ランドセル同盟

戸松秋茄子

1


 さきたま幼稚園の父母の皆さんは、引っ越してきたばかりのわたしを快く迎えてくれた。


 新しい環境に不安を覚えるわたしにとって、それがどれほど救いになっただろう。そんなことをよく思う。


「ねえ、梅田さんのところはもう買った? ランドセル」


 ランドセルの話題が最初に出たのは、年長組の晩秋のことだった。


 わたしが親しくしていたお母さんグループは特にリーダーのような人がいるわけではないけれど、そんな中にも仕切りのうまい人はいるもので、入間さんという三〇代半ばのお母さんが出しゃばらない程度に会話の流れを整えていた。


「いえ」わたしは答える。「あっ、みなさんはもう買ったんですか。どうしよ。いまからって遅いですか」


「あら、大丈夫よ。わたしたちもまだだから」


「そうなんですか。よかった」


「年内にはって考えてるんだけどねえ。ところで梅田さん、色はどうするか決めてある?」


 はて、どういうことだろう。うちの子供は男の子だ。自然に考えるなら黒いランドセルを買うことになる。


「ああ、梅田さんははじめてだったわね」わたしが怪訝そうな顔をしたためか、入間さんが言う。「わたしたちね、ランドセルの色はあえて黒とか赤にこだわらないことにしているの」


「はあ」


 いまどき珍しいことでもないだろう。近所の小学校の通学路を見てもモスグリーンやキャラメル色など個性豊かな鞄を背負った子供たちをよく見かける。


「いまの子はいいですよねえ。わたしたちのころはほとんど無条件に赤を選ぶしかなかったですし」


 思わずそんな感慨が漏れた。


「そうよねえ。うらやましくなるわ」


「それにしてもやっぱり梅田さんは話が通じる人ねえ」


「ねえ。中には保守的な人もいるものね」


 それから奥様方は、よその家の噂話にしばし時間を費やした。契約している新聞、関与している宗教団体……エトセトラ。


「梅田さんはこれだっていう色はある?」


「それはまだ決めてないんですけど……たぶん夫の両親がプレゼントしてくれるんじゃないかと思います」


「あら、じゃあ早いうちに伝えておいた方がいいわね」


「え、何をです?」


「だから、間違って黒いランドセルを買わないようによ」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


「あら、どうしたの。梅田さん」


「言葉が足りなかったんじゃないですか」そう言って助け舟を出してくれたのは、熊谷さんだった。「ほら、黒と赤だけはやめようって話はしてないでしょ」


「あら、そうだったわねえ」


 それから入間さんが説明した。いわく彼女らは「進歩的」な集団を自認しており、ランドセルの色と性別を結びつける考え方を忌避しているのだという。


 よって、色の選択は自由なものの黒と赤だけは選ばないという約束があるというのだ。


 よって、色の選択は自由なものの黒と赤だけは選ばないという約束があるというのだ。


 大事なことなので二回繰り返しました。


 どうにも飛躍があるように思えてならない。けれど、こういうときは調子を合わせておくに限る。出る杭は打たれるのだ。


「素敵な考えですね」


 おほほほほとお追従の笑いをしたところで誰がわたしを責められるだろう。

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