第112話 急襲

 時は少し戻り、同日の午前中ーー


 ラングイフォン城より北に約五コーリー(km)ほどのところに、リューシス軍の駐屯地がある。

 その中央に設けられた広場のような場所で、二人の男が激しく棒で打ち合っていた。

 バーレンとバティであった。武術の稽古と称して試合をしていた。

周囲には兵士たちが集まって観戦し、口々に歓声を上げていた。


 二人ともに、革の胴当てや帽子などの防具を身に着け、武器である太い棒の先端には真綿を布で包み、形としては安全には配慮している。しかし、二人ともに膂力は並外れている猛者である。打ちどころが悪ければ大怪我をしかねず、一歩間違えれば死につながることもありえた。


 バティは火を吐くような気合と共に棒を振り下ろし、叩きつける。バーレンは無言の殺気を棒に絡ませ、先端を稲妻と化して突き出す。

 両者が土を蹴る度に風が吹き、棒をぶつけ合えば火花が弾ける。竜攘虎搏の激闘は果てなく続くかと思われ、見ている兵士たちも迫力と緊張感にいつの間にか言葉を失って見入っていた。

 だが、突然破裂音が響いた。二人の棒が十字に噛み合った瞬間、共に亀裂が走ってしまったのだ。


 バーレンとバティ、二人ともに動きを止めて睨み合った。

そして、どちらからともなく棒を下ろした。


「バーレンどの、ここまでにしようか」


 バティが息を吐きながら言うと、


「ちょうどいい頃合いか」


 と、バーレンも額の汗を手の甲で拭いながら答えた。


 そこで、周囲で見ていた兵士たちもようやく緊張から解かれ、同時に喝采を上げた。

 二人の超人的な戦いに対する驚嘆と称賛である。


 その熱狂の渦へ、バティが口を開けて要求した。


「喉がからからだ。誰か水をくれ」

「俺にも頼む」


 すぐに、それぞれの部下たちが水差しと茶碗を持って来て、二人は物も言わずにごくごくと水を飲んだ。


「バーレンどのは強いな。改めて感服した」


 バティが部下に茶碗を戻しながら言った。

 バーレンは涼しい顔をして笑った。


「何を言われる。バティどのの方が終始優勢だったじゃないか。力の強さには驚かされた。受ける度に腕が響いてまだ痺れている」

「俺はその力で押していただけだ。しかも好機だと見て攻め込んだ時に限って簡単に外されてしまう。バーレンどのの技術にはかなわん」

「技術なんぞは持っていない」


 バーレンは苦笑した。


「それがまた信じられんな。本当に誰かについて武術を学んだことはないのか?」

「ああ」

「大したものだ。天才と言うやつか」


 バティは舌を巻いて感心した。


「そんな大層なものじゃない」


 バーレンは笑った後、ふと遠い目となった。


「……強いて言えば、ガキの頃から毎日ネイマンと棒を振り回してたおかげかも知れないな」

「ネイマンどのと」

「子供のころは貧乏だったから、やることがなかった。だから、アンラードの木材置場からくすねた材木を削って棒にして、二人で毎日戦いごっこをして遊んでたんだ。最初は真似事の遊びだったが、些細なことでネイマンと喧嘩をしたある日、互いに本気で相手を叩きのめそうと真剣に打ち合った。喧嘩はその日の暮れには仲直りしたが、それ以後、戦いごっこは遊びじゃなくなった。互いに技を考え始め、棒は長くなり、防具も使ったりして、真剣な棒術の試合のようになって行った」

「ふむ」

「最初は二人だけだった。だがそのうち同じように家や親のない奴らが一人二人と集まって来てみんなでやるようになり、いつの間にか大集団になった」

「それがアンラードで有名だったと言う貴公らの不良集団の元か」

「有名? どうかな……」


 バーレンは苦笑し、ごまかすように返事をして、


「まあとにかく、そうやって棒で打ち合うことが十代半ばぐらいまでほぼ毎日続いた。常に生傷が絶えなかったな」


 バティはまた感心して、


「俺たちマンジュが馬に乗るのと似ているな。強いわけだ。子供のころから実践で鍛えているのだからな。だが、それだけじゃ限界がある。やはりバーレンどのやネイマンどのには天賦の才があるのだろう」

