入学式

 入学式はつつがなく進行していった。

 校長の退屈な挨拶、国家斉唱、新入生代表の……。やっぱり入学式って、どこもこんなものなのだろうか。僕は、今からおよそ三年前の中学の入学式を思い出していた。場所が違うだけで、内容はあまり変わらない。退屈な挨拶、国家斉唱、壇上の日の丸。

 一番大きな違いは、中学の入学式では周りがみんな男だったけれど、今回は九割以上が女子だということか。


 いや、もうひとつあった。


 中学の入学式の際、僕に付き添ってくれたのは婆ちゃんだった。姉貴の花倉高校への入学式にも、婆ちゃんが一緒に来たはずだ。

 でも今回、父兄席に座っているのは、婆ちゃんではなく姉貴である。


 実は、今回もばあちゃんは僕の付き添いに来る気まんまんだった。僕は別に婆ちゃんでもいいと思っていたのだけれど、姉貴はそれを断った。姉貴が来たがった理由は、ここに来るまでに既によく理解できた。僕が早く学校に馴染めるように、後輩や先生方に僕を紹介してくれたのだ。


 父兄席の中で、姉貴はとても浮いていた。

 無理もない。新入生の両親、四十代から五十代、若くても三十代の人達がずらりと並ぶ席に一人だけ、ついこの間まで花倉のセーラー服を着ていた女の子が混じっているのだから。

 周りの父兄が浴びせる好奇の視線にも全く動じることなく、姉貴は堂々と胸を張っていた。



 入学式からの帰り道、僕たちは途中にあるファミレスで、ささやかな入学祝いパーティーを開いた。

 パーティーと言っても、参加者は二人だけ。しかも、場所は全国チェーンの安いファミレスだから、一般的な感覚に照らして考えれば、とてもパーティーとは呼べないかもしれない。それでも、僕たちにとってはちょっとした贅沢だった。なにしろ、今日はステーキの注文が許可されているのだ。


 そのファミレスは壁の一面がガラス張りになっていて、僕たちは壁際の二人席に通された。ランチのピークの時間帯を過ぎていたせいか、席は結構空いている。ガラスの向こうは交通量の多い大通りで、車はそれほど通っていなかった。


 僕はその店で一番高いステーキセットを頼んだ。

 ステーキなんて何年ぶりだろう。もしかしたら、中学に進学したとき以来かもしれない。運ばれてきたステーキは、姉貴の顔よりでかいんじゃないかと思うぐらいの大きさだった。皿の隅にはニンジンやグリーンピース、ポテトなどの温野菜が彩りにちょこんと添えられていて、他にもライスにサラダ、スープまでついてきた。

 姉貴は普通のドリアを注文していた。大体いつもこの店ではスパゲティを頼むのだが、今日はきっと、借り物のスーツにはねないように気を使っているのだろう。自分だけステーキでちょっと気が引けたけれど、姉貴は『今日は葉太郎の入学祝いなんだから』と嬉しそうに微笑んだ。進学したのは姉貴だって同じなのに。


 数日前、姉貴は一足先に大学の入学式を済ませていた。

 そういえば、僕は何も姉貴にお祝いをしてやっていない。ただ口頭で『おめでとう』と言っただけだ。何かしてやるべきだったな、と今更反省。高校生になったからにはアルバイトをしてお金を稼ぐこともできるのだから、いつか、何かの形で返そう。


 使い慣れないフォークとナイフに少し苦労したけれど、ステーキは頬が落ちるかと思うほど美味しかった。溢れ出す肉汁、しゃきしゃきとした赤身の歯ごたえ、ぷりっとした脂身。この一枚で、数日分のエネルギーが補給されたような気さえする。


「ステーキ、美味しい?」

「うん、めちゃくちゃ美味い。姉貴も一切れ食べる?」

「いいよあたしは。ダイエット中だし」


 そう言って、姉貴は小さく笑った。ダイエットが必要な体型ではない。むしろ、一般的な女性に比べてかなり細いほうだと思うし、今日のスーツだって少し余裕があるように見える。姉貴の体型では、身長に合わせると幅が広めになりがちだとはよく言っているけれど、それにしても。

 窓の外の風景に目を細めながら、姉貴は呟いた。


「ステーキなんて、すごい久しぶりじゃない?」

「……うん、そうだね。ありがとう」

「あたし、今までずっと葉太郎に贅沢なんてさせてやれなかったから」

「そんなこと、僕は全然思ってないよ。姉貴は高校に通いながら一生懸命バイトして、僕を養ってくれたじゃん。不自由なんて感じたことないよ」

「でもさ、あたしはスマホ使ってるのに、葉太郎はずっとガラケーで」

「それは、バイト先と連絡とるためにスマホが必要だったからだろ。それも一番安い機種で」

「ん〜、まあ」

「僕も、高校生活に慣れたらバイトして自分のスマホ持つからさ。姉貴だけに苦労はかけたくない」


 姉貴の目に、うっすらと光るものが見えた。


「生意気言っちゃって」

「ステーキ食ったから、今日はノリノリなんだよ」

「プッ……何? ノリノリって。超ダサっ! そんなこと言ってたら絶対モテないぞ」

「ダメかな?」

「うん。絶対禁止。『今川先輩の弟さん、言葉遣いがおかしいですよね〜』なんてグループLINEで言いふらされたら困るもん」

「僕は演劇部伝説の男役、今川茉莉花の看板を背負っているってわけか」

「そうそう。だから、立ち振る舞いには気をつけて。それと、周りが女の子ばかりだからって、あんまりやんちゃはしないこと。あたしの後輩がいっぱいいるんだから、常に間者に見張られてると思いなさい」

「わかってるって。僕がそんなタイプに見える?」


 姉貴はまじまじと僕の顔を見て、頬杖をつき、ニンジンのグラッセのように甘い微笑を浮かべながら、ゆっくりと首を横に振った。

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