第九節 救済戦 Wolf_Alliance.

 手術が始まった。


 コクトによる、サーバルの大手術。

 無論、此処まで掻い潜ってきた手術とは段違いに難易度が高い。


 全身に及ぶ打撲と損傷。

 更に腹部からは致死量に達するだろう出血と損傷が見受けられる。戦いの詳細は解らないが戦場でセルリアンにでも貫かれたのだろう。

 それに、傷口が損傷具合以上に開いている点を見ても、彼女は傷を負いながら戦い続けていたと言う事実が見て取れる。


(無理はお前の専売特許だったか?)


 死んだ部分を切り取り、生きた部分を縫い合わせる。

 損傷した内側の傷も、極限まで排除を行わず、再生可能な細胞を生き長らえらせる。損傷が多くとも、彼女の身体は殆どが生きている。なら、切り取る可能性は余りにも無い。そして、それ故に、生きた細胞や臓器を完全状態までに復元させる。


 未来に繋げる最高の技術を惜しみなく振るう。


 孤独の中で戦いながらも、大病院の複数人による大型手術に引けを劣らぬ、その手捌き。そして、一寸も狂わないその正確さ。

 精神の摩耗は無い。

 寧ろ、今の彼は最高に至る極限を超え、医者としても臨界を超えていた。


 最低限の必要処置では無い。

 最高にして至高の技術による、人間の科学の一部である医学における究極的難題。


 ――人間の手による完全再生。


 オーケストラでも聴いているのか、手順はリズミカルに、一切の狂い無く進む。


 彼女の体内構造を理解しているのか、既に彼の頭の中には彼女の傷が精密描写されているカルテのように、精密化されて頭の中にあるのか……まるで迷路の全体像を把握できるゲームメーカーのように、迷いや間の無い動きは、更に鋭利な槍が風を切り加速するかのように、早く正確に目標に向かうように、精密化されて行く。


「……、」


 無言の医師。

 最低限の音しか立てない機材達。

 脈拍だけを音声化させる機械。


 唯それでも、どんな病室よりも無音は強調され、まるで手術台に立つ医師にしか解らない音楽でも流れるかのような。

 そう、正に。


 ――無音の手術室。


 連携も無い。

 だが、彼の手捌きは既に処置の四〇パーセントに到達している。


 更にこの手術の本質は、三度の手順を要する手術で、謂わば一番に応急的な処置。

 二番目には健康状態の安定化を図り、三度目に再手術を行うという二巡一拍の処置が基本だ。

 言うなれば、応急処置となる第一番は患者の肉体状況からしても負荷を掛けられない事が前提であり、生命を繋ぐための一時的な処置として一番目が存在する。

 後は文字通り一度肉体の回復を行った後万全な状態で完全回復を目論む。

 それ故に、第一番の手術は一時間前後が原則とされ、それ以上意識を眠らせておくと次第に機能が停止し始める恐れがある。


 つまり、この手術の本来的な本質は『一時的に肉体の停滞を停止させ、更に生命維持を行える状態にする』ことが一番とされる。

 それも、時間内に、だ。


 ただ、時にそれを凌駕する存在は、天文学を分母とした時の微粒子学を分子とした割合で現れる。


 第一番の手術によって――一時間前後の制約内で――肉体の損傷を完全回復に極限までに近づけるドクター。その場合によっては第三番の手順の排除(もしくは軽減化)を可能とする存在も居るのだ。


 だが、その可能性は、あらゆる前提状況をクリアした状態の者にしか到達できない。


 最高技術の持ち主。

 患者の状態の完全把握。

 手術行程の完全的推測(及び、臨機応変的な対応変化力)。


 以上の三つの要素を持ち合わせた者。

 それこそが、命を紡ぐ事に最も近しい者だ。


「……、」

 コクトは、時計をほんの一瞬だけ眼に移す。

 焦りは無い。

 汗も無い。


 眼は座り、冷静さに欠けは無い。


(此処までは、順調だな……)

 ただ、一つだけ――懸念があった。


 それは、サーバル自身の身体に対してでは無い。


 外部。

 その状況。


 謂わば彼はこの瞬間のためだけに完全隔離閉鎖空間内で、命を紡ぐ事を最優先に動いている。

 だが、もしこの状況で医療機関にまで空襲が始まったら?