「どうかな」

「ところで、バーレンどのとネイマンどのは毎日そんなに打ち合って、どちらが勝ちこしているのかな」

「数えてないから正確にはわからないが、俺の方が打ち込んでいる数は多いだろうな。だが、ネイマンは異常に打たれ強くてな。どんなに打ち込んでも向かって来る。俺が打ち込んだ数は数えきれないが、あいつが倒れたことは数えるぐらいしかない」

「ほう」

「ちなみに、俺たちの集団の中で一番弱かったのはリューシス……殿下だ」


 バーレンが珍しくおかしそうに笑った。


「あははは、そうだったのか」


 バティも大口を開けて笑った。


「そんな一番弱かったリューシスどのが、貴公らの不良少年集団の頭領だったのか。やはりローヤンの皇子だからか」

「いや。殿下はローヤンの皇子と言う身分で人を従わせようとしたことは一度もない。むしろ、そのことは一度も自分からは言わず、その身分を隠したがっているように見えたな」

「ほう」

「それでも、何故か自然と輪の中心になっていることが多くてな。その癖に一番弱いものだから、みんなあいつを守ってやらないと、と言う感じになって……いつの間にか俺とネイマンに代わってあいつが頭領になっていた」

「ふむ、なるほど」


 バティは鋭く目を光らせた。


「リューシスどのの真の強さは、戦術の冴えではなく、その辺りにあるのかも知れんな」

「どうかな」


 バーレンは苦笑した後、ふと思い出した顔つきとなり、


「そう言えば、俺は今度のルード・シェン山への帰還について殿下に話したいことがあるんだ。今どこにいるかな」


 バーレンはラングイフォン城の方角を見た。

 すると、その言葉を耳にした近くの一人の兵士が小走りでやって来て、


「バーレン様。リューシス殿下なら出かけましたよ」

「出かけた? どこへ?」

「殿下の護衛の中に友達がいまして、そいつから聞いたんですが、エレーナ様とお二人で馬で東部へ向かわれたそうです」

「東部へ。何の用だ」

「さあ。護衛もそこまでは聞かされてないようです」


 兵士が言うと、バティがにやりとした。


「偽装だったが、あの二人は元々結婚していた。もしかしたら今度は本心から夫婦になるかも知れんな」


 だが、バーレンは険しい顔つきで兵士に寄った。


「二人……殿下とエレーナ様は二人だけで出かけたのか? 護衛も連れずにか?」

「はい、護衛の方たちは供をしようとしたらしいですが、殿下は今日は皆にも休暇を与えたいと言って断ったそうです」

「…………」


 バーレンは黙りこくった。


「どうした、バーレンどの」


 不審に感じ、バティが寄って来て顔を覗き込んだ。


「あいつは頭が切れる。だが、抜けているところがある、昔から、時々とんでもない大失敗をすることがあるんだ」


 バーレンが低い声で言ったその時だった。

 駐屯地の外の更に遠方から、大地を揺らす馬蹄の響きと人の喚声が聞こえた。金属音も混じっている。明らかに一個の軍団、それも騎兵が走る音である。


 バティが一瞬で表情を変え、大音のする方角を見た。

 バーレンはすでに自分の愛槍を手に取っていた。


「これだから俺たちはあいつを放っておけないのかもな」

「放っておけないと言える程度ではないな。大迷惑だ」


 バティは苦笑いした後、すぐに顔つきを引き締めて、彼もまた素早く両刃の槍を取った。


「敵は……まさかアルテム・マハーリン将軍か」

「この状況ではそれしかないだろう。マハーリン将軍がたった一回の負けであっさりと投降したのは、最初からこれを狙っていたのかも知れん。残った戦力を温存した上で、俺たちを油断させておいて、隙を見て一気に襲い掛かる、と言う算段だ」

