第四節

 ジャパリパークの地形は、一目見れば壮大だが、世界地図に乗せてしまえば、実はそうでも無い。

 そもそも、本島である日本に比べれば小さい上に、イギリスやドイツなどの広大な大地として広がっている訳でもない。

 比較するとすればアイルランド。イギリスの隣の国と言えばわかりやすいだろうか、イギリス南西に位置するその国に近い大きさだ(拡張表現かも知れないが、四国よりも大きい)。

 世界に比べれば小さい大陸だが、実はこの島の実現で世界全体で大きく変わった事がある。


 其れは気候だ。


 と言うのも、現在ジャパリパークの国位置は日本に在り、日本本来の気候は温暖。だが、ジャパリパークの特殊気候により、実は昨今世界一多気候な国認定の異議が上がっている。


 その理由は明白で、要はサンドスターによる気候分断だった。


 意外としょうも無いかも知れないが、ジャパリパークという存在が国を動かす一大事となった当初は、天変地異の前触れだの、多く議論されていた物だ。


 現在はと言えば、最早影も形も無い。


「……………………………………………………………………」

 そんな、国境のような季節の分裂が起きているからこそ、それなりの面倒事も研究員の中では日常茶飯事だろう。


 例えば、向かう途中の通り道で、砂漠から寒帯地域に出た時。

 例えば、平野を歩いていれば、途端に大きな渓谷に道を阻まれた時。


 例えば、


 足跡を追っていたら、足跡の先が雪原エリアで、足跡がそこで消えてしまっていた時。


「………………………………………………………………………………………………………………」

 吹雪吹き荒れる雪原の上に、白衣姿の男が最早無気力を通り越しその虚しさと虚無感に動じる事さえ諦め、全てを投げ出して考える事を辞めてしまったような白い目は、先の見えぬ銀世界を呆然と覗いていた。


 セントラル近隣、雪原エリア。

 雪が積もるそのエリアは、日の当たる日にちであれば地面に乗った雪が日光に反射され、白銀の世界を映しだしていただろう。

 セントラル付近は異常気象も少なく、極めて温厚的な気象地であった為、セントラル建設の要因的な場所でもあった。

 だが、今日に限っては異常気象。

 更にコクトは、本来研究所から出る予定はなかった。


「……………………………………なんか、帰るのも、癪だなぁ」

 此所まで来て「雪凄くてダメだった」などと言って引き返すにも、少々人としての恥ずかしさがあった。

 彼もこう見えても人だ、間違ってでも、現在進行形で人型雪達磨が生成されていても、彼は人だ。


(明日来て足跡が消えても困るしな。これ位なら数時間は活動できる)


 改めて吹雪き舞う中を歩き出す。

 向かうのは、足跡の延長線。


 白衣のポケットに手を突っ込み、白い息さえ勢いに消える。


 ゴォォォ――ッッ!!


 豪雪と言うべきか、今日は一段と風が強い。

 ある意味、パーク内異常気象観測史上最大の豪雪日かも知れない。


 既に周りは見えない。

 引き返す選択肢は等に消えた。


 一心不乱に進んで行く。


 ……と、その時だった。


「……アレは」

 彼は、唯の気まぐれでふと横に目線をずらしただけだった。

 その目線の先には、どうやら穴蔵らしき場所が見える。


「……、」

 警戒しながら近づく。

 穴の近くまで来ると、中をキョロキョロと見渡す。

 中には誰もいない。


 唯そこは、洞窟とは言えない、行き止まりのある穴ぼこのような場所だが、この豪雪を凌ぐにはちょうど良い場所かも知れない。

(……無理をして進む事もないか。一旦休ませて貰おう。危険性も無さそうだしな)


 ジャパリパークに置いて、気をつけるべき点がいくつかある。


 一つは、セルリアン。

 言わずもがなである。


 二つ目に自然。

 人単身で自然を相手にするのは、かなり無謀だろう。

 砂漠を所持品なしで歩くバカなどいない。


 そして三つ目は、実は動物だ。

 コレはフレンズではなく、動物というフレンズ化前の存在だ。

 パークの保護区では、そもそも動物を強制的にフレンズ化させるのではなく、動物の状態で対応区画に放ち、自然的にフレンズにさせている。

 強制させる事に関しては禁止されており、ようは手違いで嘗ての事件を招く可能性も考慮してだ。

 そして、放たれた動物によっては、肉食猛獣も存在する。

 フレンズのように愛らしい姿になる前は、どんなフレンズもそれなりの動物だったのだ。


 忘れてはいけない。


 中に入ったコクトは、奥の方まで進むと、穴壁に腰を下ろす。

 一息放ち、ポケットから手を出す。


 拳を握り、放し、握り、放す。

 血行状態を確認し、肉体の状態を認識する。


(凍傷は避けたか、この状態であれば、とりあえず休めば再行動できるだろう。とりあえず、此処でこの先の事を考えるとするか)


