いきなりレールガン女子高生
大河
第0話「始まりと誓いのレールガン」
廃材の海を掻き分けるようにして、男が歩いている。痩せ細った身体、骨と皮だけの足。貧相に過ぎる姿ながら、指摘する者は誰もいない。地下施設の管理者だった男は、己以外に誰の姿もない施設で辛うじて生存を続けていた。
砂まみれの地下施設。天井の人工灯は割れるか壊れるかで例外なく機能を停止している。昼夜を問わず日の差さない施設内では、巨大な発光物だけが灯りだ。蛍光灯にたかる虫のように、男は無心で発光物目指して歩いている。男にとってはそれが習慣であった。
目覚めて、それの下に向かう。それの状況を確認し、メンテナンスが必要ならば調整する。施設管理者だった男がいまだ細々と生き永らえている理由。出来得る限りでそのシステムの正常稼働を維持させることが、男に残された使命だった。
目標物の前に到着する。
予言書自動筆記システムはいつも通り、支離滅裂な文章を吐き出していた。
何を言っているか分からない。正常稼働の確認のために出力ログを閲覧する度、男は思う。男は施設管理者の立場にありながら、しかし分からないことだらけだった。教えられたのはシステムの動作結果と状態情報、異常が発生した場合の修復法。修復にあたっても基本的には復旧用のプログラムを走らせるだけであり、内部処理がどうなっているかなど知る由もない。知る必要もない、ただ維持を続けることが男の役目だと定義された。そして男は決められた通りに生きてきた。
生きることのみを目的とした場合、男は幸福だった。男を含む生存者たちにおいて、自動筆記システムの維持こそが至上の使命とされていた。維持を主管することとなった彼の命は他の何よりも優先され、幾人もの餓死、病死が積み重なろうとも、男の生活は保たれた。彼のため、予言のためにと身を削り祈りを捧げる人々の恩恵を与りながら、彼らの願いを聞き届けて見事役目を果たしながら、男はずっと考えていた。こんな文章に、それほどの価値があるのだろうかと。
結局、答えを得ることはできなかった。
既に彼以外の人間は息絶えた。いつか予言に価値が生まれると答えてくれる老人も、システムの維持こそが未来を救うと断言してくれる信者も、誰もいない。死の星と化した地表から逃れ、地下深くで細々と生きてきた人類にも滅亡の時が近づいている。
男の身体は日ごとに動かなくなる。栄養不足か、老いか、いずれにしても最期はすぐに訪れるだろう。男が死ねば保守する者がいなくなる。自動筆記システムは真に停止への一歩を踏み出す。太陽フレアの影響は日に日に大きくなっている。稼働停止もそう遠い話ではない。
終わる。
終わりの時が近い。
「――――」
そう感じる機会が増えるほどに、男の脳内に意味という言葉が過ぎるようになっていた。
システムの維持を命題とした。命尽きるまで、システムを正常稼働させ続ける。男の使命は達成された。だが、維持したことによって何か変わったのか。何かを生み出せたのか――そう振り返ったときに男の心を空虚が襲った。何も得ることなく、何も変えることなく、ただ過去に引きずられたまま人生を費やした。
お前の生は無駄ではなかったと励ましてくれる誰かは、もういないのだ。
「――――」
故に、先ずは。
何も分からないまま、言いつけられただけの行動をこなして死ぬ機械でいることを止めようと思った。
意味が分からない、と放棄してきた文章に目を通してみる。
出力される文章は必ず数百字をひとかたまりとして配置されていた。体裁としては起承転結の存在する娯楽作品、いわゆる小説に該当する。非現実な展開、欲望を発散するだけの狂気的な内容が多々含まれているため、誰かの空想を形にしたものだと思われた。調べれば調べるほどに、読み込めば読み込むほどに、予言書と呼ばれる理由が分からなくなる。
そもそも、何だ、この存在は。前振りもなく登場する『レイル』なる絶対者は、どこから湧いて出たものなのか。誰かの脳から溢れ出る原液を流し込まれているような、強烈な感覚で全身が包まれる。ひとつ読み解くごとに狂気で頭を殴られている錯覚に襲われる。
亀のような歩みで。それでも少しずつ、読み進めた。
出力された文字列の95%は中身の理解さえ追いつかない、気を違えたような文章だ。残る5%のうち、4.999%は読むこと自体はできるものの、言葉と言葉の接続が上手くいっておらず、内容が成立していないもの。そして最後の0.001%は――的確に現状と未来を指摘した文章だった。
「――――」
