黎明の歌声 ~武装王女と隼人の姫~
木葉
1 桃花の下の天女
いつ頃からだろうか、繊細で豪奢な女物の装束を身に纏うことが窮屈になり、軽くて動きやすい男物の衣を好むようになったのは。
その日は兄の婚礼という特別な行事だったから、普段よりも余計に派手に着飾らなくてはならず、しかも屋敷の奥でじっと静かに座り続けていたため、案の定、疲れてしまった。
小川の畔の大きな桃の木が婚礼を祝うように咲き誇っている。木の下に柔かい陽射しが当たっているのを見つけ、伊賀は早速腰を下ろした。
(春だわ。三輪山もいつもより神々しく見える……)
目を閉じて、今日の主役である兄・
活目入彦はさらに年長の兄・
少しひんやりした風を感じながらうたた寝をしていると、草を踏み分ける音が聞こえた。その音はゆっくりと憚るように近付いてくる。逃げ出したのがバレてしまったのだろうか。そうだとしても、嘘寝してしまえばいい。
伊賀は気配の元を確認することなく目を閉じ続けた。
三輪山から天女が舞い降りてきたに違いないと、
長く美しい黒髪は木漏れ日に照らされて艷やかに輝き、薄紅色の上質な衣や胸元の水晶の首飾りがこの娘を王家の関係者だと示していた。
一体この美しい娘は誰だ……。
大和の三輪山の麓に
(可愛いな……)
単純で素直な感想を抱き、武渟川別は引き寄せられるように少女に近寄った。
そういえば、父から
心が甘くざわつき、武渟川別はこの少女に触れたいという衝動に駆られた。なぜか少女は至近距離になっても目を開けない。
気付いていないのか。そう思った瞬間、武渟川別は少女の唇に自分の唇を押し当てていた。
一体何が起きたのだろう。人の気配を感じつつそのまま寝たふりをしていた伊賀は、勢い良く瞳を見開いた。
すると、同じく呆然と目を開いた見知らぬ少年がこちらを見つめている。
「あなたは……?」
かすれ気味の声で訊ねると、少年は飛び退くように立ち上がって、脱兎のごとく走り去っていった。
伊賀は半分寝かけていたせいで、ぼーっと今の出来事を考えた。唇が温かかった気がする。
正装した少年に力強く真っ直ぐな視線で見つめられていたことを思い出し、伊賀は急に恥ずかしくなった。
立ち上がって周りを見回すが誰もいない。
ぽちゃりと川魚が跳ねて、小さな飛沫を上げた。
あの少年は兄の婚礼を祝いに来た小川の神の化身なのだろうかと、伊賀は結論づけ、再び寝て目覚めた後にはすっかり少年の面影を忘れてしまったのであった。
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