第46話 宿命の兄弟

 カティアは、明るい褐色の髪と褐色の瞳の美少女であった。


 しかし、性格はその美貌に似つかわしくなく、非常に活発で勝気であり、子供の頃はあちこちを走り回っては男の子のような悪戯をして両親の手を焼かせるような少女であった。


 そして、バルタザールとは同じ歳でもあり、父親のマクシムがバルタザールの傅役、後見人であったことから、幼馴染の間柄でもあり、同じ教師に学んだ学友でもあった。

 今でも、二人はとても仲が良く、男女であるが、何でも話せるような仲である。


 しかし、今のバルタザールの胸中は、彼女にも言えなかった。


「バルタ、何をぶつぶつ呟いてたの?」

「い、いや……何でもないよ。今日はちょっと弓術の調子が悪くてね」

「そう。だからここで休んでたの?」

「まあ、そんなところ」


 バルタザールは苦笑いをした。


「じゃあ暇なのね? 一緒に書庫に行こうよ」

「え?」

「読みたい本があるのよ。何でも、一人よりは二人の方がいいわ。ね? さ、行こう」


 カティアは勝手に決めつけると立ち上がり、無理矢理バルタザールの腕をつかんで引っ張った。

 活発で勝気な上に少しわがままで身勝手。だが、そこには不思議と嫌味のようなものがなく、さっぱりとして気持ちいいとすら感じる時がある。

 バルタザールは、そんなカティアの性格が嫌いではなかった。いや、むしろ、密かにカティアに淡い恋心を抱いていた。


 二人は中庭を抜けて、赤い煉瓦で建てられている北の宮殿に入った。

 ここに、ローヤン朝廷の貴重な書物や資料なども含めた、様々な書物が保管されている宮廷書庫がある。


 このローヤン最高の書庫は、宮中の文書や行政上の記録、資料などを管理する秘書省の管轄下にある。

 一般的には皇族と、ある程度の地位以上の重臣にしか入ることを許されず、他の人間は、皇帝、もしくは宰相か秘書省長官の特別な許可をもらわねば入ることができない。


 扉の前には、二人の衛兵と、書庫番の役人が立っている。

 カティアは、マクシムから発行してもらった許可証を見せ、中に入った。


 書庫の中はとても広く、またひんやりとしていた。

 その空間の中に、いくつもの金属製の棚が整然と置かれ、そこに沢山の書物が置かれていた。

 カティアは、書庫番の役人に、探している本を伝えた。

 役人は、「それならこちらです」と、カティアを連れて行った。


 バルタザールは、そのカティアの背中を見送った後、ぶらぶらと書棚の間を歩いた。

 すると、史伝の棚のところに来た時に、一冊の書物に目が止まった。

 題名は、「武帝説話集完全版」、である。


 武帝とは、ローヤン帝国第二代皇帝、ユリスワードのことである。


 父であり初代皇帝、太祖パーウェルの跡を継ぐや、各地に遠征を開始し、周辺諸国を切り従えて、現在のローヤン帝国の領土を確定させ、その礎を築いた人物である。

 武の面だけでなく政治にもその能力を発揮した名君で、ローヤン民族最大の英雄とされ、リューシスも武帝ユリスワードを最も尊敬する人物と言っている。


 しかし、彼は晩年、気が狂い、度々幻覚を見たり支離滅裂な言葉を吐いたと言われいている。


「武帝説話集」は、そのユリスワードのエピソードや言葉を集めた書物であり、ローヤンの皇族、重臣ならば誰もが一度は読んでいる書であるが、その完全版と言うのは、バルタザールも初めて見た。

 バルタザールは興味をそそられ、ぱらぱらとめくりながら読んで行った。ローヤン文字とローヤン語で書かれている。


 すると、とある一節に目が止まって、はっと顔が青くなった。


「後の世に、我の血を引く兄弟二人が、ローヤン民族の存亡をかけて死闘を繰り広げるであろう」


 それは、晩年に気が狂って支離滅裂な言動を繰り返したとされる時期の、ユリスワードの言葉であった。

 だが、それを見たバルタザールは背筋を寒くした。



 ――これは、今の自分とリューシスの兄上のことを言っているのではないか……?



