第62話 再出発

 善次郎の決意。

 それは、独立である。

 このことは、美千代にはまだ話していない。

 反対されるのを恐れていたわけではなく、よけいな心配をかけたくなかったのだ。

 元々、今の会社に就職したのも、その布石だった。

 それでも、いつ独立するかは決めていなかった。

 夏の入院をきっかけに、善次郎は決意した。

 今後、このようなことが活や夏に起こった時に、サラリーマンでは身動きが取れないからだ。 

 もちろん、独立にはリスクも伴う。

 一度倒産を経験した善次郎には、痛いほどそれがよくわかっている。

 しかし、今の善次郎は、昔とは違う。

 独立のために周到な準備をし、十分な勝算もあった。

 後は、やってみなければわからない。

「いつなの」

 ある晩、いつものように活と夏に会いに善次郎の部屋を訪れていた美千代から、唐突に尋ねられた。

「なにが?」

  何を訊かれたのかわからなかった善次郎は、間抜けな顔で問い返した。

「独立よ」

 善次郎は、心臓が止まるかと思うほど驚いた。

「何で、俺が独立しようと思っているのを知っているんだ」

「何年、一緒に暮らしてきたと思ってるの。あなたの考えていることくらいお見通しよ」

 美千代に返され、善次郎は絶句した。

「いいのか?」

「いいんじゃない、あなたの好きにすれば。私たち、もう夫婦じゃないんだから、止める権利もないしね」

 淡々と答えられて、なぜか、善次郎は罪悪感を感じた。

 善次郎の気持ちを察知したのか、「嫌味で言ったわけじゃないのよ」と、美千代が笑った。

「あの時は、私にも理解がなかったと思う。もっと、あなたの気持ちをわかってあげればよかったと、今では、そう思ってるわ」

 善次郎は言葉に詰まり、うなづくことしかできなかった。

「だから、今度は応援する。所詮、あなたはそういう生き方しかできないのだから。それに、今は活と夏もいるし。あの二匹のためにも、あなたは頑張るでしょう」

 美千代の言葉は、まったく皮肉には聞こえなかった。

「今度は、どんな事業をするの?」

「経営コンサルタントだ」

「経営コンサルタント?」

「ああ、俺自身経営もしてきたし、倒産の経験もしている。それに、これなら時間の自由も利くからな」

 善次郎が警備の仕事を辞めて独立しようと思った時、何が良いかあれこれ考えて導きだした結果だ。

 そのために、今の会社で営業をし、様々な会社を見てきた。

 それに、合間をみて簿記を始め多くの資格を取っていた。

 驚くべきことに、中小企業診断士の資格まで取っていた。

 善次郎は、今の会社に勤めてから二年間、すべてはこの独立のために、あらゆることを考えてやってきたのだ。

 善次郎の資格を聞いて、美千代が眼を瞠った。

 前に会社を経営していた頃は、ただ、いけいけでやっていただけだったが、今度はしっかりと考え、準備もしている。

 変われば、変わるものだ。

 再会した時から、以前の善次郎と違うと感じていた美千代だったが、改めて、善次郎の変貌ぶりを再認識した。

 猫を飼っただけで、こうまで変わるものなのか。

 そう思ったが、考えてみれば、自分も活と夏のお蔭で随分変わったと思った。

 わずか三ヶ月でそうなのだから、三年も飼っている善次郎にとっては、当然なのかもしれない。

 ましてや、動物にまったく興味のなかった善次郎にとっては、ここまで育て上げるまで、並大抵の苦労ではなかっただろう。

 美千代に、不平や恨みがないわけではない。

 あの時、もっと自分と洋平のことを思っていてくれていたら。

 そんな思いはあったが、自分にも至らないところが多々あった。

 そうも思っている。

 活と夏のように、無条件な愛を注ぐ気持ちにさせなかった自分にも非があると。

 お互い、未熟だったのだ。

 そういった意味では、善次郎も美千代も成長していた。

 離婚して、それぞれ別々に暮らしたのが、二人を成長させたと言える。

 それと、活と夏のお蔭でもある。

「今度は、私も支える」

 美千代が、以外なことを言った。

 まだ籍を戻す気はないが、出来るだけ二人で頑張っていこうと言ってくれたのだ。

「ただ、誤解しないで、私は、活と夏のために、あなたを支えるのだから」

 しっかりと、釘を刺された。

 一か月後、善次郎はすっぱりと会社を辞め、仕事を取るための営業活動を始めた。

 いよいよ、これからが本番である。

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