 救おうとした命は、その全てが一切合切切り取られる。

 突如的な命の一斉的排除。


 その手段を持ち合わせているセルリアン。


 彼の技量におけるサーバルを救うことは、少なからず懸念は無い。

 だが、外部の状況によっては、その可能性も潰される事もある。


 医者が絶対に言いたくない言葉だが、それでも今この状況に置ける最適な回答は、きっとそれなのだろう。

「……運次第、か」


 だが。


「医者が自分の命を賭けないで、何を救うというのだろうな」


 覚悟は元より、決まっている。


   *


 サカザキの手術は続く。

 サーバルとは違い、生きている細胞の腐敗化が進んでいるかと思われた。


 ただ、手術は思わぬ方向に一変していたのだ。


「……余りにも。いえ、予想を遙かに上回る形で……腐敗化が止まっている……っ!?」

 それは、確かに良いことなのだろう。

 だが、人間科学を追究してきた人間という生物の理解を超えたその状態は、余りにも不可解で、そして謎だった。

 だが、それを良しとして手術は行われ続ける。


 疑念が浮かび上がる中でも、重症の彼は過去達医療チームによって着々と再生していた。


 ただ一つの、疑心を残して。


   *


 ???


「――意識が一つの……中心を的に集まり始めていますね」


「今なら、私も――」


 ???


   *


 第一手術室にて、コクトの手術の割合は八五パーセントまで進行していた。

 現状までは特に災いなどは無く、難航を極める様子も無い。

 数度の揺れは多少なりともあるが、彼の集中力は其処に裂けられては居なかった。


 目の前の一瞬のために、できる限りの技量と知識を回転させ、サーバルを救う。


 身体の幾ヶ所かが既に縫合が終わり、そして最後の難関である貫通された腹部を処置していた。


(抉られた訳では無い故に、構造組織は死んでないな。欠陥は多少有るが、周りの内臓も修正には至れる。輸血も十分……)

 余裕は無いが、彼女への懸念は無い。

 開始から既に四五分。


 終盤へと差し掛かっている、その時だった。


 ……ドゴォォォォォンッッ!!!!


 強烈な爆音と共に、病院が大きく揺れた。


   *


 ジャパリパーク大病院。

 エントランスロビー。


「な、なんで……っ!?」

 横たわるフレンズ達を介抱していた一人のドクターが、正面入り口に向かって叫ぶ。


「何でもうこんな所まで来てるんだ!!!!」

 それは、その場に居る者全てを釘付けにした。


 造形はどうか?

 大きな顎を持ち、背中には巨大な皮膚系の両翼を広げ、体重を支える脚は太く巨大だ。

 身体の体組織の全てが不鮮明な赤色をしている、単細胞生物。


 セルリアンが、病院に乗り込んだ。


「に、逃げろぉぉぉ!!」

 誰かが叫んだ。

 その声に同調して、走れる患者は奥へ、医者達は動けない患者を救急用ベッドに乗せ走り出す。


 だが、セルリアンの無差別的な攻撃は、生を求める彼等の心根を砕くように動き出した。


 打ち壊した玄関口の瓦礫を足場に、声とは言い難い奇声を上げだした。

「――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッッッ!!!!」


 まるで狼煙のような、声。

 それと同調して、一体の巨大なセルリアンは単身、贄を追う機械のように巨大な足音を立てて進行しだした。


 だが。


 ガキィィッン!!!!

 大きな顎元に、石と石が衝突したような鈍い音が走る。

「成る程、あの神獣が言ってたのはこういう事だったのね」

 まるで何かがぶつかったような認識のセルリアンは、目の前に着地する一つの影に焦点を移す。


 だが、焦点を合わせた所で、声が聞こえるのは一つ所からだけでは無かった。

 吹き抜けになる二階からも、セルリアンの背後にある入り口近くの受付からも、同じように声がした。

「でも、悪いけど……ここから先に行かせることは出来ないのよ」

「そうですよ。お姉様との明日を壊されては、私も堪りません」

「理由こそ違うが、綺麗な雪景色を壊してしまうような輩を野放しにはしておけないのだ」


 特徴的な耳。

 強引に明け放たれた窓から入る風で靡く髪。

 種族特有のマフラーが、ざわざわっと揺れている。


 それは、砦だったのだろうか。

 命を紡ぐ病院という場所の、最後の砦とも言うべき彼女達は、いつもとは違った風格を巨大なセルリアンに見せつける。


 タイリクオオカミ。

 イタリアオオカミ。

 ホッキョクオオカミ。


 三匹の眼は、ただ一点……単身突撃したセルリアンに対し、その縄張りへと踏み込んだ為の警戒心と、群れとしての一つの意志を明確に表すかの如き鋭い瞳で睨み付けていた。


「さて……」

 タイリクオオカミは、宣戦する。

 我らが縄張りに、聖域に、堂々と土足で踏み込んだセルリアンに対して。


「此処は、私たちの縄張りよ。それに、貴方のような元気な子は病院にはふさわしくないの。だから……」


 さぁ、守れ。

 明日へと繋ぐために。


「ご退場願うわ」


   *


 第一手術室。

 外から聞こえる騒音。

 激突と、破壊と、そして叫び声。


 それらを知りながら、その状況をある程度推測していながらも、彼はそれでも手を止めなかった。


 ただ、今だけは願うしか無い。

(頼む……今この瞬間だけは……)