 外の様子を伺いながら、体を休めるコクト。

 何時止むのかも解らない天候の中、ふと彼は、洞窟の外に何か影を見つける。

 其れは段々と此方へ近づいて来ていた。


「……ぁ」

 その影の主は、穴の中に入って小さく言葉を発した。

 見覚えのある尖った耳に、黄色く見える薄焦げた服装。本人らしからぬのは、鼻や耳先を真っ赤にしている事だろうか。それは、寒さで冷えてしまっているキタキツネだった。


「……ついてきてたのか」

 コクトが彼女に声を掛けると、驚いたようにして彼女は洞窟を出て入り口付近で身を隠す。だが隠す場所が悪いのか、外で身を潜めている物だから、凍え始め次第に震え出した。


「あー、うん。入りなよ」

 ブルブルと肩を振るわせ、キタキツネは洞窟の中へと入ってくる。

 雪原慣れしている動物でも、豪雪の中悠々と動く動物など居ない。


 慣れてても無理な物は無理という物なのだろう。


 中に入ると、コクトと入り口の間辺りに留まり、コクトとは反対側の壁の方にもたれ掛かる。


 ふるふると肩を振るわせ、体育座りで身の熱を何とか保持しようと頑張っているのだろう。


「……はぁ」

 コクトは大きく溜息を吐き出す。

 白衣を脱ぎ、その白衣を彼女に渡そうとしていた、が。


(あー……だ~めだこりゃ。びしょ濡れだ)

 先程の豪雪で、最早上着は身の代わりに水を吸い上げていた。

 寧ろコレを渡したら嫌がらせになるだろうと確信し、白衣を岩場に投げ捨てる。


 そして。

「失礼するぞ」

 彼は、キタキツネの横、入口側の方に腰掛け、彼女に身を寄せ始めた。

「……ッ!?」

 突然の出来事にビクリッと驚くキタキツネ。コクトはそんな彼女の反応も気にせず、意を介さずに反対側の肩に手を伸ばし抱き寄せた。

(ま、これ位で十分だろう)

「コレで少しは暖まるだろ。我慢してくれよ?」

 キタキツネは、此方を向いていない。

 唯俯き、言葉に対してはコクッコクッと頷き返した。


 外では、未だゴーッ!! と吹雪が鳴り響いている。

 洞窟内も間接的であれ、人肌で暖める事にも限界があった。

 抱き寄せてる二人であったが、矢張り寒いのかキタキツネが身をギュッと握るように引き寄せる。


「悪いな、もう少しで暖かくなるはずだ」

「……?」

 キタキツネは、コクトの言葉の意味がよくわからなかった。

 だが、それは、少しずつ、温まる身体で理解できた。

「……コクト、暖かい」

「とりあえず、コレで凌げるだろう。今はこうしておけ。多分、時期にこの雪も引くだろ」


 どんどんと温まっていく彼の身体に、キタキツネは自ら身を寄せた。

 胸辺りに顔を当て、暖まっていく肌を直に感じていた。


 吹き荒れる豪雪の中、洞窟の中で静かに時が過ぎるのを待つ二人。

 次第に、外の光は消えていった。


   *


 日が暮れ、既に夜。

 穴蔵の中で、二人は身を寄せ暖まっていた。


 キタキツネは、コクトの体温の暖かさを感じ、何とか寒さを凌いでいた。


「……さて、止んだな」

 コクトは、音のなくなった外の景色を一瞥する。

 既に雪は降っておらず、穴の外に出てみれば一面夜景銀景色となっていた。


 キタキツネも外の光景を見る。

 寒さはもう無いのか、彼女は外に向かって行った。

「ま、元気で何より」

 ポツリッと吐き捨てると、岩場に投げられていた白衣に腕を通し、彼も洞窟の外に向かった。


 一望すれば解る。

 夜のスキー場も確かに見えるが、其れが全て自然の中で解ると、価値観も変わる。


 日本特有の電灯など無い。

 月の光と、雪に反射された銀景色。

 夜の筈が、辺りを一望しても、在る底の先まで見えてしまう。


「……、」

 小さくと息を吐き出す。

 口から出た白い湯気は、今度こそ無造作に消される事無く、静かに空へと消えていく。


 寒さはもう無い。

 心地よく感じてしまう程の……、いや、その感覚さえ忘れてしまう程の、自然の本当の美という物に、魅了されてしまっていた。


(……こんな景色、いつ以来だろうか)

