第一二節

 コクトが帰還して直ぐの話だった。

 そこからの展開はとても早く、戻ってきたばかりとは思えない正確な対応を見せた。

「今後ガイドは一グループ、個人共に一人の体制を取る。研修の場合は指導員同行だ。通貨は以前話した通り一〇〇円からブロンズ、一桁上げてシルバー、一〇〇〇〇円台でゴールドのジャパリパークコインとしろ。換算は出口で、両替機は各地に配備してあるだろう。案内は聞かれた時のみに対応しろ。フレンズの紹介はなるべく介入するな。ガイドの目的はあくまでも説明的な介入だ。余り深く入り込むとお客様の機嫌の問題にも及ぶ。なるべく関わらず、受動的な姿勢を常にしろ」


 会議室では今まで滞って出来なかった今後の会議が行われていた。

 その中でひときわ発言し、質問に即答える彼の姿が其処に在った。


「今後は大勢の観光客が入り込む可能性もある。宿泊施設を大いに使って構わない。入園時のブレスレットの装着を忘れさせるな。保護区に入り込まれたら厄介だ。センサーが探知したら警護班をガイドに同行させて直ぐに迎え。緊急時の報連相において、現場は報告を優先させろ。急な事態で現場が取るべき行動は常に行動だ。管制塔は連絡が入れば直ぐに上層に連絡しろ。最悪私直でも構わない。そうなった場合は上層において相談を決議すると決める。現場のみで対応を終えようとするな。お客様の心は常に変わる。困りごとは直ぐに報告せよ」


 今までの訂正点に加え、心がける目的までも指摘してくる。


 この場に居なかった人間だったはずの彼は、今この場に立ち、今この場の全ての職員に光を与えていた。


「他に報告は無いか?」

「は、はい。アンケートで、もっと多く触れ合える場を作って欲しいとのことです」

「なら企画部門に回せ。企画部門は今後フレンズと観光客の合同体験企画や、新設アトラクションの立案を従事せよ」

「了解です!」

「ガイドは何かあるか?」

「ガイドですが、もっと滅多に会えないフレンズとも会ってみたいという言葉を……」

「ジャパリパークの優先順位は保護だ。だが、今後はフレンズとの交渉を行って出てきてくれるかの検討もしてみてくれ」

「は、はいぃぃぃ!?」

「管理部から、警務の増員の要求がありました」

「今後人が増えれば多くの波乱も広がる可能性もあるしな……、警備会社とは私が連絡を取る。各地方の部署に増員はするが、保護区に関しては特例以外不可侵と言うことを忘れるな。飽くまで対象は人間だ」

「了解です」


 途切れない会議室の会話に、誰もが驚いていた。

 自分たちの悩みがこうもあっさりと解決されていくのだ。


 その場に居る誰もが、今この瞬間半信半疑だった所長の存在を再認識した。


 彼の采配は、このジャパリパークにおいて必要不可欠だと。


「――会議は此所までだな。私の分の遅れも取り戻す。此所からは死ぬ気で付いてこい!」

「「「「「はい!!!!」」」」」


 最後には、彼の声に同調する賛同の声が部屋に響いた。


 日が沈んだ頃に終わったその会議は、一致団結した声と共に各部門の代表者はゾロゾロと早足で出て行った。

 彼等の心中には、直ぐにでも形勢逆転させるようなその提案を取り込んだシミュレーションをしたいと思っていたのだ。


 そして、最後に部屋に取り残されたのは所長であるコクトと、研究所副所長であるミタニの二名だった。

「……手間を取らせたな」

「何、やるべき事をやっただけだ」

「……、」

 ミタニは、思うところが多くあった。


 それもその筈。

 彼がなんと言ってジャパリパークを出たのか、今まで誰も触れようとはしなかった。

 あのミタニも……。


   *


 開園前日。

 ジャパリパークの開園準備は前回よりも大幅に早く済まされた。

 前回の教訓として感じ得られた物を、より多く理解できたのが一番の教訓となっているのだろう。

 更には、コクトという存在も有った。

 コクトという彼の存在は、今まさにジャパリパークにとっては必要不可欠な存在となっていたのだ。


 だが。

「……はぁ」

 ミタニは、屋上で一人空を眺めて黄昏れていた。

 晴天の空の元で一人缶コーヒーを片手に疲れた心を癒やしていた最中だった。


 コクトが帰ってきてまだ一日二日だろうか。

 と言っても、明日にはジャパリパークの本当の開園が始まる。


 管理課所属のミタニは、その間手を付ける仕事が無かった。

 本来ジャパリパーク内の研究を主にしている彼等管理課は、開園に関与することは無い。前回はコクトが居ない状況だったので急遽ミタニが参戦したが、今回はコクトの居る状況によりミタニは外されていた。