   *


 睨み合いの拮抗。

 その中で最初に走り出したのは、タイリクオオカミだ。

 彼女は態々、セルリアンの正面へと走り出す。


 目の前の的が近づく事を視認しているセルリアンにしてみれば、これ程狙いやすい的は無いだろう、と大きな顎を動かし牙を向ける。


 だが。

 向けた顎をタイリクオオカミは軽く飛び跳ね、セルリアンの鼻元に手を置いて身体を牙から避ける。

 軽く飛び跳ねて避けたと思えば、次の瞬間、セルリアンは強い衝撃に襲われていた。


 ガキィィッ!! ガキィィッ!!


 巨大な脚の足首を、他二体のオオカミが強い爪の一撃を喰らわせていたのだ。

 セルリアンの細胞を意図も簡単に抉り、脚の力を制御できなくなったセルリアンは体勢を崩す。


 その隙にタイリクオオカミはセルリアンの身体の上から背中部分に見えるいし目掛けて走り出し、爪を立てた指先で貫こうとした。


「――――――ッッ!!」

「何っ?!」

 だが、大型セルリアンは両翼の翼を広げ叫ぶ。身体を大きく揺らし、自分の上に乗っていたタイリクオオカミを振り落とすと、勢いよく片翼を振るい弾き飛ばした。

「きゃっ!?」


 バヒュンッ!! と、身体は吹き飛ばされ、エントランスを低空で突き抜ける。

「わ、私がお姉様を!!!!」

 突き飛ばされた彼女を助けようと、イタリアオオカミはタイリクオオカミに向かって駆け出していた。


 だが。

「よっ」

 ザザザザザザザーーッッ!!

 タイリクオオカミは飛ばされながらも空中で姿勢を戻し、両手両足を床に付け勢いを殺して留まり立った。


「あーーーーっ!!」

 因みにイタリアオオカミは自分の勢いを止められず止まったタイリクオオカミを余所に通過した。


「っとっと。簡単には、行かないわね」

「でも、目標はかなり大きいわ。隙はある」

 タッタッタッと、ホッキョクオオカミがタイリクオオカミのとなりに駆け寄ってくる。

 互いに目標を見つめながらに体勢は崩さずにいた。


「で、どうすれば良いと思う?」

「そうだな。隙さえあれば石を貫くことは容易だろう。その為に隙を作る必要がある。それに、一度動かせば奴は数秒の空きが出来る。陽動と囮、そして決める者が必要だ」

「丁度良く三人でという訳ね。イタリアオオカミはそれで良いかしら?」

「はい!! お姉様のためなら例え火の中水の中ッッ!!!!」

 伸びていたイタリアオオカミはザッ!! と勢いよく立ち上がり挙手をする。所々自業自得な形でボロボロだが、やる気十分に見える隠れ体育会系のような元気の良さがあった。

「あはは……、無理はしないでね?」

「キャッ! お姉様に心配された……」

「楽しそうなのは良いが、そろそろ決めるぞ」

「お姉様を差し置いて指示しないでくれませんか?」

「まあまあ、二人とも。少し耳を貸してくれ」


 タイリクオオカミは二匹に耳元で囁く。

 若干一名昇天しかけた者も居るが、伝え終えると、彼女達は今一度セルリアンを見据える。

 セルリアンは足首の修正を終えたらしく、今となって動き始めた。


 迫り来るセルリアンに対して、彼女達は駆け出す構えを取り、そしてタイリクオオカミが吐き捨てるように語った。

「それじゃ、行くよ!」


 ビュオンッッ!!


 彼女達は一気に走り出す。

 セルリアンへと迫り、セルリアンの周りを駆け回る。

 素早く動く彼女達に、セルリアンは目標を見定めることが出来ず、そして翻弄されながらも、大きな翼を広げ風を起こした。


 が。

 それを見計らってか、ホッキョクオオカミがセルリアンの下へと潜り込むと、駆けながらに腹部を連続で攻撃した。


 ガギガギガギガギィィッッッ!!!!


