第一一節 V.S.『神道より出ずる農耕の祭神 Ⅱ』Round_02.

 目の前には、白き外套に黒き衣を纏いし青年が一人。

 明らかな邪気と、異質な性質を秘めたそれは、彼女の目の前に君臨する。


 だが。


 刹那。


 瞬きも無い。

 動きも無い。


 世界の秒針が止まっている最中。


 攻撃は始まっていた。

「――ッッッ!?!?!?」


 ――――――――ドゴォォォォォンッッ!!!!


 音が遅れて反響する。

 オイナリサマは己の周りに張っていた接触型の爆弾幕を、吹き飛ばされた数秒後に耳にした。


 床を滑り、肉体は止まらず壁にまで到達する。

 途中までの置物などは吹き飛ばされ、窓ガラスも一掃されていた。


「……ッッガッ!? アガッゲホッッ!!」

 呼吸がまともにできず、直ぐさま喉の奥に指を指し気管の道を作る。嗚咽を吐き、血反吐を口から吐き出しながら、目眩ながらも歪んだ視界を戻す。


(……何、が?)

 頭が混乱していた。

 理解が追いついていなかった。

(確かに、ミクロレベルで接触型の爆弾幕を張っていた。それも、目に見えぬ程の粒子を、隙間無く。なのに、反応するよりも、殴られる方が先だった!?)

 現に、殴られた後に、弾幕は起動していた。


 今彼は爆破と粉塵の中に居る。


 それも、粉塵は外に流れ出している所を観ても、軽く事務所の半径一〇メートルを有に吹き飛ばしている。

(力を抑えたとは言え、小規模の爆弾が高密度の中で連続性無くほぼ同時に点火したはずです。無事では済まない……)


 ゆっくりと立ち上がるオイナリサマ。

 今の状態の彼でも、この攻撃はかなりのダメージを被るはずだと、確信していた。

 それは、神通力としての精密な操作を最大に活用し、彼女にとっても超高密度の弾幕は切り札の一つでもあった。


 だから、もう動けないはずだ。


「……そうか、成る程。そういう事か」

「ッッッッッ!?!?!?!?」

 驚きを隠せなかった。


 事務所は、確かに二割か三割程が掻き消えたような状態だった。

 それも、ダイナマイトでは無く、小規模とは言え高密度の連続爆破だ。


 一寸だけでも、その中に太陽ができても可笑しくない。


 なのに彼は、悠々と、視線の先の、崩壊した廊下の粉塵の中から、姿を現した。

 服の彼方此方は微かに焦げていようとも、傷一つ無い。


「……っ」

 直ぐさまオイナリサマは臨戦態勢に移る。


「此処まで硬くなっているとは、予想外か?」

 対しコクトは、攻撃に移らず、語りかけてきていた。


「幾つか、君の判断に訂正をしてやろう。まず第一に、俺の体内で培養したこの力は単純なセルリアンでは無い」

「……培養?!」

「そうとも俺はこの身を使って長期間、体内でセルリアンを培養させ、学習させ、最優のセルリアンを作り続けてきた。君たちの知っているセルリアンとは比較にならない」

「なっ!? ……そんなことをすれば、孰れ自我を覚えたセルリアンに貴方の身体は支配される!!」

「だろうな。だが、其処も君の勘違いだ。言うなれば、セルリアンの核が俺の中にある以上、自我を覚えたセルリアンは更に増殖し、この身体の支配権を奪うだろう。核が別にあればだがな」

「……真逆?!」

 オイナリサマは大きく目を見開いた。

 彼の言葉、その本来の意味。

 そして、言うならば、彼女達にとっての禁忌。


「そうだ。謂わば、核が俺の支配下にある物で代用すれば、体内のサンドスター・ローは自我を持たない。……そう、俺の心臓が、このセルリアンである俺の核であり石だ」


「……ッッッ!?!?」


 身体の中にセルリアンを入れるのであれば、それは孰れ肉体を争う戦いが起こる。

 だが、もしセルリアンの核と同じくして、人間の心臓を核としたセルリアンの体構造を生成するのであれば、支配権は常に本人の物であり、新しい自我は奪われることは無い。無意味な増殖反応を抑え、強化だけに専念し続ければ、その高みは留まることを知らない。


