第77話 雷雨の夜の真実

 夕刻、リューシスは、二日酔いも落ち着いて来た皆を会議室に集めて、勅命のことを話した。


「ふざけるんじゃねえぞ! ここは俺達が開発して来た俺達の場所だ」


 まだ酔いの残っているネイマンが真っ先に激怒して吼えた。


「その通りだが、新たな皇帝陛下の勅命だ。従わねば罪となる」


 バーレンはすでにすっかり酔いも覚めており、いつものクールな表情で言った。


「それだ。仮に丞相が決めたことだとしても、勅書は新帝陛下の名を持って出されている。従わねば逆賊となってしまう」


 そう言ったのはヴァレリーであった。


「だ、だけどよ。ここは俺達がここまで苦労して開発して来たんだ。それを手紙一枚で出て行けって、そりゃあねえだろ!」

 

 ネイマンが叫んだ。


「人事なんてそんなもんだ。そして、それができるのが皇帝エンディーの権力だ」


 リューシスが淡々と言った。


「くそったれが!」


 ネイマンが、黒檀こくたんのテーブルを拳で叩いた。


「これはやはり、丞相が殿下の命を狙う為の策謀でしょうか」


 イェダーが言うと、リューシスは頷いた。


「それに決まってる。以前の戦闘で、俺達がここに籠ってしまったら手の打ちようがないと言うことがわかっている。だから、まずは勅命で俺達をここから追い出した上で、何か適当な罪を俺に着せ、全軍で俺を討つつもりなのだろう」

「きたねえ野郎だ!」


 ネイマンは再びテーブルを叩いた。

 それから、一同の沈黙が続いた後、ヴァレリーがリューシスを見て強い声を上げた。


「リューシス殿下、ここは戦いましょう」

「戦う?」

「ええ。この勅命は丞相が新帝陛下を操って出したものに決まっています。それを天下に明らかにし、この命を断固拒否した上で、丞相を討つ兵を挙げるのです」


 ヴァレリーが熱っぽく言うと、ネイマンがすぐに賛同して立ち上がった。


「おう、そうだ! それがいい! すぐにアンラードに攻め寄せようぜ!」


 しかし、リューシスは険しい顔となった。


「だが、俺が挙兵すればローヤン国内は乱れに乱れてしまうだろう。その隙をついてガルシャワやマンジュが侵攻して来てしまったら、マクシムを討つどころではなく、ローヤン自体が滅亡の危機に陥ってしまうかも知れない」