 バルタザールは更に、その先の一文を見てまた驚愕した。


「そこに、偽物のローヤン皇帝が帝位を奪い、戦乱は更に激化する。その結果がどうなるかは、予にもわからない。光があまりにも眩しすぎるが故に見えぬのだ。だが、我らローヤン民族が滅ぶ可能性があることを、私は子孫たちに警告しておきたい」



 ――これは予言か? ローヤン民族が滅ぶ……?


 バルタザールの、本を持つ手が微かに震えた。

 だが、ふと思い直す。



 ――でも、武帝ユリスワードが気が狂っていたと言われる晩年の言葉だもんなあ……適当なでたらめかも知れない。



 バルタザールは、気を落ち着かせ、ローヤン文字で書かれたその言葉を見つめた。

 だが、冷静になればなるほど、その言葉が真実味を持って迫って来る気がした。


「後の世に、我の血を引く兄弟二人が、ローヤン民族の存亡をかけて死闘を繰り広げるであろう」


 この一文を再び見て、バルタザールは唇を震わせた。


 ――これは、間違いなく私と兄上のことではないのか……?


 だが、疑問が一つある。


 ――ローヤン民族の存亡をかけて争うと言うのはどういうことだろう?


 バルタザールとリューシスが戦うことになっても、それはローヤン帝国の玉座を争う戦いである。何故、ローヤン民族の存亡がかかるのであろうか。

 また、疑問はもう一つある。


 ――偽物のローヤン皇帝が帝位を奪うとはどういうことだろう?


 バルタザールは眩暈がした。

 真実味があるようでも、あまりにも意味不明な要素が多すぎる言葉である。読んでいる自分の方が気が狂ってしまいそうである。

 バルタザールは、小さく頭を振った。


 気が狂ったと言われるユリスワードの晩年の言葉である。

 きっと適当なでたらめだ。

 バルタザールは、そう思うことにした。

 だが、一つだけ信じるところがあった。


 ――私と兄上は、やはり戦う運命にあるのかも知れない。


 バルタザールは本を閉じ、棚に戻した。

 背筋を伸ばし、書庫の棚の間を歩いた。

 そこへ、目的の本を見つけたカティアが笑顔でやって来た。




 リューシスの封土であるランファンは、ローヤン帝国領の北西部に位置しており、かつ最北端にある辺境の小さな地である。


 その更に北は荒れた険しい山脈地帯であり、そこを越えて行くと、ハンウェイ人文明で北方高原と呼ぶ、一面大草原である広大な高原地帯が広がっている。居住していた地域はそれぞれ違うが、ローヤン人やガルシャワ人など、北方民族の故郷の地である。


 さて、そのランファンであるが、一年を通して寒冷な気候である上に乾燥しており、土地の半分ほどは草木のほとんど生えぬ荒涼とした大地であり、残り半分も作物があまり育たぬ痩せた貧しい土地である。


 また、その中心となる都市、その名もランファンであるが、他の都市とは違い、城壁に囲まれた城郭都市ではない。

 中央に政庁と居館などを兼ねた簡素な城が剥き出しになって建っているだけで、その周囲に商店や民家などが無秩序に広がっている。


 はっきり言ってしまえば、田舎の貧乏国である。


 ローヤン皇帝家の第一皇子でありながら、そのような地にしか封土を受けられなかったことからも、リューシスの宮廷内での立場が如何に微妙なものであるかを物語っていると言えよう。


 だが、とにもかくにも、リューシスは、ヴァレリーやエレーナら、ついて来た約八百人の軽騎兵らを引き連れて、”無事に”自らの国であるランファンに辿り着いた。


 何事もなく、無事に、である。

 これは、良いことなのであるが、リューシスには不思議でありながらも不気味であった。


 クージンからランファンまでの道筋の途中には、幾つかの城があり、そこには駐屯軍もいる。

 当然、それらの城には、アンラードの宰相マクシムから、リューシスの件について知らせが行っているはずであり、リューシスを見つけ次第捕縛せよ、との命令も行き渡っていると思われる。


 それ故、リューシスはアンラードから逃げる時に、目立たぬ為に、全員に散らばってランファンを目指すように指示したのであり、今回思いもかけず八百騎の軽騎兵団を連れての行軍になってしまったが、リューシスは各地に斥候を放ちながら、警戒しつつ行軍していた。


 だが、ランファンに来る途上、リューシスらは一度も追討軍には遭遇せず、そのような情報も無かったのである。


 しかも、マクシムはリューシスらがランファンに行くことぐらいは想定するであろうに、ランファンに追討軍が先回りして待っている、と言うようなことも無かった。


 ――俺達に気付いていないとは思えないが……どういうことだ?


