第34話 リューシスの首
「エレーナって……お前の元嫁かよ」
ネイマンは唖然として口を開けた。
チャオリー、アーシンらも、あまりに突然の成り行きに言葉が出ない。
「エレーナ、何でこんなところに……? い、いや待て。君がここの山賊の頭領なのか? どういうことだ?」
リューシスは完全に面食らっていた。まるで幻覚でも見ているかのようで、高度な変幻の
だが、リューシスの眼前に立ってリューシスを見下ろしている人間の顔は、紛れもなく彼の元妻エレーナであった。
「いけない? ここに皆と住んでるのよ」
エレーナは、リューシスらの衝撃などまるで気にせず、さらりと言った。
「皆と……? ああ、そうか、わかったぞ。ここの山賊と言うのは、君を中心にしたフェイリン国の残党か」
リューシスは、困惑を残しながらも、納得した表情で左右に立ち並ぶ人間たちを見回した。
エレーナは冷やかに笑った。
「残党だなんて、そんな言い方はやめて欲しいわね。だけど、そういうことよ。私たちはここを拠点にして、フェイリン復興を目指しているの」
「なるほど……納得が行った。街や民を襲わず、盗みもしないと言うのはそういうことか」
「そうよ。私たちは世間の目を欺く為に山賊に身をやつしているだけであって、山賊じゃない。私たちはフェイリン王家の人間で、私はフェイリンの王女ですから」
エレーナは力強い口調で言った。
堂々と立ち、青い瞳には強い光がある。その姿が、リューシスの記憶に残っているエレーナの姿とはあまりに違うので、リューシスはついじっと見つめてしまった。
「何?」
エレーナは眉をしかめて言った。
「いや、なんでもない」
リューシスは我に返り、
「じゃあ……塩の密売をしていると言うのは本当か?」
「知ってたの。そうよ、ルートを作るのは苦労したけどね。おかげで軍資金はかなり集まったわ」
エレーナはそう言うと、リューシスを改めて上から下まで見て、
「さて、貴方がここに来た目的は……
リューシスは目を丸くしてエレーナの顔を見た。
この状況では、もう誤魔化したりするよりも、率直に言うしかないであろう。
「その通りだ。君がそれを自分から言うと言うことは、やっぱりベン・ハーベンと繋がっているんだな? 奴はここにいるのか?
「ふふふ……さあ、どうかしらね?」
エレーナは意地悪そうにとぼけて笑った。
「教えてくれ。奴を捕まえ、
リューシスはそう言うと、全ての事情を話した。
すると、エレーナの白い顔が険しくなった。
「なるほどね。そのイーハオって子は貴方の親衛隊にいた男の息子だったの……」
エレーナは苦々しげに言った。
「数日前に、ベン・ハーベンにスリの得意な人間を貸してくれ、と言われたけど、まさかそんなことをしてたなんてね」
「知らなかったのか」
「ええ。その男には他にも仕事があって、まだ帰って来ていないから」
エレーナは言うと、部下達に手で合図をした。
すると、一人の人間が縄で縛られたまま引き摺られて来た。
それこそ、ベン・ハーベンであった。彼は怯えきった真っ青な顔をしていた。
「と、頭領どの、何故このようなことをする! どういうことだ!」
ベン・ハーベンは、エレーナを見るなり震える声で叫んだ。
だがエレーナはそれを無視し、ベン・ハーベンを見下ろしながら淡々とした声で言った。
「この男はね。私たちが塩の密売をして儲けているらしいと聞きつけると、密かに裏で近付いて来たのよ。利益のうち一割でも差し出すのならクージン城主の自分の権限で全て見逃してやる、とね。しかし出さないならすぐに全クージン軍で討伐する、と」
「やっぱりそう言うことか」
リューシスは頷いた。
「城主の癖にとんでもない悪人。私が一番嫌いなタイプだわ。そんな奴に利益を出すなんてしたくなかったけど、まだ集まり始めたばかりの頃だったし、潰されたくなかったから……それで討伐軍を向けて来ないなら、と言うことで我慢したわ。まあ、私もその代わりに色々とローヤンの情報を流してもらう、と言う条件を出したからお互い様なんだけど」
エレーナは苦笑いしたが、
「それから、互いに人を出し合ったりして、変な形で協力関係が始まったんだけど……まあこの男は屑よね」
と言って、エレーナは汚物でも見るような目でベン・ハーベンを見た。
「国や民のことなんてどうでもいい。私腹を肥やすことしか頭にない。その極めつけが先日のガルシャワへのクージン開城。それを聞いた私は、流石に我慢できなくなって、そろそろこの男と縁を切って、逆に懲らしめてやろうと思ったの。そんな時、すぐにこの男から連絡があってね。"ガルシャワ軍があの
と言うエレーナの話によれば……。
ベン・ハーベンは、クージン開城でガルシャワに功労者として評価され、元のクージン城主の地位も保証された。
