第170話『ブラックエルフの少女』

少し時間をさかのぼるジイール城では、一人のブラックエルフの少女が城門前で足止めをされていた。

「お願いです!テール様に合わせてください!」

彼女は必死だった。


だがその必死さが、門番であるエルナイトの不信を煽った。

「今は非常事態時である。分かってもらえぬか?」

コオチャの進める種族間同盟を理解しているのもあり、優しく答えたつもりだった。

もちろん少女の方も理解し、お互いドワーフ族とブラックエルフ族が援軍に向かった事も知っている。


何せ、いつも温和なトロールのトットまでが、勇ましく向かったのだ。

話題にならないはずが無い。

それに、ヒューマン同士のいざこざに、誇り高きドワーフ族やエルフ族が援軍に行くとは誰も予想しておらず、あの宮廷魔術師であるテールやリスネットですら思わず涙ぐみそうになったほどだ。

これほど心強いと思った事も無いし、信用も出来る。

が、それとこれとでは事情が違う。


首都に住むヒューマンでさえ、今は城内に入れないのだ。

城ではテールとシャーマンキングと謳われるリスネットが警戒網を張り、頻繁にワイバーン部隊が飛び交う。

城門裏ではいつでも出陣出来るよう騎馬隊が編成され、臨戦態勢が整えられており、城内の雰囲気は非常に重苦しく緊張感が漂っている。


そこへ、例え住民と言えども紛れ込む事は、その住民自体が危険なのかもしれない。

殺気立っている騎士との無用のいざこざが起きた場合、その動揺は直ぐに周囲に広まるだろう。

そんな事を危惧したテールは、城内に退避したい住民を受け入れ、自宅に残った住民には近寄らないよう指示していた。

理由が述べられている為、厳しくそれを守っているのが現状だ。


そこへ場違いな、ブラックエルフの少女の登場となったのだ。

門番を務める騎士は、募る苛々感を何とか沈め、なるべく事を大きくしないように努めた。

だが少女はどうしても引いてくれなかった。

騎士はあまりの少女の訴えに理由を聞いてみた。


「雷神剣をコオチャ様に持っていくのです!頼まれたのです!時間がありません!!」

少女は必死に訴えた。

だが、その理由に騎士はますます不信感を募った。

この緊急事態に、今やジイール国の代名詞とも言える神器を、それも我が王の愛刀を持ち出すというのだ。

これを不信に思わなくて、何が不信だろうか。


騎士は完全に追い返す考えを固めた。

「いったい誰に頼まれたのだい?」

この言葉の答えによっては、理由を付けて追い返そうと考えた。

だが少女は、騎士の思いもよらぬ人の名前を出した。


「アンスラックス様です!!!」

少女の声は段々と大きくなり、ついには声が裏返るほど叫んでいた。

どなり散らしたかのように大きく肩で息を吸う少女と、稲妻に打たれたかのように動けない騎士。

しばらくの沈黙の後、騎士は大声で笑った。


「ハハハハハハハッ!アンスラックス様は今はいない。皆が見守る中、風と共に消えられたのだ。迷いごとも対外にしなさい」

「だって…、だって…。その人がそうやって伝えろって言ったんだもん…」

ヒック…、ヒック…

ついに少女は泣き出してしまった。


騎士は迷った。

一応報告すべきかどうかを。

この少女の訴え方は、尋常ではないのは分かった。

真剣さは強く伝わってくるし、嘘をついているような雰囲気は微塵も感じない。


しかも、アンスラックス様の名前まで出ると、駄目元で報告するのもいいか?とも思った。

しかし別な気持ちの片隅では、今は更生しているとはいえ、心のどこかでブラックエルフを完全には信用出来ない自分がいる。

信用しきれない騎士が悪いのではない。

今までの歴史の重みが、そうさせているだけだ。


だがさっき、目の前で我らの為に立ち上がったドワーフ族とブラックエルフ族の部隊を送り出したばかりなのも事実だ。

異種族が同じ部隊として命を懸けて戦う、そんな前例を目の前で打ち破ったばかりだ。

騎士には答えを出せないでいた。

目の前ではボロボロと涙を零しながら、自分を真っ直ぐに見つめる少女がいる。

その瞳は純粋だ。


ふと、ある人の事を思い出した。

(コオチャ様の眼も、いつも純粋だ…)

