膝枕変奏曲

戸松秋茄子

ミカ 現在

 お母さん。


 お母さんはいったいどこから来たの?


 ううん、そうじゃないの。赤ちゃんはキャベツ畑から来るんでしょ。それは知ってる。でも、ミカが訊いてるのは赤ちゃんじゃなくてお母さんたちのこと。お母さんたちはどこから来たの? 


 この前、遠足で疲れたミカを膝枕してくれたことがあったでしょ。お母さんはミカが寝たと思ってたかもしれないけど、ホントは途中から起きてたの。だからニュースキャスターの声だってちゃんと聞こえてたし、お母さんが何かつぶやくのもしっかり耳に入ってきた。


「リサさん」って。


 そのときは意味がわからなかった。リサさんっていったい誰だったんだろう。どうしてお母さんはその名前を呼んだんだろう。どこかの山で女の人の骨が出てきたなんてニュースと、その「リサさん」って名前は何の関係があるんだろう。


 でも、いまならわかるよ。その何日か後、たまたまニュースを見る機会があったから。あのとき発見された女の人の名前がわかったっていうニュースだった。


 ミカ、びっくりしちゃったな。だってその女の人こそがまさに「リサさん」だったんだもん。お母さんはそれをニュースキャスターよりも先に知ってた。


 どうしてなんだろう。そう思ったよ。でも、なんでだろう。直接は訊けなかった。お母さんには何でも話してきたのに。


 このことを最初に話したのは、友達のメルちゃんだった。でもね、横で堀川さんが聞いてたみたい。わたしたちの話に割り込んできたの。


 お母さんも知ってるでしょ。いつも中学校は「私立」に行くんだって何かと自慢してくる子。試験なんてまだまだ先なのに塾に通ってるだけでもう受かってる気になってる子。


「それっておばさんが殺したんじゃないの」


「そんなことない」


「どうしてそんなことが言えるの」


「だって、お母さんだもん」


「お母さんだって人間なんだよ?」


 堀川さんはそう言って笑ったの。にたぁって。チェシャ猫みたいに意地の悪い笑い方だった。歯列矯正の金具が覗いてすごく嫌に感じた。


「堀川さんの言うことなんて気にしなくていいよ」


 堀川さんがどこかに行った後、メルちゃんがそう言ったの。


「それっておばさんの実家の近所だったんじゃない? その女の人は骨になってたんでしょ。おばさんはきっとむかしその女の人が行方不明になったのを覚えてたんだよ」って。


 そのときだよ。メルちゃんがあのことを訊いてきたのは。


「おばさんの実家は知らないの?」


 ミカ、はっとしちゃった。だって、それまでお母さんにも生まれた家や育った家があったなんてことを考えたことはなかったから。夏休みとか冬休みの旅にお父さんの田舎に行くでしょ。でも、お母さんの実家に行ったことは一度もなかった。


 その事実の方が、堀川さんの言うことよりもよっぽどショックだった。ミカはお母さんの何を知ってたんだろう。ミコトっていう名前。五月生まれってこと。血液型はA型。でも、年は? 実家は? ミカは何も知らなかった。そのことがなんだかすごく寂しかったの。ミカはお母さんがどこから来たのかも知らない。


 認めるのは悔しいけど、掘川さんが言ったことは正しかったんだと思う。お母さんも人間なんだ。お母さんにだってお母さんとお父さんがいたはずだし、ミカみたいに子供だった頃があったはずだよね。いまのミカみたいにお母さんに膝枕してもらうことだってあったはずだよね。


 ねえ、お母さん。聞かせて。


 お母さんはどこから来たの?


 お母さんはいったいどんな子供だったの?


 リサさんはお母さんにとってどういう関係の人だったの?

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