「元々、私の肉体は君に出逢う前から三割程が死滅していた。其処の穴を埋めるためにセルリアンの力を入れ込み、己を核に培養し、肉体の補強を行いながら別ベクトルの力を身につける。セルリアンの強みは超速学習だ。最早無限大とも感じられる定着速度は、俺をセルリアンへと昇華させた訳さ」

 異例中の異例。

 人間が、セルリアン化するという、大事。

 きっと、彼女達神獣にとっても、そのケースは無い上に、禁忌として定義されるだろう。


 そして、オイナリサマからしてみれば、嘗ての友が、その悲惨なまでに変わり果て、目の前に顕現している。

 その事実は、受け入れがたかった。


「貴方は……貴方がセルリアンになってまで成し遂げたい目標とは何なんですか!!」

「……、君には解らないさ」

 彼女の激昂を、適当にあしらうように答える。


 コクトは、人では無い。

 もう、人では無いのだ。


 厳密に言えば、七割は人のままだ。だが、その肉体の中には更に別の肉体が今も尚生成され続けている。


「オイナリ……退け」

「いいえ、引きません」

 それでも、彼女の引く理由にはならない。

 今ココで彼を止めなければ、彼女は後悔する。だからこそ、彼女は立ち上がり、コクトを見据え、身体に宿る輝きを更に膨れ上がらせる。


「まだ手遅れでは無いなら、私は止めます」

「もう手遅れだ。諦めろ」


 刹那。

 コクトを中心に、一体が連続的に爆破し始めた。


 ドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!!!!!


 事務所の廊下だけでは済まされない。

 連鎖的に、そして音の途切れが無い程に、連続性の無い連鎖爆破が彼を襲いかかる。

 事務所は倒壊し、崩れ落ち始める。


(大事な思い出を壊してでも、貴方を止めます!!)

 意志は硬かった。

 彼女は、休む暇も無く彼に爆破を浴びせ続ける。

 視界に彼はいない。


 眩い輝きの中心にて、影さえも消えている。


 が。

 燃えさかる連続爆破の炎の中から、彼女に向かって伸びる腕があった。

「――ッ!!」

 彼女の目前まで伸ばされた腕は、彼女の瞬時の判断で彼と自分の間に爆破を起こし、押し退ける。


(私は至近距離で起こしても、私の所以ゆえんの力故に影響は受けない。例え貴方の装甲が硬くとも、まだ人間の部分は機能している。と、なれば、呼吸が出来ない程の炎火と、熱による力によって抑えこむ!! そう、どんな至近距離まで迫っても、貴方にこの爆破が効かなくとも、爆風は貴方を薙ぎ払う!!)


 炎獄の中に再び押し戻されるコクト。

 体中が燃え上がると言うより、最早その火の姿は無く、焦げだしていた。


 だが、表情は変わらない。

 輝きの中で見えることの無い敵を見据え、唯一目散に、爆風の荒波を押し退けて手を伸ばす。


 数十秒にも及ぶ無慈悲な応酬は、瓦礫を溶かし、事務所のあった大地をも抉り出す。

 次第にその輝きはジャパリパーク中にも、視界に映る程の輝きとなり、まるで巨大な爆弾でも投下され、そのままの後継で時間が止まったかと思う様な、一貫的な光の柱が出来た。


