第43話 生涯の主君

 勝鬨かちどきが止むと、リューシスらはジューハイの森を抜けて、その先に流れている川を渡り、更に向こうの小高い丘に登り、そこに簡易な野営地やえいちを作って休息を取ることとした。


 すでに、空は暗くなって星が出ていた。


 しかし、突然始まった戦で補給は無く、食料の類は一切ない。

 ヴァレリーが、部下数人を近隣の村や集落に走らせた。


 一時間ほどして、飯と麺包パン、干し肉や漬物や饅頭まんじゅうなどの食べ物、水やお茶、麦酒ピージュ葡萄酒プータージュなどが続々と運ばれて来て、兵士らに振舞われた。

 量は少なく質も粗末なものであるが、極限の戦いをした兵士らの疲労を一時癒すには十分であった。兵士、市民らは、あちこちで草の上に座り、硬い麺包パンを頬張り、干し肉を食べ、麦酒ピージュで乾杯し、勝利を祝った。


 リューシス、ネイマン、ヴァレリー、エレーナ、そしてシャオミンも、車座に座って休息を取った。

 だが、リューシスは麦飯にお湯をかけて食べただけで、酒は一切飲まなかった。

 勝利の直後とは言え、クージン城内にはまだ多数のガルシャワ軍がいる。警戒しなければならない。

 リューシスはいち早く食べ終えると、すぐに立ってどこかへと行った。


 エレーナは、砂糖をまぶしてある麺包パンを持ったまま、口に付けていなかった。

 立ち去って行くリューシスの背を見送ると、持っている麺包パンをぼーっと見つめていた。


「エレーナ様、食べないのですか?」


 ヴァレリーが不審に思って訊いた。


「え? う、うん……ちょっと食欲が……」


 エレーナは微笑して答えた。


「初めての戦だ。色々見たくないものを見ただろうし、無理もない。白湯さゆでも飲みながらゆっくり食べるんだな」


 ネイマンが笑いながら言った。ネイマンは、すでに五個目の肉饅頭を頬張っている。


「しかし、今回の戦の武功第一はエレーナ様でしょうな」


 ヴァレリーが、木椀に入った濁った葡萄酒プータージュを飲みながら言った。


「え?」

「ああ、そうかもなあ」


 ネイマンも同意した。

 エレーナが首を横に振った。


「そんなことないでしょう。二人があそこで正面から敵を必死に食い止めてくれたおかげよ」

「いえいえ。それでも、エレーナ様の天法術ティエンファーで敵の騎兵隊を混乱させられなければ、我々の働きだって無駄になっていたわけですから」


 尚も、二人は口をそろえてエレーナの働きが第一だと言う。

 その後、ヴァレリーは頬の赤くなった顔をネイマンに向けた。


「しかし、ネイマン殿の豪勇にも感心しましたぞ。と言うより驚きました。ローヤン近衛軍にもネイマン殿ほどの猛者はおりますまい」

「へっ、あんなもん大したことねえよ。まだまだ暴れ足りなかったぜ」


 二人は、わずかな酒を酌み交わしながら、めでたい戦勝気分のまま、談笑に興じた。


 エレーナは、隣で人間のような座り方をしながらチーズをかじっているシャオミンにそっと訊いた。


「ねえシャオミン。リューシスはどこに行ったの?」


 豹柄模様の神猫シンマーオンは、エレーナを見上げて答えた。


「多分討ち死にした人たちのところだと思うよ」

「討ち死に……?」

「あっちかなあ」


 シャオミンが手を向けた。兵士らが固まって酒食を取っている場所の向こうだった。


 エレーナは、麺包パンを口に入れて無理矢理飲み込むと、そっちの方へ行ってみた。


 丘の向こう、篝火かがりびがいくつもかれた場所に、日中の戦いで討ち死にした者達が並べて横たえられていた。

 リューシスは厳粛な顔で、兵士三人を伴ってその中を歩いて回り、「これは誰だ?」「ドゥーハン村のジェンハー・インです」などと言うやり取りをして、戦死者の名前を紙に書き留めさせていた。

