第30話 ローヤン双龍紋
その日の夕刻。
街に暮色が漂い始めた頃、コンリン楼に再び全員が集まった。
しかし、皆、顔に明るい色がない。各自、今日一日の成果を報告し合ったが、めぼしいものはなかった。
「今日はまだ西の地区にしか訊けていないが、今のところソウセンと言う名前について知っている人間はいなかった」
アーシンが言えば、
「牢獄にいる罪人たちに訊いて回ったが、どうもこれ、と言う人間は出てこなかった。明日、残りの者らに訊き、私が知っている情報屋にも訊いてみよう」
と、ヴァレリーの報告。
リューシスも、ジンバオについて話し、また自分で色々と調べたことを話した。
「まあ、今日のところはこんなものだろう。皆ご苦労だった。とりあえず食事をしよう」
と、一同は料理を注文し、食事を始めた。
ここクージンは、近くにシャリン湖と言う大きな湖とティグリス川と言う川があり、そこで豊富に海産物が獲れるので、魚料理が有名である。
木のテーブルの上に、川魚の唐辛子煮、蟹の香草姿蒸し、などのクージンの名物海産料理と、干し豆腐の和え物、しめじの空揚げ、空芯菜と豚干し肉の炒め物、羊肉の火腿、麺包などが並べられた。
それらを食べながら麦酒や葡萄酒を傾けていると、皆ほとんど出会ったばかりなのであるが、自然と会話が弾む。
その中で、ヴァレリーが先日アンラードで起きたリューシスの事件を口にした。
「あれはきっと、丞相の陰謀であると思っている」
「ほう」
と、アーシンがにやりとした。
「そう見ている人間は多いのではないかな。十五年前の東南騒動以来、第一皇子リューシスパール様が常にバルタザール様派から警戒されていることは有名だ。特にこの一年、リューシス様は際立った武功を挙げられ、ワルーエフ丞相はリューシス様の武名が上がっていることが面白くないと言う話だ。今回のことは、きっと丞相がリューシス様を排除しようとして弄した陰謀だろう」
ヴァレリーが言うと、リューシスが苦笑いで言った。
「そのようなこと言っていいのですか? いくら今ここはガルシャワ領にあると言っても」
「問題はあるまい。ここがまだローヤン領であっても、私は同じことをを言っていただろう」
ヴァレリーは、少々酔いが回って来たらしい。頬がほんのりと赤らんでいる。そのせいなのか、口調と言葉が少し大胆になっているようである。
「まるで丞相が好きではないようだな」
アーシンが言うと、
「ああ、その通りだ。私は地方軍の人間で、中央の政治とは何も関わりがないが、皇帝陛下からの信任と、皇太子様の後見役でもあることをいいことに要職を自派の人間で固める丞相のやり方には常々苦々しく思っていたのだ」
ヴァレリーの言い方は、まるで日ごろの憤懣をぶちまけるようであるが、その言葉の熱さは本物であった。
彼は、一見クールに見えるが、心の奥には熱いものを秘めているようである。
「対して、私はリューシスパール様を密かに慕っていてな」
ヴァレリーは相好を崩した。
「個人の武勇は並のようであるが、伝え聞く武略、戦場での采配の冴えは常人のものではない。それでいて非常に部下思いで度量が広いとか。金銭にだらしなく、少々抜けているところもあるようだが、英雄は誰しも欠点を持っているもの、それもまた魅力だ。それに、そういうところがある故に、リューシス様が皇帝陛下を暗殺しようとしたとは到底思えぬのだ。ありえん!」
ヴァレリーの言葉はますます熱を帯びて行く。
聞いているリューシス本人はとてもくすぐったかった。
「会ったこともないのにべた褒めじゃねえか。そこまでの人間かねえ」
ネイマンがにやにやしながら言った。
「私も軍人だからわかるのだ、かのお方の器の大きさがな。大きな声では言えぬが、私はリューシス様の方が次の帝にふさわしいと思うし、もし私がアンラードの近衛軍に行く機会があれば、是非リューシス様の下で働きたいと思っていたのだ」
「給与のこととかで色々と後悔するかも知れないぜ」
ネイマンが笑った。
そして、食事が大方終わると、アーシンらが、「悪いがちょっとやる事があってな。先に帰らせてもらう。また明日な」と言って、先に店を出て行った。
リューシスとネイマン、ヴァレリーの三人は引き続き残って、杯を片手に捜査のことを話し合ったりしていた。
その最中であった。
「真犯人と覇王の玉璽は見つかったかね?」
ふと、背後から声がした。
三人がその声の方を振り返ると、そこには、ベン・ハーベンが部下数人を連れて立っていた。
ベンは平服姿であったが、その平服は、刺繍入りのゆったりとした絹の短衣とズボン、それに宝石を縫いつけた革帯を締める、と言う派手で豪奢なものであった。
「これはハーベン殿」
ヴァレリーにとって、不満は多いが、ベンは上司に当たる。ヴァレリーは立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
