第二章 〔若返りカプセル・一年〕

 翌朝、目を覚ますと何ともなかった。

 むしろ、体調は良くなったくらいで、一年ほど前から、啓子は膝の関節痛で苦しんでいたが、今朝は難なくベッドから起き上がり歩けた。――こんなことは一年振りだわ。

 洗面所で顔を洗ってタオルで拭いてる時に、鏡を覗いてビックリ!

「嘘? シミが消えている!」

 昨日、見つけた顔のシミがきれいに消えていた。

 間違えて飲んだ〔若返りのカプセル〕のお陰なのかしら? まさか有り得ないよね――。

 なんとなく気分が良くなった啓子は、いつものように洗濯機を回し、リビングに掃除機をかけて主婦業に精を出した。

 ……昨夜、夫は帰宅しなかったようだ。


 久しぶりに膝が痛くないので、啓子は歩いて、遠くのスーパーまで買い物に出かけた。そこは大型ショッピングモールで、近所のスーパーでは置いていない、高級な食材が売られているのだ。

 夫婦ふたり暮らしだと食事も手抜きになってしまう。最近では夫の帰宅も遅くて、ひとりで食事するのでスーパーの惣菜やインスタント食品で済ますことも多くなった。――これではダメだと啓子も反省し始めている。

 久しぶりに宏明の好きなビーフシチューを煮込んで、パスタやサラダを付け合わせにしようと考えていた。

 宏明の気持ちが自分から離れていっているのは分かっている。――もう銀婚式も過ぎた夫婦だもの……いつまでもラブラブって訳にはいかないわ。

 いくら頭では分かっていても、この寂しさはどうだ! もう夫から女として扱われていない、ただの家政婦でも世間体があるから別れられない……今はそんな状態なのだ。

 啓子はこんな自分が悔しかった! だからといって、どうすることも出来ない、そんな無気力な自分が、さらに情けない。


 スーパーの精肉売り場で国産和牛のブロック肉を買い、サラダのラディッシュやミニコーンの水煮を買った。たまには高級ワインでも飲みたいと酒類売り場のワリナーコーナーで赤ワインをいろいろ品定めしていると、偶然、近所の主婦と会った。

 同じ町内会の役員をしていた時に知り合った主婦だが、おしゃべりで噂話が大好き……あまり好きなタイプではない。

「あらー、奥さんお久しぶり」

 啓子の姿を見つけて手を振っている。ショッピングカートを押して向うからやって来た

 。

「こんにちは」

 にこやかな笑顔で応える。

「――こんな所で会うなんて珍しいわね」

「ええ、最近、膝の関節痛であんまり遠出しなかったもので……」

「あらっ、そう? 先日、ここでお宅のご主人を見かけたわよ」

「えっ? そう……なの?」

「ええ、あの人は妹さんかしら? 女の人と一緒に買い物に来ていた」

「…………」

「仲良く、ふたりでお買い物していたわよ」

 ニヤリと底意地の悪い顔で、啓子を覗きこんだ。

 ……なんとなく事情を察しての忠告のようだ。

「ええ、主人の従妹なんです! わたし関節痛で行けないので、ふたりにお買い物頼んだの」

 作り笑いで話を取りつくろう。そこで動揺して顔色に出したら負けだ! 町内中に「あそこのご主人は浮気しているんですって!」なんて噂を流されかねない。

 ――もちろん嘘だ。夫が女と買い物していたなんて、啓子は知らない。


 やっぱり宏明は浮気していたんだ。

 しかも、こんな近くで堂々と女と買い物していたなんてぇー、絶対に許せない!

 近所の主婦と別れた後、ワインも買わず……スーパーから啓子は、逃げるように飛び出た。ある程度、予想はしていたが面と向かって、そんな事実を他人から聞かされたらショックが大きい。

 心臓がバクバクした! 気が動転して頭の中が真っ白だ!


 行くあてもないので、結局、自宅マンションに帰って来た。

 啓子はムシャクシャして怒りが納まらない。みんなが知っていて、自分だけが知らないなんて……夫の浮気相手のことを、こともあろうか、近所の噂好きの主婦から聞かされるなんて、屈辱だわ。余計に傷ついた!

 宏明が帰ってきたら、問い詰めてやろうかと思ったが――もしも火に油を注ぐようなことになっても怖い。何だかんだ言っても啓子は夫がいなくては、生活が出来ない女なのだ――。

 もう一度、夫の心を取り戻す方法はないのかしら?


「老けたなぁー」

 ダイニングキッチンの壁に掛けられた鏡に映った自分を見て、思わず啓子はため息を漏らした。

 夫の愛人は若いんだろうか? 美人なのかしら? 宏明の好みのタイプ?

 今の私は宏明の愛の対象でも、セックスの相手でもなくて……ただの同居人に過ぎない。女として悔しい! その女への燃えるような嫉妬心で身体が熱くなってきた。


 キッチンのテーブルでやけ酒を飲んでいた啓子だが、ふと〔若返りのカプセル〕に目が止まった。

 昨夜、このカプセル飲んだけど何ともなかったわ。――むしろ体調が良くなったくらいだし……もしかしたら、何らかの効果があるのかもしれない。

 まだまだ疑心暗鬼ぎしんあんきだけれど、ちょっと気になってきた不思議な〔若返りのカプセル〕である。

 五年と書かれたカプセルを指に摘まんで……迷っていたが《どうせ自分なんか、どうなっても構わないんだ!》心の中で叫んだ。自棄っぱちに〔若返りのカプセル・五年〕一気にワインで飲み下した。

 その後、急な睡魔に襲われた啓子は、テーブルにうつ伏して眠ってしまった。

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