第二章:04
・・・
ノー・フェイスは、ビルの隙間で傷んだ体を休ませていた。
なんとか、夜明け前に滑り込むことができたのは幸運だった。
フェイス戦闘員には最低限の擬態機能も備わっている。だが多大な
エネルギーを使用するその能力は、怪我の再生に力を割いている今使えない。
夜陰が訪れるまでは、ここで大人しくしているしかない。
(……ぼろぼろだな)
組織を離反したあの夜から、まだ二日……ようやく三日目になろうかというところ。
だがその間膨大な数のフェイスに襲撃され、退けていた。
フェイス戦闘員の躯体スペックそのものは全て同一。ただ、感情エナジーを集めたものと
そうでないものとではその運用に雲泥の差が生じる。
その意味で、最初から確固たる自我をもっていたノー・フェイスは他のフェイス戦闘員を
ものともせず跳ね除けてはきた。が、あまりに数が多い。
そもそも、彼の戦闘アルゴリズムは全て組織に記録されている。対策も練りやすい。
アルカーのように無傷であしらうというわけにいかず、あちこちを大きく破損していた。
(やはり、オレはアルカーのようにはなれないか)
わかってはいたことなので、さして気落ちするでもない。だが歯がゆいものはある。
自分がアルカーに食らいつけていたのも、単に彼を倒すことに特化した訓練を
していたからに過ぎない。
戦う相手がアルカーではなくフェイス戦闘員になれば、その力量差は明確なものとなる。
打撃、徹甲に対する防御力。反射速度に瞬発力、敵の装甲を打ち抜く衝撃力など、
彼に劣る点は数え切れない。だがとりわけノー・フェイスが痛感しているのは
対多人数戦の経験不足だ。
アルカーは全方位戦闘を得意とする。
背中から襲われようと、四方を囲まれようと瞬時に状況を把握、的確な判断をくだし
冷静に捌く。その我流の拳法は同時に複数の相手を絡みとり、
相手自身をも利用して一人一人破壊していく。まるで隙がない。
そのためかアルカーはまず相手の攻撃を受けない、受け流す流麗な動きを披露する。
ノー・フェイスは違う。たった一人を倒すことに注力し、時に相手の攻撃を受け止めて
動きを封じることさえ想定した戦い方だ。
使い捨ての戦闘員としては効果的なやり方だが、今のようにたった一人で
何倍もの戦力を封じるには向かないやり方だ。
(……このあたりが、限界か)
心中でひとりごちる。
組織を裏切った時点で、この結末は覚悟していた。自分で選んだことだ。不服はない。
――だが、口惜しさは残る。
あの日、この手に抱いた少女。その体は暖かかったが、その心から大事なものが
失われていたことはすぐにわかった。
エモーショナル・データを吸い出すための機能が、彼女から喜び、悲しみといった感情を
ほとんど奪い取り――かわりに残ったのは恐怖と絶望ばかり。
なにものが希薄な感情の中、フェイスに対する恐怖にばかり苛まれる。
それは彼女にとってどれほどの苦痛だろう?
ノー・フェイスはなんとか彼女に感情を取り戻してやりたかった。
それが、フェイスとして生れ落ちた自分が最低限やらねばならない
落とし前だと思ったのだ。
ノー・フェイスはフェイスダウンのアジトを目指している。
無数にある秘密施設のうちの一つでしかないが、彼はそこ以外のアジトを知らない。
今は撤退準備の真っ最中だろうが、まだ間に合うはずだ。
エモーショナル・データそのものは単なる情報エネルギーだ。
誰かの固有のものではなく、どれでもいいから与えさえすれば感情は回復する。
施設には、感情を多く吸い取ったフェイスたちがいる。そして、研究施設では
エモーショナル・データの蓄積と譲渡の技術も研究されている。
それらを奪い取り、アルカーたちに渡せば被害者たちも救われるかもしれない。
がりっ、と自身の仮面をかきむしる。そうだ。何を弱音を吐いているのか。
ノー・フェイスは人を襲ったことはない。だが、同胞が人々を襲うのを見逃してきた。
その罪を贖うまで、諦めてどうするというのだ。
左上腕の筋肉は破れ白い体液が漏れている。胸部のプロテクターはひしゃげ、まだ戻らない。
頚椎もずれているだろう。夜までにはある程度回復しているだろうが、万全にはほど遠い。
だが、磐石でないことはやらない理由にはならない。
手枷をつかんだ手をひねり、気を引き締める。
日暮れまでは、まだ遠い
・・・
ぺらり、と頁をめくる音だけが響く。
氷室のように冷え切り、石棺のように堅い壁面がジェネラル・フェイスの心を
圧し潰すように感じた
「――で、ですので、現在裏切り、者……フェイス戦闘員1182号は32号拠点に向け
進行中。総力をもってこれを追跡中です」
ぺらり、と頁をめくる音だけが響く。
胸をかきむしりたい衝動をおさえながら、報告を続ける。
「――すでに当方にも大きな損害がでておりますが、1182号にも着実にダメージを
蓄積させています。次か、その次の戦闘で捕縛は可能なものと思われます」
ぺらり、と頁をめくる音だけが響く。
ジェネラル・フェイスは正面に見える玉座の背もたれを見つめていた。
そこに座しますお方は背を向けたまま書物を読みふけり、何を思い報告を聞いているのか
推し量ることもできない。
(いや――)
それは楽観的な認識だろう。フェイス戦闘員に、離反者がでたのだ。
おそらく、このお方の中ではリスクとその対処がめまぐるしく駆け巡っているはずだ。
(こんな……こんなバカなことが起こるとは……!)
