エクスタス・オンライン 第三巻追加エピソード(グラシャ篇)『魔獣の王国』
久慈マサムネ
第一章 最果ての地
01 さて、どうしよう?
目の前に広がるのは北方の海。
分厚い灰色の雲の下に、色彩のない海が白波を立てている。
魔王の鎧を身に着けた堂巡駆流──すなわち魔王ヘルシャフトは腕を組み、寒々しいその景色を見つめていた。
ここはバルガイア大陸の北の果て。堂巡も初めて見る景色だった。
見渡す限りの草原の先で、突然切り落としたように大地がなくなっている。断崖絶壁の数十メートル下では、灰色の波が打ち寄せていた。
サタナキアは断崖の先に立ち、白く輝く髪を潮風になびかせ、水平線を見つめている。
「バルガイア大陸を横断してしまいましたね」
「うむ……」
サタン率いる魔王軍に対抗する為、ヘルシャフトとヘルゼクターは兵を集める旅をしている。しかし、成果はまったく上がっていなかった。幾つかの街を巡り、空振りを繰り返している内に、大陸を南から北へ横断してしまった。
「何だか寒そうで、寂しそうな眺めなんだもん」
ヘルシャフトの頭上では、フォルネウスが白い翼を広げ、周囲を見回している。
「何か見えるか? フォルネウス」
「ううん。なーんにも見えないんだもん」
これからどうしたもんかな……と、堂巡は内心困りながら、メニューを操作し地図を広げた。
この海の先に、バルガイア大陸から切り離されたかの様な、逆三角形をした大陸がある。目の前の海は、その切り取られた三角形の頂点にあたる。つまり海沿いに進めば、まだ北上は可能で、未知の土地が広がっているということだった。ヘルシャフトは顔を上げると、後ろを振り向いた。そこには、ここまで歩いてきた道がある。
──それとも来た道を戻り大陸の中央部を進むか?
もう一度、地図に目を落とし、この海の先にあるはずの大陸を見つめた。バルガイア大陸とは比較にならない程小さく、エルフたちの国があるログレス大陸よりも小さい。
──ここには一体何がある? どんな種族がいる? せめてそれが分かれば、判断する材料になるんだが……。
「アドラ、お前はどう思う?」
近くに控えていたアドラがヘルシャフトを見上げた。
「まずは情報を集めましょう。この辺りはヘルランディアの力の及ばぬ土地。知識も少なく、私も土地勘がありません。ひとまずどこか近くの街を探し、そこで情報を集めてから、一旦戻るのか、それとも海岸沿いに進むか……或いはこの海を渡るのか、判断をするのはそれからでも遅くはないかと」
──やはりそれが確実だよな。
堂巡は堅実なアドラの進言を受け入れ、ヘルシャフトの首をうなずかせる。
よかろう──と返事をする前に、割り込む声があった。
「この崖を左の方へしばらく行くと、インゼルっつー村があるぜ」
──グラシャ?
さっきから不機嫌そうに海の彼方を睨んでいたグラシャが、唐突に言った。この海に近付くにつれ、グラシャは言葉が少なくなり、見るからに機嫌が悪くなった。
サタナキアやアドラがどうしたのかと尋ねても、何でもないの一点張り。明らかに様子がおかしかった。
アドラは怪訝な表情でグラシャを睨んだ。
「グラシャ、貴様はこの辺りに詳しいのか?」
「しらねーよ」
鬱陶しそうな顔をすると、アドラに背を向けた。
「行くんだろ? 隣町へ行く道くらいなら聞けるだろうぜ。でもな、海を渡るのはやめときな」
アドラは苛立ちを隠さずにグラシャの肩を掴む。
「待て、何を隠している」
その手を払い、グラシャは牙を剥きだした。
「るっせえな! なんも隠してねえよ! 食い殺されてえのか!」
あまりの剣幕に、一同は驚いた顔でまじまじとグラシャを見つめた。全員に注目され、グラシャは気まずそうな態度で耳の後ろをかいた。
「その……何だ? ただ、昔にちょっと来たことがあるだけっつーか……あ! そうそう思い出したぜ! ちょいと狩りに出て獲物を深追いしてこんな所まで来ちまったんだ! それでインゼル村に立ち寄ったんだよ!」
──怪しい。
全員が心の中でそう思った。
グラシャの引きつらせた笑顔に冷や汗が流れた。尻尾が心の中の動揺を表すように落ち着きなく左右に動いていた。
サタナキアは溜め息を吐くと、グラシャに語りかけた。
「グラシャ、私たちに言えないことがあるのは分かります。たとえ同じヘルゼクターであっても、全てを打ち明けるのは難しいことだと思います」
エルフの生真面目さはダークエルフになっても健在だった。しかしグラシャは冷や汗を流しながらも言い返す。
「ま、まーな。お前だってアレだもんな。オレらに言えない秘密あるしな!」
「わ……わたしが?」
どきりとした顔で、サタナキアが怯んだ。
──まさか私が生粋のダークエルフではなく、元はエルフだったことを?
