第38話 飼い主の心猫知らず
美千代は、今晩洋平に話をしてみると言った。
洋平さえ嫌でなければ、明日会わせると。
「あなたがここに居られるかどうかは、洋平次第よ」
どうやら、美千代自身は嫌ではないようだ。
ひとつ関門を突破したと内心喜んでいると、
「縒りを戻そうなんて思わないでね。暫く結婚は懲り懲りなんだから」
しっかりと釘を刺して、美千代は戻っていった。
明日洋平に会うとすれば、自分はどんな顔をして会えばいいのだろう?
ここにに越してきてから、善次郎の悩みが尽きることはない。
また、今日も眠れないだろう。
「お前たちはどうだ?」
活と夏を見ると、もうベッドの上で寝ていた。その寝顔は、とても安らかだ。
既に、この部屋に順応しつつある。それでも、まだ完全には順応していない。
夜中に起き出すことはなかった。
猫でも精神的に疲れるのだ。いや、猫だからこそか。
なんたって、猫は人間以上に繊細だから。
安らかに眠る二匹とは対照的に、善次郎はまんじりともしないで、朝を迎えようとしていた。
陽が昇る頃、やっとうとうとしかけたが、メールの着信音で起こされた。
時計を見ると、まだ六時過ぎだ。
本当ならば、後一時間は眠れるはずだった。
こんな朝っぱらから誰なんだ?
怒りを覚えたものの、直ぐに疑問に変わった。
自分にメールを寄越してくるのは、会社関係以外にはないが、こんな朝早くから緊急の用事が発生したとは思えない。
それに会社からだったら、会社から支給されている携帯の方にあるはずだ。
メールは、善次郎のPHSに来ている。
倒産からこっち、自分から掛けることはあっても、掛かってくることはなかった。
そんな相手とは、みんな縁が切れている。
善次郎は重たい頭を抱えながら、もぞもぞと起き出した。
引っ越して二日、善次郎はほとんど寝ていない。
こんなことが続いたら、俺は持つのだろうか?
善次郎が不安に駆られる。
身体は大丈夫だ。
活を拾ってからというもの、結構こんな生活が続いているので慣れている。
が、精神的にきつい。
これは、俺に与えられた試練なのだろうか?
そうかもしれない。
そんなことを考えながら、メールの送信者を見た。
美千代からだった。
昨日、携帯のことはなんにも話はしていなかったが、まだ昔のPHSを持っていることを確信していたのだろう。
驚いたのは、美千代がまだ自分のアドレスを消さずにいたことだ。
この分では、美千代も番号を変えていないに違いない。
現に、アドレスはそのままだったのだ。
金がないとも考えられるが、本当に自分と縁を切りたいのだったら、離婚と同時に替えはしないかと、善次郎は思った。
もしかしたら、美千代は俺からの連絡を待っていたのか?
そう思ったが、直ぐにその考えを打ち消した。
そんなことはないだろう。やはり、買い換えるだけの余裕がなかっただけだ。きっと、俺の番号は着信拒否にしているに決まっている。
二、三度頭を振って邪念を追い払うと、メールの内容を見た。
メールには素っ気なく「洋平と話をした。今晩会ってもらう。九時には家に居て」とだけ書かれていた。
洋平と会う。
嬉しいより、怖い気持ちが先に立った。
震える手で、PHSを持ち続けていた。
画面には、まだ美千代の文章が映し出されたままだ。
いきなり、肩に衝撃を受けた。
思わず、PHSを落とす。
何事かと思ったが、直ぐにわかった。
夏が踏み台にしていったのだ。
気が付くと、二匹が元気に追いかけっこをしている。
すっかり、この家に慣れたようだ。
引っ越してまだ三日しか経っていないのに、このように元気の良い二匹の姿を見るのは久しぶりのような気がした。
善次郎の気が、少し晴れた。
くよくよ考えたって仕方がない。こうなったら、会うしかないではないか。
自分の息子だろ。
善次郎が勢いよく立ち上がる。
活と夏が足元にやってきて身体を擦り付けた。
「お前たちがいれば、心強いよ」
そう言いながら、両手で二匹の頭を撫でてやった。
二匹とも不満の声を漏らした。
どうやら足元に寄ってきたのは、善次郎を慰めるためではなく、餌をねだりにきたらしい。
見ると、容器は空っぽだった。
「お前たちはシビアだな。こんなに、俺が悩んでいるのに」
苦笑しながら、餌を入れてやる。
エネルギーを補給し終えた二匹は、また楽しげに部屋中を駆け回り始めた。
慣れてくれば、広い部屋が楽しいとみえる。
「少しは、飼い主の気持ちにも敏感になってくれよ」
部屋を駆け回る二匹を恨めしげに見つめながら、善次郎はため息をついた。
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