 それが一通り終わると、リューシスはおもむろに両膝をつき、彼らに向かって合掌し、祈りを捧げていた。

 とても長かった。五分、十分もの間、リューシスは目を閉じて何か祈っていた。


 ――そう言えば……あの時もそうだったわね。


 エレーナは、リューシスの宮殿内にいた時の、ある事を思い出した。


 リューシスは、フェイリンを滅亡させ、エレーナを伴ってアンラードに戻って来た後、自身の宮殿の裏庭に、供養塔を建てさせた。

 それは、戦死したローヤン軍兵士の為のものではなかった。どういうわけか、フェイリンの犠牲者の魂を弔う為のものであった。


 約一ヵ月の間、リューシスは毎朝、その供養塔の前に跪いて何か祈っていた。

 エレーナは、その光景をよく目撃していた。

 毎回、その祈りはとても長かった。一体何をそんなに長く祈っているのかはわからないが。


 ――きっと心は優しいのよね……そして実はとても繊細な人……。


 その時、リューシスが祈りを終えて、立ち上がった。

 エレーナに気付き、振り返った。


「どうした? 食べ終えたのか?」


 エレーナは慌てて取り繕い、


「う、うん。あなたは……もう食べないの?」

「俺はいい。食料は少ないからな」


 リューシスがそう言った時、ヴァレリーとネイマンが慌てて走って来た。


「殿下、メイロン城から伝令が来ました」

「おう、何だって?」

「城主のキラ・フォメンコ将軍サージュンが、直々に六千人の軍を率いてこちらに急行しているそうです。フォメンコ将軍サージュンは、到着するまで何とか持ち堪えて欲しい、とのことです」

「何? キラ・フォメンコ?」


 リューシスは目の色を変えた。


「ええ。フォメンコ将軍サージュン七龍将軍チーロンサージュンの一人。六千人とは言え、フォメンコ将軍サージュンであればかなりの力になります。きっとクージン城を落とせましょう」

「そうだな……」


 リューシスは頷いたが、その顔色は曇っていた。

 それに気付き、ヴァレリーが訊いた。


「如何されましたか?」

「いや……メイロンの城主がキラ・フォメンコとは知らなかった。『鉄血のキラ』……できれば会いたくない奴だ。バリバリのマクシム派だしな」

「あ、そうでしたか……」


 キラ・フォメンコは、七龍将軍チーロンサージュンの一人で、最年少の二十八歳である。しかし、その冷徹な戦いぶりから、『鉄血のキラ』と呼ばれていた。そして、マクシムのお気に入りで、七龍将チーロンジャンの中でもダルコと並ぶマクシム派であった。


「まあ、誰が来るにせよ、俺はもうこれ以上ここにはいられない。あとはヴァレリー、頑張ってくれ」


 リューシスが言った時、また別の方向からも取り次ぎの兵士が駆け付けて来た。


「申し上げます。アンラードから、七龍将軍チーロンサージュンの一人、ダルコ・カザンキナ将軍サージュンが一万人の軍勢を率いてこちらに向かっております」

「ダルコ?」


 リューシスは思わず声を上げた。

 ヴァレリーが小首を傾げた。


「ダルコ・カザンキナ将軍サージュンがアンラードから? しかも一万人とは……。要請はしていないがアンラードから直々のクージン討伐軍でしょうか」

「そういうことだろうが、それにしても早すぎる。クージンがガルシャワに無血開城したのが数日前だ。アンラードから一万人もの軍団をこんなに早く動かすとはどういうことだ」


 ローヤン帝国は、全体の動員可能兵力が約十五万~十八万人で、首都アンラードには近衛このえ軍を含む防衛軍、予備軍が常時およそ三万人から四万人ほどいる。

 そのうちの一万人と言えばかなり思い切った兵数である。それをこんなに早く動かすとは少し異常であった。


 リューシスは眉をしかめた後、兵士に訊いた。


「ダルコらは今どのあたりにいる?」

「ザナン地区で夜営しているようです」

「ザナン? ここから四十コーリーほどじゃないか」


 リューシスは驚いた。


「出陣も速ければ行軍も速いですな。異常な速さです」


 ヴァレリーが言った。


「恐らくだが……その速さだとクージン奪還だけが目的じゃないな。俺がここにいると言う情報を掴んだんだろう。俺も目的のはずだ。こうしてはいられない」


 リューシスは、ネイマンに言った。


「すぐにここを離れる。ネイマン、行くぞ」


 聞いたヴァレリーが驚いた。


「ええっ? ここを離れるのでございますか?」

「もちろんだ。俺は元々追われているんだぞ。そこへキラとダルコが来るんだぜ。ここにいたら捕まっちまう。本来の予定通り、今すぐにランファンに向かう」


 リューシスは言うと、足早に歩き始めた。

 ヴァレリーは、一時俯いて何か思案していたが、顔を上げると、思い切ってリューシスの背に声をかけた。


「リューシス殿下!」


 振り返ったリューシスに、ヴァレリーが真面目な顔で寄って行った。


「私も共に戦います。ここでフォメンコ将軍、カザンキナ将軍と一戦いたしましょう」


 リューシスは驚いて目を瞠った。


「馬鹿言うな。兵数は少ない上に、皆今日の戦いで疲れ切っている。この状態で七龍将チーロンジャン二人の一万以上の軍を相手にまた戦うのは無理だ。しかもクージンにもまだシーザーらがいるんだぞ」

