第32話 刺客

 その後、三人はナンジン街のコンリンろうに行った。

 店の隅の円卓で、すでにアーシンらが待っていた。

 アーシンらは、今日も各市場で聞き込んだ結果、やはり昨日と同様、ソウセンと言う名の商人についての情報は何も得られなかった。


「旅商人でも、そういう名前は聞いたことがないとさ。これは、やはり真犯人がでっち上げた架空の人物で間違いないだろうよ。どうする?」


 疲れが出たのか、アーシンが眠そうな目で言うと、リューシスはにやりと笑った。


「心配ない。こっちは真犯人がわかったぞ」

「何、本当か?」


 アーシンが目を開き、円卓の上に身を乗り出した。


「誰だ? どこにいる?」

「しっ。誰かに聞かれるとまずい。ちょっと耳を貸してくれ。実は、真犯人の捕縛ほばく玉璽ユーシの奪還方法ももう考えてあるんだ」


 アーシンらが椅子から下りて、リューシスに寄った。その耳元に、リューシスは小声で何かを囁いた。



 そして、一同は簡単に食事をしながら犯人捕縛の打ち合わせをし、一、二杯軽く酒も飲んでから、コンリン楼を出てそれぞれの帰途についた。


 リューシスとネイマンが帰るのはイーハオの家である。イーハオの家にはシャオミンがおり、不安がるアルハオの面倒を見ている。


 だが二人は、真っ直ぐにイーハオの家には向かわず、別に寄り道をした。

 ナンジン街とは趣が違う、娼館しょうかんが多く立ち並ぶ妖しい雰囲気の繁華街に入り、一軒の北方料理屋に寄って飲み直すこととした。


 二人はそこで、羊肉の香草焼きシャンツァイヤンロー、チーズの燻製などをつまみに麦酒ピージュ葡萄酒プータージュを数杯飲み、客引きにやって来たハンウェイ人娼婦を適当にあしらって追い返した後、最後のシメにラーグー麺と言う北方発祥の辛味のある麺料理を食べた。


 会計を終えて店を出た時、リューシスは足元がふらついていた。


「大丈夫かよ」


 ネイマンが心配すると、


「いいんだよ、真犯人がわかった前祝いだ!」


 リューシスは上機嫌で答える。


 そして、二人は城外に出て、イーハオ兄弟の家がある貧民街に通じる、薄暗い路地に出た。

 そこは空き地が多く、人家もまばらである。

 路地には野良犬が数匹うろついているだけで人影はなく、地面に月光が淡く落ちているのみであった。


 そこを、リューシスは鼻歌を歌いながら歩いて行く。


 すると、前方左脇のボロ小屋の陰から、ぬうっと現れて行く手を立ち塞いだ幾つかの黒い人影。

 リューシスは鼻歌をやめて足を止めた。


「何だてめえら?」


 ネイマンが一歩前に出て身構えた。


「後ろもだ、ネイマン」


 リューシスは後方を振り返った。

 そこにも、いつの間にか五人ほどの人影があり、退路を塞いでいた。

 暗くてよく見えないが、皆黒い覆面ふくめんをしており、それぞれ手に刀や長剣を握っている。


「俺達に何か用か?」


 ネイマンは前後を睨み回した。筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる巨漢である彼がドスを利かせた声で凄むと、ほとんどの人間は震え上がる。

 しかし、覆面の男たちは怯みもせず、無言でじりじりと薄闇の間を詰めて来るだけである。

 リューシスが低い笑い声を立てた。


「ははは……そうか、俺達が真犯人を突き止めたから、その前に始末しに来たってわけだな?」


 しかし、男達はやはり何も答えない。

 得物を構え、覆面の間の目を光らせながら近づいて来る。そして、突然夜風と一体となって襲いかかって来た。


 ネイマンは腰の大刀を抜き、左から右へと大きく振った。豪快な刃鳴りの音が響いた。一人の男が受け止めたものの、その斬撃の威力で吹っ飛んだ。

 リューシスも長剣を鞘走らせ、男達に向かって斬りかかって行った。その足さばきは、先程までの千鳥足ちどりあしが信じられぬぐらいにしっかりして鋭い。

 それを見て、相手の男達の一人が驚いて口走った。


「貴様、酔っているんじゃないのか?」

「演技だ。酒は一杯だけだ」


 リューシスはにやりとしながら言い、長剣を斜めに振り下ろした。


「演技だと?」


 相手の男が斬撃を撥ね返しながら目をみはったその時、


「現れたか!」


 と、薄闇の中から躍り込んで来た数人。ヴァレリーとアーシンたちであった。

 相手の男たちに動揺が広がった。


「まさか、我らが襲うと知って待ち伏せていたのか?」

「正確に言うと、襲って来るように仕向けたのさ」


 リューシスは笑うと、


「二、三人を残してあとは全員斬り捨てろ!」


 と、鋭く叫んだ。

 たちまち、暗い夜道での激しい乱戦となった。

 しかし、勝敗の行方は始まる前に見えていたと言える。


 ネイマンはローヤン近衛軍の精鋭たちでもかなわないと評された巨漢の猛者もさであり、アーシンは一見並の体格であるが、そのネイマンと互角に張り合える男である。

 仲間の男達も同様に猛者もさ揃い。また、ヴァレリーも元々駐屯軍司令官を務めていただけあって、個人的戦闘能力も抜群のものがある。


 そんな彼らが本気を出して剣を振るえば、相手の男達はかなうわけもない。彼らはあっと言う間に相手の男達を斬り伏せ、残った二人の武器を跳ね飛ばして組み伏せると、用意していた縄で縛り上げた。