 真っ暗な空に、満天の星。

 街の喧騒もなければ、あらゆる音という物がない世界。


 今までの自分が、全く別の場所に居たと思わせるその世界は、奥底に眠っていた記憶を蘇らせた。


 クイックイッ!

 ポカンッと口を惚けていたコクトの白衣の袖を、誰かが引っ張っている。

 視線を落とせば、そこには先程出て行ったキタキツネが居た。

「……、」

 惚けていた口を閉じ、笑みを作る。

「なんだ、帰ってなかったのか?」

 ポンポンッと、頭を撫でるコクト。


 されるがままの彼女は、撫でられる度に耳をピクリッと動かし、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。

「ありがとうな。私も凍え死ぬ所だった」

「……うん」

 俯きながら、小さく呟いた。


「さて、私は捜し物を再開しなくてはな」

「……?」

 撫でる手を止め、辺りを一望したコクトに対し、キタキツネは疑問の顔を見せ首を横にかしげた。

「ああ、実は研究所の器材が幾つか無くなってしまってね。足跡を追って此所まで来たんだ」

「……ぁ」

 その言葉に、キタキツネはまた小さく呟いた。


「それなら、知ってる」

「本当か?」

「うん、と言うか、僕の、知り合いが……集めてた」


「あ、案内してくれないか?!」


 両肩に手を乗せ、グッと近づくコクトに、ビクリッと驚くキタキツネ。取り乱した自分を自粛するように、コクトは「スマン」と一言言うと手を放し距離を取った。


 矢張り未だ寒いのか、驚いた性か、キタキツネの頬や耳は赤い。

 そんな彼女は、落ち着きを取り戻すと、少し俯きつつ、一言吐いた。


「……こっち」

 キタキツネが先導するように歩み出す。

 コクトはそれについて行くように歩み出した。


(……あぁ、やっぱりだ)


 彼女の背を追っていく最中、何故かコクトは自分の中にある考えに向かって肯定を始めた。


 肯定であり、否定である考え。


(似てるけど、違う。どうしようもなく、面影を感じてしまうんだ。でも、違う、違うんだ……)


 唯の一つの事件。

 この事件が、何かを変え始めた。


 黒には、何も染まらない。

 だが、まるで、その前提を覆すような、白が、


 今、彼を塗り替え始めた。


   *


 キタキツネに連れられ、どれくらい歩いただろうか。

 前を先導するキタキツネの、数歩後ろを歩くコクト。


 走る事もなく、止まる事もなく、道なき道をゆっくり歩んでいく。


「……、」

「……、」


 話さない。

 顔を合わせない。


 ただ、唯静かな時間が過ぎていった。


「……着いた」

「……?」


 コクトは、彼女が指し示すその場所を確認する。

 そこは、洞穴だった。


 ただ、先程とは違い、その場所は結構大きい。

 奥は見えず、下の方に続いている。


(成る程、石と土の隙間にある地下の空洞か)


 竪穴式住居で見るであろう、地中を掘り床を下げ屋根を付ける家。

 正確には、その屋根が土や岩にて成り立ち、自然的な設計をした場所だ。


 雪に隠れているからこそ解らないが、雪が溶ければ丘となって現れるだろう。


「この中に、持って行った奴が居るのか?」

「うん」

 縦に頷きながら告げる。


 コクトは、何も疑う事無く、その穴へと向かって行った。

(まあ、多分だが、そう言う事か)