 その言葉の前には、皆が何も言えなくなってしまった。


「ですが、このままでは我らは滅亡を待つだけになってしまうのでは……」


 ヴァレリーが悔しそうに言う。


「…………」


 リューシスは答えず、窓から外を見た。

 今日の空は重たげな黒い雲が広がっている。

 今にも雨が降りそうであった。


 答えの出ないまま、その日の会議は終わった。




 その夜、やはり雨が降った。

 しかも、大雨であり、時には轟音と共に雷が鳴った。


 深夜0時を過ぎても、リューシスは眠れなかった。

 溜息をついてベッドから起き出すと、傍らの小卓で葡萄酒プータージュを飲み始めた。

 窓から外を見る。

 雨は相変わらず強く降り続いており、時折稲光が閃いた。


 リューシスは立ち上がると、夜光杯グラスを持ったまま窓辺に寄って外を見た。


 その時であった。


「リューシス殿下、起きておられますか?」


 と、イェダーの声が扉の外から聞こえた。

 リューシスは微笑し、答えた。


「おう、ちょうど眠れなくて飲んでるところだ。一杯つきあうか?」

「それどころではございません。失礼いたします」


 外のイェダーが扉を開けて入って来た。雨に濡れた甲冑姿であり、ただならぬ顔色をしていた。

 それを見て、リューシスも一瞬で表情を変えた。


「何があった?」


 リューシスが訊くと、イェダーは跪いて、


「信じられないことかも知れませんが……アンラードの宮廷侍医であったリョウエン・フーラン殿が参られました」

「何だと?」


 リューシスは驚きの余り、思わず大声を上げた。


「リョウエンは父上の治療の失敗の責任を取って自害したはずだろう。どういうことだ?」


 リューシスは夜光杯グラスを小卓に置いた。中の葡萄酒プータージュこぼれた。


「一時間ほど前です。下の番所から、リョウエン・フーランと名乗る者が殿下に会いたいと言って来ていると連絡がありまた。私も驚きましたので、自ら下に確かめに行きました。すると、髪や髭は伸び放題、衣服もボロボロの酷い身なりでしたが、間違いなくリョウエンどの本人でした」

「今はどこにいる? 連れて来たか?」


「はい、山に上げ、今は城内の一室におります。どうしますか? リョウエンどのは、殿下がお休み中であるなら、会うのは明日でもいいとおっしゃられておりますが」

「いや、すぐに会おう。大広間だ。着替えてから行く。ああ、その前に、リョウエンはずぶ濡れだろう。風呂に入れてやり、新しい衣服を着せてやれ」

「はっ、承知仕りました」



 およそ三十分後、リューシスは大広間に向かった。

 そこには、イェダーの他に、まだ起きていて話を聞いたエレーナも来ていた。

 そして中央には、すでに風呂に入って新しい衣服に着替えたハンウェイ人男性が待っていた。


 リューシスが歩み寄ると、男はひざまずき、頭を下げた。


「リューシス殿下、お久しぶりでございます」

「うん、久しぶりだ。と言うより、間違いなくリョウエン本人なんだな?」


 リューシスは、まだ信じられない気持ちのまま、ひざまずく姿を見た。


「はい、リョウエン・フーランです」


 リョウエンは顔を上げ、真っ直ぐにリューシスを見た。

 髪も髭も伸び放題になっており、顔は痩せて肌艶も良くないが、間違いなくリョウエン本人であった。


「まず、このような大雨の深夜に突然訪れたこと、お許しください」


 リョウエンは再び頭を下げて謝った。


「はは、真面目だなお前は。そんなこと気にするな」


 リューシスは笑うと、


「それより何から訊けばいいのか……お前はティエンフー河に身を投げて自害したと聞いてたが、どういうことだ? それに、その形はどうした?」

「遺書を書き残した上でティエンフー河に飛び込んだのは本当です。しかし、本当は私はティエンフー河を泳いで対岸に渡り、その後、乞食のふりをして身を隠しておりました」


「何故そんなことを?」

「本当に自害したと見せかける為。また、丞相たちの討手うってから逃れる為です」


「丞相の? 治療が失敗した責任を取らされるのを恐れてのことか?」

「いいえ、違います。恐らく丞相は、私が真実に気付いたと知ったはずです。そうなれば、丞相は私を絶対に生かしておかないでしょうから」

「真実……? まさか……」


 リューシスは瞬時に直感し、顔色を変えた。


「今でも丞相は、私が本当は生きているのではないかと疑い、密かに捜索の人間を出しているようです。このような雷雨の深夜に訪れたのも、その捜索の網をすり抜ける為」


 リューシスの心臓の鼓動が急激に速くなって行った。


「リョウエン、真実とは何だ?」


 高鳴る心臓の音が、リューシスを急かした。

 リョウエンは真っ直ぐにリューシスの目を見つめると、ゆっくりと言った。


「殿下、落ち着いてお聞きください。先帝イジャスラフ様は、私の治療の失敗で亡くなられたのではございません。別の者の手で毒殺されたのです」


 聞いた瞬間、リューシスは心臓が止まった気がした。

 世界の全ての時間も止まったと感じた。

 

