第三部 六

 六月の上旬。

 イギリス内務大臣の要請を受けたカーティスは、クライヴたち重大組織犯罪局SOCAと、メキシコからの協力隊とともにスコットランド・エルギンに来ていた。協力隊隊長のレアンドロは、バルタサールのほかのアジトにも目星をつけたようで、部隊数十人を引き連れ、別行動を取っている。細かい雑務と後始末に追われながら捜査を進めていくうちに、風はわずかに陽の温かみを帯びていた。

 二年以内に柱時計を買ったというエルギン内の邸宅は全部で十八。片っ端から調査し、最後に残ったのがここだった。購入者の名はベルナルド・ルエンゴ。町はずれにあるこの家は二階建てで、面積こそやや大きいが、どこにでもある一般家庭のものとほとんど変わらなかった。右に生えている柳は二階を越えて屋根の部分まで伸びており、ときおり風に吹かれては、葉の擦れる音を不気味に発している。


「偵察班から、二階の部屋に黒髪の男がいると情報が入りました。窓際に杖が立てかけられているとも」


 クライヴへ伝えられた言葉を訊き、カーティスは不安そうに顔を曇らせた。

 イギリスに来て以来、バルタサールは、この国を欺きながら麻薬をばら撒き続けた。姿を隠すことに長ける連中が、これほどの規模の捜査に対してなんら対策を練らないものなのだろうか。


「わかった。ほかに人は」


「いません。ひとりのようです」


 捜査員のひとりが持ち場に戻っていくのをしり目に、カーティスは、


「怪しいな」


 アジトの候補をあらかた調べ終えた頃、インターネット上では、ロンドンのベクスリー、インフィールド、ルイシャム、スコットランドのエルギン主要施設を狙った爆破予告が流れた。万にひとつを潰す警察が無視するわけにもいかず、大ロンドン心臓部では警察官千人近くが目を光らせている。被害者たちの家に残された酒からエルギンの名を突き止めたクライヴたちは、同地に派遣された。

 目の前にそびえる家は、予告の発信元でもある。

 誰も、もはや疑問を抱いていない。


「僕もそう思う。だが、手がかりを得るためにも――」


 銃声が夜のエルギンに響いた。家屋の西側、さきほどクライヴに報告してきた捜査員がいる場所だ。


『二階から銃撃あり。発砲許可を』


 隊員からの連絡に対し、クライヴは、


『発砲を許可。ただし、なるべく殺すな』


 銃器専門指令部SCO19の隊員とともに、カーティスは正面の玄関に立った。後から続く隊員たちを右手で制すると、両脇にどかせる。左手でそっと押すと、ドアはかすかに軋む音を立てながら開いた。カーティスが伸ばした腕を戻した瞬間、強烈な爆発がドアを吹き飛ばした。数多の木片と化したドアは猛烈な速度でカーティスたちを通り過ぎると、後方の通りに散らばった。騒ぎを知り、安全な場所から高みの見物としゃれ込んでいた野次馬たちの顔に緊張が走っていた。遠くからは、事件の匂いを嗅ぎつけたメディアハイエナの車がエンジン音を轟かせながらこちらに近づいてきている。硝煙と黒煙に視聴率数字の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。カメラを持った男が、助手席の窓からのり出してこちらを見ていた。


行くぞムーヴ!」


 カーティスはM4小銃を構えて玄関に見渡した。靴の汚れを落とすためのマット、横の棚に立てかけられた花瓶と、その上に吊るされた、メキシコの繁華街・プエブラの絵画が見える。日の沈まぬ国とも称された、当時のスペインの残り香があちこちに漂う街が、水彩で淡く、儚く描かれている。バルタサールたちはこの絵画を見て、遠き母国に思いを馳せていたのだろうか。

 カーティスは視線を前方に移した。中央の通路は八メートルほどさきまで伸びていて、奥には二階へ向かうための階段がある。部隊をふたつにわけた彼は、一階の探索に取り掛かった。通路の手前、左右にあるふたつの扉のうち、左に手をかける。カーティスはM4をスリングで吊るすと、背中に背負っていたショットガンのM4べネリで鍵のかかったドアノブを破壊した。右脚で壊れたドアを思い切り蹴とばす。

 室内に人はいなかった。革張りのソファーが三つ、U字状に並べられ、中央にはテーブル、奥には背の低い棚に乗せられた大型の液晶テレビがある。さきほどの爆発で金属片が当たったのか、画面の左端から中央にかけて大きな亀裂が入っていた。


 <異常なしクリア!>


 分かれた部隊からの通信を訊き、一同は廊下に集まった。先頭を務めるカーティスは、小銃を構えながら階段を上がっていく。二階は、大人ふたり分ほどの横幅がある通路が奥に続いていて、豪華な刺繍の施されたカーペットが敷かれている。カーティスはライオットシールドを構えたふたりの隊員を通路の行き止まりの部屋の手前に配置しつつ、ほかの四つの部屋のうち、一番手前のドアノブを慎重に捻った。


 ◆◆


 二度目の爆発音が訊こえた瞬間、黒く染めた髪をなびかせながら、カルロスは米軍の主力アサルトライフル・M16小銃の動作を確かめた。メキシコからの密輸品である。残弾数を確認し、コッキングレバーを引くと、銃身の下に備え付けられたM203グレネードランチャーの筒に四十ミリ擲弾を装填した。防弾チョッキを身に着け、胸にはコンバットナイフ、腰に吊り下げた手榴弾、全身を覆う迷彩服は、カルロスの死装束でもあった。多くの死を見届けてきた目は、ふだんと変わらぬ様相で、ドア越しの敵を睨みつけていた。