「……ついてくるのか?」

 入り口近くまで中を伺っていると、後ろにキタキツネがついてきていた。

「……だめ?」

「いや、構わない」


 コクトは洞窟の中に脚を進める。

 中は暗く、狭くも感じられるが、次第に広くなって行き、更には光源も見えてくる。

 どうやら家主は健在らしく、光源を使って生活しているらしい。

 そう思えるのも、ある意味、犯人がその本質を持っているという所に繋がっているのかも知れない。


「……見つけた」

 大きく溜息をつきながら、


 彼の目の前には、犯人らしき少女が此方に背を向けて座っている。

 どうやら気がついていないらしく、まるでマッドサイエンティストが新しい毒薬を作り出すべく薬品と薬品を混ぜ合わせようとしている最中だった。


「~~♪ ~~♪」


 上機嫌な少女。

 と言うにも、この時点でコクトが声を出して止められない理由が幾つかあった。


 まず一つに、彼女はフレンズである。

 特徴的な尻尾に、尖った耳。

 寧ろ、キタキツネに似たその少女の後ろ姿は、彼女とは違い服や耳、尻尾の色が黒染みた銀色をしているのだ。


 そして、第二に、動物が人間的知識を持った時の興味という物だ。

 この瞬間に置いて、ほどよく理解してしまう程の事実。

 目の前のフレンズが、人の知識という物に興味を持った時の行動。

 その体現が此処にあり、純粋な興味という物の見方を考えれば、今回の事件は在る底の筋が通っていた。


(……あ)

 コクトは、彼女の行動に頭を抱えていた時、ふとある物が目にとまった。

 そして、其れを認識したコクトはゆっくりと彼女に向かって口を開いていた。


「……其れを合成させるのは、余りオススメしないって言っておくよ」

「……ッ!?」


 大きく耳を震わせ、尻尾を逆撫でる。

 汗をダラダラ流しながら、彼女はゆっくり振り返った。


「……あ」

 まさに、しまったっ! と言う顔をしている。

「……ギンギツネ」

 隣に居たキタキツネは、その少女に向かって、発した。


 そう。

 彼女は、ギンギツネ。

 キタキツネと同じ狐の類であり、アカギツネの遺伝的多型として生まれてくる存在だった。


 因みにキタキツネはアカギツネの亜種である。


「な、な、な……ッッッ!!!!」

「……、」

「……、」

「何よ! 勝手に持ってきて悪い?!」

(切羽詰まって開き直った)


「いや、悪いとは言わないさ。そう言うって事は、自分が何をしたか解ってるって事だし」

「……ッッッッッ!!」


 切羽詰まったのか、図星だったのか、顔面が一気に高揚した。

 そんな彼女を見てか、キタキツネはハッと頭に浮かんだかのように思った事を口に出した。

「……顔だけアカギツネ」

「五月蠅いっっ!!」

 地雷に触れた。


「み、見てなさい! 例えそんな事をしたとしても、私はこれから世紀の大発明をするのよ!!」

 震えながら、両手に持ったビーカーの片方を、もう片方に注ごうと傾け始める。


 震えながらも中の液体を、片方に垂れ流すと、液体はグツグツグツッと音を立てて唸り出し始めた。

「ほら、見なさい! 私にだって発明は出来るのよ!! 凄いでしょ!!」

 バッと此方に向けて唸りだした液体のビーカーを見せつけてくる。


 そんな光景に、コクトは冷静になりながら吐き出した。

「うん、そうだな。そんな事する奴は居ないだろうな」

「でしょ!」

「そりゃあそうだ。液体爆弾に引火性液体を混ぜ込む奴はこの世には居ない」


「……へ?」


 バァンッ!!


 直後、大きな爆発と共に、その隠れ家の入り口から煙が吹き出した。


「……、」

「……、」

「……、」

「……けふっ」


 化学に置いて、何でも混ぜて良いなんて憶測はない。

 其れこそ、酸性とアルカリ性の洗剤で中和を起こして死に至る程の事実を知っている者であれば、最早常識レベルの認識だろう。

 だが、いつだって、獣という者には人間の知識というものを理解できない。

 其れは相互に同じで、謂わば互いに不干渉の地帯が存在するのだ。


 其れはつまり地雷原もある。

 予備知識も何も無い物が、出来ると豪語して高価な物を買い集め、その集めた物が余りにも高難易度過ぎて使えず仕舞いのような物に近い。


 要は、その不干渉地帯に興味を持ってしまったが為に、このような事件が起きた。

 コレもまた、彼の懸念であった。


(いつかやるとは思ってた。間に合っては良かったが……間に合ったか?)