「リューシスどのがいない今がまさに絶好の機と言うわけか」


 バティが言った時、人馬の音一層大きくなり、同時に何かの破壊音と悲鳴が響き渡った。

 軽装騎兵の一隊が駐屯地の柵を突き壊し、突入して来たのだ。

 彼らが身に着けている甲冑はラングイフォン勢の物だった。


「かかれっ! 降伏する者は捕らえ、抵抗する者は斬り捨てよ!」


 と、先頭の一群の中にあって指揮を執っている者は、アルテムの副将ダヴィド・ニン。


 まだ何が起きたのかすら理解できていないリューシス軍の兵士らが悲鳴を上げながら四散する。それを追って、ラングイフォン勢の軽装騎兵らは各所に雪崩込んだ。雄叫びを上げながらリューシス軍の兵士らを襲い、幕舎をなぎ倒し、火を放った。


「兵士らは応戦できる状態じゃない。少しでも動ける兵士らをまとめて逃げよう」


 バーレンが馬に飛び乗り、槍を手に駆け出すと、


「残念だがそれしかないな」


 バティも答えて愛馬を走らせた。


 兵士らは駐屯地の中にいたとは言え、戦う準備はしておらず、ましてや襲われるとは思ってもいなかった。

 そこへ完璧に不意をつかれた急襲である。兵士らは激しく動揺し、防戦どころではなく、悲鳴を上げながら四方を逃げ惑った。ラングイフォンの騎兵らは兎狩りのようにそれを追い回して槍先に屠って行く。


 バーレンとバティは、そんな勢いを増して行くラングイフォン騎兵の攻勢の渦へ、果敢に飛び込んで行った。

 槍を突いて馬の前進を止め、大きく振り回して馬上の兵士をなぎ倒す。二本の穂先が縦横に銀光を閃かせる。鈍い音が響き、赤い血しぶきが舞った。


 一人で三人を相手にする奮戦。獅子奮迅の者が二人もいれば、流石にラングイフォン勢の勢いも少しは削がれた。

 そこで、バーレンとバティは後方へ叫んだ。


「皆、逃げろ! 退け!」

「隊列は構うな! 思い思いに散れ! 落ちる先はクイーン州だ!」


 二人も、槍を振りながら後方へと退いて行く。

 少し時間が経てば、正気を取り戻し始める兵士らもいる。彼らは自然と二人の周囲に集まり始め、共に駐屯地の裏口へ走った。


「逃がすな!」


 その背後を追撃するラングイフォン騎兵らの攻撃。

 バーレンとバティは後方に留まって必死に防ぐ。

 それでも当然、味方は次々と敵の槍先にかかって地面が赤く染まって行く。

 襲い来る刃を躱し、防ぐ。こちらの槍を突き返し、敵を押し戻し、その間に退く。

 全身を血に染めて行きながら何度もそれを繰り返した――

 その死闘の末、バーレンとバティらは何とか駐屯地を脱出した。

 その時、二人の周囲にはわずか五百人前後の騎乗の者たちがいるのみで、他には遠く原野の前方に先に逃げ出せた者たち約三百人ほどが散らばって駆けていた。

 それ以外の徒歩の者はほとんどが討ち尽くされていた。悲惨極まる結果であった。


 しかし、ラングイフォン勢の軽装騎兵隊は、まだ喚声を響かせながらすぐ背後を追って来ている。

 その数はおよそ三千騎。駐屯地から出た直後にも押し返したが、それでも散開隊形で執拗に追って来る。


 このままではすぐに完全に捕まってしまうだろう。数で劣る上に疲労の極みにあるバーレンとバティらが殲滅されるのは時間の問題と見えた。

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