第23話 好敵手
「しかし、たった五日前? わずか五日間で戦に負け、この城も占領されてしまったのですか? それにしては……」
リューシスは四囲を見回した。
ここで攻城戦があったようにはとても見えないのだ。
城壁も城門も崩れておらず、街中にも一切の損壊が無い。
すると、武将はやるせなさそうに首を振った。
「いや……攻めて来たガルシャワの方が遥かに大軍であったのは確かなのだが、それでも我々は負けるつもりはなかったのだ。アンラードに援軍を請い、援軍が来るまでは持ち堪える自信があった。だが、このクージンの城主、ベン・ハーベン殿は、城外の野でわずか一戦しただけでガルシャワに降伏し、この城を明け渡してしまったのだ」
リューシスは愕然とした。
「一戦だけで? 籠城もせずに? 何てことを」
「ベン・ハーベン殿は優秀な城主ではあるが、元々ローヤンへの忠誠心が薄いように感じられた。そしてかなり金にがめつい方だ。恐らくは、涎が出るような美味い餌に釣られたのであろうよ。降伏すれば元通りの城主の地位は保証する、また、更に恩賞を与える、などとな。事実、ベン・ハーベン殿は今も変わらずここの城主だ」
武将の語尾は吐き捨てるような調子であった。
「ゴミクズが。何て野郎だ」
ネイマンが激しく憤った。
リューシスにはもう一つ疑問があった。
「しかし、シーザー・ラヴァンはよく攻めて来ましたね。確か先日、ローヤン一の男前皇子、リューシスパール様にこてんぱんにやられたばかりのはずですが」
そう言うリューシスを、ネイマンとシャオミンが白い目で見やった。
若い武将はまた声を潜めて、
「それがな……これは我々も驚いたのだが、実はそのリューシス皇子がアンラードで謀反を起し、朝廷から追われる身となってしまったのだ。そのつい五日前、我々はアンラードからその知らせを受け、リューシス皇子らしき人物を見つけたらすぐに捕らえよ、と沙汰があったばかりで驚いていたのだ。だが、どういうわけだか、ガルシャワの連中は我々よりもそれを早く知ったらしいのだ。リューシス皇子が追放され、ローヤン宮中が混乱している今が好機と、侵攻して来たのだ」
「なるほど……」
リューシスは頷き、じっと何か考え込んだ。
「しかしお主、色々と詳しいようだな。何者だ?」
武将がリューシスを見る目に、少々の怪しみの色がある。
リューシスは慌てて目を逸らし、頭を下げた。
「いえ、こうして旅から旅を続けているものですから、自然と色々見聞きしているのです」
「そうか。だが、私はどうもお主を見た事があるような気がするのだが。どこかで会ったことでもあるかな?」
リューシスはギクリとした。
「き、気のせいでございましょう」
「ふうむ……まあ、よいか。とにかく、しばらくは、ここにいる間は何かと気を付けるがよい。これは今夜と明日の宿代だ」
と言って、武将は銅銭十数枚を渡して来た。
「ありがとうございます」
「私はここの駐屯軍の……、いや、元と言うべきかな。元駐屯軍総指揮官のヴァレリー・チェルノフと言う。また何か困ったことがあれば来るといい。できる限り力になろう」
「はっ、ありがとうございまする」
リューシスとネイマンは丁重に頭を下げた。
ヴァレリー・チェルノフは頷くと、部下たちを連れて再び大通りを進んで行った。
その背を見送った後、リューシスが警戒するように四方を見回した。
「何てことだ。ここはガルシャワ領だったのか」
「道理で雰囲気が妙なわけだぜ」
ネイマンも声を潜める。
「しかも今の話からすると、ここには間違いなくシーザー・ラヴァンがいる。奴は俺を憎んでいるだろう。俺がここにいることを知られたら大変なことになる。すぐにここを出よう」
と言って、リューシスは急ぎ足で城門に向かって歩き始めたのだが、ふらふらと眩暈がし、天地が引っくり返ったかと思うと、バタッと倒れてしまった。
「あ、殿下」
「おい、大丈夫か」
ネイマンが慌てて抱き起そうとしたところ、リューシスは腹の底からこみ上げて来るものに耐え切れず、地面に向かって胃液を吐いた。
「これは良くないよ。やっぱり今日一日だけでもここに泊まろうよ。薬とお医者さんも探してさ」
シャオミンが心配そうに言うと、ネイマンも同調した。
「俺もその方がいいと思うぜ。確かにガルシャワ領下の街にいるのは危険だけど、ガルシャワ軍の連中でお前の顔を知っている人間なんてほとんどいねえだろ。しかも今は髪も切った上に商人に変装している。ガルシャワ領内ならマクシムの追手も来られないだろうし、むしろ、ここにいる方が安全じゃねえかな?」
「なるほど……そうかもな」
その言葉にリューシスは納得し、二人と一匹は宿を探して歩き始めた。
大通りから一つ隣の通りに入ると、旅館街があったのだが、なるべく人目につきたくない彼らはそこを避けた。
下町の外れの方で安宿を探そうと、そちらの方へ向かった。
途中、ネイマンはぶつぶつと文句を言っていた。
