第6話 始まりの十五年前

 ビーウェンは、進み出ると堂々たる態度で言った。


丞相チェンシャン、お待ちいただきたい。私には、リューシスパール殿下が陛下を暗殺しようとしたなど、到底信じられぬ。先日の偽手紙の件もある。これは何者かが殿下を陥れようとした陰謀ではございませぬか?」


 マクシムはビーウェンをじろりと見た。


「ワン将軍、何を言われるか。今度の件は確かに殿下が陛下を毒殺しようとしたのだ。証拠もある。その梨を食べた犬はすぐに血を吐いて倒れた。その場には、皇后エンホウ陛下もおられ、現場を見ておられるのだぞ。偽手紙の件も、やはり本当だったのであろう」

「しかし、何故殿下が陛下のお命を狙うのか?」


「それは、十五年前の事を恨んでのことであろう。皇太子エンタイーズの地位をおろされた殿下は、未だにそれを恨んでおられ、皇太子エンタイーズバルタザール様を差し置き、自らが皇帝エンディーになろうとの野心を抱いておるのだ」

「馬鹿な。先日も殿下自身が言われたように、殿下は玉座ユーゾにつきたいなどの気持ちは微塵もござらん」


「甘いぞワン将軍、本心などいくらでも隠し通せる。一流の将軍サージュンである貴殿ならわかるであろう」

「ではせめて、しっかりと裁判をしていただきたいと思います。確かに皇帝エンディー陛下暗殺は即刻処刑することが許されておりますが、何と言ってもリューシスパール殿下は皇子エンズであります。裁判ぐらいはするのが当然かと思われます」


 そして、ビーウェンは更に進み出て、イジャスラフの玉座ユーゾの下で跪いた。


皇上エンシャン、如何でございましょうか。殿下を幼少の頃から良く知る私としては、今回のことはあまりに不自然な点が多いように思われます。偽手紙の件もございます。しっかりとした裁きをするべきかと思います」


 イジャスラフは、頬のこけた青白い顔で、目をぎょろりとビーウェンに向けていたが、重々しく口を開いた。


「確かにビーウェンの申すことも道理である。予は先程、ついカッとなってリューシスを地下牢に入れたが、少々短慮だったかも知れぬな。まずは裁きを行おうか」


 と、深く頷き、苦しそうに息を吐いた後、


「予は今日は特に優れぬ。裁きのことはマクシム、そなたに任せたぞ」


 そう言い残すと、しんどそうに玉座ユーゾから下りて大広間を出て行った。


「はっ、承知仕りました」


 マクシムは両手を組んで頭を下げたが、イジャスラフが退出した後、忌々しげにビーウェンを睨んだ。


 そして重臣らが大広間を出て行き、口々に何か言いながら回廊を歩いて行った。

 ビーウェンも最後の方に大広間を出て、足音を響かせながら廊を歩いて行った。だが、その背を呼び止めた者がいた。宰相マクシム・ワルーエフである。


「ビーウェン」


 と、宰相マクシムは名前で呼んだ。


「丞相、何か?」


 振り返ったビーウェンは、毅然とした態度で微塵も暗いところがない。

 マクシムはビーウェンの方に歩み寄りながら言う。


「ローヤンの七龍将軍チーロンサージュンたる者、外の敵に打ち勝つことが務めであるが、内の乱れを鎮めることも重要であるぞ」

「心得ております」

「忘れるな。ハンウェイ人であるにも関わらず、お前をローヤン軍の最高幹部である七龍将軍チーロンサージュンに推挙したのは俺だぞ」

「そのお気遣いには常々感謝しております。しかし、最終的に私が七龍将チーロンジャンに相応しいと判断し、任命くだされたのは皇帝陛下でございます。私はローヤン帝国と皇帝陛下の臣でございます」

