第十五章 それは宏明の固い決意
「
「ヒロさん、どうせ……助からないのに入院しても仕方ない……」
これまでも何度も説得するが、頑として幸恵は受け入れない。
「だけど……そんなに苦しむ、おまえを見るのが辛いんだ」
「あたしはもういいんです。それより……ヒロさんは早く家に帰ってください」
「おまえを置いて、帰れるかっ!」
「幸恵はもうすぐ死にます。こんな女に関わって、ヒロさんまで大事なものを失くしてします」
「いいんだ! これが俺の罪ほろぼしなんだ」
「ヒロさん……ごめんなさい……」
病人は仰向いたまま涙を流すので、頬を伝って、耳の方までしずくが零れた。
「泣くな……」
ハンカチで幸恵の涙を拭ってやると、宏明は優しく抱きしめた。
「今まで、ずっと辛い人生をいきてきた幸恵を、俺が最後に幸せにしてやる!」
「ヒロさん……」
「俺の子どもを産んで育ててくれた、おまえに何ひとつしてやれなかった」
「幸恵はヒロさんの子どもを産めただけで幸せだった。もうすぐ宏司のところへ逝けます。あの子……ひとりできっと寂しがってるから、お母さん早く会いにいきたい」
「幸恵……すまない」
二十年前、急に自分の元から消えた幸恵を、あの時、なぜ探さなかったんだろう。どうせ不倫だ……後腐れなく別れられて良かったという安堵感が宏明の心の奥にはあった。……まさか妊娠しているとは考えてもみなかった。男という生き物は、女に妊娠という事実を告げられるまで、そんなことは頭の隅っこにもない。
急に消えたのは新しい男ができて、自分は幸恵に振られたのだとばかり思っていた。けれども未練はあった、だが悔しいので絶対に追いかけないと誓ったのだ。クダラナイ男のプライドだったと今更にして思う。
そして幸恵の方は妊娠したことが分かったが、お腹の子どもは不倫の子なので、中絶させられるのを怖れて……何も告げずに別れていった。
手紙も伝言も残さなかったのは……ヒロさんが自分のことを憎んでくれて――早く忘れて欲しかったので、あんな邪険な別れ方をしたのだ。
ひとりで宏明の子ども宏司を産んで、温泉旅館で住み込みの仲居をしながら育てていたが、五歳の時に風邪をこじらせ肺炎になり、あっけなく宏司は亡くなった。
丁度、年の暮れで旅館は忘年会の泊り客たちが立て込んでいて、とても忙しい時期だった。――熱を出して寝込んでいる宏司を、きちんと看病をしてやらなかった自分のせいで死んだのだと、幸恵は深く深く後悔していた。
だから……乳癌の後、また癌が再発したが、今度は治療も受けずに死ぬつもりだった。
最後は宏司の父親ヒロさんの住む街で、ひっそり死のうと雪国からひとり出てきたのである。
あの日、ふたりは偶然にも、この街で出会ってしまった。
――
「幸恵、今度は離さないから……」
「あたしはいいんです。ヒロさんには家族が……」
「俺のせいでおまえは苦労したんだ。今度は俺がおまえのために全てを捨てる!」
「……そんな」
宏明は家に帰るつもりはなかった。会社も退職したし、啓子には離婚届を送った、全て捨てる覚悟なのだ。
たとえ、幸恵が死んでも自分は元の生活には戻らない。
……幸恵が死んだら、沖縄の離島にでも渡って、世捨て人みたいな暮らしをする。――この先は幸恵の
最後に幸恵を入籍して、俺の妻にしてから死なせてやりたかったが……啓子が離婚届けに判子を押してくれそうもない。まぁー当然か? ごちゃごちゃ揉めてる時間が……こっちには残されていない。
病院の検診では「もって……あと二週間……」と、医師に余命宣告された。
幸恵に残された時間を、少しでも一緒に居てやりたいと宏明はそう思っている。
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