サタナキアの胸の内がさっと冷えた。恐れの色を浮かべるサタナキアを見て、グラシャは舌なめずりをしそうな顔で微笑んだ。
「オレは知ってんだぜ! お前、王様を落とそうとして、毎晩部屋で色々練習してんだろ!」
「なっ!?」
不意の反撃に、サタナキアの顔が一瞬で真っ赤になる。
「何やってんのかは分からねーけど、夜中になるとお前の部屋から、男を呼び寄せる鳴き声とか、発情期のフェロモンみたいな香りが漂って──」
「きゃぁあああああああっ!!」
サタナキアは一瞬で弓矢を出現させると、目にも止まらぬ早業で矢を放った。
「ぐわっ!」
矢がグラシャの頭に刺さり、その体がばたりと後ろへ倒れる。
さすがに殺傷用の矢ではなく、相手を気絶させ無力化させる為の矢だった。矢尻がゴムの吸盤のようになっていて、見た目は玩具の矢のようだ。
サタナキアは顔を真っ赤にして、肩で息をしている。
ひとまず危機は去った、そう思ったサタナキアに空から爆弾が降ってくる。
「あ、フォルネウスは知ってるんだもん! サタナキアがえっちな下着を取り寄せて、それを着て色んなポーズ取ったりしてたんだもん。それから自分の体を触って──」
「いやぁああああああああああああああああああああっ!!」
サタナキアは長い耳の先まで真っ赤に染め、惚れ惚れするような速度で次々と矢を空に放った。
「はうっ!」
立て続けに矢が刺さり、気を失ったフォルネウスが墜落する。サタナキアは手を広げて落ちてくるフォルネウスを抱き止めた。
「さ、サタナキア……?」
うわずった声のヘルシャフトに、サタナキアは笑顔を向ける。
「ま、まったく、二人とも何を口走っているのやら……ねぇ? ヘルシャフト様」
「そ、そう、だな……」
ヘルシャフトはフォローを求めるようにちらりとアドラを見るが、アドラにそんなつもりはないようだ。興味なさそうに成り行きを見つめている。
意識を取り戻したグラシャが、額に張り付いた矢を剥がし、体を起こした。
「くそ……いてて。何しやがんだよ、いきなり──」
サタナキアが腰に手を当てて、グラシャを見おろした。
「いいですか? グラシャ。私たちに対しては言えないことや隠し事、やむを得ず嘘を吐くこともあるでしょう。ですが、ヘルシャフト様に嘘はいけません」
「う……」
グラシャはサタナキアの向こうにいるヘルシャフトを見つめた。だが、すぐに視線をそらす。心の葛藤を表すように、耳がぱたぱたと忙しなく動いていた。
やがて観念したように、グラシャは立ち上がるとズボンの土を払った。
「……わーったよ。でも、大したことじゃねーんだ」
グラシャは灰色の海の彼方を見つめる。
「あの海の向こうに……ゴランド大陸ってのがあるんだけどよ。それが、その」
腕を組んだアドラが、苛立つように指で自分の二の腕を叩いている。急かすように、その速度が上がってゆく。
「何だ、はっきり言え。貴様らしくもない」
グラシャは怒りに顔をしかめると、がりがりと頭をかいた。
「んだから! オレの実家があんだよ!」
「……なに?」
アドラの指がぴたりと止まった。
全員がきょとんとした顔で、恥ずかしそうに顔を赤くしたグラシャを見つめた。
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