ベンは眉をしかめ、注意するようにヴァレリーに言った。
「ヴァレリー。よくこんな無駄なことに付き合っていられるな。犯人はあのイーハオで間違いないだろう? それに玉璽はソウセンと言う商人が買い取ってどこかに行ってしまったのだぞ」
「しかし……私もこの者らと同じ考えでして、どうにもあのイーハオがやったとは思えぬのです」
「だが、現に玉璽をソウセンに売り払ったと言う証書をあのイーハオが持っていたではないか。イーハオ宛の名前まで入っていたのだぞ」
「そうですが……」
ヴァレリーが言葉に詰まると、リューシスがベンを見て言った。
「しかし、それもまずおかしいと思いませんか? イーハオが本当に盗んだのなら、あいつは商売をしているわけじゃないし、そんな証拠になるようなもの、残しておくはずがないでしょう。すぐに焼き捨てると思いますが」
「それは……あいつはまだ子供だ。そこまで考えが回らなかったのだろう」
「ありえませんね。やってはならないことですが、あいつはこれまでスリをして来て、一度も現場を押さえられていないんだ。それぐらいの知恵が働かないわけがない」
「お主、何故そこまであのガキを擁護する」
ベンがじろりとリューシスを睨んだ。
リューシスもベンを睨み返した。
「貴方様こそ、何故イーハオをそんなに犯人だと決めつけられますか」
「……それは……あいつは有名なスリであったし、証書もあるからだ」
ベンは、一瞬、しどろもどろになった。
リューシスはベンから視線を外し、杯を取り上げた。
「まあいい。とにかく、俺はイーハオが犯人ではないと信じていますし、その無実を証明する為に、必ず真犯人を探し、覇王の玉璽も取り戻します。今はその為に忙しいのです、邪魔しないでいただけますか?」
「三日後の日没までだぞ。できると思っているのか?」
「やらなければなりません」
「そうか……ふん、まあ、精々頑張れ。どう探してもソウセンや真犯人は見つかるはずは無いからな」
ベンは捨て台詞のように吐き捨てた。
それを聞いた瞬間、リューシスは再び刃の如く鋭い視線をベンに向けた。
しかし、ベンはその時すでに、ヴァレリーに視線を移していた。
「ヴァレリー、こいつらに協力するのは早くやめるんだな。我々はガルシャワに降ったばかりだぞ。今、ラヴァン将軍の意に染まぬようなことをすれば、お前の立場はどんどん悪くなってしまうぞ」
そう言い捨てると、ベン・ハーベンは部下達と共に店を出て行った。
「嫌な野郎だな、このまま帰すわけにはいかねえ、叩きのめしてやる」
ネイマンがほろ酔いのままに怒り、立ち上がった。リューシスは慌てて「よせ!」と、それを引き止めて再び座らせた。
ヴァレリーは何か言いたげであったが、口を引き結んだまま黙っていた。そんなヴァレリーに、リューシスが言った。
「ヴァレリー殿、ずっと聞きたかったのですが、貴方はあのベン・ハーベンがこのクージンを開城した時、抵抗しなかったのですか?」
すると、ヴァレリーは悔しそうな表情となり、
「ハーベン殿は我々に事前に言うことなく、独断で開城を決めてしまったのだ。しかも、夜の間に城門を開け、ガルシャワ軍を入れてしまった。気付いた時にはすでにガルシャワの大軍に占拠されていた。文句を言う間も抵抗する間も無かったのだ」
「では、貴方はこのままガルシャワに仕えるのですか? ここを出てローヤン領に逃げ込もうとはしないのですか?」
「もちろんそうしたい。私は下級兵士の家の出だが、生粋のローヤン人だ。ローヤンに忠誠を誓っている。それ故に苦しい。できればここから脱出して、ローヤンに戻りたい。だが、すでに妻子を人質に取られていてな。そう簡単には動けんのだ」
「人質か……」
「しかし、このまま大人しくしているつもりもないぞ。実は……」
と、ヴァレリーは言いかけたところで、急に言葉を切った。
そして下を向き、
「すまぬ。何でもない」
と、口をつぐんだ。
怒りがまだ収まっていないネイマンが、残る怒気のままに文句を言った。
「おいおい、そこまで言いかけておいてそれはないんじゃねえか? 何だよ?」
「いや、本当に何でもないのだ」
ヴァレリーは、黙りこくったまま、視線を合わせようともせずに地図を見つめた。
リューシスはその横顔を見て、
「仕方ない。ヴァレリー殿にとっては、俺達は縁もゆかりもない、素性の知れぬ他人だ。何か重大な考えがあっても、言えないのは当然だ」
と、ネイマンをなだめてから、改めてヴァレリーに向き直った。
「だがヴァレリー殿、もし俺がローヤンの第一皇子リューシスパールだとしたら言えるか?」
「何っ?」
ヴァレリーは驚いて顔を上げ、リューシスを見た。だがすぐに顔をひきつらせて笑った。
「こんな時に何をくだらない冗談を」
だが、笑わずに真顔でいるリューシスの頭髪を見て、ヴァレリーは顔色を変えた。
「本物だぜ、リューシスだ」
ネイマンが笑いながら言った。
リューシスは、腰の長剣の柄を少し持ち上げてヴァレリーに見せた。