「しかし腹が立つぜ。あっさりと寝返っちまうとはな。国境沿いの城を任されている人間がそんなことでどうする。と言うか、そもそもそんな人間を国境沿いの城の城主にするとはアンラードの連中も見る目がねえな」
「ベン・ハーベン、見たことは無いが噂には聞いたことがある。さっきのヴァレリーと言う男も言っていた通り、かなり金に汚い男だ。蓄えた金を使って朝廷の高官たちに密かに賄賂を送り、それによって出世を重ね、また蓄財する。そう言う男だ。このクージンの城主もどうせ賄賂を使って得たのだろう」
「腐ってやがる!」
ネイマンが吐き捨てた。
「珍しいことじゃない。賄賂で地位や官職を得る。近年じゃよくあることだ。ベン・ハーベンだけでなく、それを受け取る朝廷の高官連中の方にも大いに問題があるんだ。そして、それを黙認しているマクシムにもな。奴自身も高官連中から賄賂のおすそ分けを受け取るだけじゃなく、賄賂を見逃してやることによって自分の側に手なづけているんだ」
「その結果が、更なる欲に目が眩んでの売国かよ。バカバカしい」
ネイマンは怒り心頭の余り、足下に転がっていた小石を蹴った。
だが、まずいことに、その小石が前方を歩いていた男の背中に当たってしまった。
「いてっ」
と、男は声を上げると、振り返って睨んで来た。
旅姿の若者で、腰には立派な装飾の長剣を提げている。左右には、仲間らしき四人の男もいた。
「ああ、悪い悪い、許してくれ。わざとじゃないんだ」
ネイマンは軽々しく手を上げて謝ったが、男は目を吊り上げて迫って来た。
「おい、貴様。人に石をぶつけておいてそれだけか。ふざけるなよ」
ムシャクシャしていたネイマンは、それを聞いて、自分が悪いにも関わらず、腹を立てた。
「あ? 謝ってるだろうが。そっちこそふざけるなよ」
「誠意が足りないと言っているんだ」
「何? 一度謝れば十分だろうが。器の小さい男だな」
すると、旅の男はますます目を怒らせてネイマンに詰め寄った。
すぐにでも殴りかかりそうな剣幕である。
リューシスが慌てて割って入った。
「すまない。友人の無礼、申し訳ない。この男は昔から短気で粗暴で、今しがた腹の立つことがあったのでついやってしまったんだ。決して悪気があったわけではないのです。私からも謝るので、どうかここはお許しいただきたい」
と、頭を下げると、ネイマンに向かって怒った。
「おい謝れ。どう考えてもお前が悪いぞ」
「そうだよ、謝った方がいいよ」
シャオミンも同調して言うが、ネイマンはおさまらない。
「おいリューシス、俺は一度謝ったんだぜ。なのにこの野郎が……」
と言ったところで、男が反応した。
「リューシス……?」
男が、不審そうな顔でリューシスの顔を見た。
ネイマンが、まずい、と言った表情になって口をつぐんだ。
「お前の名はリューシスと言うのか?」
リューシスは、瞬間的に、下手に誤魔化すのはまずいと判断した。
「ええ。リューシスと言います。旅の行商人です」
男は、じろじろとリューシスの顔を見た。
リューシスは、その視線に冷や冷やとするものを感じていたが、同時に彼も男を見て、これが只者ではないことを感じ取った。
目鼻立ちははっきりとしているが、目の光が異様に強く、その奥に隠しきれない闘気がある。身長体格こそリューシスと同じぐらいのものであるが、全身の身のこなしがしなやかで隙が無く、服の下には野生の猛獣のような筋肉があるのがわかった。
――これは尋常一様の人間ではない。
リューシスも見ていると、男は自ら名乗った。
「俺はアーシンと言う。旅をしながら武者修行をしている者で、このクージンには、ある目的があって来ている」
「アーシン殿、ですか。良い名前ですね」
「まあな」
と、アーシンは頷くと、そのよく光る目でリューシスの全身を見回して、
「しかし、リューシスとはまた、ローヤン帝国の第一皇子と同じ名だな」
「え、ええ。まあ、向こうはリューシスパールで、私はリューシス。後ろのパールがつきませんが。まあしかし、あのような素晴らしい皇子様と同じ名で光栄に存じております」
リューシスがニコニコと作り笑いで答える。
ネイマンとシャオミンが、再び白い眼でリューシスを見た。
アーシンは、尚もリューシスの顔を見つめていたが、ふいににやりと笑った。
「で、リューシス殿、ここは許せと言うのか?」
「ええ、悪いのはどう見てもこの馬鹿男です。この通り謝りますので」
アーシンは鼻で笑った。
「まあ、この場はリューシス殿に免じて許してやってもいい。但し、そこのギョロ目の大男が土下座して謝るなら、だがな」
次の瞬間、リューシスが止める間もなく、カッと目を剥いたネイマンの剛拳が飛んでいた。
ネイマンの強烈極まる一発を顔面に食らい、アーシンは二メイリ(メートル)ほども吹っ飛んで倒れた。
「あ、王子!」
「大丈夫ですか?」
仲間の四人の男が慌てて駆け寄った。
――王子?
