クージン城風雲、皇子の業と宿命

第22話 クージン城

 アンラードからリューシスの領地であるランファンに向かうには、途中で東西に山岳地帯が横たわっているが、基本的には真っ直ぐに北に向かえばよい。


 しかし、その途中のインセイ州には、宰相マクシムの広大な封土が広がっていた。それ故、リューシスらはその地域を避ける必要があったのだが、リューシスは北東へ道を取るのではなく、あえてガルシャワとの国境に近い北西に道を取っていた。


 マクシムらの追手は、

「リューシスがインセイ州を避けるならば、リューシスはガルシャワとの国境に近い危険な地域は進まぬはず」

 こう、判断するだろうと読み、その裏をかいたのだ。


 それは当たったらしい。追って来た一団を途中で撒いた後は、後背に一兵の姿も見ることは無かった。リューシスらは急ぎはしたものの、気持ちに余裕を持って進むことができた。

 だが、それでも安心はできない。マクシムの出した軍は、未だにリューシスを追っているのである。


 リューシスらは、途上、出会った西方の行商人の隊列から、商人風の衣服を買い求め、商人に変装した。

 のみならず、リューシスは更に、


「ネイマン、俺の髪を切れ」

「は?」

「長髪だと目立つ。早くしろ」


 リューシスは、一切躊躇うことなくネイマンを急かした。


 ローヤン人は、男であろうと髪を長く伸ばすのが伝統的習慣である。生粋のローヤン人の頭髪の色は金色や褐色、赤などであり、それを伸ばして編んで垂らしたり、頭頂部で一つに束ねたりする。もちろん、結わずにそのまま両肩に垂らしたりもする。


 ハンウェイ人も昔は、親からもらった物を切るのは親不孝である、と言う観念から、男も髪を伸ばしたままにする習慣があった。

 だが、最後のハンウェイ人王朝、ダーバン朝が滅んで以後、段々とその習慣は廃れて行き、今では髪を短く切ったり、刈り込んだりと、髪型は自由になった。

 しかし、もちろん髪を長く伸ばすハンウェイ人男性はまだおり、バーレン・ショウなどは長髪である。


 とにかく、リューシスは少しでも目立たなくする為に、ネイマンにその長髪を切らせた。

 短剣を使い、赤毛混じりの褐色の髪を切った。襟足は肩にわずかにかかる程度、側面は耳にかかるぐらい、前髪は目の上ぐらいまでの長さにした。


「これでいい。ローヤン民族の皇子が髪を短くするなんて誰も思わないだろう」


 リューシスは満足そうであった。


 そして、二人と一匹は道を急いだ。

 だが、今度はリューシスが高熱を発した。

 地下牢での拘束から脱走、宰相宮での幽閉から処刑、そこからの激しい脱出戦……目まぐるしく身体を酷使した疲労が一気に出たのだろうか、リューシスは動けなくなってしまった。


 通りがかった小さな村に身分を偽って宿を求め、休息を取った。

 しかし、少し動けるようになっただけで、熱は一向に下がらない。


 その村唯一だと言う、どこか胡散臭い医者に診てもらったところ、恐らくただの疲労や風邪などではなく、何か大きな病かも知れない、と言われた。

 しかし、その医者はそれ以上のことはわからず、村にもロクな薬も無いとのことなので、リューシスらはそこから三十コーリー(キロメートル)ほど北西にある、クージンと言う大きい城市に向かった。