 リューシスは縛られた二人を見下ろして言った。


「さて、お前らが覇王の玉璽バーワン・ユーシを盗んだ連中と見ていいな? 俺達にばれたと思ったから、密かに始末しに来たんだろう?」


 だが、二人の男は目を反らしたまま答えなかった。


「教えてもらおうか。お前ら、一体どこの何者だ?」


 リューシスが重ねて訊くと、男たちは驚いた表情で顔を上げた。


「うん? 我々が誰であるか知っているんじゃないのか?」

「知らねえよ。この二日間、俺達なりに捜索してみたけどな、ソウセンなんて男は見つからないし、盗んだ真犯人もわからなかった。お手上げだ」

「何だと……」


「だけど、どうも政庁せいちょう内部の人間が怪しいかも知れない、と言うことだけはわかった。だが、今から政庁内部を調べるんじゃとても時間が足りない。そこで罠を仕掛けたんだ。お前らはずっと俺の動向を見張っていただろう? その気配には気付いていた。だからそれを利用し、わざと真犯人がわかったふりをしてお前らを誘き寄せたんだ。もし、真犯人が政庁の外部の人間だったら、ばれた時点で逃げてしまえばいい、しかし政庁内部の人間だったら、簡単に逃げるわけには行かないだろうから、きっと俺達を襲って来ると思ってな」

「…………」


 男達は青い顔で言葉を失った。


「そして、狙い通りに引っかかってくれたわけだが……さて、正体を吐いてもらおうか」


 リューシスは二人を見下ろしながら訊いた。


「…………」

「見たところ、お前らは手先だな。親玉は誰だ?」


 しかし、二人はそっぽを向いたまま口をつぐんでいる。


「よし、拷問の前に二人の身体を探るんだ」


 リューシスが言うと、ネイマン、アーシン、ヴァレリーが二人の身体を探った。

 だが、そこからは特にこれと言った物は見つからなかったので、


「斬った他の連中の懐も探ろう」


 と、地面に転がっている他の男達を探った。

 すると、一人の男の衣服の間から、一枚の木札が出て来た。

 それは、とある屋敷の出入り許可証であった。その屋敷の主は、


「ベン・ハーベン……」


 であった。

 ヴァレリーが驚愕した。


「ハーベンどのが?」


 だが、リューシスは特に驚かなかった。


「やっぱりか。よし、ベン・ハーベンの屋敷に行くぞ」


 と、一同は二人の男も引き摺って、ベン・ハーベンの屋敷に急行した。


 しかし、そこにはベン・ハーベンの姿はすでになかった。

 広大な屋敷の中には、数人の下男、女中らがあれこれ言い合いながら家具等を運んでいるだけで、ベン・ハーベンは家族や一部の家来と共に姿を消してしまっていたのである。


「ベン・ハーベンはどこに行った?」


 一人の中年のハンウェイ人男を掴まえて訊くと、


「私らもわからないんです。ご主人さまは、突然この屋敷を出て行くと言われましてな。私らもいきなり暇を出されたんですよ。ですが、金を渡された上でここの家具などは自由に持って行ってよいと言われましてな、それで皆でこうしてい分け合いをしているわけです」

「気付かれて逃げられたか」


 アーシンが舌打ちした。


「出て行ったのはどれぐらい前だ?」

「うーん、そんなに経ってないですよ。ほんの二時間ぐらい前ですかな」


 男は小首を傾げながら言った。


「じゃあまだそこまで遠いところには行ってないな。すぐに追おうぜ」


 ネイマンが逸ったが、


「だけど、どこに逃げたのかわからんのでは追いようがない」


 ヴァレリーが言った。

 再び、下男や侍女らに、ベン・ハーベンがどこに行ったか、もしくは心当たりがないかどうか訊いたが、皆首を横に振るだけであった。

 その様子は、本当は知っているがベン・ハーベンに口止めされている、と言うようにも見えなかった。本当に知らないと言った風に見えた。


 その時、リューシスが、はっと気づいた。

 一緒に引き摺って来た、先程自分たちを襲って来た男二人に歩み寄った。


「お前たち、何故この屋敷の出入り許可証など持っている? ベン・ハーベンの家来や家中の人間だったら、そんな物はいらないだろう?」


 男二人の顔色がさっと変わった。

 リューシスは、下男、侍女らにこの男二人を知っているかどうか訊いてみた。

 しかし、皆、この二人は知っているどころか見た事もないと言う。


 リューシスは、押し黙っている男二人に、燭の灯を近づけてその顔をよく見てみた。

 すると、先程は夜の薄闇の中で気付かなかったが、男二人の顔は真っ黒に日焼けしていた。


「この日焼けは、屋敷勤めの人間のものじゃない。そしてこの匂い……」


 リューシスは、男二人の身体から、独特な体臭を嗅ぎ取った。野の匂いであった。

 そこでリューシスは、直感的にひらめいたことを斬り込んでみた。


「まさかお前ら、ホウロー山の賊か?」


 男二人は答えなかった。だが、その目が泳ぎ、狼狽ろうばいの色が走ったのを、リューシスは見逃さなかった。


「やっぱりか」


 リューシスが薄笑いをした。

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