そこで騎士は、我らが王ならばどう対処するか考えてみた。

状況は「超厳戒態勢」である。

この非常事態に…

王ならば…


騎士は決断した。

「よし分かった。だが、俺の一存では決められない。望み通りテール様の所へ連れて行く」

少女はパッと明るい表情をした。

その笑顔に騎士は更なる決意を固めた。


「ただし、今は誰もがピリピリしている。君を不審者として連行する形を取るが良いか?」

少女はようやく信用してくれた嬉しさで言葉にならないでいたが、何度も頷いて返答した。


城内では、門番の騎士が想像している以上に慌しかった。

廊下には武器や防具、はたまた薬類や簡易食料などが散乱し、行き交う仲間は一種の興奮状態のように感じ取れた。


時々同じ騎士に呼び止められ、どうかしたのかと尋ねられたが、打ち合わせ通り不審者と言い切った。

相手は小娘程度の不審者でとたかをくくり、予想通り特に問題にしなかった。

あと少しでテールやリスネットが指揮室として定めた王の間に到着するところで、部屋の前で構える門番ならぬ室番の騎士に止められた。


「どうした?その少女がどうかしたのか?」

門番の騎士は再び不審者だと伝えたが、思わぬ回答が帰ってきた。

「ならば追い返すか、捕らえたのならば監禁すれば良かろう」

もっともな回答だ。


城内の様子に疎かった事が仇となり、折角の決意が崩れそうになる。

騎士は思い切った行動に出た。

少女を抱きかかえ、室番の騎士をタックルで突破した。


部屋の中に転がり込むと少女を突き飛ばした。

彼女は突然の事でどうして良いか分からず、オロオロしている。

「早く要件を言うのだ!」

門番の騎士は純粋な瞳を持つ少女の思いを、何とか届けたかった。

いつからか、使命感に包まれていたのかもしれない。


室番の騎士に取り押さえられ、部屋の中にいた別の騎士が少女を取り押さえようと動きだす。

少女は怯え、恐怖と緊張のあまり声が出なかった。

パクパクと口が動くが声にならない。


だが、瞳は何かを訴えていた。

テールとリスネットは、少女のただならぬ雰囲気を機敏に感じ取る。

「待て!」

テールは短く、そして静かに騎士達の行動を抑えた。

彼ほどの実力ならば、いくら少女が懐に短剣を忍ばせようとしても見破られるか、先に殺されるだろう。

そう思った騎士達は我に返り、少女一人に振り回されていた自分を恥じる。


「私がテールです。ブラックエルフの少女よ、思いを語りなされ」

静かに、そして優しく語りかけた。

少女は宮廷魔術師と真っ直ぐに見つめ合うと、思い出したかのように叫んだ。

「ら…、雷神剣をコオチャ様の元に持ってくるように…、ア…、アンスラックス様にお願いされました!!!」

その言葉に誰もが驚いた。


この非常時に…

誰もがそう思った。

だがテールは涙ぐむ少女の頭を優しく撫でると、王の間に突き刺さる雷神剣を鞘ごと引き抜き、テーブルクロスで包み込んだ。


「しかと伝わりました。急ぎ行かれよ。ただし、聖域バルディエットまでは遠い。歩いては戦に間に合わないかも知れません。あそこにいるワイバーンに乗って行きなされ」

そう言って指差した方向には、ジイール国ではワイバーン部隊の最初の一員となったラルフがいた。

彼は会話を聞いていたのか、静かに腰を落とし、少女にも乗りやすい体勢を作る。


騎士達は呆然とした。

一目見て、少女を信用したテールの眼力を疑いたくもなった。

が、少女はテールに促されるままに雷神剣を抱え、小走りにワイバーンに駆け寄りまたがった。


「手綱をしっかり握っていれば、目的地まで飛んでくれます。我々の思いも運んでくだされ」

少女は緊張した面持ちで頷き、手綱を掴んだ。

その手応えを感じたラルフは、ゆっくりと立ち上がると、2度翼をはためかせ、そしてラルフは一度テールの方を見る。

テールはそれに気付くと小さく頷き、ラルフは飛び立って行った。


バサッ…、バサッ…

羽ばたく音とラルフの姿が小さくなり、途中Uターンするかのように旋回する。

聖域バルディエットは、サマリア城の裏手だからだ。

城内の喧騒をよそに、指令室だけが静まり返っていた。


室番の騎士は、尋ねられずにはいられなかった。

「愚問ですが…。本当に良かったのでしょうか…?」

一斉にテールに視線が集まった。

が、答えたのはリスネットの優しい声だった。

「彼女の言葉は純粋さに溢れていたわ。大丈夫。そして、言葉に惑わされず少女を連れてきてくれた方にお礼を言いたいぐらいよ」


門番の騎士は未だに取り押さえられていた。

慌てて室番の騎士が手をどけ、ようやく解放される。

そして門番は一つ質問した。

「ア…、アンスラックス様は…?」

テールはラルフの飛び立った窓の外を眺めながら、その質問には答えなかった。

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