リューシスの眉が動く。
「この野郎、いきなり何しやがる!」
仲間四人は、アーシンの半身を抱き起すと、凄まじい怒りの形相でネイマンを睨んだ。
そこでリューシスは気付いた。この仲間四人の男も只者ではない。どれも一流の武芸者だ。
四人の男は立ち上がり、ネイマンに向かって行こうとした。だが、それをアーシンが止めた。
「待てよ」
アーシンは唇の端から血を流し、頬は赤くなり、見るからに痛々しい。
だが、彼は事もなげにすっと立ち上がった。
それを見てリューシス、ネイマンは驚きを禁じ得なかった。
アンラードで暴れていた時代、今のネイマンの一発を食らってすぐに立ち上がれた者はほとんどいなかった。
しかしこのアーシンと言う男は、何事もなかったかのように立ち上がり、ふらついてもいなければ目つきもしっかりしている。しかも、不敵な笑みまで浮かべている。
「お前らは手を出すな」
アーシンは仲間四人に言いつけると、ネイマンに向かってにやりと笑った。
「わかったか? 今のはわざと食らってみせたんだ」
「何?」
「できるだろうなとは思っていたが、ここまでやるとは思わなかったぜ。だがまだまだ大したことはねえな」
「何だと!」
明らかな挑発である。だが、激情家のネイマンの心に完全に火がついてしまった。
「待てネイマン!」
リューシスは尚も止めようとしたが、ネイマンはお構いなしにアーシンに飛び掛かった。
「そう来なくちゃな」
アーシンも笑って答えると、繰り出されたネイマンの二発目を軽々と躱し、同時に右拳をネイマンの左頬に叩き込んだ。
今度はネイマンが吹っ飛んだ。
――この男、マジかよ。
リューシスは、背筋に戦慄するものを感じた。
アーシンに常人とは違う筋肉がついているのがわかったとは言え、身長体格はリューシスと同じぐらいで、巨漢のネイマンとは比べものにならない。
それが、たった一発拳を食らわせただけで吹き飛ばしたのだ。
ネイマン自身も驚いていたが、先ほどのアーシンと同様、すぐに立ち上がった。だが、脚がぐらついた。
「お……」
思わず声が出た。
だが次の瞬間、表情が怒りに燃え上がる。
「上等だ、この野郎!」
ネイマンが再び飛び掛かった。アーシンも向かって行く。
たちまち激しい格闘が始まった。
両者の強拳が唸りを上げて互いの顔、腹にめり込み、蹴りが風を起こして相手を飛ばす。だが、二人は互いに譲らない。全く互角に戦っている。
「おい、やめろネイマン! アーシンどのも頼む! ここは勘弁してくれ」
ガルシャワ領内でなるべく目立ちたくないリューシスは、必死に二人を止めようとするが、当然二人は聞かない。むしろ、互いに相手の強さに刺激されたのか、ますます激しく取っ組み合う。
しかし、ここは通りの真ん中である。そのうち、人が集まり始め、面白い物が始まったとばかりに見物を始め、野次まで飛ぶ始末である。
(まずいな。衛兵でも来てしまったら)
リューシスは四方を見回す。
(何かで二人の気を逸らさせ、やめさせよう。衛兵が来た、とでも言うか)
と思いつき、声を上げようとした時だった。
見物の人だかりの中に、あのスリの少年の顔を見つけた。
「あ……」
スリの少年もリューシスに気付き、驚いた顔となった。あっと声を上げると、人だかりから逃走した。
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