第13話 失恋

 ついに、その日がやってきた。

 彼女が、善次郎の家へ遊びに来る日が。

 正確に言うと、活を見に来るのだが。

 善次郎はゆうべから緊張して、あまりよく眠れなかった。

 狭い部屋を見られるのが恥ずかしかったし、活が出てきてくれるかも心配だった。

 約束の時間まで、あと少し。

「なあ、今日は俺の大事な彼女が来るんだ。ベッドの下なんかに引っ込んでいないで、姿を見せてくれよ。頼むぞ」

 善次郎は、ベッドの上でのんびりと寝そべっている活に語りかけた。

「大丈夫、彼女も猫が好きだから、きっとお前も好きになるさ」

 優しく、活の頭を撫でてやった。

 善次郎の言葉を理解しているのかしていないのか、活は、涼しい顔をしている。

 チャイムが鳴った。

 善次郎の胸が高鳴る。

 見ると、活は素早くベッドの下に潜り込んでいた。

 内心やれやれと思いながら、善次郎が明るい顔を作って、彼女を迎え入れた。

 彼女は手に袋を下げて、満面に笑みを浮かべ立っていた。

 部屋へあがると、挨拶もそこそこに、活はと訊いてきた。

 ため息と共に、善次郎がベッドの下を指差した。

 彼女が自信ありげに頷いてから、ベッドの端にしゃがみ込んだ。

「活ちゃん、出ておいで。お姉さんにお顔を見せて」

 彼女が、猫撫で声で呼びかける。

 猫に、猫撫で声か。

 善次郎は緊張に胸が押し潰されそうになりながらも、そんなどうでもいいことを思っていた。

 案の定、彼女がいくら呼びかけても、活は出てこようとしない。

 彼女は袋から買ってきた猫じゃらしを取出し、ベッドの下に入れた。

 それを、軽く左右に振る。

 活は、金色に光る眼を爛々と輝かせながら、それを眼で追ってはいるが、決して手を出そうとはしない。

 今度は、マタタビを取り出した。それを手に持って、ベッドの下に手を伸ばし活の鼻先に近づけたが、それでも、活は動かない。

 善次郎は、活にマタタビが利かないことを知っていた。

 一度マタタビをやったことがあるからだ。

 マタタビをやると、活がどうなるか期待して買ったのだが、善次郎の期待は見事に肩透かしに終わってしまった。

 少し匂いを嗅いだだけで、それ以上興味を示さず、酔ったようになることもなかった。

 そのことは、彼女には言ってない。

 まさか、マタタビを買ってくるとは思っていなかったのだ。

 彼女の顔に、苛立ちが浮かんできた。

「時間をかければ出てくるだろう。それまで、お茶でも飲んでいよう」

 見かねて、善次郎が休憩を申し入れた。

 善次郎の言葉に、彼女が頷く。

「あ~あ、自信なくしちゃった」

 二人がお茶を飲んでいる時に、ぽつりと彼女が呟いた。

「ごめんな。あいつは、人見知りが激しくって」

 善次郎は、本当に申し訳なく思っていた。と、同時に、出てこない活を恨めしくも思っていた。

「いいのよ、あなたのせいじゃないもの」

 彼女が笑って答えてくれた。

 やっぱり、良い女性だ。

 そう思った時、次に発した彼女の言葉に、善次郎は我が耳を疑った。

「今、なんて?」

 思わず、そう聞き返した。

「やっぱり、野良は駄目だと言ったのよ」

 それとこれとは話が別だろという善次郎の言葉を、彼女は全否定した。

「一緒よ。野良は警戒心が強いだけではなく、自分勝手なのよ。ペットショップで飼った猫は人によく懐くけど、それは血筋がいいからよ」

 堂々と言い放った。

「血筋なんて関係ないだろう。野良も、ペットショップで売られている猫も、猫に違いはない。猫好きが、そんな風に猫を差別するのか」

 善次郎は怒りを隠せず、少し強い口調で言ってしまっていた。

「血筋は大事よ。猫は、人に懐くから可愛いの。人に懐かない猫なんて、猛獣と同じよ。

ただ、小さいだけ」

 彼女が、嘲笑うように答えた。

 善次郎の怒りが頂点に達した。

「帰ってくれないか」

 気付いたら、そう言っていた。

「あなたも、この野良猫と同じね」

 そう捨て台詞を残して、彼女は帰っていった。

 こうして、善次郎の短い恋は終わった。

 彼女が帰った後、活は何事もなかったかのように、部屋を駆け回っている。

 善次郎はそんな活を、恨めしそうな眼で見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る