「では……私も殿下について行きたいと思います。他の者にも声をかければついて来るものは多いでしょう。お連れください」


 ヴァレリーは真剣な眼差しでリューシスを見た。

 リューシスは慌てて手を振った。


「おい、待て待て。そもそも、お前はローヤンの正規の将校だぞ。しかも駐屯ちゅうとん軍総司令官にまでなったほどの。クージン奪還に成功すれば、恐らく次にクージン城主を任されるのはお前だぞ? しかも、ローヤン人のお前ならば順調に行けば将来は七龍将チーロンジャンにだってなれるだろう。その地位を捨てて、ローヤン朝廷から反逆人にされている俺についてくるってのか?」

「ええ。今の地位に未練はありませぬ」


 ヴァレリーは、きっぱりと言い切った。


「でも、お前の家族はガルシャワに人質に取られているんだろう?」


 と言った時、リューシスはすぐに気付いて、「あっ……」と絶句した。


 ヴァレリーは寂しげに微笑んだ。


「あの時、殿下の命を救う為に、全てを覚悟の上で蜂起ほうきしたのです。家族は……恐らく今頃もう……」


 それを聞くと、リューシスは悲痛な顔で嘆息し、夜空を仰いだ。

 ヴァレリーはその横顔を見ながら言葉を続けた。


「殿下。私は常々、人間として生きる意味、命の価値と言うものを考えておりました。今のローヤン朝廷は、皇帝陛下が病身であるのをいいことに、丞相が国政を壟断ろうだんし、丞相の一派が中央の要職を独占し、地方も丞相に媚びへつらう者ばかりが出世します。そして国中に賄賂や不正、汚職が横行しております。その最も腐った例が卑劣漢ベン・ハーベンの城主就任と、その果ての無血開城です。また何よりも、ローヤンの皇子であり、英雄でもあるリューシス殿下への無実の罪での陥れです」


 淡く振りかかる月光が、ヴァレリーの真剣な表情を照らした。


「私は、今のローヤン朝廷の状態をずっと憂いておりました。同時に、誰かこの国を変えられる英雄が出てこないものかと待ち望んでおりました。そして、もし、そのような方が世に出て来られたならば、私はそのお方の下に仕えたい。密かにそう思っておりました。そんな折、リューシス殿下に出会いました。殿下には、この国を変え、この国を救える力があります。どうせ、もう家族もいないこの身ならば、私は全ての地位や身分を捨てて、ローヤン朝廷に刃向ってでも、殿下にお仕えして行きたいと思います」


 ヴァレリーは、周囲の夜闇が焦げるかのような炎の情熱で言った。

 だがリューシスは、皮肉そうな表情を見せた。


「そこまで言ってくれるのはありがたいが、買い被りが過ぎるぞ、ヴァレリー。俺にはそんな力は無い。知ってるだろう? 俺は簡単にマクシムの罠にはまってしまうような器だぞ。しかも金の管理もできないくせに、賭場や酒楼、娼館で遊び回るどうしようもない人間だ」


「いいえ。人は単純ではありません。様々な側面を持つものです。そんなのは殿下の小さな一面でしかありません。今回のイーハオの一件と、日中の戦で、私は確信いたしました。やはり殿下こそがこの国を救うお方です」


 リューシスは溜息をついた。


「だけどな……実は俺は、マクシムらと戦うとはまだ決めてないぞ。これからどうするかすら決めてないし、どうなるかもわからない。とりあえず、マクシムらに殺されるのは気に入らないから逃げているだけだ。俺について来たところで、何もありやしないかも知れないぞ」


「それでも構いません。私はただ、生涯を賭して仕えるべきお方と見込んだ殿下について行きたいのです。そして私は、殿下はいつか必ずローヤンの為、天下万民の為に立ち上がると信じております」


 リューシスはもう、何も言えなくなってしまった。諦めた顔で言った。


「……俺がこの先何をしようと文句は言うなよ」

「はい。ありがとうございます。身命を賭してお仕えいたします!」


 ヴァレリーは顔を輝かせて跪いた。

 それから、ヴァレリーは駐屯軍総司令官時代の部下達、兵士達のところに走り、自分はリューシスに従って行くことを告げた。


 すると、「私も行きとうございます」「殿下にお仕えしたい」と、同様にリューシスについて行きたいと望む者たちが何人も出て来た。


 それは、ほとんどがまだ家族を持たぬハンウェイ人の若者で、身分が低い下級兵士であり、また日ごろから宰相マクシムとその一派に反感を持っており、同時に今回の件でリューシスを慕い始めた者たちであった。


 家族を持っている者も混ざっているが、彼らもヴァレリーと同様に、家族を人質に取られているか、もしくはクージン城内に残っているが、すでに殺されている可能性がある者達である。


 その総数は、何と八百人にも達した。

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