 ただ、セルリアンは何故か動くことも無く、そして、次第に光は消えだした。


   *


 輝きが消える。

 オイナリは殆どの力を使ってしまったためか、浮遊した自身の身体をゆっくりと地面へと降ろし、焼けただれる地面に膝を突いた。


 瓦礫さえも溶け、事務所の面影はもう無い。

(人が居なかったとは云え、彼の思い出を壊してしまうのは、心が痛みます。ですが……これで、止まりましたね)


 ゴゥッ!! と、燃えさかる跡地。

 コクトの姿は無い。


 灰となった訳は無い。

 それは、彼女も解っている。


 微かに弱り切った邪気が、彼女の目には映っていた。

「……もう、これで」

 そう、言い切ろうとした。


 これで彼は止まったと、思いたかった。


 バゴォッッ!!


 瓦礫の山が、吹き飛ぶ。

 それは、彼女が最も恐れていた光景だった。


 体中を焦がしながら、己に目掛けて一目散に駆け出す影。

 そう、此処までの攻撃を受けながらも、尚も怯まぬその眼。


 コクトは、耐えた。

「……何故ッ?!」

 直ぐさまオイナリサマは立て直そうと立ち上がる。

 だが、既に力が限界近いのか、脚が震えて立ち上がろうとしなかった。


「……くッ!!」

 片腕を伸ばし、残り少ない爆弾を撃ち放つ。

 急速に動くコクトは、風を切りながら爆破を避ける。まるでジェット機が誘導ミサイルを避けるが如く、ギュォンッと空気は裂け、そして。

 適当な瓦礫を使い、チャフのように誘爆させる。

(オイナリ……)


 最早虫の息の彼女へと、彼は足を止めない。

 彼女の力はもう限界だ。

 既に腕から放たれるであろう光弾も、ガス欠のように消えていた。


(神としての加護を使い、己には効かない爆発を放ち続けた。確かに、ヤスリのように俺の身体の装甲を削り取ろうとしたのは褒めるべきだろう)


 腰に差した刀がカタカタと揺れる。

 空は切り裂かれ、風など押しのけ、彼女へと近づく。


 そして、彼女の寸前で……。

(でも、それでも俺は進む。大事な物を守って、俺は進む!!)


 ――カッ!!


 その時だった。

 コクトの足下から、眩い光が発生する。

 オイナリサマ最後の攻撃、地雷だった。


 ドゴォォォォォンッッ!!!!


 容赦の無い爆発は、火炎として彼を包んだ。

「……ハァ、ハァ」

 虫の息。

 オイナリサマは、その最後の切り札のために、限界まで力を振り絞っていた。


 もう、動けないはずだと、思い込み。


 そして、火炎から飛び出した彼の姿を見て、目を見開いた。


 止まらない。

 この程度では、コクトは止まらない。


 恐れるつもりも、逃げるつもりも無く、彼は進む。


 そして、悲しい静寂の中。

 コクトの一撃が、彼女を貫いた。


   *


 コクトの腕は、彼女の腹部を捉えていた。


 否。

 正確には、彼の拳から二本指が伸ばされ、鳩尾部分に向かって突き刺さっていた。

「――――ッッ!!」

 オイナリは、言葉を無くす。

 その攻撃に、呼吸がまともにできず、膝を落とし、倒れた。


「……点穴を突いた。当分は動けないはずだ」

「……ッ!! ……ッッ!!!!」

 辛うじて、呼吸はできる。

 だが、身体がうつ伏せのまま動かない。


 彼女の動きは、完全に封じられていた。


「悪いな、オイナリ」

 コクトは、彼女に背を向ける。

 振り向かずに、彼女を観ずに。

「あれだけの爆発であれば、中隔に核レベルの小型爆弾も仕込んでたのだろう? 俺の外装を砕くためだけに……だが、俺のこの外装は唯の防御膜では無いのさ」

 少年は、吐き捨てるように語り出す。

「俺の外装の本来の意味は、防御では無い。肉体内の外界との干渉遮断。つまり、俺の身体のこの黒い粘着質のサンドスター・ローは一種の虚構空間を生み出してる。それはつまり、宇宙空間に匹敵する物だ。解るだろ? 要は、酸素の無い宇宙で火が燃えないのと同じさ」