 リューシスは疑問を感じながらも、実に平穏無事にランファンの地に入ったのであった。


 ランファンには、すでにバーレンやイェダー、その他の親衛隊の兵士らのほとんどが到着しており、なかなか現れぬリューシスとネイマンを心配しながら待っていた。


「良かった。丞相らの追手に捕まってしまったかと心配しておりました」


 リューシスは、ランファンの城下街の外れで、バーレン、イェダー、その他親衛隊の兵士らの出迎えを受けた。


「悪い悪い。まあ、ちょっと色々あってな」


 リューシスは、馬上から笑いながら答えた。


「色々……確かに何かあったようですな。ご自身で、目立たぬ為にばらばらにランファンに向えと命令したのに、引き連れているその騎兵の一団は一体どういうことですか? それに後ろの二人は……」


 イェダーは言いながら、エレーナとヴァレリーの顔に気付いて目を丸くした。


「あ、その方はもしや、前の奥方様では? それに、チェルノフ将軍?」


 イェダーとバーレンは、四年前に一応開かれた結婚式には参列しているので、エレーナの顔は覚えている。


 そして、ヴァレリー・チェルノフは、イェダーがアンラードの士官学校に学んでいた時代に、何度か実戦演習の教官を務めていたことがあり、イェダーにとっては顔見知りと言うよりも上官である。


「やあ、イェダー君、久しぶりだね。これからは同僚だ、と言うよりも殿下の幕下では君が先輩になる、宜しく頼むよ」


 ヴァレリーは微笑み、気さくに声をかけた。


「お久しぶりです」


 エレーナは、少し恥ずかしそうにそう言っただけだった。


「ネイマン、一体何があった?」


 バーレンが苦笑しながらネイマンに訊いた。


「まあ、どう説明すればいいかねえ」


 ネイマンは、癖毛の頭をかいた。


 すると、イェダーとバーレンと共にリューシスらを出迎えた、ジョサン・ウェンと言う壮年のハンウェイ人男が進み出た。このジョサンは、リューシスがランファン不在時の城主代理役を務めている。


「まあ、ここまでお疲れでしょう。今日はちょうどファーラオ豊饒祭が開かれる日。まずは城に入ってお休みください。そして夜、祭の宴席でゆるりとその辺りのお話もいたしましょう」


 ジョサンは、にこにこと笑顔を見せて言った。


 ランファンは、作物が育ちにくいと言うその土地柄、年に二度、五穀豊穣を祈る祭りが盛大に行われる。

 

 ハンウェイ人が古代より信仰して来た豊饒の女神、フォーラオの像を祀ってある神殿に供物を捧げて祈りの儀式を終えた後、三日三晩に渡ってフォーラオの女神に舞と歌を捧げるのである。

 それは、本来は豊作を願う真剣な儀式であったが、夜通し歌と踊りなどすれば、自然と酒も飲むようになるのが人間社会である。

 そして、当然の如く、豊作を願う儀式は儀式として真面目に執り行うが、いつの間にか踊りと歌と酒がメインの祭りとなり、ランファンの民にとっては最も楽しみな大イベントとなったのである。


 それの初日が、ちょうど今日であった。


「そうだな。とりあえずは一休みするか」


 と、リューシスは答えたところで、ふとした違和感を覚えた。

 それは、ジョサンの背後に整列している、ランファンに駐屯している軍の兵士たちである。


 リューシスは、兵士らの顔を見回した。何かが、おかしいと感じた。


「ジョサン」

「はっ」

「俺が不在の間、何かあったか?」

「いえ、何も」


 ジョサンは微笑しながら答えた。

 だが、


「そうか……」


 リューシスの胸中に、何か不穏なものが生じた。

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