 炭が部屋を充満する。

 彼女の手には既にビーカーはなく、足下に跡形もなく散ったガラス類が散乱していた。

「あーあーあー」

 コクトはポケットからハンカチを取り出し、広げたハンカチの上に割れたガラスの破片を回収し始める。

 ギンギツネはその驚きの性か相変わらず放心状態のままだった。


「……手伝う?」

「ああ、大丈夫。危ないからちょっと下がっててね」

 声を掛けてきたキタキツネに、断りを入れるコクト。


 そして、その光景の認識を終えたのか、プツンッとギンギツネはその場に崩れ込んだ。

「……う~。なんで私に出来ないのよぁ~~」

「そりゃ、知らないからじゃないか?」

「何よ、ヒトだからって何でも知ってるように言って」

「最初は皆何も知らないさ。それこそ、知らない奴であれば今回の事は何度だって起こしてる。ヒトだってな」

「……?」

「ハァ……。要は、一から学べば君の言う発明だって出来るようになるって事だ」

「……怒らないの?」

「悪意があったのか?」

 彼女は首を横に振る。

 当然だ。そこに在ったのは興味で、悪意など無かった。


「なら、今した事が危ないって解ったならそれで良いさ。次はするなよ?」

「……うん」

 小さく頷き、涙目ながらもくぐもった声で返事をした。


 その後、交渉の末彼女が盗んだ器材などは研究所に返却。その代わりとして、ギンギツネを研究研修員としての指名をし、カコの教育対象としてギンギツネを付けた。

 要は、コクトがカコにした指導の復習として、今度はカコがギンギツネに教えると言う方式をとり、再確認をさせる事にしたのだ。


 これにて、事件は幕を引くかと思った。


「さて、これらはどうやって持って帰ろうか」

「……多い」

「それなら、これを使ってちょうだい!!」


 多くの器材達の運び方を悩んでいると、ギンギツネは外の埋もれた雪をバババッと掘り返し始める。

 すると、どこからともなく、大きな台車のような物が出てきたのだ。


「名付けて、『ナンデモハコベールXX』!! これで一気に荷物を研究所に届けられるし、歩かずに雪の上を進めるわよ!!」


 戦車の履帯のような足に、上に乗るようにして大きく存在する荷台。さらに操縦が可能らしく、前方には操縦桿がつき、車の如く電気エンジンで起動するらしい。


「……、」

「……どうしたの?」

「いや、何でも無い」


(ああ、学がなくとも機械に手がつくような定理か。この娘薬品実験より機械工学が得意なタイプか……)


 特に大事も無く、全ての機材を載せて『ナンデモハコベールXX』は進み出した。


 因みに、装甲車のような車体の御蔭か、緩やかに進んでいくが、何分屋根がない。

 約二匹のフレンズは毛皮があって平気だろうが、コクトは時折その身に当たる風を受けて、せめて前準備を考えてから進もうと胸に刻んだ。


   *


 事件は、呆気なく幕を閉じるかと思われた。


 研究所に帰還したコクト。

 乗ってきた運搬車は研究所駐車場に止められ、其れを見た研究員達は驚きつつもその場に向かって走ってきた。

 彼等に事情と今後の処分について説明したコクトは、とりあえずと謂う事で薬品器材一式を研究所に戻す作業を、職員達に行って貰う事となった。


「いや……、まさかフレンズが薬品を持って行ってたとは」

「ある意味、これは考え方を改めさせる結果になりそうだのう……」

 薬品の運搬に、ミタニと第一発見者である研究員が互いに驚きながら運び出された一式類を眺めて呟いていた。


 コクトはその光景を見て、今後の研究についての目標や対象への考察内容が大きく変わるだろうと考える。


『対象を動物としてではなく、人としての認識とする』

 言葉で言って、姿形がそうであっても、研究者の中には其れを実感できていなかったり、無意識の内に考え方が戻ってしまう者だって少なくは無かった。


 ある意味、今日ここに、分岐点が発生したかも知れない。


「……、」

「コクト?」

 そんな光景を眺める彼に、キタキツネが話しかけてくる。

「なんだい?」

「顔、赤い」


「……、ああ、大丈夫だよ」


 そう話す彼の顔は、確かにどことなく赤かった。

 キタキツネも不思議そうに思いながらも、とりあえずで納得する。


「今日は手伝ってくれてありがとうな。また今度、お礼させてくれ」

「……、じゃあ、また、会いに来ても、良い?」

「……あぁ、いいぞ。唯今日はちょっとやる事多そうだしな、……とりあえず、ありがとう、な」


 コクトに取ってはお礼のつもりなのか、彼女の頭にポンッと手を置き、優しく撫でる。

 キタキツネは前と同じように尻尾を左右に揺らしていたが、何か、どことなく違和感を感じていた。

 ただ、彼に其れを言及する前に、彼は研究所内に去って行ってしまった。


   *


 研究所内に入ったコクトは、近くの休憩スペースのベンチに腰掛けようと近づく。


 だが。


 ガダッ!


