
「勘違い?いいや違う。僕は君に話しているんだよ、亀井さん」
男はそう言うと、私の目の前にあるパソコンに目を移す。
「いつもここで小説を書いているんだよね?知っているよ」
なるほど、こいつ……ストーカーだな?
ははーんなるほどなるほど、そういうことか、うーん……通報だな。
サッとスマホを取り出すと、男が焦ったように身を乗り出してくる。
「違うんだ! 待って! 君は多分少し勘違いをしている!」
「かんちがっ、いやっ、はっ、つーほっ、へっへっ!」
この時ばかりは私も少し焦っていたのだろう。要領を得ない発言をしてしまったと少し反省している。しかし、ストーカーが相手なのだ、対応に雑さが出るのも致し方ないこと。
「僕は君をつけていたわけじゃないよ! ここの職員さんが教えてくれたんだよ!コ
ミュ障の女の子がいつもここで小説書いてるって!」
何ということだ。私の個人情報がこんなところから漏れだし、さらにはコミュ障などという謂れのない悪評までついて回っているとは、ゆゆしき事態だ。今度職員さんにあったらガツンと言ってやらねば。
私の行動に焦ったのか、男はまくしたてるように話し始める。
「ええと、誤解されるのも嫌だからね? 先に説明するけど、僕は君にネタを提供しに来たんだ」
ほう……ネタ、ね。
まぁ小説家というのは常にネタに飢えているものである。異世界転生、VRMMO、そういったある種、有名作品の模倣ともいえる物語が氾濫する背景にはこの『ネタの枯渇』という問題が少なからず関係している。私のように将来的にベストセラーが確約されているような一部の天才を除けば、小説家にとってネタを提供してくれる存在は、純粋な利益になるといえよう。
話を戻そう。この男は私に『ネタを提供しに来た』と言った。これは要約するとこうなるわけだ、『私の事をあなたの好きにコキ使ってください』と。
ふむ。まぁ悪い気分ではない。話くらいは聞いてやろうじゃないか。
「ねねねねねねねねねたっ…………ってななななななんっ!」
「ああ、落ち着いてくれたんだね。良かった」
「…………ねねねねねねねねね」
「ああ、ネタ、ネタね? 実は僕、好きな人が出来てさ、マンションの隣に住んでる女の人なんだけど……」
なんだ、恋愛ものの話か? 私はあまりそういうシチュエーションを書かないが、後学のために一応最後まで聞いてやろう。
というかマンション? こいつ学生か? 失礼だが薄汚い格好からして浮浪者か何かと思ってしまった。
「彼女に渡そうと思って、ラブレターを書いたんだ。これを、君に読んでもらいたくて」
まさか人生で初めて貰うラブレターが他人に向けたものであるなんて! やはり非凡な人間は非凡な日常を送るのだなと私は再認識する。
というか、そうか、なるほど。ラブレターの添削をしてもらいたいから、小説を書いている私に話しかけてきたというわけか。なるほど、それなら合点がいく。
………………いやまて、本当か? こいつは初対面の私に対して犯罪予告をしてきた人間だぞ? 何か裏があると思っておいたほうがいいんじゃないか?
いろんな考えが頭をよぎるが、どうにもまとまらないうちに受け取ったラブレター。震える指でそれを開封していく。
中身は、文章、というか、五・七・五、というか、いやもう完全に、川柳だった。
あいびきす
夜宴の夜の
ハンバーグ
「どう…………かな……?」
いや、どうもこうも、意味わかんねーよ。しかもなんでちょっと顔赤いんだよ。
まずこれ『あいびきす』って、なに? 誰と誰が? ていうかもう最後の『ハンバーグ』に引っ張られてあいびき肉しか思い浮かばねーよ!
次これ、『夜宴の夜の』……夜かぶってんじゃねーか! なんで十七音しかない中で二回も夜を出すんだよ! しかもなんだよ夜宴って! もう待ってるのハンバーグしかないんだからただのBBQだろこれ!
はい最後、これ。『ハンバーグ』お前だよお前! お前のせいなんだよ全部おかしくなったのは! お前がいなけりゃあいびき肉も逢引きになったし、夜宴もちょっとエロい意味に変わったかもしれねーだろ! いやそれでもラブレターにはならないけどさぁ! でもなんかセクシュアル的な要素は入ってきただろ! 少なくともこんな焼き肉パーティーみたいなノリにはならなかったはずだぞ!
