第12話 宰相宮の決闘
天蓋の垂れ下がる
窓から薄く漏れ入る外の光以外に明かりが無く、真っ暗である為に、表情は全く確認できない。だが、床の中には間違いなく人がある。こちらには全く気付かず、前後不覚に眠り込んでいた。
――こいつこそがローヤンの獅子身中の虫!
リューシスは剣を振り上げ、布団の上から思いっきりマクシムの胸に突き立てた。
だがその瞬間、ざーっと言う砂が流れる音がした。リューシスの顔色が変わった。
――まさか……!
リューシスは顔を近づけてよく見てみた。
剣を突き立てたそれは、マクシムではなかった。
マクシムに見せかけた、中に砂を入れてある人形であった。
その瞬間――
「賊が侵入したぞ!」
大声と共に、不意に四方八方に灯りが灯った。
そして、物陰よりマクシムと五人の兵士が現れたかと思うと、同時に十数人の兵士が扉より雪崩れ込んで来た。
――罠だったか……!
リューシスは四方を見回した。
マクシムは高笑いを上げた。
「マクシム……」
リューシスは剣の柄を握りしめながらマクシムを睨んだ。
「殿下……明日には裁きがあると言うのに牢から脱走し、しかも私の命を狙いましたな?」
マクシムは悠然とした薄笑いを浮かべていた。
「裁き? 何言っている。俺はすでに斬首と決まったんだろう?」
「斬首? 仮にも皇子である方を裁きもせずに何故斬首に?」
「何だと? あっ、まさか……」
リューシスはようやく気付いて愕然とした。
全てはマクシムが仕組んだ罠だったと言うことに。
斬首が決まったと偽の沙汰を知らせることにより、リューシスに脱走を企てさせる。
恐らく、あの牢の衛兵たちの交替も、牢の前に鍵が落ちていたこともわざとであったのであろう。
そしてリューシスに牢から脱走させ、巧妙に兵を配置して、宰相宮の前を通らせるようにする。その宰相宮にマクシムがいることに気付き、警備も手薄であることを知れば、リューシスはかならずマクシムを殺害して行こうとするだろう。こう、マクシムは計算したのだ。
「ふふ……ビーウェンが以前言っていた通りですな。リューシス殿下は、戦場での采配は
マクシムは嘲笑すると、
「まあ、とにかく殿下。裁きを前にして脱走するのは一等の重罪ですぞ。また、宰相、
マクシムは狡猾そうな笑いを響かせた。
「マクシム、てめえ……!」
リューシスの褐色の瞳に憤怒が燃え上がる。
マクシムの命令が高々と響き渡った。
「国賊に等しい重罪人である、殿下を捕えろ!」
十数人もの兵士たちが、一斉に剣を抜いてリューシスに向かって殺到した。
夜の室内である。光の
――ここはやるしかない。
リューシスは覚悟を決めた。
大きく咆え、剣を宙に唸らせた。
左から飛び掛かって来た一人を叩き飛ばし、返す刀で正面の敵の腕を斬り飛ばした。更に後方に飛び下がり、また右から躍りかかって来る兵士に足払いを食らわせて転ばせるや素早く背に剣を突き立てる。
再び言うが、彼は身長体格、武技も並で、バーレンやネイマンのように一人で何人もの敵を屠るような豪傑ではない。だが、人と言うのはいざと言う時には本来の何倍もの力を発揮することがある。
リューシスは全身から燃えるような闘気を発し、周囲を圧する凄まじい気迫で、上下左右、前後に剣を閃かせる。その手から銀色の刃光が乱れ飛ぶ度、剣の切先に敵が斬り裂かれ、跳ね飛ばされ、血の雨が降って床や壁が赤く染まって行った。
「どうなっている。この皇子がこんなに強いはずはないぞ」
マクシムも驚いて舌を巻いたが、すぐに部下達を叱咤する。
「情けない、相手はたった一人なのだぞ。四方から包み込め!」
だが、屋内の小旋風のようなリューシスの剣勢の前に、兵士たちは及び腰になっている。
その怯気をつき、リューシスはますます勢いを増して斬りかかる。やがて兵士達の数が四人ほどにまで減った。
マクシムの顔が狼狽に青くなった。
「な、何と言うことだ。計算外であったわ」
「次はてめえだ!」
顔にまで返り血を浴び、鬼の如き形相となったリューシス。床を蹴って駆けると、咆哮と共に低く跳躍した。
怯えた表情となっているマクシムに大上段から斬り下ろす。
だがマクシムも一通りの武芸の心得はある。悲鳴を上げながらも、さっと横に飛んでそれを逃れ、更に壁際に向かって逃げた。
「逃げるな、奸賊!」
リューシスはそれを追い、更に飛んで背に斬りつけた。
だが、突如として左から何かが飛んで来たかと思うと、リューシスは三メイリ(メートル)ほども吹き飛ばされて、床に叩きつけられた。
「なんだ……」
リューシスが身を起こしながら左を振り向くと、扉の向こうより、全身黒ずくめの服装の男が重苦しい空気と共に入って来た。
男は、衣服だけでなく、頭も顔も漆黒の布で覆い、目の部分だけを覗かせていた。だがその目も、右目が潰れて隻眼であった。
「そいつは俺がやろう」
男の口から短く発せられた言葉は、真冬の風のような冷たい響きを持っていた。
「ジェムノーザか」
マクシムは男を見て安堵の溜息を漏らしたが、すぐに複雑そうな顔となった。
「やれるのか?」
「俺にできぬと思うか?」
ジェムノーザと言う全身黒ずくめの異様な男は、低い声で不敵に言い放った。
立ち上がったリューシス、剣を構え、ジェムノーザに向き直った。
ジェムノーザはゆっくりと歩を進め、リューシスとおよそ四メイリ(メートル)の間合いで足を止めた。
正面から互いを睨み合ったリューシスとジェムノーザ。
(ジェムノーザ? 何だこの男は……)
ジェムノーザと対峙した瞬間、リューシスの背に冷たい汗が噴き出た。
それはジェムノーザが纏う気のせいであった。ジェムノーザは黒装束でも隠し切れぬほどに全身に禍々しい空気を纏っており、重苦しい闇の気を放っていた。
(こいつは
リューシスの額にも冷たい汗が浮き、それが一筋となって流れ落ちた。
それを見て取り、ジェムノーザの黒布の隙間の隻眼が、にやりと笑ったように見えた。
――気圧されるな!
リューシスは心に生じた恐怖を打消し、自らを奮い立たせた。
床を蹴る。気合いの叫びを発し、上段から斬りかかった。
だが、剣は虚空を斬り裂いたのみであった。リューシスは気配を察し、さっと振り返った。ジェムノーザが背後にいた。
――何? どうやって動いた?
リューシスは驚愕しながら数歩飛び退いた。
「そんなものか?」
ジェムノーザが低く嘲笑した。
リューシスは舌打ちし、再び足元を蹴って斬りかかった。
すると、ジェムノーザがさっと突き出した左の掌から、一瞬で黒い塊が生じて飛び、リューシスの腹に激突した。
リューシスは三メイリ程吹き飛んだ。しかしそれだけではなかった。ジェムノーザは再び左手から黒い気の塊を放った。未だ宙にあり、床に落ちようとしていたリューシスを再び吹き飛ばした。
床に叩きつけられたリューシスは、身体を震わせ、息を乱しながら半身を起こした。ジェムノーザが放った黒い気の塊は、見た目以上に重く強烈なものであり、リューシスは激しい痛みと共に、一時の間呼吸ができなくなった。
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