第二節 偽りの顔の下 Declaration_of_War.

「大型メンテナンス……ですか?」

 ジャパリパーク定例会議。

 各管轄の主要人を集めた会合であり、月一で意見や議題を挙げて話される。


 その中で、声を上げていたのは、カコだった。

 彼女の言葉と目線は、その発言者と思われるコクトに向けられていた物だった。

「ああ、ここ最近になってジャパリパークも強大になり、見えない点での整備不良なども考慮した結果だ。以前までは対応できてきたが、企業自身が肥大化している現状で、確認は大事だろうからな」

「ですが、その……この資料を見る限り……」

「ああ、大型メンテナンスと言うだけあって、一ヶ月を考慮に入れている。海運や空輸業者の新規雇用もあったからこそ、大きく復習するためにと思ってくれて構わないよ」

「なら、営業課の方はどう動きましょうか?」

「当面は業務課と連携してパーク全体の設備の確認。ガイド部門は休養と共に営業上の問題を上げて欲しい。各員への今後の方針としては、営業中にできなかったことを行う意味でも有用にして欲しいと思う」

「……、」

 各管轄の代表が黙り込む。

 ただ、その悩ましい顔は意見に対する苦言では無く、今後どう動くかという考えの表情だった。彼等としても出来なかったことをしたいというのは本意だ。だが、それをどのようにスケジューリングするかが肝となっており、その点で各々が悩ませている。

 一人を除いて……。


「……、」

 カコの眼は、コクトを見つめていた。

 コクトは至って普通だ。所長として、代表として、やるべき事を提示しその議題について考慮し、提案する。一企業の社長として申し分ない彼の筈が、彼女から見ているとどうにも気がかりになる事がある様子た。


   *


 会議が終えられ、各々が自分の管轄へと戻る。

 コクトも今日という日は事務所へ戻り、今後の予定等を社員に話すべく会議室を出ていた。


 ただ、彼の心中にある思惑は、彼等とは違う。

 それこそ、彼が見据えている物は、誰よりも先の計画だったのだ。


 誰にも悟られず、誰にも解らない。

 例えその一端に触れようとも、彼の保有する知識には到達できない。

 余りにも段違いなその場所に彼はいる。


 そして、それ故に、溝と、孤独が彼を支配していた。


「……、」


 ジャパリパーク、保護区内フレンズ専用自然公園。


 コクトは一人、丘の上から広い緑の高原を眺めていた。

 彼も人だ。

 それこそ、己の傷心を癒やしたいと思う事があれば、消しきれない考えもある。心は誰よりも人に近いはずなのに、身体の内側に宿る物は人を隔てた先に住まう物だ。


 肌を撫でる風は、妙にくすぐったい。草原で揺れる草木たちも、まるで生きていると実感させる様に陽の光に当てられ輝いている。

 霞んだ瞳は、その大自然の絶景を捉えられる事はできなかった。


「しょーちょうさんっ♪」

 聞き慣れた声が、丘の下から聞こえた。


「……、」

「どうしたんですか、ボーッとして」

「あ、あぁ……いや、何でも無いよ」

 眼に前に現れたのは、ミライだった。

「そうですか? 私から見たら完全に上の空でしたよ」

「まーな……、そんな風になりたい日もあるんだよ」

「そうですかー……よっ」

 彼女は草原に寝転がる。

 新人が抜けきっていない様な、その若々しさは、矢張りこのジャパリパークにおいて大切な事なのだろう。そういう活気溢れる人間が集まり、今のジャパリパークは生きている。

 活気は感染し、次第に周囲を笑いと笑顔に包む。

 ただ存在するだけで、周囲を笑顔にできるというのは、ある種の天才性と言ってもいい。

(この子がガイドになってくれてよかったな……)


「私、此処でフレンズの皆さんとお昼寝したいなーって思ってるんですよ」

「へー。確かに、こんなところで寝られたら、気持ち良いだろうな」

「そうですよね! やっぱりこう言う場所は落ち着きます」

「動物園とかに居た時とは違うのか?」

「あれはー……興奮ですね!」

 寝転がりながら、彼女は意気揚々としたドヤ顔で目線を返す。

 此処まで純粋すぎるのは、まあ、天性の物なのだろう。

 ただ、逆に言えば彼女もフレンズだけではなく、彼女なりの喜怒哀楽の楽しみ方があり、草原で心が安らぐという一言だけでも、彼女は人なのだと実感できる。

「私は動物が大好きなのですが、何かと話の合う方がカコさん位しか居ないんですよね~」

「まー、君も中々に専門家気質だからね」

「でも、最近は興味を持ってくれたのか、話しかけてきてくれる男性も多いんですよ! ……でも、やっぱり足りないと言いますか」

 ミライに言い寄る男性。

 コクトもそれは周知しており、それこそ彼女が表面的に美人であるからこそ言い寄る男性も少なくは無い。ただ、彼女の現在の興奮と探究心は獣に向いており、その結果心を折り続ける男性職員が後を絶たない。一次は傷心的ノイローゼという名目で休暇をする職員が後を絶たなかった事もある。

