第三部 十九

 ニュークレイグホールを通過したクライヴたちは、エディンバラのホリルード公園のなかにある、ダディングストン・ロー通りを走っていた。カーティスの電波を最後に確認したというエディンバラで、SCO0は協力隊と連携し、街の主要通りを閉鎖、検閲を行う腹積もりだった。

 日は暮れつつあり、鬱蒼と生い茂る木々が影となってクライヴたちの視界を遮った。運転を代わっていたクライヴは、敵の襲撃に備えるため、協力隊のバンの後方から続く。

 ラウンドアバウトを左折しようとした瞬間、先頭を走るバンが派手に横転した。二番目を走る車輛は蛇行をくり返したかと思うと、右に生えている木に突っ込んだ。

 無線が鳴った。


「敵襲!」


 一同は車を急停止させると、口々に怒鳴りながら車外へ飛び出した。横転したバンは右の前輪を撃たれたようで、方角からホリルード公園の頂上、<アーサーの玉座>付近からの攻撃だと考えた。<アーサーの玉座>と呼ばれているのは、同地が『アーサー王伝説』に登場する王都・キャメロットの候補地のひとつに数えられているためだ。

 北東からの射線を遮るように、クライヴたちは車の側面に張り付いた。発砲音が訊こえなかったことを考えると、サプレッサーを使っているのか。クライヴは拳銃を抜き、敵のさらなる攻撃に備えた。


「警告のつもりか」


 前方でM16小銃を構えているレアンドロが言った。彼はほかの隊員と同様、戦闘服に身を包んでいる。辺りが暗いせいで、表情は見えなかった。

 レアンドロはスコットランドの地図を取り出すと、ペンライトで照らしつつ現在地を探し始めた。やがて顔を上げると、


「ソールズベリー・クラッグスを西から周り、頂上の敵を攻撃する」


 「そうは言うが」とクライヴは心のなかで思った。

 ここからソールズベリー・クラッグスへ行くには、遮蔽物もなにもない平地を進まなくてはならない。アレクシアが<アーサーの玉座>にいるのなら、狙撃にはうってつけだった。


「いや、やめたほうがいい。頂上からここまでは見通しがいいし、車列から出たら絶好の的だ」


 レアンドロは首を横に振った。


「辺りは暗い。この状態なら派手に動かない限り見つかることはないだろう」


 と言いつつ、


「イダルゴ。まずお前が行って安全を確保しろ。すぐそこにある丘陵地帯まで這っていけ」


 イダルゴと言われた男はうなづくと、小銃を横にして匍匐前進の姿勢を取った。少しずつ、気の遠くなるような速度で車の運転席、ボンネットを通過していく。

 頭が外に出た瞬間、イダルゴの体が大きく震え、動きが止まった。レアンドロは慌てて彼を引っ張った。仰向けにし、傷の有無を確かめる。


「気絶してやがる」


 レアンドロは訝しげに言った。

 イダルゴのヘルメットの右側面はへこんでいた。出血はない。付近に転がっていた青色の細長い物体を、レアンドロはつまみ上げた。その正体がわかったのか、彼の声は怒りに震えた。


ゴム弾おもちゃとは、ずいぶんと余裕だな……!」


 ◆◆


 カーティスはL96A1のサーモスコープを覗き込みながら、ボルトハンドルを動かし、薬莢を外に出した。ソールズベリー・クラッグスへ向かおうとした人間の頭部に、ゴム弾をお見舞いしたのだ。撃たれた者は誰かが引きずっていった。


「命中確認」


 双眼鏡を覗き込みながらアレンが言った。

 カーティスたちが確認したのは、八輌のバンと一輌のアウディ。先頭車両の運転席と助手席に武装した人間が座っていたため、カーティスはためらわず引き金を引いたのである。

 ロンドンからエディンバラへ行く途中には国道のA1が通っている。急いでいるなら間違いなくA1を使う。A1からエディンバラに入るなら、南のダディングストン・ロー通りか、北のポートベッロ通りを通る。前者ならそのままホリルード公園につながっているし、後者でもクイーンズドライブを通れば公園へつながる。そこを待ち伏せしていた。<アーサーの玉座>からなら、周囲キャメロットがよく見える。

 カーティスは腕時計を見た。時刻は二十一時。メキシコとの時差を考えても、バルタサールは動き出しているはずだ。ここで長々と戦っているつもりはなかった。奴ら協力隊に戦う意志を示せればいい。それだけで足止めになるはずだ。


「動きませんね」


「あとひとり撃ったらずらかる。ハワードが援軍・・を呼んでくれてるだろうしな」


 ※


 反対側から出てこようとした敵の脇腹を撃った後、ふたりは<アーサーの玉座>を駆け降り、停めてあったバイクに跨ると、エディンバラ内のホテルを目指した。冷えた風が全身に吹きつけるなか、アレンの義手がカーティスの腹を力強く抱きこんでいる。午前零時ともなれば、さしものスコットランドの首都にも静寂が満ちていた。


「アレン」


「なんでしょう」


「義手には慣れたか」


「ええ。病院でリハビリを始めたばかりの頃は、まったく言うこと訊きませんでしたが。慣れてみるとけっこう便利なんですよ。痛みも感じませんし、この手のおかげで家に押し入った強盗を撃退したこともありました」