 カルロスは、膝まで積まれた奥行き一メートルの土嚢の前で射撃姿勢を取ると、「退け!」という男の声を訊いた瞬間に、小銃の引き金を引いた。マズルフラッシュが光り、銃声とともに弾丸がドアを穿つ。直後、弾丸は甲高い音を立てた。なにかに防がれた音だ。カルロスは、すぐ前にいるであろう、盾を構えた隊員の姿を思い浮かべた。三十発の弾倉が空になるまで撃ち続けた。机に積まれたマガジンと交換していると、予想通り反撃がきた。だが散発的だった。その気になればこの部屋ごと吹き飛ばすこともできるだろうが、それをしないのは、自分を生け捕りにしたいからだろう。

 彼はM203グレネードランチャーの照準を、ドアの穴に向けた。ポンと気の抜けるような音とともに擲弾は隙間を通過して、通路へと着弾する。凄まじい爆風とともに、ドアの上半分が吹き飛んだ。爆風が収まると、カルロスは通路を見た。上半身を階段からのり出して銃を構えていた男を撃つ。弾丸はヘルメットもろとも相手の頭部を撃ち抜いた。側にいた男が、なにか叫びながら死体とともに降りていった。

 銃撃戦は二十分ほど続いた。直線に伸びた通路は、カルロスに味方した。バルタサールの部屋を、薬莢が満たしていく。

 機械的に引き金を引きながら、カルロスは、かつてメキシコでバルタサールとともにくり広げた戦いの日々を思い出していた。

 最初は殺し屋などではなかった。喧嘩が強かっただけだ。中学校に入って間もない頃、スラムの路地裏でタバコを吹かしていたとき、バルタサールと出会った。同い年とは思えぬほど堂々とした姿に、カルロスは惚れた。目は死んでいて、口数は少なく、どちらかといえば暗い性格だが、彼の言動ひとつひとつには人情が混ざっていた。バルタサールという男は、百の言葉よりも、一の行動で考えを示した。カルテルを始めるというバルタサールの提案に、カルロスは反対しなかった。

 いま思い返せば、ほかにも道があったかもしれない。麻薬に頼らずとも、彼が憎き仇に復讐するためのより良い手段が。

 バルタサールを助けるため、カルロスは戦いの術を学んだ。最初はガンアクションものの映画で、つぎはインターネット上で視聴できる、各国の軍隊の公開されている訓練映像で。掃きだめを生きるカルロスに、教えを仰ぐ者もいなければ、受け入れてくれる者もいない。ちぐはぐだった戦い方は、経験と直感でつないでいった。

 バルタサールの障害ともなる人物がいれば、容赦なく殺した。戦術もへったくれもないチンピラ同然の敵を殺すのは容易だった。ときには、不当に人々を検挙し、拷問にかける自警団の連中を標的にした。麻薬カルテル風情が世直しをしていると、周囲に笑われることもあったが、気にしなかった。

 バルタサール・カルテルに所属する誰よりも、熱心に多くの敵を殺してきたカルロスだが、その狂信的ともとれる忠誠から孤独感を感じたことは一度もない。

 彼は、固い結束の下、つねにバルタサールたちとともにあるのだ。


 ※


 階段に投げた手榴弾が爆発してからというもの、敵の反撃は止んでいた。カルロスは訝しみながら、残りわずかになったM16のマガジンを取る。訪れる静寂。天井からつるされた照明が上下左右に乱れ、部屋のあちこちを明滅させていた。

 つかの間の休息に、顔から汗を吹き出していたカルロスは大きく深呼吸をした。拡声器を通して、いかにも準備しておいたかのようなきれいごとが訊こえてくる。


『武器を捨てて投降しろ!』


 カルロスは小銃のコッキングレバーを勢いよく引いた。

 ふと、全身に力が入った。死を予感したときの直感的な動きだった。彼はアサルトライフルを床に投げ捨てた。腰のホルスターに収めていた拳銃を引き抜き、机の真上にある窓へ構えた。

 窓が激しい音を立てて破られた。照明の光を受けきらきらと光る破片もろとも転がり込んできた男は、引き金を引こうとしたカルロスの胸を蹴飛ばした。後方へ派手に一回転したカルロスは体勢を整えながら、侵入者を見やった。首から下げていた十字架のネックレスが乱れ、乾いた金属音を立てた。

 男は、黒い戦闘服とハーフマスクを身に着けていた。左手には、使い古されたM1911A1コルトガバメント。そして、照明を受けて不気味にてかる茶色の中折れ帽。つばのせいで眼下はよく見えない。体は鍛えられていて、見るからに屈強な体格である。彼は本能で危険を感じた。

――イエス・キリストは、悪事を止めない愚か者に正義の鉄槌を下されるだろう。

 バルタサールの言葉が頭をよぎった。全身から汗が吹き出し、張り巡らされた血管は押し広げられ、心臓が高鳴った。

 カルロス・グレンデスは、ゆっくりと立ち上がった。遺された時間は、もう多くなかった。

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