第46話 感謝
「というわけで、これまで顔を出せずにいたんだ。すまなかったな」
善次郎は、引っ越してからの経緯を、木島さんに説明した。
不思議なことに、何度も酒を酌み交わしているというのに、善次郎は、木島さんとも菊池さんとも、連絡先を交換していなかった。
いつでも遊びに行けると思っていたのもある。
最初の頃は、報告がてらに顔を出そうとも思っていたが、いつしか、美千代と洋平に意識が集中していって、その気持ちが薄れていった。
「謝ることなんかないぜ、善ちゃん。そんなことがあったんじゃ、俺らのことに構ってられないのは当然さ」
木島さんの口調に、嫌味なところは微塵もない。
「そう言ってもらえると助かる」
「しかしなあ、こんなことがあるんだな。菊池さんが聞いたら、さぞかし、たまげるだろうな」
善次郎の弁を聞き流して、木島さんは、さも面白そうに呟いた。
「奥さん、おっと、もう奥さんじゃないんだな」
木島さんがバツの悪そうな顔をして、美千代に頭を下げた。
「いいんですよ」
美千代が、笑って手を振る。
「猫が好きなんですね」
木島さんは、美千代に向かって微笑みかけた。
いかつい顔をしたおっさんが微笑むと、一層迫力を増す。
「それがね、苦手だったんですよ」
美千代は、微笑みを返しながら答えた。
「どうも、薄気味悪く思えてね。ましてや、黒猫なんて大嫌いだったわ」
「わかるな」
木島さんが、感慨深げにうなづいた。
「俺も、そうでしたよ」
「聞いてます。風三郎さんが、あなたを変えてくれたんですってね」
「ええ、一匹の猫が、俺を、ヤクザの道から足を洗わせてくれました。こんな、どうしようもない俺を、救ってくれたんですよ」
木島さんがしんみりとした口調で言って、「善ちゃん」、ふいに、善次郎に顔を向けた。
「二度目に俺を助けてくれたのは、あんただぜ」
善次郎がきょとんとした。
木島さんがなにを言っているのか、まったくわからない。
「今日、ここへ来たのはな、活と夏に会いたかったのもあるが、善ちゃん、あんたに、お礼を言いたかったからだよ」
「お礼?」
「そうだ」
木島さんが、大きくうなづく。
「善ちゃんが引っ越したときは、派遣で細々と食い繋いでいたんだがな、正式に就職が決まったんだよ」
確かに、あの頃の木島さんは、昼間アパートにいることが多かった。
木島さんがなにをしているかなんて話はしたことがない。
触れてはいけないと思っていたのだ。
「俺も、もっと早く、ここに来たかったんだが、就職活動に忙しくってな。それに、ここに来るときは、誇りを持って報告したかったんだよ」
木島さんが言うには、風三郎の件以来、自分はもう猫を飼う資格がないと思い続けていたが、善次郎を見ているうちに、考えが変わったのだという。
今までの自分は、悲しい思いをしたくないという気持ちから逃げていたのではないか。
そう思うようになった。
元ヤクザなんて、どこも相手にしてくれない。まっとうな就職口なんてあるわけない。
それも、逃げてきただけだ。
善次郎が会社を潰してから、警備員の仕事に就き、それから、食品会社の営業に転身した。
ひとえに、活と夏のために。
善次郎の話を聞き、善次郎と活と夏の関係を見ているうちに、自分も、もう一度猫を飼いたくなった。
だから、早く、風三郎の二代目と出会えるよう、きちんとしなければと思った。
いつ出会っても、面倒を見れるように、定職に就く決心もした。
元ヤクザで、今は派遣の身。
そんな人間が定職を見つけるのは、並大抵の苦労ではなかった。
しかし、木島さんはへこたれなかった。
風三郎の面倒をみてやれなかったことと、風三郎の死に目に立ち会えなかったことを思うと、それくらいの苦労は、なんでもなかった。
そして、ついに、定職に就いたのだ。
「こう言っちゃなんだが、善ちゃん。あんたも、普通の奴らとは違う人間だ。そのあんたが、活と夏のために頑張ってる姿を見て、俺も出来るんじゃないかと思ったんだ」
半分冗談めかして、木島さんが締め括った。
木島さんの言葉に、美千代はうんうんとうなづき、洋平はじっと木島さんを見つめている。
善次郎はどう答えてよいかわからず、ただ、はにかんだ笑顔を浮かべている。
その三人の目頭には、うっすらと熱いものが込み上げていた。
活と夏が、ご苦労さんとでもいうように、木島さんの太ももに頭をこすりつけた。
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