第三部 十三

 カーティスの自室にあるのはシングルベッドなので、大人ふたり分のスペースはない。カーティスとアレクシアは寝転がると、体を寄せあった。


「路地で君を撃ったのは、カルロス・グレンデスだったのか」


「ええ。以前に一度自宅に来て、復帰するかどうか話し合ったんだけど、拒否したの。それでね。あのときは死んでもいいって思ったけど、本当、人生ってなにが起こるかわからない」


 カーティスは薄く笑った。


「元軍人の殺し屋なんかもいるしな」


「子どものときから殺人に手を染めた殺し屋もね」


「イギリスやスコットランドを見て回ってどうだった」


 アレクシアはカーティスを見た。


「故郷とはまるで違うものばかりで、すごく楽しかった」


 濃い三ヵ月だった。いい意味でも、悪い意味でも。カーティスはアレクシアと思い出を振り返った。ロンドン、エディンバラにリバプール、マンチェスターの景色が頭のなかで形どられては、泡のように霧散していった。

 部屋の時計は二十三時を指していた。おしゃべりに興じていたアレクシアの瞼も、心無しか重たそうに見えた。


「もう寝よう。時間も遅い」


「本当。じゃあ、おやすみなさい。カーティス……あなたに会えて良かった」


 カーティスはアレクシアを背にして静かに寝返りをうった。マクシミリアン・ヒューズによって撃ち抜かれた左肩の傷がわずかに痛んだが、そんなことはどうでもよかった。泣き顔を見られることに比べれば、この程度の痛みなど軽いものだった。



 その日はいつもとわらぬ日だった。朝六時には起きて身支度をし、トレーニングをしてニュースを見る。作戦が近づけば、拳銃の動作チェックも同時に行うのだが、いまはやる気が起きなかった。夜にやればいいだろう。カーティスは大きなあくびをしながら、ロンドンの今日の天気を確認していた。

 アレクシアは寝相が悪いのか、目覚めたカーティスの背後にくっつくようにして眠っていた。起こさぬようそっと抜け出し、仰向けにさせるのは苦労した。

 アレクシアを国外へ逃がす方法はないものか。カップに注いだコーヒーに口をつけながら、カーティスは思った。ロンドン警視庁やSCO0と敵対する覚悟があった。警察は圧倒的な人員を擁しているが、エドワードとクライヴ以外に、カーティスとアレクシアの関係を知る者はいない。自宅にいる彼女を連れ出し、どうにかしてロンドンへ出れば、あるいは。

 メキシコ大使館に連絡し、匿ってもらうという手もある。いや、コネがなければ相手にしてもらえないか。

 そのとき、カーティスはふと、自分の少年時代を思い出した。夏休み最後の一週間に入ったとき、ほったらかしていた宿題をどう片付けるか必死で考えていたときと似ている。あのときは、友だちと協力することで事なきを得た。クライヴやチャーリーと徹夜で作業したのをいまでも鮮明に覚えている。

 今回は違う。選択次第では、その友だちも敵に回すのだ。



 警察に見つかることを危惧したカーティスは、アレクシアに家にいるよう話して食料の買い出しに出た。戻った彼は、アレクシアの作る美味い料理と、保存していた高めのワインに舌鼓を打ち、映画鑑賞や談笑にふけった。太陽は東から燦々と昇ったかと思うと、気づけば西に傾いていた。あっという間だった。

 ワインに酔っていたカーティスは、アレクシアとの話に興じるあまり、ジーンズのポケットで揺れるスマートフォンの存在を忘れていた。ようやく気付いて画面を確認したときには、電話番号が違う相手から三回も電話がかかってきていた。


「なんだこれ、気味悪いな」


「見せて」


 アレクシアはワイングラスをテーブルに置くと、カーティスが持っているスマートフォンを覗き込んだ。


「全部番号が違うわね。あっ、また来た」


 もしかすると、エドワード辺りの警察関係者が緊急の用事でかけてきているのかもしれない。カーティスは通話ボタンに触れ、右耳にスマートフォンを近づけた。


『もしもし――』


『ミスター・カーティス・サカキバラかね』


 男の声だった。低く、しわがれており、恐ろしいくらいに落ち着いている。アルコールに浮かれていたカーティスの頭は、冷や水をぶっかけられたかのように突如として冷静さを取り戻した。

 耳を澄ませると、エンジンが駆動しているような音が訊こえる。


『そうだ』


『周囲に人はいるか』


『いる』


『ひとりになれる場所へ移動しろ』


 カーティスは「ごめん」と口を動かしてアレクシアに伝えると、足早に自室へと戻っていった。ドアを閉め、通話口の向こう側にいる人物へ語りかけた。


『移動した。話をする前に名前を名乗ってもらおうか』


『バルタサール・ベネディクト。名前くらい訊いたことあるだろう』


 思わず落としそうになったスマートフォンを、カーティスは両手で押さえつけた。

 バルタサール・ベネディクト。クライヴたちイギリス警察が取り逃がした、凶悪犯罪者。アレクシアをカルテルの道へ引きずり込んだ張本人。

 スマートフォンを握りしめていた右手が力を帯びた。


『なんの用だ、大悪党』


『君のような正義の執行者には不躾だが、頼みがある。悪い話じゃない』


 あまりに大きなエンジン音を訊いたカーティスはスマートフォンから一瞬顔を遠ざけた。

 飛行機だ。バルタサールは、イギリス国内のうちどこかの空港にいる。


『警察が血眼になって探しているというのに、優雅にフライトか』


『私だっていろいろと手を尽くしたんだよ。通話記録は当てにしないほうがいい。いまどき、電話番号などいくらでも作れる』


 甲高いエンジン音が徐々に遠ざかっていった。


『私はこれから仲間を率いてメキシコへ帰り、私の組織を継いだ男と話し合う。その過程で、リカルド・サンティジャンのことを訊きだすつもりだ』


『サンティジャンの癒着は事実なのか』


『確信はないが、可能性は高い。そこでだ』


 バルタサールは一拍置いて言葉を続けた。


『奴から癒着の事実を訊きだし、相応の処断を行うまで、アレクシア・ハバートを守ってほしい。パトリシオ・アルアージョが、過去にサンティジャンと連絡を取っていたということはつかんだ。そして、イギリスへやってきたメキシコからの協力隊は、アレクシアの殺害を目的にしている』


『アレクシアを? なぜだ』


『パトリシオとサンティジャンのつながりを知る唯一の存在が、アレクシアだからだ。奴らは汚点を世間に知らせないよう、口封じをするつもりだ』


『そうか……よく俺の電話番号を知ってたな』


『私の親友から訊いた』


『カルロス・ロンゴリアか』


『その名前を忘れるな』


 冷静なバルタサールの口調に、幾ばくかの熱がこもった。


『そっちの要件はわかった。だが、俺は警察の人間だ。悪党と手を組むつもりは毛頭ない』


『アレクシアは私の家族だ。条件を飲まないのであれば、お前の家族の安全・・・・・・・・は保障しない・・・・・・


『脅迫するのか』


『重い腰を上げるには十分だ……大人とはつくづく、厄介な生き物だよ』


 

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