ほんの数日前まで、1182号は対アルカーの希望だった。
いまや、フェイス全体をおびやかす絶望になるとは、皮肉なものだ。
アレが何故裏切ったかは皆目見当がつかない。それはすなわち、同設計のフェイス全体が
同様の危険性をはらんだまま運用されているということだ。
最悪、現行品を全て廃棄ということもありえる。
(なんということだ……)
そらおそろしい思いがジェネラル・フェイスの背筋をかけのぼる。
そうなる前に1182号を捕え、原因を調査しなければならない。
「――予定されていた人間襲撃は?」
「はっ、は! 無論、最優先事項として設定されておりますので、予定どおり
実行しております!」
ようやく声をあげた玉座の主に、よどみなく答える。
人間狩りのフェイス戦闘員の兵力を割けば、もう少し早く1182号を捕縛できただろう。
だが自分たちの進退のために、主の命令をないがしろにするなど、許されることではない。
「ならば、よい」
ぺらり、と頁をめくる音だけが響く。いや、玉座の主の声が続いて降りてくる。
「――手際よく、こなせよ」
「は――ははぁッ!」
ついた片膝より深く深く頭をたれて唯諾する。ないはずの汗腺がぶわっと広がる感触を、
確かに味わった気がした。
一礼して立ち上がり、きびすをかえして退室する。
アルカーに加え、フェイスの裏切り。
このお方の構想を、こんなことでつまづかせるわけにはいかない。いかないのだ。
――私自身が、でねばなるまい。
・・・
ぺらり、と頁をめくる音だけが響く。
18世紀に編纂された人間の知性、感情、知覚について研究された書物だ。
人間たちが考えることは、なかなかに面白い。
ジェネラルから報告を受けていた彼は、片肘をついたまま書物を読みふける。
「……ずいぶん冷たい態度じゃないか」
柱の影から砕けた口調で話し掛けられる。頁をめくりながら、答える。
「少しは負荷をかけてやったほうが、よく考えて働く」
「たいした嗜虐趣味だ」
くつくつと笑い声が響く。
「可哀そうに、あんなに萎縮してしまって。
ああも情けない姿を晒してると、むずがゆいぞ」
「オマエは私によく似ている。影からこっそり覗いてる貴様が言えた義理でもあるまい」
愉快そうな哄笑が響く。玉座に座るものは態度を変えないが、
内心では連られて笑っていた。
「教えてやればよかったんだ。
「想定内ではあるが、予定外だ。面倒なイレギュラーであることに変わらんよ」
けだるげに本を閉じる。
「フェイスの設計思想からして、そういうものがでることは当然、というだけだ。
出てもいいものではない。真摯に対処してもらわねば困る」
「お優しい頭領だ」
皮肉げに笑う声だ。きっと彼もこの事態を楽しんでいるのだろう。
「どうする。オレが出てやっても、いいんだぞ?」
「いや――」
クキッ、と首を凝り解す。38時間読書を続けていたため、さすがに疲れた。
「中東から例の連中を呼び戻してある。いざとなれば奴らにやらせる」
「"
返ってくる声に、少しいまいましげなものが混じる。あまりいい顔をしていないのだ。
「戦闘力という点についてはすでに完成している。まあ、問題はあるが、
アルカー戦のステージをひきあげるのにも役立つだろう」
「だといいがね」
あまり信用していない声音で答えが返ってくる。
「なら、オレもまだしばらくは好きにやらせてもらうさ。
――敬愛なるフェイスダウン総帥、"
気配が、消える。
総帥――フルフェイスは、あらたな書物に手をのばし、読みふける。
ぺらり、と頁をめくる音だけが響く――。
・・・
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