男は予言書の自動筆記が真に成されていた事実を目の当たりにし、ひどく狼狽した。自分たちの守ってきたものが真実だった安心よりも、得体の知れなさと恐怖が勝っていた。すべて今さらではある。しかし男は知らなかったのだ。システムの構造も、それを守る意味も。一切の思考を捨てて、使命を果たすことだけに意識を向けてきた。
だから今さら、恐れている。
何を目的として、この自動筆記が形作られたのか、その理由を。
恐怖を解消するには知るしかない。
男はアーカイブを漁った。禁忌とされていた領域にも踏み込んだ。咎める者は誰もいなかった。そうして彼は、始まりの記録を見つけた。
×××
かつて人間は支配者だった。地上すべてを制御・管理し、何もかもが手の上にあると思い込み、弄ぶように多種を滅ぼしては蘇らせた。万事が叶っていた。万象を手懐けられた。地上は人間の世界で、すべてが人間の掌の上にあった。
予兆はあったのかもしれない。ただ、その傲慢さ故に見逃していただけで。
彼らを死が襲った。
終末を境にして地球環境は大きく変化した。それまで完全に制御できていたはずの自然は人間に牙を剥き、総人口の八割が死滅した。残る人間は地下へと居住地を移し、生存だけを目的とする生物まで転落した。
人工の灯に照らされながら怯えて生きる日々。飢えと病気から逃れるためにさらなる争いが起きる毎日。人間たちの頭に、滅亡が明確な未来として刻まれるようになった。
そんな日々が始まって数年が経った頃。
とある男がいた。男は何日も食料を口にしていなかった。声も身体も細く、力も覇気もなく、焦点の定まらない目で理解できない言葉を吐いていた。
誰かが言った。
狂っている。あの男は使い物にならない。狂ってしまった。
飢えても、倒れても、助けを求めることもせず。宙を見ては祈りを捧げ、理解されずとも何事かを唱え続けた。
誰もが言った。
狂っている。近づくな。男を無視しろ。
見向きもされなくなった狂人は、その日もいつものように祈りを捧げ、聞いている方まで正気を失いそうな言葉を綴り。しかし一つだけ違っていた。
狂人は自分の指を裂いた。
狂人は自分の血を周囲の床や壁に塗りたくった。一見すると無意味でおかしな記号にとられかねないほどに崩れていたが、それは確かに文字だった。文章だ。短文だ。数百字で始めから終わりまでを描き切る小説だった。
狂ったように文を書き、狂人は絶命した。
狂気と絶望の地にあっても、血で綴られた遺言を読もうとする異常者はいなかった。少なくとも、狂人の死体が腐敗を始めるまでは傍に近づこうとする人間などおらず、臭気を放ち始めてようやく片付けを試みる者が現れたくらいだった。ただ、その人間も壁一面に描かれた血文字を見てすぐさま退散し、結局残された人間たちは狂人の痕跡から目を逸らした。
故に彼の痕跡、その価値を見出したのは、残された者ではない。
彼女は、狂人の死後に生まれた少女だった。
退廃的となった世でも、たとえ求められていなくとも、生まれ来る命があった。両親はともに死に、たらい回しの押し付け合いの末に一人きりとなった少女だった。灰色、あるいは白にも見えるほど汚れにまみれた髪。ぼろきれのような細布を首元に巻き付けていた。誰も助けてくれず、自分を守る力もなく、何を思う心もなく、ただ自身を傷つける者たちの手から逃れるようにして、命からがらこの場所に辿り着いた。
少女は壁一面に綴られた血文字の羅列を見た。
読めないものばかりだった。けれど、不思議と読めるものを探そうと思った。きっと少女も狂っていたのだ。死を前にして何もできず、失われるだけの自分に恐怖したのかもしれない。
気を違えたようなことばかりが書いてある文章の中で、少女はごく僅かな内容に価値を見出した。現状と未来を的確に指摘した、まるで予言のような文章。少女は予言と思しき不可思議な記述に従う形で行動した。争いを回避し、食料を得、あらゆる状況から生存を掴み取った。
いつしか少女は多くの者に頼られるようになり、多くを守るようになった。
男の亡骸と血文字の壁面に祈りを捧げる姿。
礼と呼ばれた少女は、絶望の地下に一時の平穏をもたらした。
ある男が言った――礼とかいうあの少女は予言を読んでいるだけだ。自分だってあの文章を読めば、同じことができるはずだ、と。
彼は文章の狂気に呑まれ、発狂して自害した。
ある女が叫んだ――礼は得た食料を独占している。自分たちに分けているように思わせて、隠し持ったたくさんの資産があるはずだ。
彼女は集団を追われ、拘束され、誰に知られることなく餓死した。
礼だけが文章を読み解くことができた。礼は己が得たすべてを解放し、分け与えた。生存を第一にしていた人々にとって、その行動は狂気であったが、故にこそ輝いて見えた。
祈り、願い、読み、解く。