 カーティスは当時のことを思い出した。あのとき。イラク人の家族と話していたとき、外にいた奴の存在に早く気づいていれば、アレンは右手を失わなかった。現在もイギリス陸軍の兵士として、ユニオンジャックを背に戦い続けたかもしれない。

 エルマーを射殺してから、部下たちと話す機会はいまのいままでなかった。右腕のことを恨んでいないか、訊いておきたかった。


「そうか」


 アレンたちから恨まれてもしょうがないと、カーティスは思っていた。叱責や罵倒は覚悟していた。しかし、誰も言わなかった。彼らは過去としてそれを受け止めていた。


「俺も負けてられないな」


 ぼそっとした呟きは、風に呑まれて消えた。

 オールド ウェイヴァリー ホテルに着いたふたりは、ロビーへ速やかに移動すると、エレベーターに乗って二階へ向かった。二〇五号室のドアをノックすると、アレクシアが出迎えた。


「無事でよかった」


「あれくらい余裕だ」


 カーティスとアレンが部屋に入ると、ハワードは椅子に座り、ポテトチップスを頬張りながらテレビを見ていた。カーティスとアレンに気付くと、彼は立ち上がった。


「ハワード、電話はうまく行ったか」


「ああ、今日の午前四時に来るそうだ」


 明日の段取りを話し合い、アレンとハワードは、ノーマンが待機している二〇六号室へ戻っていった。カーティスとアレクシアはベッドに座った。

 アレクシアの顔は曇ったままで、カーティスを大いに心配させた。彼女の不安の種は、間違いなくこの逃避行にある。協力隊を撒き、バルタサールがサンティジャンの企みを阻止するまで、彼女の笑顔は見られない。


「こっちはイラク戦争を戦った兵士が四人いる。心配いらない」


 彼女の手を握りながら、カーティスは力強く言った。


 ※


 午前三時半に起きた五人は身支度を整えた。夜中とも早朝とも取れぬ時間でも紳士的に応対してくれた受付に礼を述べ、外に出る。いつもとは違う、人気のないエディンバラを進み、駐車場へ向かった。ノーマンが操るアウディは、ここよりさらに北のアバディーンを目指す。

 後部座席の車窓を開け、早朝の冷えた空気に当たっていたカーティスは、対向車線から来る二輌のバンに気付いた。屋根にはアンテナが付けられてる。速度を落とすことなくこちらの車とすれ違うと、瞬く間に小さくなっていった。

 エディンバラを西へ進む一行は、フォース・ロード橋を渡るためA90へと進入した。この吊り橋は一九六四年に完成した。北海へと注ぐフォース湾にまたがっており、ブリテンの北と南をつなぐ交通の要衝でもある。

 早朝だというのに橋は混雑していた。数え切れない車が立ち往生している。だが、対向車線の進みは円滑だ。

 まさか、とカーティスは思った。


「検問か」


 ハワードが言った。


「別動隊の仕業かもしれない。だが、いまからじゃ引き返すのも無理だな」


 リアガラスより後方では、カーティスたちと同じく、苛立たしい表情の運転手たちが前を見ている。

 カーティスは運転席まで体を押し込むと、懐から取り出した双眼鏡を構えた。1キロメートルほど前方、橋の入口手前で、バリケードを敷いて車を片っ端から調べている男がいた。数はふたり。だが、その左右には銃を携帯した戦闘員らしき者が六人ほどいる。顔はいずれもラテン系であった。


「協力隊の連中で間違いない」


「どうしてそう言い切れる」


 ノーマンがハンドルを握ったまま訊いた。


「左の肩にメキシコの国旗をつけてる」


 「なるほど」とノーマンが小さく言った。

 車が三十メートルほど進んだ。


「アレクシア、席のシートを倒せ」


 二十分もすると、カーティスたちを乗せたアウディは検問の目の前まで来た。やたらと愛想のいい笑顔を浮かべた男が窓をノックすると、ノーマンは迷わず開けた。

 男はまず警察手帳を見せ、つぎに懐から一枚の写真を取り出すと、ノーマンに見せた。


「すいません。現在、このような人物を捜索中でして、ご協力をお願いします」


 座席の隙間から覗いてみると、予想通りアレクシアの写真だった。ゆっくりと後部座席へ戻った瞬間、カーティスは男と目が合った。だが、彼の視線はすぐに車内へと向けられた。まだ自分の顔は割れていないらしい。高まる緊張を感づかれないよう、平静を装った。


「知らない顔です」


「そうですか……そういえば、そちらの女性はどうされたのですか?」


 助手席に座っているアレクシアは、席を四十五度ほどに倒していた。顔を一枚の白いハンカチが覆っており、右腕の二の腕で額を押さえている。いかにも気分が悪そうであった。


「クーラーの調子が悪くて、車内の温度が上がってるんです。渋滞に並び始めてすぐに具合が悪いと言い出しまして」


 車内へ少し手を入れた男は、たしかに、と呟いた。


「でしたら、そちらの女性の顔を見せていただければ、すぐお通しします」


「彼女の身の安全もありますし、このまま行かせてくれませんか?」


「お時間は取らせません。顔を見せていただくだけでけっこうですから」


 このまま通してくれる雰囲気ではなかった。男は真剣な表情で、顔の見えないアレクシアを見つめている。

 少しばかりの間が流れた後、タイヤの擦れる甲高い音がなったかと思うと、車は急加速した。

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