「……、」

 彼にとって、今のコクトの変化は余りにも恐ろしく見えていた。


 帰還当初のあの瞳。

 機械のような判別的行動。

 迅速な指揮と、職員達の士気の上昇。


 唯その中に、所長という姿があっても、コクトという一人の人間の姿が無いように見えて仕方が無いのだ。


「やはり、聞くべきか……」

「聞くって何をだ?」

 不意に後ろから声が彼の背中を押した。

 その声の主の元へ振り返ると、やはりと言うべきか、其処にはコクトが経っていた。


 相変わらず瞳に光は無い。


「コクトか……」

「別に辛気くさそうな顔をしなくても、聞きたいことぐらい気がつくさ」

「何のことだ?」

「……妹の、連れてくるはずだった一人の少女について、だろ?」

 そう、その通りだ。

 彼の言葉は、まさに――いや、やはり出るべき言葉だったかと言うべきか、彼からその真相を聞くこととなった。


「死んだよ」

「……ッッ!?」


 ただ、彼の言葉は何所か、余りにも淡々としていた。

 呆気なかった。

 重い言葉を、彼は軽々しく言い放った。


「……なんとも、思わないのか?」

「思わない訳無いさ。今だって切り捨てられない気持ちで一杯だ」

「……、」

「だが、思い返してみれば、何もかも全部俺が招いた結果だったんだ」

 屋上の鉄柵に背を預け、小さく溜息を吐き捨てるコクト。

 瞳の輝きも、その表情も、何もかもが機械じみていた。


「そもそもとして、俺は間違っていた」


 彼は、その空虚な目を空に向けて、思い返すように語り始めた。


「アイツが望んでたのは、ジャパリパークという施設の完成を見届けることじゃなかった。自分が、唯一緒に居てやれば、いつでも会える場所で、側に居て、アイツの隣に立っていてやれれば、本当にそれだけで良かったんだ。アイツはこんな事を望んでなどいなかった。だけど、俺のことを思って、言わないでいてくれたんだ。アイツはずっと、家族と一緒に居たいって、思ってたはずなのに、一人で寂しかったはずなのに、な」


 銀蓮櫻の本当の望み。

 彼女が望んでいたのは、ジャパリパークの完成でも、楽しい思いをしたかった訳では無かった。

 手に入れた有り触れた日常の中で、大切な人と日々を過ごしていたい、笑い合っていたい、ただそれだけだったのだ。


「……結局、俺は何も出来てなかった。空回って、平行線を行きっぱなしだった。いや、寧ろ交わること無く、遠ざかってたな」

 贖罪。

 自分に込めた皮肉だった。


 何も出来なかった自分への、何も理解していなかった自分への、責められるべき罪を並べた、医者と自称した唯の殺人鬼だと、自分を蔑んでいた。


「……そうか」

 ミタニは、何も言えなかった。

 きっと、此所で彼のその卑屈を否定すれば、何かが変わるかも知れないとも思った。だが、それが無意味なのは、彼を見ていて解る。

 悲しそうな顔をしない。

 悔しそうな顔をしない。

 無機質な表情だけ、其処に在った。


 表情を見て、言葉を聞いて、そして初めてどのような心情で相手が語らっているのかを知ることが、会話という物だとすれば、その言葉はどうにも、会話という定理からかけ離れているように見えた。


「ミタニ。一つ、話しておくことがある」

「何だ」


 晴天を眺めていた瞳を、地面へと落とす。

 ガクンと曲がった首と共に目線を下げながら、コクトは吐き捨てるように言った。

「私は、ジャパリパークを本当の形で完成させる」


 宣誓した。

 宣言した。


「辞めると思っていたのなら、それはお門違いだ。私は仮にも此所の社長。私情で地位を捨てて会社を潰すような真似はしない。だが、私は次の後任を探す必要がある。私達の後を継ぐ、後任が」

「……コクト、決意は良い。だが、決めるには早過ぎないか? 君は仮にもまだ若い。私の後任が必要とて、君はまだ現役だろう」

「いや、


 理解できない。

 彼の言葉は、何所か突飛して、跳躍して、未来的な発言をしているようにしか思えなかった。


 そして、ミタニはある一つの疑念が生まれる。


 ――彼は、本当に自分と話しているのかと?


 いや、会話は成立している。

 ミタニという人間に対しても話すべき会話をしてくれている。

 だが、問題は其処では無い。


 先程から彼の言葉は、まるで全てを見てきた人間の言葉だった。

 どこぞの未来型ロボットの異質的な時代跳躍船でも使ったのだろうか? そんな空想的な話をしている訳では無いが、その空想論に近い物を彼は話しているのだ。


「……なぁ、コクト。君は、妹の死後、何があった? 軽く考えても、此方に来る前に亡くなったのだとしても、この一週間、君に何があったのだ?」


 その言葉に、コクトは今まで合わせなかった視線を、此方に向けてくる。

 相変わらずの虚ろな目に、無表情な顔。


 だが、そんな表情の無い彼の口元を小さく歪ませ、笑顔を作ってみせる。

 目元が笑っておらず、不適と言うよりは不気味さを帯びた、意味ありげのその顔を、コクトはミタニに見せていった。


「――ミタニ、世界には知らない方が良い物が多い。知ろうとすれば、深淵深くのが、此方を見返してくるぞ」


 その後のことは、曖昧にしか覚えていなかった。

 ミタニは最後、彼がそう言って屋上を去って行ったことは覚えている。


 だが彼は、その不気味さに、動けないままで居た。

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