 クージンは、そこから西に十五コーリーほども行けばもうガルシャワ領内と言う、まさに紛争地域と言ってもいい国境沿いの都市である。

 首都アンラードに比べれば小さい。だが、それでも東西四コーリー、南北三コーリーの広さを持ち、堅固な城壁も備えている。


 街の中心を東西に貫く中心の大通り。

 大店の商店や酒楼、旅館が立ち並び、多くの人が行き交い、華やかな賑わいを見せている。

 その中を、リューシスはふらふらになりながら歩いていた。


「おい、大丈夫か? まずはどこかの宿で休んだ方がいいんじゃないのか?」

「いや……まずは薬だ……医者を探して……それからだ……」


 リューシスは朦朧とした意識と虚ろな目で周囲を見回す。


「それにしてもよ、何かこの街変じゃないか?」


 ネイマンは、不審そうな目で周囲を見回した。


「何がだよ」

「何かこう……緊張感があると言うか、物々しい雰囲気があると言うか……巡回の兵士の数もやけに多いような気がするし」


 言われて、リューシスは注意深く街中の様子を見てみた。


「そう言えばそうだな。あの兵士らの甲冑も……ローヤンの物とちょっと違うな」


 リューシスは、熱で注意力、思考力が鈍っていたので、ここでようやく気がついた。


「だろう?」


 その時、リューシスは背後から何者かにぶつかられた。体力の落ちている彼は脆くも前に倒れる。

 顔を上げると、一人の少年がすでに走り去っていた。髪はぼさぼさで、衣服も汚れている。


「何だあのガキ、ぶつかっておいて謝りもしねえのかよ」


 ネイマンは腹を立てた。リューシスもむかっとしたが、怒る気力が無い。そのまま、服の裾の土を払って立ち上がった。

 だが、再び歩きかけた時、リューシスは何かに気付いて病で青白い顔を更に青くさせた。


「やられた……無い!」

「何がだ」

「財布だ」

「何だと?」


 ネイマンも顔色を変えた。一行の路銀は、全てリューシスの財布である革袋に入っているのである。


「落としたの?」


 シャオミンが周囲を飛んで見回した。


「いや、落としていない。やられたんだ、今ぶつかられた時に」

「スリか。あの子供か! くそったれが、とっ捕まえてやる!」


 ネイマンは激昂して駆け出そうとしたが、すでに少年の姿は人波の中に消えてしまっており、気配すら残っていない。


「シャオミン、探して来てくれ」


 リューシスが頭上を見やると、シャオミンは「わかった!」と頷いて高く舞い上がり、全速力で飛んで行った。

 だが、やがてすぐに、パタパタと戻って来ると、


「ごめん。どこにもそれっぽい人はいなかった。そもそも、どんな人だか見てなかったからわからないや」


 と、耳を垂れさせ、しょんぼりとして答えた。


「何だよ……」


 リューシスとネイマンは、がっくりと肩を落とす。


「おい、どうするんだ。金が無かったからランファンに行くどころか今日の飯にも困るぜ」

「参ったなあ。散って行った親衛隊の中で、誰か近くにいる奴を探してみるか……いや待て、どうやって探すんだ……」


 リューシスは、熱のせいでうまく思考が回らない。

 二人と一匹が、大通りの真ん中で途方に暮れていると、不意に声をかけて来た者があった。


「お前たち、どうした?」


 頭上からの声である。見上げると、そこには十人ほどの兵士を従えた騎乗の武将がいた。顔を見てみれば、金髪に青い目、三十歳前後に見えるローヤン人である。

 そして、その甲冑を見るに、明らかに身分の高い人間であった。しかも部隊長と言うレベルではない。恐らくこの都市の駐屯軍の司令官レベルである。


 ――まずい。


 リューシスは咄嗟に目を逸らし、頭を下げた。


「これはこれは……お騒がせして申し訳ございません」


 将はリューシスを見て、


「謝らずともよい。お前たちは旅の者か?」

「はい。ちょっとした商いをしつつ旅をしております」


 リューシスは、流暢にすらすらと平民らしい口調を使う。


「そうか。先程、ちらっと見たのだが、何か問題でも起きて困っていたようだな。どうしたのだ?」

「いえ……その……実は、スリに遭ったようでして、財布を失ったのでございます」


 リューシスは下を向いたまま答える。


「ほう……もしかすると、そのスリとは少年ではないか?」

「ええ、その通りでございます」

「やはりか。あれは少年ながら、この街では悪名高いスリでな。探されて仕返しされる心配が薄いからであろうが、特に旅人風の者をよく狙うのだ」

「そうでございましたか」

「子供ながら驚くべき腕を持っていてな。いや、褒めるのはおかしい話であるのだが……」


 そこで、ネイマンが不満そうな声を上げた。


「それだけ有名なら捕まえろよ。何やってるんだよ」

「お、おい」


 リューシスが慌ててネイマンを制したが、若いローヤン人武将は苦笑して、


「構わん。その通りだ。捕まえられないのは我らの不甲斐ないところだからな。だが言い訳するわけではないが、あいつは実に逃げ足が速くてな。また、捕まえたとしても、一体どうやっているのか、その時には何故か盗んだ物を持っていないのだ。だからいつも現行犯での捕縛もできないのだ」

「それは凄い……」


 被害に遭った身であるのだが、リューシスは思わず感心してしまった。配下に加えれば何かと役に立つかも知れないな、とまで思ってしまった。


「まあとにかく、お主たちには災難であったな。他に金は持っているのか?」

「いえ、それが……」

「今夜の宿はどうするつもりだ?」

「外で……どこかの店の軒先にでも寝るしかないかと」

「ふむ、そうか。では、普段であればこういうことはしないのだが、今日は特別に、私が宿代だけでも出してやろう」

「よろしいのですか?」


 リューシスは驚き、恐る恐る目を上げた。

 だが、次の言葉で更なる衝撃的な驚きを覚えた。


「今はガルシャワ領に入ったばかりだからな。我々も巡回しているとは言え、外で寝てたら、まだ気が立っているガルシャワ兵らに見つかり、何をされるかわかったものではない」

「何だと?」


 リューシスは思わず声を荒げてしまった。ネイマン、シャオミンも共に驚いた。


 ――ここはガルシャワ領?


 しかし、すぐにはっとして、慌ててまた頭を下げた。


「申し訳ございません、ご無礼を」

「構わん。お主の反応は仕方のないことだ」


 と、武将は溜息をつきながら言うと、声を潜めた。


「悔しいであろうからな……我々はもっとだ。このクージンの守備軍を任されていた私など、お主の百倍は声を荒げたい、暴れたい」


 リューシスは再び顔を上げた。武将のわずかに陽に焼けた顔を見た。

 怒りのせいか、紅潮している。手綱を握る手がかすかに震えていた。見れば、従えている部下の兵士らも皆、同様に悔しそうな顔をしている。


 (先程感じた、妙な緊張感と物々しい雰囲気は、ガルシャワに占領されたばかりだったからか)


 と、リューシスは納得した。

 それにしても、いくつか疑問が残る。


「いつ、ガルシャワに占領されたのですか?」

「つい五日ほど前にガルシャワ軍が攻めて来てな……大将はあのシーザー・ラヴァンだ」

「シーザー……」


 リューシスの表情がさっと変わった。

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