「っ…………!」
そう、言いたかった。だが、彼の表情を見るに、彼はこれで真剣なのだ。馬鹿馬鹿しいが、彼はこの一句に、隣人の女性への気持ちを精一杯に込めたのだ。だから、これをもし添削するとしたら、もうここしかない。
私は、カバンの中からボールペンを取り出し、彼の書いたラブレターに一筆、書き加えた。
あいびきす
夜宴の夜の ←エロい意味です
ハンバーグ
「ああ! いいですね! これ!」
私の添削を見て、彼は喜んだ。
彼の本心がつづられた文章を傷つけず、かつ、ハンバーグに引っ張られないよう、注釈を加える。これが三流の作家気取りであるならば文章を直したりだの、肝心な気持ちが書かれてないだのと的外れなことを言って、彼を困惑させたに違いない。
「ああ、君に相談してよかった! ありがとう亀井さん!」
彼はよほど感動したのか、私に向かって深々と頭を下げてくる。ほう、なかなかどうして礼儀がなっているじゃないか。
「あとは彼女のパンツを盗むだけです! 本当にありがとうございました!」
そういって、彼は席を立とうとする。
は? いやおい、待てよ。お前今なんつった?
「ぃあっ! ……まっ!」
私は凛とした、よく通る声で彼を呼び止める。何事かと振り返る彼。
「な、ななんで…………パ……ンツ……?」
そうだ。思い出した。こいつはファーストコンタクトでパンツを盗むと宣言したやつだった。別にこいつが警察にパクられようが知ったことではないが、犯罪予告を聞き流すのも気が引ける。ということで聞いてみることにした。
私の疑問を聞いた彼は、フッっと小さく微笑んだ後、恋する乙女のような潤んだ瞳で、ラブレターをそっと自分の胸に押し当てた。
「このラブレターは、絶対に見てほしいから……ポストに入れていたずらと思われるのは嫌だし、下着なら絶対に確認してくれるでしょ?」
…………私は、今まで自分の事を非凡な人間だと思ってきた。私は特別であり、街を闊歩する有象無象とは一線を画す、スペシャルな存在であると信じていた。
今、認めよう。男子学生(暫定)よ。お前も私と同じく、非凡であるということを。
そして非凡な人間はその道は違えども、多くの苦難をその身に受けるものである。ならば彼が今、間違ったことをしようとしているとしても、私はそれを止めるべきではない。違うか?
そうです!
心の中の亀井が返事をする。そうだ、その通りだ。
だから、今の彼にかける言葉は、やめておけ、とか、犯罪だぞ、とか、そういうものではない。今必要なのは、ただただ純粋な、応援。
頑張れ。そう伝えるつもりで、私は右手で拳を作り、そっと親指を立てて見せた。
それを見た彼もまた、満面の笑顔で、同じく親指を立ててくれた。
小走りで図書館を出ていく彼の顔は、傍目に見ても、とても幸せそうだった。
翌朝、私は小学生の弟のエルボーで目が覚めた。
起き抜けに裏拳を顔面にお見舞いし、弟がもんどりうったのを確認してから、洗面所へ向かう。
歯ブラシに歯磨き粉だけつけてリビングへ、歯を磨きながらテレビを見る。まだ朝の七時だというのにテレビの中の女子アナは元気な顔でニュースを読み上げている。
「昨晩、マンションの隣の部屋に、女性の下着を盗みに入ったとして、隣の部屋に住む、自称会社員の水谷誠容疑者が逮捕されました。供述では、彼女にラブレターを渡したかった、などと意味不明な供述をしており…………」
女子アナがそこまで言ったところで父が起きてきた。リビングの扉を開けるなり、私に向かってスマートフォンを下手で放り投げる。
投擲されたそれを絶妙な力加減で受け取る。才女である私にはこれくらいは朝飯前である。
なぜ私にスマホを投げたのかはわからないが、とりあえず受け取ったスマホに映し出されている画面を見る。
私が応募した新人賞の一次選考通過者発表のページだった。するするとスクロールするも、私のペンネーム『エキセントリック・タートル』の文字はない。ため息をつこうと思ったら歯ブラシを咥えたままだった。泡立った歯磨き粉が父のスマホに吹きかかる。
まぁいいか、と思い父にそのまま投げ返す。直後「汚っ!」と聞こえた気がしたが、まぁそのくらいは許してほしい。
非凡な人間は日々多くの苦難に立ち向かっているのだ。警察につかまったり、新人賞に落ちたり……けっして甘えているわけではないが、この程度の横暴は許されてもいいのではないか?
歯ブラシの先から歯磨き粉を垂らしながら、そうひとりごちた月曜日の朝だった。
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