 同時に、窓が光り、外で雷鳴がとどろいた。


 その轟音で、リューシスはゆっくりと窓の外を見た。

 そのまま、外の雨降る夜闇を見ながら、リューシスは静かな声でリョウエンに訊いた。


「毒殺された……やったのは、マクシムか?」


「先帝イジャスラフ様の病が回復し、親政を再開されてから、丞相の権力は徐々に抑えられて行きました。しかし、イジャスラフ様が世を去り、バルタザール様が新たな皇帝エンディーに即位されると、バルタザール様がまだ若すぎて力が無いが故に、自然と丞相の権力は復活され、それどころか以前よりも強くなったと言われております。イジャスラフ様の急逝で最も利益を得たのは丞相です。これらから推測すると、丞相が手を下したものと思えます。しかし……」


 リョウエンはそこまで言うと、持っていた荷袋から小さな木箱を取り出した。


「しかし?」


 リューシスは、リョウエンを振り返った。その顔は冷静であったが、瞳には冷たい炎の如き光が揺らいでいた。


「これは、私がアンラードから逃げる前、密かにイジャスラフ様の棺から取り出して来た、イジャスラフ様の遺髪です」


 リョウエンは、木箱から毛髪もうはつの束を取り出した。

 リューシスは無言で近寄り、その束を見た。長く真っ白な毛髪である。


「一見すると、ただの白髪です。しかし、よく見ると、一部が微かに紫色に変わっているところがあるのがわかりませんか?」

「紫?」


 リューシスは更に近寄り、リョウエンの手の中を覗き込んだ。

 大広間の壁面の灯火は全て灯し、更に篝火かがりびいているが、それでも昼間のような明るさはないので少々見づらい。


「ほら、ここです」


 リョウエンが指で指し示した箇所をよく見てみると、確かに紫色になっていた。


「昨年、陛下は親政を再開した忙しさで白髪になったと言っていましたが、それにしても急激に真っ白になられ、私は何か変だなと思っておりました。そこへ、この紫に変色した髪です」

「それが、毒の証だと?」


「ええ。世に毒薬はいくつかありますが、その中で、ドーヤオそうの毒と言うのがあります。そのドーヤオ草の毒は、飲んでもすぐには死にませんし、一度や二度飲んでも効かないどころか、体調には何の変化もありません。ですが、およそ三ヶ月から半年間に渡って飲み続けると、ある日突然心臓が止まってしまうのです。しかも、ドーヤオ草の毒は味が無いので、食事等に混ぜても全く気付かないのです。それ故、長期的に毒殺を計画する者が、食事に混ぜたりしてよく使うのです」


 聞いていたエレーナが、顔を青くして口元を押さえた。


「ところが、ドーヤオ草の毒と言うのは、一つだけ特徴がありまして、心臓が止まるおよそ一ヵ月前に、急激に髪が白くなり、死ぬ直前には一部が紫色になるのです」


 リョウエンが言い終えると、リューシスはリョウエンの手から毛髪の束を取り、凝視した。


「突然の急死、そして一部が紫色になった白髪……ドーヤオ草の毒を使った証拠か」

「ええ。間違いありません」

「それはマクシムがやったんじゃないのか?」


 リョウエンはそこで一息ついてから、


「いや、丞相にそれができるはずがないのです。私が新しい治療法を開始してから、陛下の食事の献立から調理まで私が管理している上、お出しする前に、毒見役の者が必ず毒見しております。食事に混ぜていたのなら、毒見役の者も今頃すでに死んでいるでしょうし、白髪になっているでしょう。しかし、彼らは誰一人として白髪になっていないどころか、元気そのものです」

「ではどうやって……」

「そこで、私は気付いたのです」


 リョウエンが言った時、再び外で稲光がひらめき、轟音が二度、三度と響いた。

 それが止んだ後、リョウエンが目を血走らせて言った。


「皇后ナターシア様が毎日差し上げておられた薬湯です」


 リューシスは愕然として目を瞠った。

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