「そ、その紋章は……」
ヴァレリーが目を丸くして息を呑んだ。
酸化して少しくすんだ銀色の柄には、ローヤン皇家の紋章である二匹の龍、通称"ローヤン双龍紋"が彫刻されていた。
この紋章は、軍旗や城門、朝廷が発給する公式文書などには広く使われているが、私物に彫刻したり、印刷などして使うのは、原則として皇家の人間にしか許されていない。戦場で名のある敵将を討ち取ったり、政務で目覚ましい大成果を挙げた者などには、最大の栄誉としてローヤン双龍紋の入った品が皇帝より直々に下賜されることがあるが、そのような人間は極少数であり、まずいない。
それ故、リューシスの長剣の柄に刻まれているローヤン双龍紋を見て、ヴァレリーの顔色が青ざめるように変わった。
「ローヤン双龍紋の長剣……では、貴方様は本物のリューシスパール殿下……」
ヴァレリーは慌てて椅子を降り、跪いた。
「お初にお目にかかります。いや、これまでの非礼の数々、大変申し訳ござりませぬ。どうかお許しください」
リューシスは苦笑して、
「いや、いいよ。やめてくれ。知らなかったんだから、仕方ない。座ってくれ」
「はっ、ありがたきお言葉」
ヴァレリーは再び椅子に座った。
「信用してくれるな?」
「はっ……」
ヴァレリーは頷いたが、まだ驚きが収まらないようであった。密かに慕っていたリューシスを初めて間近で見た興奮も混じっているのであろう。リューシスの顔を見つめていた。
リューシスは一つ咳払いをした。
「じゃあ、教えてくれないか」
ヴァレリーは慌てて我に返り、
「はっ。実は……私が統括していたクージン駐屯軍は、今は解体されてガルシャワ軍に組み込まれてしまいましたが、それでも水面下で連絡を取ることは可能です。そこで、私は密かに私の元部下たちと話し合い、反乱を起こし、このクージンを奪い返す計画を立てているのです」
「やはりそういうところか」
リューシスはにやりと頷く。
「で、いつやるんだ? もう決まっているのか?」
「はい、五月七日です」
「五月七日って……半月後じゃないか。いくら何でも早すぎないか? 急ぎ過ぎでは? 準備は整うのか?」
「五月七日と決めたのには理由があるのですが、まず、やるんならまだ混乱が残り、統治体制も固まっていない今のうちの方が良いかと思いましてな」
「それでもわずか半月後か……で、何人が動けるんだ?」
リューシスが訊いた。
「私が直接連絡を取っているのは、信頼できる元々の私の部下達十人。そして彼らも、これはと見込んだ信頼できる部下達を集めております。皆、すでに二十人は集めております。このまま行けば、半月後までには各自百人は集められる目算」
「最大でも一千人か。クージンのガルシャワ軍の数は?」
「一万五千人を超えています」
ヴァレリーが言うと、ネイマンが声を上げた。
「おいおい、それじゃ無理だろ。自滅しに行くようなもんだぜ」
「ええ。ですが、策があるのです。五月七日と決めた理由でもあるのですが、実はその五月七日の夜は、シーザー・ラヴァンたちガルシャワ軍の幹部連が、クージン奪取を祝う宴を催すと発表しているのです。宴は城内で、上級将校たちだけでやるのですが、その他のガルシャワ軍の兵士たち全員にも酒が振る舞われるそうです。これこそ絶好の機です。その宴が終わり、幹部連も兵士らも寝静まった夜半に兵を挙げるつもりです」
「ほう……」
「また、実はここから北東のメイロン城とも密かに連絡を取っております。夜半、我々が兵を挙げるのと同時に、メイロン城の軍勢にも攻めて来てもらいます。 内外から攻めるのです。」
「なるほど、悪くないな」
「はい。そして、これが当日の詳細な手配です」
と、ヴァレリーは地図を指しながら、当日の反乱軍の具体的な行動計画をリューシスに説明した。
リューシスは相槌を打ちながら、真剣な顔で聞いた。
一通り説明を終えると、ヴァレリーがリューシスに言った。
「恐れながら、殿下。我々に協力していただけませんか? いえ、是非我々の指揮を執っていただけないでしょうか? ローヤンの皇子であり、近頃は名将の呼び声高い殿下に指揮をしていただけるならば、皆の士気も上がりましょう」
「俺が反乱の指揮を?」
「はい、是非とも」
ヴァレリーは熱っぽい眼差しでリューシスを見つめた。
リューシスは、地図を見つめた考え込んだ後、言った。
「クージン奪還の協力はしたいと思う」
「おお」
ヴァレリーが身を乗り出した。
「しかし、この計画の指揮は執れない」
「え?」
「知っている通り、俺はマクシムに追われてるからな。あと半月もここにいるわけにはいかない」
「そうですね……」
ヴァレリーは乗り出した肩を落とした。
「それに、この計画は失敗するだろうからな」
リューシスは顔を曇らせて言った。
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