第117話 暗黒の貌

 雨雲の隙間から月が覗き、女性の顔が照らし出された。切れ長だが優しそう目に、小ぶりな唇。

 その女性――メイファは、懐かしむような、それでいて悲しそうな、どこか切な気な表情でリューシスを見た。


「しばらくね、リューシス……殿下」


 メイファは、言い忘れたかのように最後に”殿下”と付け加えた。


「先生……何故……こんなところで……」

「本当にね。こんなところで会うなんて、私も思いもしませんでした。ですが殿下、話はこの暗黒の天法士を退けた後で。この天法士は極めて危険です」


 メイファは言うと、ジェムノーザを睨むように見た。

 ジェムノーザもまた、ふうっと息を吐いてメイファを睨んだ。


「リューシスパールの天法術ティエンファーの師匠か」

「そう言うところね」

「メイファか。俺の師から聞いたことのある名前だ、以前、アンラードの天法士局ティエンファードジューで不世出の天才と言われていた天法士ティエンファーがいたそうだが、確かその名前がメイファ……お前がそうか?」


 ジェムノーザが左目を光らせて訊いたが、メイファはふふっと笑ってそれには答えず、


「さて……まだやる? あなたの天精ティエンジンはかなり消耗しているでしょう?」

「……何?」

闇の天法術ヘーアンティエンファーは、全ての天法術ティエンファーの中でも群を抜いて強力。天候などの自然条件に左右されず、天精ティエンジンの溜めもいらない。他の術と違い、威力に上限も無い。正しい方法で修練を積めばどこまでも強くなる。まさに最強の天法術ティエンファー。但し、一つだけ欠点ががある。強力すぎる為か、特異な性質を持つ故か、闇の天法術ヘーアンティエンファーは一度の術で激しく天精ティエンジンを消耗してしまう。それ故に何回も使用することができず、長時間の戦闘には適さない」


 メイファが言うと、エレーナが、あっと言って手を口に当てた。


「もしかして、無駄な殺しを好まないって言ってたのは、本当は天精ティエンジンの消耗を避ける為……?」

「恐らくその通りだと思います。流石です、フェイリンの王女さま」


 メイファはにこりとエレーナに微笑みかけると、再びジェムノーザの顔を見た。

 ジェムノーザは舌打ちし、忌々し気にメイファを睨んだ。


「正解だったようですね」

「よく知っているじゃないか。だが喋りすぎだ。黙らせてやる」


 ジェムノーザは言い終えると同時、両手を開いて上へ掲げた。

 手のひらから黒い煙が空へと昇り、瞬く間に頭上に一塊の雲が広がった。


黒雨剣ヘイユージェンの術だ、知らないだろう。あの雲から雨が暗黒の針となって無数に降り注ぐ。メッタ刺しにされてしまえ」


 ジェムノーザはにやりとすると、両手を下へ振った。

 だがその瞬間、メイファは左手を頭上で一回転させていた。巨大な炎の波が現れて空に燃え広がり、渦を巻いた。振って来ていた暗黒の雨の針は、その炎の渦の中に落ちると呆気なく燃え尽きてしまった。


「吹き荒れろ、龍捲風ロンジュエンフォン!」


 メイファは間髪入れずに右手を下から上へと振り、巨大な竜巻を発生させた。

 それを見たエレーナは戦慄に近い驚きを感じた。風の術はエレーナの専門であり、龍捲風ロンジュエンフォンも得意としていたが、メイファのそれはエレーナのよりも三倍ほども大きく、風力も凄まじかったからだ。だが次の瞬間、エレーナは更に驚く。

 そんな桁外れの龍捲風が轟音を上げながら空へと昇り、ジェムノーザが出現させた黒い雲を一発で吹き散らしてしまったのだ。


 ジェムノーザも再び唖然としたが、すぐに次の天法術ティエンファーを放った。だが、それもまたメイファの術に封じられてしまう。

 二人の天法術ティエンファーの応酬が続いた。ジェムノーザは持てる秘術を次々と繰り出すが、メイファはそれらを全て防ぐ。やがて、ジェムノーザの様子が変わって来た。常に余裕たっぷりの態度を取っていた暗黒の男が、初めて呼吸を乱していた。


