#よくある小説のように

出港前夜

「社員旅行?」

 あからさまな不信感が声に出た。

 来客も宅配も来ない、数件の依頼の電話以外は地銀からのお知らせメールが一件来たくらい。そんな珍しいくらい静かな一日の、定時まであと一時間という夕刻。ここ城ノ内探偵事務所の事務員である私、園田あかりは、上司の口から出てきた耳慣れない言葉に、思わず眉を寄せた。

「うん。この前浮気調査した佐々木さんね、ちょっと都合が悪いらしくて支払い分割にしてほしいんだって。真面目な人だったから、OKしたらなんか気ぃ遣われちゃって、こんなのくれたんだよね」

 そんなことを言いながらひらりとこちらに寄越したのは『豪華客船ツアー』とかなんとか書かれた二枚のチケット。光沢のある分厚い紙のチケットはそれだけで格調高さを醸し出している。

「急だけど今度の土日、夕方出発一泊二日のワンナイトクルーズ」

 手にした紙片を見返す。記載されているのは確かに上司が言うとおりの日時だった。

「しあさってですか? ホントに急ですね」

「あ、ちゃんと部屋は別だよ」

「当たり前です。……というか、もともと分割OKなのに、お詫びにしては豪華すぎませんか」

 佐々木さんには失礼だけれど、なんかこう、不審なものを感じる。

「余り物らしいけどね」

「……城ノ内さん、最近恨みとか買ってません?」

「どういう意味、それ」

「いや、小説とかだとこういう場合、誰かが仕組んだりしてて、事件が起こったりとか……ねぇ?」

「まぁ、恨んでるやつは一杯いるだろうけどね。こんな商売だし」

「だったら……やめたほうがよくないですか?」

「行きたくない?」

「いや、そういうわけでは」

 漠然とした不安を頭に巡らせながら、手にしたチケットを撫でると、加工された表面で指がキュッと音を立てた。真紅の地に載せられた客船の外観や食事の写真はとても魅力あるもので、もちろん興味を引かれないわけではない。

「じゃあ行こうよ、せっかくもらったんだし。日頃の慰労を兼ねて、初めての社員旅行」

 ダメ? と、ねだるようにこちらを見る上司に、

「……じゃあ、はい。まぁ、確かにもったいないですしね」

 頷いてはみたものの、不安は拭えない。

「大丈夫だよ。心配しなくても、妙なことはそうそう起こらないって」

「まぁ、普通ならそうですけど……」

「それにさ、もしそういう小説みたいなことになったとしても――」

 私の表情にくすりといたずらっぽい笑みを返し、上司は言葉を続けた。


「――探偵は絶対、死なないからね」


     *


 金曜日。

 自分の部屋に帰り着くと、私はまず、クローゼットを開け放った。

 明日はついに社員旅行の日だ。たったふたりの事務所だと、社員旅行という呼び名はなんだか変な感じがしないでもないが、それでも間違いなく『社員旅行』だ。

「……初めてだなー」

 考えてみれば、親戚の家に行く以外の旅行自体初めてかもしれない。仲良く団らんするような家族ではなかったし、そこまで親しい友達もいない。前の勤め先でも社員旅行はなかったから、旅行と言われて思い出すのは、修学旅行くらいだ。

 だからだろうか。この二日間、仕事を残さないために色々忙しかったにも関わらず、どことなく浮き足立っている自分が居た。

 もちろん不安は消えていない。行かないほうが、いや、行かせないほうが正解なんじゃないかと、何度も思った。

 けれどそのたびに、上司は笑いながら私の頭を撫でた。

『大丈夫だって。心配してくれるのはありがたいけどね』

 そりゃ心配もする。だってこの人に何かあったら、私の給料は誰が払ってくれるんだ。

 それでも結局計画が中止になったりしなかったのは、意外と自信家な彼の笑みが、何故か、この人は大丈夫だと私に思わせたからだ。


 実家を出た時に使った切りの小さなスーツケースに着替えと室内着を詰め込む。旅行というのは、あと何が必要だったか。

 考えてみれば、そもそも何が用意されているのかわからない。

 チケットには船の名前が載っていた。豪華客船の代名詞みたいに有名なものだったから覚えている。調べてみればアメニティくらいわかるだろう。

 片隅に置かれたパソコンを立ち上げる。学生時代から使っている年代物のノートパソコンは、電源を入れて使えるようになるまでに随分と時間がかかる。そろそろ買い替えを考えなければいけない時期なのかもしれない。

 カリカリとハードディスクが立てる音を聞きながら、ぼんやりと考える。

「……スタンガンか何か、買っとけばよかったかな」

 護身になるものなんてこの部屋にはろくにない。包丁はさすがに持って行けないし。

 まぁ、あの人なら何か持ってるか。なんたって人に恨まれやすい『こんな商売』なんだから。


 検索サイトを介して表示された客船のサイトには、ちゃんと知りたい情報が載っていた。当たり前なんだろうけど、歯ブラシなんかは持っていかなくてよさそうで安心する。けれど、

「ドレスコード?」

 目に入った見慣れない文字に戸惑う。あるとは聞いていないけれど、カジュアルでいいんだろうか。

 思わず携帯を手にしたけれど、そのままテーブルに戻す。上司はまだ仕事中だ。今日は浮気調査が入っているし、多分夜中までかかる。邪魔は出来ない。

「まぁ、いいか。スーツとかで」

 明日は十七時出港で待ち合わせは十五時半。最悪、近くで適当に買うか、翌日用の服に着替えよう。もう少し早くチェックしておくんだった。


 なんとか荷造りを終えると、晩ご飯に作った冷やし中華を食べながら、開いたままのサイトを眺めることにした。

 まぁしかし。

「すごいなー……」

 思わず感嘆する。

 載せられた写真、フロアごとの地図、設備。ワンルームの狭い部屋で行儀悪くも画面を眺めながら麺をすすっている自分が滑稽に思えるくらいの素晴らしい世界。

 そして、ついつい見てしまった、お値段のほうも。

――やっぱり、おかしい気がする。

 いくら佐々木さんがそういうのを扱っている会社でも、いくら急なキャンセルで余ったものだったとしても。

「……ふ――」

 食べ終わった器に箸を置いて。

 静かにひとつ、ため息をこぼす。

 それでももう、腹をくくるしかない。


 異変が訪れたのは、一通り船内の造りを確認して、なんとなく乗船手続きの項目をクリックした、その時だった。

「……あれ?」

 画面が、フリーズした。

「えー? ちょっと、もう」

 カチカチと画面上をクリックしてみるも、無反応。ハードディスクのランプも消灯、音もしない。諦めて電源ボタンに手を伸ばした瞬間、

「えっ」

 一瞬のブルースクリーン。内容を確認する暇もなく、画面は真っ暗になってしまった。

「……嫌だなぁ」

 電源ボタンを何度押しても、うんともすんとも言わなくなった塊に、不吉なものを感じざるをえず。


 結局私は、言いしれぬ不安を胸に社員旅行の日を――その最悪な日を迎えることになった。


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