 サンドスター・ローは、謂わば反転性質。

 その本質は、有を生むサンドスターとは真逆の、無を作り出す力だ。

「ま、絶対的では無いからな。酸欠になりかねた訳だし、単純に薄い網膜など突破する攻撃は山程在る」


 彼女は倒れながらに、コクトを見つめる。

 何かを言いたげに、声に出ない自分を呪いながら。


「……お前と出会った、あの日。俺は、お前と、櫻と、家族になれたような気がした。でも、その幸せは、手を伸ばしてはいけなかった。その性で、俺は多くの者を失った」

 ――違う!!

 言いたかった。

 彼に、言いたかった。


「でも、それでも……俺は何かを諦めきれなかった。その答えはわからないけど、それでも此処を守ることが、その意味なんじゃ無いかって……勝手に思って、勝手に頑張ってきた」

 彼女は腕を伸ばす。

 恨んだ。

 何かを壊して彼を止めようとした自分に。

 彼は、壊されても、自分を強制的に奮い立たせて立っている。なのに自分は、そんな彼に期待し続け、背負わせ続け、何ができたのだろうか? と。


「でも、きっと、意味は在る」

 彼は、静かに言った。


「この場所は、笑顔を生み出せる。それ程の力がある。だから俺は、その笑顔が、誰かのためになるなら、戦う意味だって在るんだって思う。だから……これを託す」

 コクトは、彼女の前に水晶のような者をはめ込まれた円形のネックレスを渡す。

 そう、嘗て櫻に渡そうとした……あのネックレス。

 今はもう、羽は……一枚も無い。

「これを、君の選んだ人に渡してくれ。大丈夫、君は良い目を持っている。だから――」


 ――言わないで。

 ――行かないで。

 どれ程願おうとも、言葉が届かない。


 どれ程念じても、思いは届かない。


「――コナユキ。ジャパリパークを、頼む」

「…………………………………………………………………………ッッ」


 昔。

 そうだ、三人で、住んでいたあの日。

『兄様。この子に、名前を付けて上げたいの』

『ん? 白狐で良いんじゃ無いか?』

『いえ、名前は意味を持つんです。だから、良い名前を付けてあげたいです』

『成る程。なら、お前が付けて上げれば良いじゃ無いか、櫻』

『私ですか?』

『ああ、櫻は俺がお前に送った名だ。だったら今度は、君がこの子に名前をあげるんだ』

『そうですか……なら、粉雪が良いです』

『粉雪?』

『はい、粉雪は、風に乗って何処までも遠くに行きます。だから、この子は何処までも行ける。何処まででも自由に行けるように……』

『そっか、それは良い名前だな。良かったなー粉雪』

『粉雪、貴方も今日から家族ですよ』


「……、」

 懐かしき日の思い出。

 今はもう、叶わぬ世界。


 ポロポロッと、彼女の眼には冷たい雫が溜まっていた。

 視線の先に、もう、彼は居ない。


『知ってますか。粉雪』

「…………………………ァァ」

『春が来ると、その訪れで、雪が溶けるんです。でも、それは新しい季節を呼ぶ前触れでもあるんですよ』

「………………ァァァァァア」

『だからね、粉雪。何処か、遠くに行っても。また、私たちの所に戻ってきて下さいね』

「……ァァァァァァァァアア」

『だって、季節が巡れば、粉雪がまた来てくれる。優しくて、フワフワして、暖かい、粉雪が来てくれるって……知ってるんですから』

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!」


 白き狐は、泣いていた。

 溶かして行く、己の心を流す。

 新しい季節の訪れを呼ぶ、雪解け水が流れる。


 唯その咆哮は、悲しく荒野に響いた。

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