 放たれた爪は、セルリアンの腹部をガリガリと削り取る。

 その攻撃にセルリアンは叫びながら、大きな脚で踏み潰そうとホッキョクオオカミに脚の平を突き落とした。


 だが、彼女はヒラリと躱し、更に脚の付け根や足を、止めること無く全身の要所要所に爪を立て刻み込む。


「知っているか、セルリアン」

 彼女は、駆けながらに吐き捨てた。


「ホッキョクオオカミは、ハイイロオオカミより小さい。だが、その利点は、貴様のような大型の猛獣の大振りな攻撃を避け、確実に仕留めるために傷を積み重ねる為なんだ」

 オオカミは、種族によっては一撃必殺で獲物を仕留めることが多い。だが、その一撃必殺を何度も失敗し、そして蓄積した傷によって狩るというイメージも間違いでは無い。

 それは、逆に言えば、オオカミはその一撃必殺級の攻撃を連続的に繰り返せる希少的な動物でもあるのだ。


 それ故に、セルリアンの体中に修正が追いつかない傷が増え続けていた。


「――――……ッッ」

 耐えかねたセルリアンは、子供の地団駄のように暴れ出す。

 大きな翼を何度も広げ、体重の乗りかかった大きな脚を使って地響きを何度も起こして、病院を揺らす。


 ホッキョクオオカミは駆けていた足下が揺れ出したのを感じると、直ぐにセルリアンとの距離をとった。


 セルリアンは見てはいない。

 暴れるように動き、そして、視点はグチャグチャと揺れる。

 ただ、その巨大さ故に、その視点に一つの影が映った。


 それは、頭上。

 空中高くから、電灯の影となって現れる一つの影。


 視点を直ぐに会わせたセルリアンは、その正体に気が付いた。


 イタリアオオカミが頭上高くから降下してきていたのだ。

 爪先を鋭くして。


「――――ッッ?!?!」

 驚きながらに、セルリアンは身を引こうとする。

 だが、蓄積されたダメージによって脚が動かなくなっており、牙を向けようにも角度が足りなかった。

 直ぐさま、切り返して片翼を使い、大きく広げる。

 一秒でも遅れれば、彼等の心臓部分は打ち砕かれる。


 故に、最早何振り関係なく、翼の勢いに残りの力を注いだ。

 そして。


「うりゃぁぁぁぁぁぁーーーー!!」

 降下しているイタリアオオカミは、爪先を伸ばす。

 セルリアンの石のギリギリまで近づこうと、身体に掛かる空気抵抗を狭くして速度を上げていた。


 両者とも、焦っていた。


 ギリギリの鬩ぎ合い。

 届くか吹き飛ばされるかの、二択。


 そして、イタリアオオカミの爪先と、セルリアンの片翼。

 軍配は、セルリアンに上がった。


 バゴォォォォッッッ!!!!


 イタリアオオカミの身体は、石に近づく直前で、我武者羅に振るったセルリアンの翼によって吹き飛ばされた。


 彼女の身体は空中に投げ出され、姿勢を戻せないまま壁へと打付けられ掛けていた。

「全く……」

 だがその寸前で、彼女に手を伸ばしたのはホッキョクオオカミだった。

「ふへぇぇぇ……」

 伸びきったイタリアオオカミ。


 だが、これによって、セルリアンはその危機が去ったことに安心しきっていた。


 ……そうだ。

 唯それだけだった。


 唯それだけの一瞬の隙。

 まるで夜に家の中で安心して眠る被食者。

 そういう者達は、夜の帳の中からヒッソリと忍び寄る影さえ、見えない。


 ビュッッ!!!!

「……此れで」

 セルリアンの死角。

 石のある、背後。


 其処に、居た。

 既に飛び上がり、輝きが籠もる爪先を振り上げ、そして……。

「詰みだよ」


 ガギィィィィィ……


 突き刺した。


 叫び声の、一つもあげなかった。

 セルリアンは、まるで電源を切られたパソコンのように、静かに霧散していた。


「……、」

 輝きへと変えるセルリアンを見据え、彼女は静かに佇む。


(……、)

 ホッキョクオオカミは、伸びたイタリアオオカミを適当に床に寝せ、彼女を見つめていた。


(『今、此処のフレンズ達を守れるのは私たちだけ。だから、此処から逃がさないで、何としても仕留める必要があるわ。だから、陽動と、囮を任せても良いかしら? 私には、どうしても此処を守り抜きたい理由があるの……』)


(守り抜きたい、か。私には解らないが、其処に強い意志があるようね)


 プシューッ!!