「…………」


 マクシムはビーウェンを睨みつけた。だが、ふふっと笑うと、


「まあ良いわ。だがもう一つ、お前が何かしようとすれば他の七龍将が動くと言うことも忘れるな」

「私は何もしませんが?」

「ふふ……変な気は起こさぬようにな。どのみち、"リューシス殿下は必ず処刑される"のだから」


 マクシムはそう言うと、冷笑しながらビーウェンの横を通り過ぎて行った。

 ビーウェンはそこで初めて、回廊の奥に小さくなって行くマクシムの背を睨んだ。




 何段もの階段を深く下りて行ったところにある、石造りの地下牢。

 四メイリ(メートル)四方ほどの空間である。地下深いところにある為、陽の光は一切無く、四隅に置かれた蝋燭の火だけが灯りである。


 リューシスは、乾いた声で呟いた。


「そりゃそうだ。よく考えてみれば継母上ははうえが一番俺を邪魔に思ってもおかしくない」


 これまでの歴史を回想した。


 事の起こりは、約二十二年前に遡る。


 父である皇帝イジャスラフと、その正妻である皇后ナターシアとの間には、なかなか子供ができなかった。


 こう言う場合、通常であれば第二夫人、第三夫人を側妻として置き、跡継ぎををもうけるものであるが、ナターシアは、ローヤン帝国建国に多大な功績があり、今に至るまで代々国政に大きな影響力を持っている最大勢力「カザンキナ部」の族長の娘であることから、イジャスラフは、せめてナターシアとの間に第一子が生まれるまではと、遠慮して側妻を置かずにいた。


 しかし、そうこうして五年も経ったある日、イジャスラフはふとした出来心からリュディナと言う名の美貌の侍女に手を付け、しかも妊娠させてしまった。


 そして生まれたのがリューシスであった。


 リュディナは生粋のローヤン人であるが、平民の出自であり、しかも侍女である。通常であれば、そのような身分の女の子供が皇太子エンタイーズになることはない。だが、結婚以来五年経ってもナターシアには子供ができないことから、もうこの先ナターシアには子供はできないであろうとされ、リューシスが皇太子エンタイーズに立てられた。


 皇后ナターシアは当然悲しみ、嫉妬もしたが、生来とても穏やかで優しい女性である。これもローヤン皇家の為と納得し、リューシスが皇太子となることを認めた。そしてナターシア自身もまた、リューシスを自分の子のように可愛がった。


 だがそれよりまた五年後、運命は急変転する。


 ナターシアに男児が生まれたのであった。それがバルタザールである。


 こうなると、黙っていなかったのが、ナターシアが出た最大勢力カザンキナ部である。

 ナターシアの父を始め、現在の宰相であるマクシム・ワルーエフら、カザンキナ部の有力貴族たちが、ナターシアは皇后なのだから、その実子であるバルタザールを皇太子にするべきだと騒ぎ始めた。


 皇帝イジャスラフは困った。確かにそれは道理ではあるが、リューシスは長子であり、皇太子とされてもうすでに五年が経っているのである。今更それを変えるわけには行かない。


 だがそのうち、宮中がバルタザールを皇太子にするべきだとする者らと、今まで通りリューシスパールを皇太子のままでおくべきだとする者らが、二派に分かれて争い始めた。


 バルタザール派は、皇后ナターシアが出たカザンキナ部を中心に、その息がかかった者達。リューシスパール派は、リューシスの傅役であった当時の七龍将軍チーロンサージュンの筆頭ミハイル・スルツカヤを中心に、日ごろからカザンキナ部を快く思っていない者達である。この時、ビーウェン・ワンは北東のハルバンと言う地の駐屯軍におり、この争いには関わっていない。


 最初は宮城内での言い争い程度であった。しかしそれは次第に過熱し、ついには内乱めいた小競り合いまで起きて死者が出始めた。

 更に、この一連の争いに心を痛め、またバルタザール派による嫌がらせめいた事も受けていたリューシスの母、リュディナが心労により倒れた。


 ここまで来ると、流石にイジャスラフとしても見過ごしておくわけには行かず、自ら乗り出して両派閥の者たちにこれ以上争わぬよう厳重に注意した。


 だが、バルタザール派のカザンキナ部の者達はそれでも収まらなかった。ナターシアの父とカザンキナの有力貴族たちは、ローヤン建国時からこれまで、カザンキナがどれほどローヤンに貢献して来たかを滔々と説き、また、今もカザンキナ部の支持が無ければローヤン帝国はどうなるかわからない、などと脅しめいたことも述べた上で、改めてバルタザールが皇太子となるべきだと説いた。


 こうなると、もうイジャスラフは反論の言葉が無かった。

 実は、イジャスラフ自身も皇帝即位に当たって似たような後継者争いをしたことがあり、その際にはカザンキナ部の長であるナターシアの父の支持のおかげで帝位につけた過去があったのである。

 その恩と負い目があるカザンキナ部と、族長であるナターシアの父にここまで言われてしまうと、受け入れるしかなかった。


 イジャスラフはついに、リューシスパールに代えてバルタザールを皇太子エンタイーズと定めたのであった。

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