「そろそろこちらからやらせてもらうわ。そして終わりにしましょう」


 メイファは、急に表情を厳しくした。


闇の天法術ヘーアンティエンファーは、元々使える者もほとんどいないが、どの国でも研究と使用を禁止されている。何故なら、威力に上限が無い為に研究と修練を積めば元々強力なのがどこまでも強くなり、人々を大量虐殺するような者が出て来たり、一人で国を奪おうとする者まで出て来るから。今の術のやり取りで、その危険性がよくわかりました。闇の天法術ヘーアンティエンファーはやはり使われてはならない。あなたをそのまま放っておくわけにはいかない」


 メイファはそう言って左手を下に向けると、ジェムノーザの足元の地面に亀裂が走って割れた。ジェムノーザは瞬時に飛んで落ちるのを避けたが、メイファが右手を突き出すと、そこから沢山の雷気砲が飛んでジェムノーザを襲った。


 ジェムノーザは左右に飛んで躱し、また暗黒波を放ってそれらを跳ね飛ばしていたが、一つを捌ききれずに顔を掠めさせてしまった――その瞬間、黒い頭巾が後ろにめくれ、顔を隠していた覆面も剥がれて飛んだ。


 ちょうど雲間から月がのぞき、漏れ注いだ月光の下にその顔が露わになった。


「えっ……」


 衝撃が走った。

 ジェムノーザの素顔を見たリューシス、エレーナ、バーレン、メイファらが、驚愕のあまりに言葉を失った。

 特に、リューシスは呆然としていた。


 夜闇の中ではあったが、篝火に加えた月光の薄明りではっきりと見えた。

 ジェムノーザの素顔。

 潰れている右目の下には赤い痣があった。だが、驚いたのはそれではない。

 左目、鼻、口、眉、輪郭……そして赤毛混じりの褐色の頭髪にいたるまで――


 リューシスと全く同じ顔がそこにあったのである。


「どういうこと……」


 エレーナとメイファ、バーレンも言葉が出ない。


 リューシスは目を大きく見開いて、自分と瓜二つの顔を凝視していた。


「な、なんだそれは……ジェムノーザ、お前は……何者だ……」


 リューシスが声を震わせながら絞り出すように言うと、ジェムノーザは左目を吊り上げて笑い声を上げた。


「見たままだ、リューシス! 自分とそっくりの顔を見て俺が誰だと思う?」

「…………」

「まあ、わからなくて当然か。想像もできないだろう。俺の存在は闇に葬られていたからな。同じ腹から一緒に生まれて来たのによ」

「何?」


 リューシスは目の色を変えた。


「俺とお前は双子だからな」


 ジェムノーザは無表情にさらりと言った。


 時が止まったような気がした。

 エレーナ、メイファ、バーレン、その他皆、再び言葉を失った。


「双子だと……」


 リューシスは愕然としていたが、ひきつった顔でジェムノーザを睨み、


「そんな馬鹿な……父上からも母上からも……全く聞いたことがない。出鱈目はやめろ」

「馬鹿が。今、俺の存在は闇に葬られていた、と言っただろう。聞いたことがなくて当然だ。」

「…………」

「俺たちが生まれた時……」


 その時、重い夜空にカラスらしき鳴き声が大きく響き渡った。

 ジェムノーザは眉を曇らせて頭上をちらっと見上げ、


「老師に何かあったか……?」


 と、呟くように言うと、リューシスを見て、


「悪いが急用だ。そこの女と決着をつけるのはまだ時間がかかりそうだし、今日のところはここまでだ。」

「待てよ、まだ話は途中だ」

「自分で調べるんだな」


 ジェムノーザはにやりと笑うと、黒い背を向けた。


「待ちなさい!」


 メイファは鋭く叫ぶと、両手を突き出して氷剣の術を放った。

 しかし、二本の氷の刃は宙を虚しくはしっただけであった。そこに、すでにジェムノーザの姿はなかった。


「双子……双子だと……?」


 リューシスは、ジェムノーザが消えた闇を見つめながら呆然としていたが、毒気が再び身体中を回り始めて、呻きながら意識を失って崩れ落ちた。

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