 足から力が抜けたのか、体勢を崩しベンチにのし掛かるようにして倒れた。


「……はぁ、はぁ、はぁ――」

 妙に息が荒い。

 手先も震えだし、倒れた状態から体勢を直す力も残ってないのか、崩れ込んだまま荒い呼吸を何度も繰り返していた。


(……ああ、流石に此処が限界か)


 自分を自嘲しながら、ぼやけた視界の先にある指を眺める。


(……とは言え、自業自得か……こうなるように仕向けてしまったのだから)


 この事件、その過程の中で、コクトはある自殺行為を行っていた。


 それは、言いようによっては死ぬに至るには十分可能性のある行動だった。


 洞窟の一件。

 キタキツネが震え、コクトが身を寄せ温め合った瞬間。

 実は、この言葉の時点で間違いがある。


 コクトは肌を寄せ合い互いに暖まろうとしたのではなく、自身の体温をある方法で急上昇させ、キタキツネを暖めていたのだ。


 医学の世界どころか、一般常識で知られている『熱』と言う病気。

 これは実際、病気と言うよりは、別の病気が発症した時に、自身の脳が熱を発生させ体内のウイルスを除去する為に行われる一種の生理現象だ。

 更に、肉体が冷えると震えるのも同じく、体内に熱を発生させようと身震いという運動で身体を温める動きもする。


 更に、コクトはキタキツネと洞窟の入り口であり、冷気が入り込んでくる場所を遮るようにして彼女を暖めていた。


 つまり、コクトは、異常な冷気を身に受け、病気状態だと脳に誤認させ、発熱し出した身体を彼女の暖として使っていたのだ。


 ここで、もう一つ注釈がある。


 この行為の危険性は、脳が身体のウイルスを現在の体温で除去できないと認識する度、血行は早まり、肉体の熱が異常度まで際限なく上がり続ける事だ。


 そして、『熱』と言う病気の本当の恐ろしさはそこに在った。


 熱を治す時、常に頭や血管の通る首筋を冷やす事が多いだろう。

 その行為の正体は「身体を治す為に頭を冷やす」のでは無く、「身体が治るまでその一部の場所を守る」為の行為であるのだ。


 その秘密は、脳内にある脳液にある。

 実はこの脳液、物質の原理はともかく、特徴としては卵の白身に近い物なのだ。

 端的に説明すれば、卵の白身と同じく、暖めれば固まりだし、再度液状化に戻す事は不可能なのだ。

 本来頭を冷やすという行為の本質はそこに在る。


 そして、コクトは其れをしてこなかった。

 冷気溢れる極寒地帯に居るからと言って、都合良く一ヶ所も冷やされて身体が治る訳ではない。身体を暖め菌を殺し、脳を冷ましてこそ身を守っているのだ。


 結果、彼は脳を冷やしていない。

 そして、あの極寒地帯で肉体を半日キタキツネの為に温め続けた。

 つまり、その行為その者が自殺的行動でありながら、彼は自身よりも彼女の命を優先して守っていたのだ。


 その結果、今ココに倒れている彼は、最も世界周知の病気で死にかけの状態だった。


(……、)

「大丈夫か?!」

 コクトの耳に、反響して聞こえる声があった。


 今の彼では、誰の声でも認識できる程の力は無かったが、その声の主だけは理解できた。

「ミ……タニ」

「ッ!? 今すぐ救護室に運んでやる!!」

 擦れ声を聞き取ったミタニは、その状況を肌で理解した。

 直ぐに彼はコクトを背負い救護室へと運ぶ。

 運ばれた先の職員にベッドまで誘導され、彼の身はベッドの上へと上げられた。


「……、」

 声が出なかった。

 慌てる事も、怯える事も、何をする事も無く、呆然と白い天井を眺めていた。


 回りからは慌てる声が聞こえる。


 そんな喧騒を通り越し、コクトの意識はゆっくりと沈み始めた。


 その最中、彼の弱り切った脳内に、一つの光景が浮かんだ。

 そして、その光景を思い出し、彼はその心中で一つの言葉が浮かんでいた。


(――ああ、アイツも、こんな思い、だったのか)


 その日、コクトはそこで意識を落とした。


 深い眠りの中、彼は、沈むような大海の中にいた。

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