しかし、それは形だけの評価で、実際にはシーザーたちガルシャワ人武将らは、ベン・ハーベンを"城主だった癖に真っ先にローヤンを裏切った信用ならない男"として白い目で見ていた。それに気付いたベン・ハーベンは、このままではいずれ城主の地位を下ろされた挙句に冷遇され始めるであろうと感じ取った。
そこで、ガルシャワ軍が
「なるほど、元々クージンからは去るつもりだったのか。道理で行動が速いわけだ」
「最後にそんな宝物を盗んで売り飛ばしてから逃げようなんてね……どこまでも呆れた外道よ。で、さっき、どうも全てばれたらしいから、今日一晩、朝まで匿ってくれ、と言って逃げ込んで来たんだけどね、逆に縛り上げてやったのよ」
エレーナが言うと、ベン・ハーベンが震えながらエレーナに訴えた。
「わ、私をどうするつもりだ。今まで協力し合って来た仲ではないか」
「そうだけどね、あんたはやりすぎたのよ」
エレーナは鋭くベン・ハーベンを睨んで、部下達に再び別室に連れて行くように命じると、リューシスに言った。
「追って来たって言うんならあの男、あなたに渡してやってもいいわよ」
「本当か……? いや、待て、
「それは駄目よ、
そう言って不敵に笑ったエレーナの顔を、リューシスは睨むように見た後、笑いを漏らした。
「変わったな、エレーナ。四年前は世間知らずのか弱い女だったのに、今はベン・ハーベンの悪行を知りながらも己の目的の為に利用した上に、更に
すると、エレーナの白い頬に赤みが射した。
「あなたが変えたのよ。フェイリン総攻撃の指揮を執り、私の父や母、兄弟たちを殺し、フェイリンを滅亡させた上に、私を捕えて妻にしたかと思ったら、ロクに結婚生活も送らないうちにわずか一カ月で捨てた貴方が!」
エレーナの語気が荒くなった。
刺すように睨んでくるエレーナの視線を、リューシスは目を逸らさずに見返しながら、静かに言った。
「俺は言ったはずだ。あの結婚は君の命を助ける為だって」
エレーナは無言でリューシスを睨んだ。
静寂が、流れた。
周囲は、エレーナの部下達も、ネイマンらも、誰も口を開かない。どことなく気まずい、奇妙な緊張感が張り詰めていた。
そんな空気の中、リューシスとエレーナは無言で視線をぶつけ合っていたが、やがてエレーナがふふっと笑って言った。
「まあ、いいわ……。でもそうねえ……
「本当か?」
リューシスは身を乗り出したが、エレーナは薄笑いで言った。
「あなたの首と引き換えならね」
「何……」
「貴方は私の元夫である前に、私の家族、祖国の仇敵なのよ。だから、ここであなたがその首をくれるなら、
エレーナは冷笑した。
「何だと……」
ネイマンらが顔色を変えた。
だが、リューシス本人は動じるような様子はなく、しばし目を伏せて考えた後、エレーナを見て言った。
「わかった、俺の首をやる」
「おい、リューシス!」
すぐにネイマンが大声を上げた。
リューシスはそれに構わず、同じような大声を出した。
「だけどその前に
エレーナはリューシスの目をじっと見つめてから、
「……わかったわ。じゃあ、こっちに来て。あなた一人で」
と言って、エレーナはついて来るように促し、先に立って歩き出した。
リューシスは両手を後ろに縛られたまま、エレーナの部下二人に両脇を挟まれながら着いて行った。
向かったのは、広間から通じる廊下を歩いてすぐ隣の部屋だった。
6メイリ四方ほどの広さで、奥には格子のついた丸い窓があり、そこから外が見えるようになっているが、今は真夜中なので見えるのは夜闇だけである。
四方には紫檀の飾り棚があり、大きな壺、美しく磨かれた鏡、金や銀の杯などが並べられ、中央にも同じく紫檀製の長いテーブルがあり、その中央には
エレーナはリューシスをその部屋に入れると、付き添って来た部下の二人に、「私とこの男の二人だけにして。外にも控えず、広間に戻っていて」と、命じた。
そうして二人だけになると、エレーナはリューシスに椅子に座るように言った。
リューシスは言われるままに椅子に腰かけたが、エレーナは座らず、テーブルの向こう側に行くと、丸窓の側に立ってそこからリューシスを見つめた。
「知らせは聞いているわよ。アンラードで反乱を起したそうね」
「濡れ衣だ。宰相のマクシムに嵌められたんだよ」
「ふうん。相変わらずね。戦争だけは上手だけど、それ以外のことは本当に不器用」
エレーナは皮肉そうに笑った。
「あの時もそう。何で私の命を助ける為に、わざわざ結婚なんて方法を取ったのかしら? 今でも時々思うんだけど、他に方法があったんじゃない?」
「君は斬首寸前だった。咄嗟のことだった……あの時はあれしか思いつかなかった。じゃないと、陛下、父上の怒りは収まらないと思ったんだ」
リューシスは目を伏せた。
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