礼という名の少女は人々の希望となった。象徴だった。少女のもとで過ごせば命の危機も食料の心配もなく、きっと生き延びることができると信じた。
きっと生き延びることができるだろうと。
生きて、生きて、生きた先に――生き延びた、果てに。はたして何があるのか。
人々は礼に未来を求めた。生存が約束されると、現在の先を思考するだけの余裕が現れてしまった。滅亡を回避したいと願うようになってしまった。
願望を、象徴に、押し付けた。
礼は愚直だった。自身にできることは文章を読み、予言となるものを見出し、行動することだけだと知っていた。だから彼女は何も変わらず、日々祈りを捧げていた。
人々は愚鈍だった。過剰な信仰は不満となり、繰り返しの毎日が恐怖を煽り、数が力であると思い込んだ。
集団の意思を蔑ろにするのか。人々は礼を問い詰めた。
礼は肯定も否定もしなかった。
そして人々は、
礼は、
×××
「――――」
礼と呼ばれた少女は、予言を読み解くだけだ。呪いのように記憶へと染み込んだ膨大なテキストから有意なものを抽出し、利用する。既存の予言を消耗して生き永らえているだけ。いつか終わりは訪れる。
故に、人々は、新たな予言を必要とした。
既存の小説を理解し、解釈し、新たな予言を出力する機構が必要だった。
「――――」
予言書自動筆記システムには、礼という少女が組み込まれている。
恐怖? 絶望? 罪悪感? 憎悪?
説明のできない感情に苛まれ、思わず男は口を押さえた。同じ人間を素材として利用する、そんな判断を下した当時の状況に吐き気がする。それほど強固だった生存意欲が、時とともに廃れてしまった現実が苦々しい。
意志も、正義も、秩序も。
もはや此処には何も残っていなかった。
「――――」
思考を捨てた男の行動は、欲望に素直だった。楽になりたい。もう何も考えたくない。すべて終わらせてしまおう。地下施設ごと自身とシステムを抹消してしまおう。
過剰電流を掛けて火災を引き起こす。施設ごと破壊してしまえば復旧することもなくなる。辺りが火の海に変わる。
終わりの時がやってきた。
予言をもって滅亡を回避する。かつての願いはここに潰え、何もかも無に帰す。始まりの文書も、礼という名の少女も、自動筆記システムも。礼に願いを託した人々の希望も失われ、ここから先には何もない。
終焉の景色。
負荷の掛かったシステムが落ちる。狂った小説は出力されることなく、稼働を停止する――
――はずだった。
意志も、正義も、秩序も。
何も残っていないはずの風景の中で、少女が出力されていた。
本来とうに動作を止めた機械が意思を持ったかのように動き始め、空中に像を結ぶ。立体的に描き出されたカタチは空想から現実と変質し、実体を獲得する。
白い髪と小さな身体、ぼろきれのような細布を首に巻いた少女。
少女はふわりと地上に着地すると、自分の身体を見つめる。右の指先から腕、肩から胸を辿り、逆順で左の指先まで。獲得した肉体を確かめるように、ゆっくりと。
男は状況が理解できない。
理解できるはずもない、確かにここには何もなかった。男が何かしたわけはない、ならば他に何かできるものなどいない。そも、少女の記録を知るのは男ただ一人――
「――――」
男は思いつく。
この記録を保持しているものが、管理者の男以外にもう一つだけ存在する。
少女の記録を留め、奇怪な文章を生成し続けた仕組みそのもの。予言書自動筆記システム。
アーカイブの閲覧時、気に掛かっていた事実を思い出す。
狂人が書き、礼という少女が読解した血文字の羅列に『レイル』なる固有名称は出てこなかった。
ならば、システムが書き出した文章に含まれていた『レイル』という絶対者は、誰が生み出したのか。運命を変え、万事を解決する超越者は、何物に願われて生まれたのか。
そんな話が、はたして、有り得るのか。
冗談じみた物語が。
「…………」
少女は男を見ると、表情を変えずに手を向けた。男は不思議と、少女の手に意志が集っていることを感じ取っていた。すべてを書き換え、新たに始め、未来を模索する。どれだけ時間が掛かろうとも、どれだけやり直すことになろうとも、いつか理想を手に入れる。そんな意志。
「――――」
男は尋ねた。意図した問いではなかった。
お前は何者だ。
「『
始まりの少女は躊躇いなく、意志を解き放ち――
すべての出来事における時間が失われ、物語は時を繰り返すこととなった。
数えきれないほどの繰り返しの果て。
――これは、幸福の未来に到達するための物語だ。
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