(美人は時に会社をも狂わせる……か。ま、早々に折れてくれる方が良い)

 意外と社内恋愛は昨今の企業では日常茶飯事の様にあり、そして断られたからという理由で退職する者も多い。結構会社側としてもかなりの痛手を喰らう例が多く、企業主からしてみれば余り好かない事柄だ。

 だが、彼女の断り方は偉く爽快的だと聞く。

(そりゃ、あんなバッサリと「動物の方が好きだから」何て言われれば、数日で諦めが付く物だ)


「まぁ、下手に他人と波長を合わせるよりも良いだろうさ」

「どういう事ですか?」

「こっちの話だ」

「……?」

 コクトの言葉に彼女はキョトンッと首を傾げる。


「あっ、でも」

 ただ、次の瞬間。

 思い掛けない言葉が彼女の口から放たれていた。

「所長さん……というより、コクトさんは余り獣が好きではないですよね?」

「……、」

 思い掛けない言葉だった。


 それは、彼女の口から出た言葉だからと言うよりも、もっと表面的な意味でも驚く言葉だった。

 ジャパリパークの創設者。

 そのレッテルを持つだけで、どれ程の偏見を持たれるだろうか?


 コクト自身メディアや自身の姿を余り公には出さず、その功績の殆どを部下に譲る程だった。だが、それでも多くの人々は胸の中である疑問から生まれる偏見を持つ事もある。

『ジャパリパークの創設者は、動物の専門家で、動物が大好きな人』だと。

 それは研究員も同じで、コクトという人間の動物に対してだけの知識量でも彼を抜く事ができる者は早々に居ない。

 それは逆に偏見を肯定させるには十分な理由になり得てしまう。


 だからこそ、彼女から出た言葉は異常だと思える程に、驚きの一撃だった。


「……どうしてそう思うんだい?」

「私は獣が大好きですから!」

「うん。いや、理由になってないよ?」

「……私は、自分で自負している程ではありませんが、その人が本気で動物が好きかどうかと言うのが、見て解るんです。こう、雰囲気と言いますか、動物を前にした時の興奮が伝わる様な、そんな気がしてるんです」

「……、」

「でも、コクトさんは、どんな動物を前にしても、冷静で、落ち着いていて……それに、偶に悲しい眼をしているんです」

「……つまり、冷めた人間って事?」

「ち、違います!! ……ただ、カコさんみたいに……それ以上に、何かがある人間なんだなって思ってしまうんです。だって……」

 そう。

 アレは……。

(動物に対して無関心な眼でも、嫌っている眼でも、好いている眼でもない……まるで、動物を等して、何かを思い出してしまっている様な、そんな……)

「……、」

 彼女は、俯いてしまう。

 ただ、その数秒の間をおいて、コクトは吐き捨てた。

「動物は嫌いじゃないよ。それこそ、いもう……家族と、一匹の動物と一緒に暮らしてたし、楽しく過ごしてきた思い出も有る。ただ、そういう時に限ってさ、苦しい事や辛い事もあったから、色々感じてしまうんだ」

 彼の眼は遠くを見ていた。

 その眼を見ていたミライも、ただそれだけで何かに気が付いていた。


 何故ならその眼は、彼が動物に向けるときの悲しい眼だから……。


「……、コクトさん」

 彼女は、小さく息を吐いて、彼を見つめた。

 今までの彼女でも見せる事のなかった、何処か悲しさと哀れみを含んだ様なその瞳で、彼に告げたのだ。

「もし、いつか、気持ちの整理が付いたら私、貴方に動物の魅力を沢山伝えますから……だから、せめて嫌いにならないで下さいね?」

「……、」

 彼女にとって、動物を嫌いになる人物を毛嫌いする事はない。ただ、その思考に対して、きっと何かがあると詮索し、その好きになれない理由に涙を流す様な、純粋な人物なのだろう。

 彼女は美人だ。

 それこそ、その人間性は誰よりも真っ直ぐで、芯の強く、良い瞳の持ち主だ。


 だから。

「ああ、約束する」

 彼は吐き捨てていた。


 ただ。

(ごめんな、ミライ)


 きっと、こんなにも綺麗に笑い、綺麗に共感してくれる人物はいない。


(君は確かに、動物に関しての心理であれば、誰も君に勝てないのだろう。だけど、その枠から外れた場所は……そう)


 だからこそ、この行為は、きっと彼を苦しめるとも知らず、信じてしまう。


(嘘は、どうにも昔から得意なんだ……)


