Epizodo 16
▽
「……、エスペロ様」
「ん?」
アンヌの市長邸を後に、街に出たエスペロの背後からミセスが声を掛ける。
「……、本当に此処で暮らされるのですか?」
「ああ」
前を見据えて答えた。
「かつて約束した平和。でも、その〝平和〟は私が思い描く平和でしかなかった」
そして、約束を交わした相手の顔を脳裏に見る。
「勇者が思い描く〝平和〟を、私は知らない。知らなかった。知ろうともしなかった。その結果が、今だ」
村の惨劇。モノとして売られるヒト。同族を殺し、家族を貶す。エスペロの価値観と、余りにも離れた世界。
ヒトの世界。
「このままでは、いずれ再びヒトと生活圏が交わる時が来る。そうなれば、また戦争だ」
「……、望むところです」
「ふふ。そういう好戦的な性格は、ネコを思い出す。――だが、分かってるだろう?」
「……、はい。ネコナータは、一度も人間と交戦していません」
「ああ。私が〝戦うな〟と言った。何故だか分かるか?」
「……、いえ」
「そうか。記憶の継承も充分ではないんだな」
「……、個人差が在ります。最も色濃く継承しているのはミューヌです」
「ああ。あの娘は、見た目もそっくりだ」
歩きながら、エスペロが笑みを零す。
「ネコは、こう言ったんだ。――〝ニンゲンの命など軽い。労せずして刈り取れる〟とね。どう思う?」
「……、その通りです。私達は、更に鍛錬を積んでいます。かつてのネコナータと比して尚、私達の方が強い」
「そうだろう。そう思う。だからダメなんだ」
「……、何故ですか?」
「軽い命なんてない。命の重みは誰かの想いだ。誰にも想われない命なんてない。だって、誰も親なくて生まれる子はいないだろう?」
「……」
「動物も植物も同じだ。皆、親から子へ。子から孫へ。誰もが想いと共に産まれて生きる。軽い命なんてない」
だから、とエスペロは続ける。
「命を奪う時は、その重さを背負う覚悟が要る。――愛と憎しみを受け止める覚悟が」
「……、エスペロ様は……その覚悟を持っている、のですね?」
「いや、分からない」
「え?」
「お、珍しく間髪入れずに反応が返ってきた」
「……、~~……っっ」
エスペロが立ち止まって振り返る。ミセスは耳の先まで朱く染め上げ、俯いてしまった。
「ふふ。……まぁ、覚悟はしているつもりだ。でも、私には命を奪ったという実感がない」
かつて森が燃やされ、多数の人間が魔族の村に押し寄せた。その際に、エスペロは大地を深く引き裂いて退けた。
今思えば、その裂け目から地の底に落ちた人間が――存在したかもしれない。しかし、エスペロに今まで命を奪った自覚は無い。
「守るのに必死だった、というのは言い訳か」
「……、そんな事はありません。今の私達が在るのは、全てエスペロ様が躰を張って守って下さったからです」
「そう言って貰えると救われる。――だから、そういうこと。何より、皆には平和に穏やかに暮らして欲しい」
「……、エスペロ様は――「あ、そうだ」
ミセスの言葉を意図せず遮った事も知らず、エスペロが再びミセスの瞳を覗き込む。
「ミセスに、頼みたい事がある」
「……、私に……ですか?」
「ああ。今の私には出来ない事だ」
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