 彼女達がその達成感の感傷に浸っている中、病院の奥から音がした。

 廊下の先から聞こえるその音は、彼女達の決着を物語るにはふさわしかったかも知れない。


 二人の医者が、同時に、手術を終わらせ出てきたのだ。


   *


 サーバル、サカザキ。

 両名の手術は終わった。


 サカザキは全身の腐敗の進行が謎の遅延を起こしていたために、肉体組織の縫合は培養皮膚を使うこと無く終えられた。だが、骨折などの損傷も激しいが故に、今後サカザキは長い時間を掛けた処置が必要になるとのことだった。

 しかし、後遺症は残すことが無く、二・三年を経て完治するだろうと目論見がされている。


 そして。


 ……サーバルは。


「……、」


 病院内。

 第六集中治療室。


 サーバルの手術を終えた後、彼には多くの情報が舞い込んだ。


 第一に、病院に強襲してきたセルリアンがあの一体だけだったこと。

 地上からでは無く空中から飛来したために前線を突破しており、今回の事件が起きたが、狼たちによって対処された事で、一時的な危機は去った。


 そして第二に、前線のセルリアンの進行が止まったと言う報告だった。

 奇妙な話だが、唯その理由も直ぐに発覚した。


 夜。


 セルリアンは夜に動けない。

 いや、正確には動かなくなる、が正解だろう。

 下手に刺激すれば動くし、光を求めて進む。


 ただ、その動きが奇妙な程静かに、あの大行進が止まったのだ。


 まるで何かを待つかのように。


「……、」

 その結果で言えば、負傷者の搬送は無くなった。

 サーバルを皮切りに、急患は無くなり、他のドクターでも施せる処置の患者程しか出なくなった。まるで、戦国時代の夜の休戦状態。

 緊張が残りながら、身を休める。


 彼女達も、そのつもりで前線近くで待機している。

 空中も、セルリアンもフレンズも飛び交わず、羽を休めている。


 サンドスターを消費しすぎ、謂わば満身創痍だった。


 その全ての情報が彼の中に整理され、そして、知った上で、今彼はベッドの上で横たわっているサーバルを見つめていた。


 彼女は、人工呼吸器に輸血、点滴を施され、現状は絶対安静状態を余儀なくされていた。

 今の彼女は、沈んだ意識の世界に浮遊している。


 そんな彼女を、ただ、見つめているコクト。


 彼は、眠っている彼女の手へと手を伸ばした。


「今回ばかりは、ちゃんと救えた……」


 今度ばかりは、今回は……。

 誰に言っているのかも解らない、意識のある独りの部屋で、彼は彼女の手を握って呟いた。


 彼の顔に、今までの堅物な印象は無かった。

 いつか見せたような、優しい笑み。


「色んな事があったな」


 今になって思い返す。

「辛いことも、苦しいことも、本当に、此所に来て色んな事があった」


 ただ、何処か悪くない。

 そう思えてしまう。

「君は本当に、始まりの獣だった。あの頃君に出会えて、君に一番に出会えて良かった。あの頃からあの笑顔が消えず、ずっと心の中に有り続けてくれたから、俺は此処まで来れた」


 六年。

 長く居すぎた。

 彼は、その長い時間の中で、色んな物が変わった。

 価値観、思想、心。

「私たちの時代は此処までだ。だから……」


 彼の表情は戻る。

 彼女の手を優しく握りしめ、強く、強く誓う。

「次に君が生きる世界は、きっと美しい世界になる。笑い、微笑み、泣き……そして、決意する。多くの苦難と困難が待ち構えても、君は友と乗り越えるだろう」


 だから。

 だが。

「だからこそ、俺とは此処までだ」


 強く、優しく握った手から、彼の手が抜ける。

「此処で……お別れだ、サーバル」


 歩み出す。

 部屋の外への、扉へと。

 静かに、コツコツッと……。

「……、」


 扉へと手を伸ばし、彼は、振り返ろうとはせず、唯静かに、彼女に吐き捨てるように言った。

「――さようなら」


 開けられる扉。

 彼は、その扉を潜り、出た。


 決別と共に。


   *


 サーバルが寝ている、集中治療室。

 その部屋に、彼女以外誰もいない。


 そんな中で、サーバルは、意識が無いままに、小さく、呟いていた。


「……コク、ト」


   *


 死者/〇名。

 負傷者/八一名。


 前線/停止。


   *


 さあ、此処より本当の戦いが始まる。

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