少女と15cmの世界、観察日記

谷宮 礼二郎

序章 この観察日誌を書くに至るまでの経緯

 幽霊ゆうれい

 今の俺自身の状態をあらわすのに、これ以上適した言葉もない。

 それも、一人の女の子にとりいた幽霊……ということになるのだろう。おそらく。


 自分自身のことのはずなのに曖昧あいまい物言ものいいなのは、俺が自分の名前や素性すじょう、その他一切いっさいの記憶を失っているからだ。

 はっきり言って、自分が誰でどこから来たのか、それすらも全く思い出せない。

 

 そんな俺が、なぜ自分のことを幽霊などと呼ぶのか?

 それは今、俺自身が見ている風景ふうけいに起因している。

 何一つ覚えていない俺が今現在認識にんしきできるもの、視界に映る唯一のもの……それは目の前にいる15cm

 

 たったそれだけだ。

 それ以外のものは何一つとして認識できない。文字通り、何も見えないのだ。


 少女と少女をかこむ円、それらを除く全ての世界は黒く塗りつぶされ、自分の姿ですら目にすることは叶わない。

 例えるなら、真っ暗な舞台ぶたいの上で、少女にだけスポットライトが当てられている光景……とでも言えばわかりやすいだろうか。

 

 ただし舞台といっても、俺自身がいるのは観客席などではない。

 少女の背後、そこから少し高い位置で少女を見下ろす様に俺は存在している。

 自分の足下も見ることができないため、はっきりとは言えないが、恐らく俺は宙に浮いているのだろう。


 地に足がつかない……とでも言えばいいのだろうか?どこかはっきりとしない浮遊感がそれを裏付けている。

 加えて、目の前の少女はどうやら俺の存在に気づいていないらしい。

 俺が気がついてから幾拍いくばくかの時間が経過しているが、一向にこちらを振り返る様子が見られない。

 

 少女と俺の距離は決して遠くはない。むしろ手を伸ばせば届くであろうというほどその距離は近い。

 しかし、それでも少女は俺の方に気をやる素振そぶりが見られない。

 

 このことから、少女が俺の存在に気付いていない……いや、気づけないと考えるのが自然だろう。 

 これらの状況を見れば、俺自身がなぜ自分のことを幽霊などと呼んだのか、なんとなく理解していただけるのではないだろうか。


 誰にも知覚されることなく、人の背後にひっそりと浮かぶ存在。それは幽霊以外の何者でもないだろう。

 もちろん全ての記憶を失った俺には、この少女に取り付いた理由も、自分が死んだ

――幽霊になったとはつまりそういうことだろう――理由も思い出せはしない。

 

 ただ、今の自分にはこの少女に対する憎悪や恨みといった負の感情は存在していない。

 そのことから自分は、この少女に悪意を持ってとり憑いたのではないと言えるだろう。

 ただその感情すら忘れているだけかもしれないが。

 

 ……とまぁ、ここまでつらつらと俺自身の置かれた状況を語ってきたが、本題はここからだ。

 自分が何故このような状況に置かれたのか、そんなことははっきり言ってどうでもいい。


 何よりも問題なのは……この状況がひどく退屈だということだ。

 なぜなら俺は、今現在いる場所……少女の背後の空中というこの場から、一歩も動けないでいるからだ。


 加えて言えば、声を発することも、少女に触れることも叶いはしない。

 いや、正確にいえばそれくらいは出来ているのかもしれないが、少女が何の反応も示さないことと、自分の姿が見えないことから、実感が得られないのだ。


 そんな俺が暇をつぶすために思いついた苦肉の策、それは目の前の少女を観察することだ。

 ……というかそれ以外に本当にすることがない。


 そういった経緯から俺は、目の前の少女の観察日誌を付けることにした。

 ……残念ながら紙とペンはないので、自身の頭の中にではあるが。



 さあそれでは気を取り直して……観察を始めよう。

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