 人は、人知れずに、人を傷つける、鋭利な生き物だ。


   *


 夜。

 ジャパリパーク領海近辺。


 其処では、一つの小さな漁船が海を漂っていた。

 中には男が三人。一人は操縦席で舵を握り、二人の男は外を見渡している。

「……おい、そろそろ入るぜ」

「おう! ヘッヘヘッ、楽しみだなぁ!!」

「了解よー。さて、今日もいっちょ働きますか」

 漁船に乗る猟師の様な漁服にゴムの手袋を付けてはいるが、身体の肉付きはどう見ても猟師とは言いづらい程に貧弱に見える。


 彼等は密輸業者だった。


 漁船の中に忍ばせた麻酔銃に実弾。そのどれもが強力的ではあるが、些か人員に何か不出来具合も感じる。何回か密漁をした程度のお上りの様な者達なのか、単に偵察用に狩り出された大規模組織の下っ端なのか、ただそれを証明する物は何も無かった。


「おう、領海に入ったぜ。外はどうだぁ!」

「何も居ませんぜ~。コリャ島まで行く必要があるんじゃないッスか?」

「ま、夜だから仕方ねぇよな」

「クソッ!! 動物だかなんだか知らねぇが、売れりゃ良いだろそんな事! さっさと終わらせるぞ!」

 彼等の言葉は何処か気に掛かる事が多い。

 それもその筈で、事実パークの外にフレンズを出せばフレンズは動物に戻ってしまう。それは公表されている事実であり、興味がある物に至っては知らないはずがない。

 ただ、この公表には一つだけ大きな穴もあるのだ。


「ま、そんな急かすなよ。どうせ外に出しちまえば唯の動物。お嬢さんだって言う確証なんか直ぐに消えちまうんだからな」

 そう、逆に言えば、皮膚や肉体的な価値が高ければ、それが動物でも死体でも構わない。そもそも密輸業者は基本的に生かして捕まえるのではない。殺して剥ぐのが基本的な密輸業の行いで、かなり高い報償でもない限りそんなリスキーに手を出さない。


 つまり、彼等の目的は、レア度の高いフレンズを仕留める事。

 それが彼等の目的だった。


「島は見えるか~?」

「おー! ……でも未だ遠いな~」

「あー……ぁ?」

 ふと、後ろの方で身を乗り出して辺りを確認している男の一人が、海面を覗く。


「……んだ、これ?」

 彼が見たのは、黒い影。

 夜の海面に映る、鯨の様に大きな影が、船を飲み込む様に広がっていた。

「何だ! どうしたぁ!!」

 運転席の男が、海面を眺めている男に向かって叫び上げる。

 もう一人の男も何かを感じ取ったのか男のとなりに立ち海面を見つめた。

「鯨か?」

「バカ言え、こんな海域に鯨なんか要る訳ねぇだろ!」

「だったら何だってんだよ?」

「知らねぇよ。おい! 島までまだか!!」

「あぁ、それなんだがよぉ……」

 運転席に立つ男は、少し言葉を釣り上げて答えていた。

「動かねぇんだよ……船が」

「はぁ?!」

「だから、少しも動かねぇんだよ!! 船がよ!!」

 引きつった声が、緊張感を船上に走らせる。


 ザバァァァァンッッ!!


 そして、影が姿を現した。


 黒い縄上の様なブヨブヨともゴツゴツともした部分が入り交じる海類系の太く長い触手達が、天へと伸びていた。


「……ッッ!!」

 絶句。

 船上の上に立つ男達がそれを見上げ、絶句していた。

 現実から意識が引き剥がされたかの様な光景に、言葉が出ないのだ。


 ただ、その意識が戻り始めた瞬間は一瞬にして事は終わっていた。


「……ぁ」


 小さく出した声は、触手達の圧力によって押し潰され、海中へと消えた。


   *


「……、」

 ジャパリパークの海岸で一人、瞳を閉じて海面に手を浸しているコクトが居た。

 彼の身体はパキパキとひび割れており、節々から黒い瘴気が漂っている。


 彼は一息つき、手を海面から取り出して瞳を開く。

「……警告だ」

 彼は静かに告げていた。

 誰もいない夜な海原に向かって、吐き捨てていた。


「殺してはいない。孰れ彼等の身体は本島にでも流れ着くだろう。その体験を身に覚えた彼等が証拠だ」


 冷酷な瞳は、遠くに居る誰かを見据えている様だった。


 収束していく瘴気は、全てを飲み込むと原型へと戻り始める。

「コトが消えたからと言って、この島を喰えると思うなよ……この島を喰らおうとする限り、私の目は常に貴様を捉えているぞ」


 彼は宣戦する。

 たった一つ身でも、貴様らを見逃さない、と。

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